〜史実無根の物語〜 

〜其の一〜



昼の仕事を一通り終えて、暇つぶしがてらに城の中を散策してみる。皆、それぞれの仕事で出払っているのか…誰かに出会うことは無かった。
なんとなく人恋しくなってしまい、ついつい、いつもは足を運ばない場所に、足が向いたのは………本当にただの気まぐれだった。

「ん、ここって確か――――」

城の一角にある、裏寂れた書庫――――華琳いわく、傾いた書棚に本が無造作に並べてある場所は、使用している者も少ないのか、閑散としている。
まぁ、俺自身…この書庫に入ったことなど、それこそ両手の指で数えれるほどしかなかったわけだが。書物を読むのは、仕事の時だけで腹一杯だし。
そういえば、華琳はこの中の本を全部呼んだことがあるっていってたな――――普通なら、冗談の類ですむだろうが…相手が相手なだけに本当のことなんだろう。
………よし、せっかくの機会だし、俺も何か本を読んでみようかな? 何となく、華琳に対抗心めいた気持ちが芽生えていた…まぁ、無駄な対抗心だけど。

「おじゃましまーす」

書庫の扉を開けて、室内を覗き込む。この時代の書物独特の草木の香りと…使用されてない室内の匂いが混じった空気が鼻腔を刺激する。
開け放たれた扉から差し込む光で照らされた室内は…読書用の小さな机椅子の一式と、複数の本棚に並んだ本に支配されていた。
それにしても………散らかってるな。戦乱の世という事もあり、勉学よりも武術を優先するものが多いという事だろうか?
もちろん、朱里のように武術よりも勉強の方が得意という者もいる。だが、戦乱の世ではどちらが優先されるかは自明の理なんだろう。

「一度、改装をする必要があるかもな――――これからは、利用者も増えるだろうし」

独り言を呟いて室内を見回す………それは願望を含んだ独り言ではなく、ほぼ確信めいた根拠に基づいたものだった。
魏………そして、呉を併合し…領土の拡大に伴い、事務的な仕事はいっそう多くなった。必然、開拓や建設などの人材も必要となってくる。
在野の人材を雇う事もあったが、それ以上に現在働いている者達のスキルアップが今後の課題となる事は、昨今の会議の主題となっていた。

「………まぁ、翠とか鈴々とか、そういったことが苦手な娘はともかく、俺はこういうところで頑張るしかないからな」

俺は翠や鈴々とは違って、腕っ節では役立たずも良いところだし、こういったところで役に立っておかないと、立つ瀬が無くなるのである。
そんなわけで、とりあえず孫子とか難しそうなのは置いておいて、俺でも分かりそうな書簡を探そうと、室内に足を踏み入れた。

「しっかし、暗いな…かといって、下手に火をつけるわけにもいかないけど」

何しろ、木と紙が満載の室内なのだ。幸い、火薬とかの類があるわけでもないので、火をつけるだけで爆発! という事はなさそうだが…行灯を持って来るべきだったな。
と、そんな事を考えて室内をうろつくと――――不意に、前方に影が差した。見上げると、強大な影が――――って、妖怪!?

「ぬわ!?」
「あれ〜、ご主人様じゃないですか。ご主人様も、本を探しに来たんですか〜?」

と、驚いた俺の眼前に、闇の中にさした影が光の下に出てくる。それは、自分の背の高さ以上の本の束を抱えた、ぽや〜っとした顔の呉の副軍師だった。

「穏…? びっくりさせるなよ、驚いたぞ」
「んふふ〜、ご主人様の驚いた声、可愛かったですよ〜」

いたずらっぽい笑みを浮かべて、眼鏡の奥の瞳を細める穏。どうやら、向こうからは俺の驚いた様子がバッチリと見えたらしい…やれやれ、みっともないところを見せちちゃったかな。
照れながら、目の前の穏を見る――――それにしても、凄い量だな。軽く三十冊近くはあるんじゃないだろうか?

「それ、全部読むのか? 勉強熱心だよな」
「あ、これですか? これは、別に勉強用じゃないんですよ〜。全部、一度は呼んだ事がある書物ですし〜」
「………そうなのか? でも…一度は読んだ事のあるものなら、わざわざ読み返す必要も無いんじゃないか? 穏なら、内容を全部覚えてるだろ?」

博学な穏の事だから、華琳と同じように、この書庫の書物を全部読破しているような気がする。あるいは、読む本が無い為、仕方なく選んだのかもしれないが。
そんな俺の質問に、穏はちょっぴり怒ったような顔。どうも、一度呼んだ事がある本は、読み返さないでも良いのでは…という俺の意見がお気に召さなかったようだ。

「よっ、と〜。ご主人様〜、そんな事を言っては駄目ですよ〜。本当に良い書というのは、何度読み返しても良いものなんですから〜」
「………そうなのか?」
「ええ〜。それに、怒りをなだめ、悲しみを慰め、喜びを増やし、知識の糧となるように、読書はその時によって意味合いも変わるんですから〜」

まるで、小動物を愛でるように、読書机に乗った本の山を撫でる穏。それにしても…大丈夫か? 何か、本の重みで木の机がギシギシと軋んでいるんだが。

「それに〜………読んでいると、エッチな気分にもなりますしね〜」
「結局は、そこか」

意味ありげな流し目を送ってくる穏に、俺はやれやれといった様子で肩をすくめた。一度、読書後の穏に迫られ、流されてしまった事は記憶に新しい。

「よろしければ、ご主人様も〜ご一緒にどうですか〜?」
「い…いや、遠慮しておくよ」

穏と気持ちの良い事をするのは願ったり叶ったりなのだが………彼女の読書中、直立不動で待たされることになるので、勘弁して欲しいというのが本音である。

「あら〜、そうですか〜? 残念ですね〜」
「ま、まぁ、気が向いたらまた、様子を見に来るよ」
「うふふ、おまちしていますよ〜」

ひらひらと手を振る穏を置いて、俺はそそくさと書庫を退出した。ふぅ、それにしても…何だかどっと疲れたよな。
さて、次はどこに行くとしようか。穏やかな昼下がり、どこかの木陰で一眠りをするのも、良いかもしれない。



「ん、あれは――――」

城内をうろついていると、中庭にある休憩所の一つ――――日差し除けにもなるそこに陣取って、二人の少女が向かい合い、本を呼んでいるのが見えた。
あれは――――朱里と蓮華………? 珍しい組み合わせだよな………二人とも、手元の本に集中しているのか、俺の事に気づいた様子は無い。
………よし、ちょっと驚かせてみようか? 俺は、抜き足差し足で彼女達の寛ぐ場所に近づこうとし――――…

「いったい、何をしている、北郷?」
「ぐぇ」

いつの間に近寄ったのか、数歩行ったところで首筋に短刀を突きつけられ、俺は硬直した。身動き取れないように、背後から羽交い絞めにされつつ、首もとに冷たい刃が当たる。
首を回す事もできず、姿は見えなかったけど、その手口に、その声にと、相手に心当たりがありすぎた。俺は冷や汗を流しつつ、背後の相手に声を掛ける事にした。

「い、いや、ちょっと蓮華を驚かそうかなーと思って………別に、やましい所は無いんだぞ。ちょっとした悪戯心で…」
「………」
「いや、マジだって! お願いだから、首もとに刃を近づけないでくれっ! 切れてる、切れてるって!」

無言で、喉もとに当てられた刃に、俺は慌てて弁明をした。すっかり忘れていたけど――――蓮華のお傍付きである思春は、冗談の通じなそうな性格だというのを思い出した。
きっと、今も無表情で、俺を羽交い絞めにしてるんだろうなぁ………というのが、容易に想像できるほどであった。
と、俺の慌てた叫び声が聞こえたらしく、手元の本を読み進めていた朱理と蓮華が顔を上げてこちらを見て――――ぎょっとした表情になった。

「はっ、はわわっ、ご主人様がっ!」
「なっ、何をしているの、思春!? 一刀を放しなさいっ!」
「………はっ」

短い返答とともに、拘束が解かれ、俺はホッと安堵のため息をついた。命拾いしたのはいいけど、毎回こんな調子じゃ、先が思いやられるよなぁ。

「だ、だ、大丈夫ですか、ご主人様!」
「一刀、怪我はない? まったく………思春! 一刀に危害を加えるなと、あれほど言っておいたでしょう!」

開放された俺の元に、慌てた様子で駆け寄って来たのは朱理。蓮華はというと、俺の無事を確認し、一瞬ホッとした表情を見せた後、物凄い剣幕で思春を睨み付けた。
とはいえ、根っからの鉄面皮をもつ思春には効果が無いようで、平然とした表情で、蓮華の文句を受け流していたのだったが。

「時と場合によりますので。いくら蓮華様の命とはいえ、御身の安全を優先するのが臣下の勤めと自覚しています」
「…っ! だとしても――――」
「ま、まぁまぁ、悪いのは俺なんだし、甘寧も悪気があってやったことじゃないんだからさ」

険しい形相で思春に詰め寄ろうとする蓮華を、俺は慌ててなだめる。そうして、矛先を逸らすように、話題を変えようと朱里に話を振る事にした。

「それにしても、二人で何をしていたんだ? 仲良く勉強をしていたようにも見えたけど」
「あ、はい。蓮華さんに、呉の内情の事を伺っていたんです。今後の統治にしても、新しい人を派遣するべきかどうかは、やっぱり当地の人のほうが詳しいですから」
「………といっても、それほど参考にはなっていないのだけれど。こういったことは、冥琳や穏に任せていたから…」

苦笑をしつつ、蓮華はどこか悔やむように目を伏せる。反乱を企てたとはいえ、周喩の事を彼女なりに認めていたのだろう。
気落ちした様子の蓮華を気遣ってか…朱里がやんわりとした口調で、言葉を挟んだのは、彼女なりの励ましだったのだろう。

「そんなことありませんよ。蓮華さんのお話はとっても参考になりましたし、私では気がつかなかった事も教えていただいてますから」
「…それなら、良いのだけれど」

朱里の言葉に、どこか安堵したように微笑む蓮華。人一倍に責任感の強い蓮華のことだから、朱里の役に立っているのか、気が気でなかったのだろう。
しかし、事後処理ってのも大変だよな。面倒な事であっても、誰かがやらなければならない事は確かなんだが…こうして地味な努力を見せられると、頭の下がる思いだった。
そんなわけで、感謝の意を表すつもりで、俺は朱里の頭を撫でる事にした。俺が頭に手をやってグリグリとすると、朱里は恥ずかしそうに目を伏せる。

「そっか、ありがとな。本当に、朱里はいい子だよ…よしよし」
「は、はわわ………そ、そんなことないですよ」

照れながらも、気持ち良さそうに目を細めるあたり、朱里もまんざらでも無いらしい。と、そんな事を考えていたら、隣でじっと見ていた蓮華が声を掛けてきた。

「か、一刀! 私も色々と、朱里の質問に答えたり、呉の国の近状を憂いて勉学に励んだりしているんだけど」
「そっか、蓮華もありがとうな」
「………」
「な、なんだよ? どうしたんだ、険しい顔して」

俺が礼を言うと、何故だか眉根を寄せた表情で、蓮華がつかつかとこっちに歩いてきた。手を伸ばせば届きそうな位置で、俺をじっと見てくる。
いったい、どうしたんだろう、と考えていると、蓮華は少々落胆した様子で俯いた。あ、ひょっとして――――…

「蓮華もありがとう。色々と世話を掛けちゃってるな」
「ぁ…」

朱里の頭を撫でつつ、空いている方の手で蓮華の頭を撫でると…蓮華は困ったような表情で、それでも、なすがままに俺に頭を撫でられていた。
何とも変な状況だな――――と考えながら、二人の頭を撫でていると、またまた俺を見る視線――――そちらを見ると、無表情な顔で思春が俺を見つめていた。

「…甘寧も撫でて欲しいのか?」
「馬鹿を言うな」

俺の問いに、心底呆れたといった風に、思春は肩をすくめると、そんな風に即答をしたのであった。



「さあ、こちらの席に座ってください。お茶を入れてもらえるように頼んで来ますので、ちょっと待っててくださいね」
「ああ、それじゃあ遠慮なく………へぇ、色々な書簡があるみたいだな」

先程から朱里と蓮華が勉強をしていた休憩所には…うず高く木簡や巻物など、様々な書物が積み上げられている。その一つを手に取ると、そこにはビッシリと文字が描かれていた。
一応、この世界に来てある程度の読み書きはできるようになったが…さすがにこれは、ちょっと読めそうにもない。
その書物を持って、うんうんと頭をひねっていると………俺のそんな様子を見かねてか、蓮華が隣の席に座り、身を乗り出して書物を覗き込んできた。

「ちょっと見せて………ああ、これは歴史書のようね。劉邦に項籍………随分昔の逸話だと聞いたことがあるわ」
「へえ、蓮華は物知りだな」
「そうでもないわよ。たまたま知っていただけの事だし、誇るべき事でもないわ」

………と、口ではそういっているものの、その表情は誇らしげであり、随分と嬉しそうであった。その表情に、思わずドキッとしてしまう俺。
それにしても、蓮華が身を乗り出して覗き込んでくるので………こう、身体がくっついてきていて、どうも落ち着かない。特に、一部の柔らかい場所が二の腕に当たっているんだけど…。
顔を書物に向けたままで、横目でチラリと蓮華の様子を見ると、興味を示したのか、その視線は書物に向けられており、俺の様子に気づいてはいないようだった。

「…おほん!」
「っ!?」

しかし、思春の方は気づいていたようで、あからさまに鋭く、わざとらしい咳(せき)に、俺は思わず蓮華から身を離していた。
どうやら、その判断は正解だったようで…思春に視線を向けると、不機嫌そうな表情で睨み返されたのだった。あのままにしていたら、また刃物を突きつけられていたかもしれない。
しかし、そんな水面下のやりとりは蓮華には伝わらなかったらしく、蓮華は不思議そうな表情で、咳をした思春に顔を向けたのだった。

「あら、思春が咳をするなんて珍しいわね………? ひょっとして、風邪でもひいたのかしら?」
「…そうかもしれませんね。昨今は、奇妙な病魔が蔓延っているようですから」

蓮華の問いにそう答えながら、ジロリと鋭い目線で思春は俺を睨んでくる。うう…どうやら完全に、目を付けられてしまったようだ。
後々、面倒な事にならなきゃいいけど………俺は、隣の蓮華に気づかれないように、こっそりと溜息をつく。と、そんな折り、休憩場所に朱里が戻ってきたのだった。

「お待たせしました。すぐに美味しいお茶を淹れて来てくれるそうですよ………あれ? ご主人様、どうかされたんですか?」

朗らかな表情を見せていた朱里だったが、なんとなく、奇妙な雰囲気を察したのだろう。心配そうな表情で、俺を見つめてきた。

「いや、なんでもないんだ、大丈夫だよ、朱里」

少しの間、場を離れていた朱里に心配をかけないためにも、俺は努めて平静に、にこやかな表情を作ろうと努力をしたのだった。



「そういえば、さっき書庫を覗いてきたんだけど――――こっちの世界には、もっと大きな図書館みたいなのは、無いのかな」
「としょかん………? そういう呼び名の施設が、一刀の住んでいた天界には会ったの?」
「ああ、――――なんていえば良いかな…大きな家屋一つを、丸々書庫にしたような建物の事だよ………と言っても、実際に足を運ぶ事なんてそうそう無かったけどな」

昼下がり、蓮華や朱里、思春と一緒に席につき、のんびりと昼下がりのお茶を楽しむ合間、この世界には図書館と呼ばれるものは無いのか気になり、皆に聞いてみた。
しかし、俺の問いに蓮華と思春は顔を見合わせ、朱里は困惑したように小首を傾げただけである。どうやら、俺の説明では満足のいく説明にはなっていなかったようだ。

「大きな家を、そのまま書庫に、ですか…?」
「そう、それで中には本棚に本が並んでいて――――数えた事はないけど、多分、十万冊くらいはあるんじゃないかな」
「じゅ、十万冊!? はわわっ、すごいです」
「………」

俺の説明に素直に驚く朱里とは裏腹に、思春は何となく胡散臭そうな表情で俺を見ている。十万冊というのが、俺のほら話だと思っているようだった。
まぁ、信じてもらえないのも無理は無いけどな………俺は内心で苦笑しつつ、朱里との会話を続ける。

「それで、その中にある本は誰でも自由に見たり、借りたりする事が出来るんだ。ただ、他に見たい人が居たら迷惑になるから、一週間位の期限をつけての貸し出しだけど」
「なるほど………書物は高価なものですけど、皆の所有物という事にすれば、負担はかなり減りますよね」
「――――ああ、そっか。こっちの世界じゃ、本は高級品だったっけ」

大量生産や、ましてやコピーなど無いこの世界では、本はかなりの貴重品なのだろう。太守の地位という事もあり、常日頃から書物を手に取っているので、すっかり忘れていた。

「それにしても…そんな建物があったら、穏が入り浸りになりそうね。書物さえあれば、他は何もいらなそうだし」
「………ありえるかもな。実際、さっきも書庫で見かけたわけだし」

ポツリと呟いた蓮華に、俺も賛同する。多分、今も食い入るようにして書物を読み漁っているのではないだろうか。容易に想像できる光景に、俺と蓮華は互いに苦笑を浮かべた。

「まぁ、大体はそういう建物なんだけど――――今の書庫は狭いし古いから、いっそ新しく図書館を建てたらどうかと思うんだが…どうだろう」
「………なるほど、良いかもしれませんね。あとで皆さんにも聞いてみる事にします」

俺の言葉に、乗り気な様子で声を弾ませて答える朱里。穏ほどじゃないにしろ、本が好きな朱里にとっては、図書館が出来るというのは喜ばしい事だろう。
蓮華や思春はというと――――何ともいえない表情で、顔を見合わせていた。本にのめりこむ性格の友人が身近に居る事もあってか、素直に喜べないようだった。



「さて、そういうことで図書館を建てる事になったんだけど、せっかくだから皆からも本を集めようかと思うんだが」
「ふむ………随分と唐突な申し出だと思うのですが――――何かのお戯れですか、主?」
「戯れとは言いすぎではないか、星。ご主人様がせっかくお考えになった案なのだ。進んで協力するのが臣下の勤めというものだろう」
「まぁまぁ、愛紗ちゃんも星ちゃんも、仲良くしましょうね。ほら、ご主人様が呆れた顔をされてますよ」

あくる日――――会議の席で、俺は早速、図書館の設立と、それに伴う本の収集について皆に話を持ちかけてみた。
とはいえ、どうも図書館というものを皆はよく分かってないらしく、反応は今ひとつであった。翠や鈴々はよく分からないといった顔をしているし、愛紗と星は、なぜか睨みあっている。
事前に図書館のことを詳しく話しておいた朱里は別として、まずは皆に、図書館の事を一から説明しなければならないようだった。

「それで、ご主人様………その図書館というものには、皆の本が必要という話のようですけど………詳しい話をお聞かせ頂けますか?」
「あ、ああ」

こういう時、まとめ役がいるのは助かる――――愛紗と星をなだめつつ、さりげなく助け舟を出してくれる紫苑に感謝しつつ、俺は皆に、事細かな説明を始めた。

「…というわけで、図書館ってのは、皆が出入りできる大きな書庫みたいな物だな。見たい本があっても買えない人や、読みたくても見つからない本を探している人にも便利だと思う」
「――――なるほど、確かに素晴らしい案です! 学術の研鑽に務める物には、格好の拠り所となるでしょう!」
「ああ、だから私達の本を所望するというわけですか。確かに、本一冊を集めるにも大変でしょうし、まずは上から模範を見せるべきでしょうな」

俺の説明に、納得したように頷く愛紗と星。基本的に、こういった政治面の事に強い二人は、今の説明で大体の事を理解してくれたみたいだけど――――…

「――――…なぁ、鈴々。今の話、分かったか?」
「にゃ? ん〜……………………よく分かんなかったのだ。翠は?」
「あ、あたしに聞くなよなっ! くそ〜、何だかご主人様が、頭がいい様に見えるじゃないか!」

随分と酷い言われようだな………しかし、いったいどんな風に見られているんだ、俺は…? 確かに、未だに鈴々と一緒に勉強したりと、色々と頼りない太守ではあるけど。

「…しょうがない、説明は後でも良いか。とりあえず、善は急げとも言うし、みんな各々、手持ちの本で使わなくなったものを持ち寄ってきてくれ」
「承知――――ところで、何故「使わなくなった本」という条件をつけるのです?」

気を取り直して言った俺の言葉に、不思議そうな顔を見せる星。頭に疑問符を浮かべている星に、俺は理由を説明する。

「いや、そうしないと大切な本とか、手放したくない本を持ってくるかもしれないだろ? ほら、本って使い込むと愛着がわくだろうし、そういった物を受け取るわけにはいかないからな」
「………なるほど。確かに、そうかもしれませんな」

納得したように、星は朱里に視線を向ける。その朱里はというと――――彼女の事を話しているのに気づいているのかいないのか、いたく上機嫌であった。

「それでは、ひとまず解散しましょう。半刻(小一時間)くらいしたら、またここに集まるという事で」
「了解………みんな、またあとでな」

朱里のその一言で、会議の場は一時解散という事になった。それじゃあ俺も、部屋に戻って適当な本を見繕うことにしよう。



――――それから一時間後、それぞれが本を持ち合って、再び会議の場に戻ってきていた。大きな机の上には堆く本が積まれている。
しかし、けっこうな量になったな………どう見ても、百冊以上はあるけど――――…一人一冊の計算じゃ、これほどの量にはならないと思うんだが。

「ふむ、なかなか壮観な眺めですな。これなら、図書館とやらも直ぐに建てる事が出来るのではありませんか?」
「いや、この位じゃまだまだ足りないと思うけど――――それにしても、予想したより本の数が多いけど………朱里の私物なのか?」

感心したように声を上げる星。彼女に返答をしつつ、俺は朱里に聞いてみた。少なくともこの場でこれほどの量の本を用意できるとなると、朱里以外考えられなかったからだ。
しかし、俺の質問に朱里は首を振った。そうして、嬉しそうに朱里は顔を綻ばせる。

「いいえ、これは蓮華さんや華琳さんからの贈り物です。先程、話をする機会があって、協力してくれる事になったんです」
「ああ、なるほど………」

朱里の言葉に、納得して俺は頷いた。確かに華琳や蓮華ならこの位の蔵書を用意するくらい、わけは無いだろう。

「曹操や孫権が協力………何か裏があるのでしょうか」

と、何を考えたのか、愛紗が剣呑そうな表情で、なにやら考え込んでいる。どうも、蓮華や華琳の協力が腑に落ちないようである。

「いや、別に他意はないと思うぞ。それにしても、蓮華はともかく、華琳がよく協力してくれたな」

先日会って、図書館の話をした蓮華なら話も通じるだろうけど、この短時間で華琳にも協力を取り付けるとは、さすが諸葛孔明といったところだろうか。

「あの、その事なんですけど…」
「ん?」

何やら言いづらそうにゴニョゴニョと語尾を濁す朱里。何か問題でもあったんだろうか?

「じつは、蓮華さんに会って図書館を建てることを話していたら、ちょうど私に用事があるって、華琳さんが会いに来て――――ちょっとした、口論になったんです」
「………口論って、どんなだ?」
「はい、最初は図書館の事について華琳さんが蓮華さんに詳しく聞いてきたんですけど、いつの間にか、どっちが良い本をたくさん寄贈できるかって話になっちゃって」

うわ………なんというか、微妙にその場の様子が脳裏に浮かんだぞ。ああ見えて、蓮華も華琳も意地っ張りなところがあるからな。
きっと、お互いに張り合って後に引けなくなったんだろう。で、その結果が目の前に詰まれた本の山、と。

「あ、そうでした。華琳さんからご主人様に伝言です。え〜と…『私に内緒で愉しそうな事をしてるじゃないの…後で覚えてなさいよ』って言ってました…」
「………まいったなぁ」

いつの間にか華琳の機嫌を損ねてしまったようだ。これは後で…謝りに行ったほうが良いかもしれないな。ないがしろにする気は無かったけど、結果としてそうなったんだし。
まぁ、後の困難は文字通り後回しにするとして――――とりあえず、どんな本が集まったか、見てみるとしようか。

「さて、どんな本があるかな………っと、春秋…左氏伝? 誰かの伝記か何かかな?」
「ああ、それは私の本です。孫子の歴史書、春秋の注釈書の一つですよ」

俺が手に取った本を見て、愛紗が進み出た。しかし、ざっと見る限り、何と言うか、面白みの無いというか、硬そうな本だな。
まぁ、愛紗らしいと言えなくもないというか――――どれどれ、他の本は、と………。

「ええと、こっちは――――何かの料理本みたいだな」
「主、それは私の自筆の書ですよ。素人の真似事ですが、各地方の料理の調理法を書き記してみたものです」
「自筆って………これ、星が書いたのか!?」
「何を驚いておられるか、主。そも書物というのは、人が書き記すのが常でしょうに」

驚く俺に、星は平然とした口調でそんな事を言った。確かに、よくよく考えれば、この時代には印刷技術も無いしな。
しかし、自作の本を作るってのは、さすがに驚いたけどな――――言うなれば、今の時代は同人誌だらけって事か。

「…ん? この本に書かれているのって………ひょっとして、メンマの事か?」
「左様。私が古今東西、倭の国の旅人や、天竺の果ての商人より求めた、各地のメンマの調理法が記されておるのですよ」

星の直筆の書には、図解入りで、メンマの作り方が事細かに記されていた。しかし、めくってもめくってもメンマの事ばかりなんだが…。

「まぁ、これはこれで、役に立つ事もあるかな…? さて、次の本は、と――――なんだこりゃ、絵本?」
「あ――――、それは鈴々が持ってきたものなのだ」

俺の手に持った本に反応し、はーい、と手を上げたのは鈴々だった。描かれている絵のシュールさは兎も角、確かに鈴々らしい本だよな。
と、鈴々の声に、怪訝そうな様子を見せたのは、愛紗であった。

「絵本………? 鈴々の部屋に、そのようなものは無かったはずですが――――」
「ぎく」
「鈴々………その本を、どこで手に入れたのだ?」

愛紗の言葉に、あまりにも露骨に反応を見せる鈴々。その様子が気障りだったのか、愛紗の表情が厳しいものに変わったのはすぐの事だった。
鋭い目つきと口調で、鈴々を睨みつける愛紗。鈴々は助けを求めるように、俺を見てきた。本を持ってきてくれと言ったのは俺だし、ここは助け舟を出す事にするか。

「まぁまぁ、そんな風に鈴々を睨み付けなくてもいいだろ」
「ご主人様…! またそのように鈴々をかばいだてして――――」
「………ごめんなさいね、愛紗ちゃん。ご主人様、ちょっとその本を、見せていただけますか?」
「――――紫苑?」

鈴々を背中に庇った俺に、苦りきった表情を見せた愛紗だったが、横合いから進み出てきた紫苑に怪訝そうな表情を見せた。
いきなり本を見せてくれって言ってきたけど、紫苑は、この本に心当たりがあるんだろうか? とりあえず、本を渡すとしよう。

「………やっぱり。これは、先日、璃々が無くして困っていた本ですわ。鈴々ちゃん、この本を、何処で?」
「鈴々………まさか、盗みを働いたのではないだろうな?」
「そんなこと、しないのだ!」

愛紗の詰問に、むーっ、と頬を膨らませる鈴々。心外だーという風な鈴々の態度に、愛紗がホッとしたような表情を見せる。
部下の手前、厳しそうな表情を見せていはいるものの、やっぱり愛紗は鈴々のお姉さんなんだなーと思った。

「そ、そうか、そうだな。鈴々は、そのような事をするはずは無いからな」
「そうなのだ。鈴々は、悪い事なんてしていないのだ! この本だって、お庭で拾ったんだからねっ」
「………は?」

えへんと、胸を張って言う鈴々の言葉に、愛紗の目が点になった。

<以下、回想シーン>

「だぁっ、ちくしょう! こうなったら意地でも、ご主人様達を唸らせるような本を見つけてやるー!」

だだだ………と叫びながら翠が廊下を走っていった。他のみんなも、本を探しにどこかへ行ってしまったみたい。

「うー、みんな行っちゃったけど………鈴々は、どうしよう」

ぽつん、と一人残されて、とほうにくれた。こういう時、頼りになりそうな愛紗は、星と楽しそうに話をしていて、頼れるふいんきでは無かった。
さっきの話も、大半はわかんない事だらけだったし、ほんのきぞーというのも、ちんぷんかんぷんだった。
ただ、よく分からない話でも仲間はずれになるのは、イヤだった。だから、鈴々も本を探さないといけなかった。

「ほん、ほん、ほん………う〜、見つからないのだ」

がさがさと、茂みを書き分けて探すけど、本は見つからない。普段は、あちこちで見かける本だけど、庭には無いみたいだった。
でも、本当にどうしよう………またすぐに集まらないといけないし、鈴々だけが本を持っていかないのは、何となく面白くないと思う。
もう一度、探してみようと足元に目を向けると――――そこには小さな犬がいた。

「にゃ?」

はっ、はっ、と舌を出しながら鈴々を見上げてくる小さな犬――――確か、恋といつも一緒にいるセキトって名前の犬。
なんだか、人懐っこそうな目で見上げてくるけど………遊んでほしいのかな?

「お前、鈴々と遊びたいのか? でも、いまはダメなのだ。鈴々はいま、きぞーするほんを探している最中なのだ」

鈴々がそう言うと、セキトとは一声なくと、チョコチョコと歩いていってしまった――――と、途中で立ち止まってこっちを振り向いた。
――――ひょっとして………ついてこいって事なのかな?

「ひょっとして、鈴々を案内してくれるのか?」

テクテクと近づくと、チョコチョコと、セキトはちょっと歩いてから、またこっちを見た。どうやら、まちがいないみたいだった。

「よし、行ってみるのだ!」

そうして、鈴々はセキトのあとについて、お城の中を進んでいった。軒下を抜け、庭を進み、茂みをくぐって――――。

「うにゃ、ここは――――? あ、あれって………あったのだーっ!」

そうして、お庭のすみっこ………一本の木の根元に、本が落ちていたのを見つけたのだった。

<回想終了>

「………それで、急いでここに持ってきたのだ」
「はぁ、なるほどな」

鈴々の話では、大まかなことは分からなかったが、ようは、庭でたまたま拾った本を、持ってきたらしい………鈴々らしいというか、何と言うか。

「…話は分かった。しかしだな、鈴々――――いくらなんでも拾った本を持ってくる奴があるかっ!」
「まぁまぁ、愛紗ちゃん、落ち着いて。鈴々ちゃんも、悪気があったわけじゃないんだろうし」
「紫苑は黙っていてもらおう。これは、鈴々の保護者としての私の義務だ」

苦笑しつつ、鈴々の擁護に回る紫苑であったが――――それが逆に愛紗の神経を逆撫でしたらしい。
表情を険しくしたままで、愛紗は鈴々に詰め寄ると、声を荒げて説教をしたのである。

「そもそも、本を持って無いなら無いで、その旨を報告すればいいのだ。拾った本を持ってくるなど、恥ずかしいと思わなかったのか?」
「う〜………だって、鈴々もお兄ちゃんの役に立ちたかったのだ!」
「り、鈴々?」

自分の行動を頭ごなしに否定されたのが、よっぽど悔しかったのか――――愛紗に反抗するように、鈴々が涙目で反論したのは、少々意外だった。
それは愛紗も同じだったらしく、ぽかんとした表情で鈴々を見返している。そんな愛紗の様子に気づかず、鈴々は言葉を続けた。

「愛紗も星も、頭が良くてずっこいのだ! 鈴々だって、愛紗達みたいに、お兄ちゃんの役にたちたかったのにっ………この前だって――――」
「………」

泣き顔で言葉を続ける鈴々に、思うところがあったのか、愛紗は黙って鈴々の言葉を聞いていた。
そうして、鈴々が自分の思う所を言い終わった頃で、愛紗は静かに口を開く。

「それで、言いたい事は全てか」
「――――え? ………う、うん」

静かな愛紗の声に気圧されたかのように、鈴々はコクコクと頷いた。驚きのせいか、泣くのも一緒に止まってしまったようだ。
何となく、張り詰めた息苦しい空気の中で、愛紗は静かに、鈴々に告げる。

「言い分は分かった。しかし、その本は寄贈できない。おまえ自身の手で、璃々の元に届けてやれ――――元の持ち主に返してやる事が、その本の為にもなる」
「――――わかった。言うとおりにするのだ」
「ああ。それと――――…すまなかったな。鈴々の気持ちをないがしろにする気は無かったが、知らず知らず、鈴々にそう思わせていたらしい」
「ううん、鈴々も愛紗にひどい事を言ったのだ。ごめんね………それじゃあ、行ってくるのだ!」

わだかまりを吹き飛ばす様に、鈴々は笑顔を見せると、紫苑から本を受け取って部屋を飛び出していってしまった。張り詰めていた緊張が解け、部屋の空気がほっとしたものになった。

「………それにしても、驚いたな。鈴々が、あんな事を言うなんてな」
「ふふっ…鈴々ちゃんも、女の子ですもの。好きな人の役に立ちたいと思うのは、当然ですわ」
「何か、そう言われると、こそばゆいな………あまりからかわないでくれよ、紫苑」

俺の言葉に、かしこまりましたと口では言ったものの、紫苑の顔には悪戯っぽい表情――――どうもしばらくは、この話をねたに、からかわれそうであった。
さて、そんなこんなである程度の本を集めた俺達だったが…予算や設備、人選なども考え、さすがに今すぐに図書館を建てるというわけにはいかないという結論に達した。
とりあえず、旧書庫の本や、集めた本を城の大部屋に移し、そこを臨時の図書室押して開放する手はずとなったのだが………そこでの大騒ぎは後に語る事にしよう。

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