〜グリンスヴァールの森の竜〜 

〜グリンスヴァールの森の竜〜



<エピローグ>

木漏れ日が木々の合間から漏れ、春の訪れを奏でるような日差しに伸びをする――――洞窟を抜けると、そこは学園だった。
卒業式の後、俺は長期の休みを取って、巣へと戻る事にした。幸い、二つ返事で学園長の許可をもらったので、その日のうちに出かけたのだが…。

「いや、しかし…随分と大層なもてなしだったな」

巣での一週間を振り返り、俺はしみじみと呟いた。おそらくは一国の王ですら味わった事の無い、贅を尽くした料理と、美しい少女達。
そのもてなしぶりに、危うく帰る機会を逸しそうになった。文献に載っている、竜宮と呼ばれる場所も、かくやという状況だったからな。

「まぁ、あまり巣に籠もってばかりいるのも良くないだろうし、たまに訪れるくらいがちょうど良いのかもな」

自問自答しつつ、人気のない敷地内を歩く。入学式も始まってない学園の敷地内に、人はほとんどいない。
大半の生徒や教員は、俺と同じように里帰りをしているらしく…食堂などの最低限の設備は稼動しているものの――――学園には今、ほとんど人はいないようだ。
もっとも、帰るあてなどなく、学園に住み込んでいる生徒や、休業期間中でも仕事が忙しく、帰るに帰れない教員もいるようであったが。

「あら、ブラッドじゃないの。帰ってきてたんだ」
「ヴィヴィか。つい、今しがたな………ヴィヴィは学園に留まっていたんだったな」

そんな事を考えていたからだろうか、広大な敷地内の一角で、ばったりと鉢合わせをしたのは、美貌の教師長であった。
相変わらず多忙なのか、書類の束を抱きながら、俺の言葉に憮然とした表情を浮かべるヴィヴィ。本人も、たまには休みを取りたいようだった。

「ええ………新入生の為の設備の補修、点検…制服等々の手配――――他にも、やる事はたくさんあるから」
「大変そうだな。たまには休みを取って、のんびりとすれば良いと思うが」
「それが出来ればね――――ああ、また温泉に行きたいわね」

温泉――――前に一度行った事があるが………あれは良いものだ、うむ。
そういえば、件の葵屋はまだあるのだろうか? 何しろ、うらさびれた場所にあったからな…繁盛しているとは到底思えなかったし。

「ブラッドは、どうだったの? 里帰りをするって言ってたけど、のんびりできた?」
「のんびりというか、羽を伸ばす事はできたな。そういえば、帰った時に、ちょうど巣に元婚約者が帰ってきて、色々と話したんだが」
「………そうなの。大丈夫だったの? その人から逃げてきたんでしょ?」
「ああ、いや、そっちの婚約者じゃないんだ。彼女は、ずいぶん前に失踪した女性でね、そのせいで、婚約者が変わったんだが」

ライアネ――――かつて、記憶を失い、俺の巣に攻め込んできた元婚約者は…記憶が戻ってからも、あちこちを飛び回っているらしい。
相変わらず、奔放な女性で、その冒険譚には驚くというか、呆れる事の方が多かったが…ともあれ、今も仲の良い間柄なのは間違いない。

「失踪、って………時々、あなたの経歴を調べてみたくなるわね。何だか波乱万丈な生き方をしてるみたいだけど」

俺の言葉に呆れたのか、書類を持ったままで肩をすくめるヴィヴィ。見た目は気丈だが、話を聞く限り、やはり少々疲れているらしい。

「俺が持とう。どこまで運べば良いんだ?」
「あ、ありがとう――――ブラッドって、女性には何気に親切なのよね」
「………まぁ、そういう環境で育ったからな」

何しろ、機嫌を損ねる≠死という環境では、女性に気を使うような性格になるのも、仕方が無いのではないだろうか。
最初の頃は――――そういうことに無頓着ですらあるライアネが婚約者だった為、負担も少なかったんだが…リュミスが婚約者になってからは、気苦労も増えたと思う。
リュミスの場合…他の女性に親切にすると、それはそれで白眼視してくるから、どうしたものかと頭を悩ませたものだ。

「こっちよ。書類を集めた部屋があるから、そこまでお願いするわ」
「わかった」

ヴィヴィの言葉に頷き、俺は彼女の後を追う。事務室に書類を置いた後、俺はヴィヴィと別れ、ひとまず昼食をとる事にした。
時間的に、ちょうど良い頃合だったし――――何しろ、洞窟の長い経路を歩いてきたのだ。腹が減って仕方が無かったのである。
そうして、食堂に向かった俺は………何の盛り上がりも無く、ある人物と再会する事になった。

「さて、何を注文するかな」

多くの生徒が卒業し、現在は開店休業中とも言える、学園の食堂――――せっかくの天気という事もあり、外の席で食事をとる事にした。
とりたて、食べたいものがあったわけでもなかったので、適当なものを注文してから、俺は日の当たる外の席に腰をおろした。
春の風が木々のこずえを揺らし…芝生の葉をこするサワサワという音色を耳に運んでくる。さながら、自然の楽奏といったところか。

「あの、お待たせしました」

静かな声が聞こえてきて、俺は現実に立ち戻った。どうやら、頼んだ料理が運ばれてきたようだ。俺は、給仕の女性に顔を向け――――数秒の間、沈黙した。
おとなしめな物腰、着慣れぬ給仕服を着てか、少々恥ずかしそうな表情をしているのは、つい先日卒業したばかりの、ラキであった。

「ラキ――――何故、ここに居るんだ? それに、その格好は…?」

驚きながらの俺の問いに、ラキは、バツの悪そうな表情でもじもじと胸元を隠すと、恥ずかしそうに返事をしてきた。

「ブラッド先生………じつは、働き場所が見つからなかったんです」
「…なんだって?」
「卒業してから王都で職を探したんですけど――――家事手伝いって受講者が多かったみたいで…人手は余っているって言われてしまったんです」

ラキの説明に、ふむ、と内心で俺は考え込む。ラキは確かに優秀な生徒だが、仕事の実力と職探しとは関連は無い。
このところ、王都のほうは不景気だというし――――あまり、治安の方もよろしくは無いようだ。
そんな中で、まっとうな職に付くのは、並大抵の努力だけでは不可能だろう。それに――――…

(身体目当てで、家事手伝いの女性の雇用を渋る輩も居るらしいからな…職探しに困っている若い女――――組し易しと考えるのは当然だろうからな)

ラキの風貌は、端的に言って美人の部類に入る。実力もヴィヴィが太鼓判を押すほどの、そんな彼女を雇わないのは、あからさまに下心からの交渉ではないだろうか。
幸いな事に、その手の毒牙に掛からなかったようで、俺は内心でほっと息を吐いた。もっとも、完全に安心は出来なかったのだが。

「それは残念だったな。ところで、ラキ。その雇うのを渋った者――――多分に貴族の家だろうが、いちおう参考に、名を教えてくれないか?」
「? ええと…お屋敷に伺ったのは――――」

そうして、幾つかの貴族の名を上げるラキ。よし、後でクーに調べさせるとしよう。場合によっては、少々痛い目を見てもらう事になるが…自業自得だと諦めてもらおうか。

「話は分かった。しかし、職にあぶれたのは分かったが、何故こんなところで働いているんだ?」
「その事なんですけど、実は、どうしようかと思って先日、教師長に相談をしたんです」
「教師長――――ヴィヴィにか?」
「はい。それで、ヴィヴィ先生の懇意でここで働かせてもらう事になったんです。おかげで助かりました」

なるほどな…外面は兎も角、身内には甘そうなヴィヴィの事だ。手塩にかけた生徒の困ったところを見て、放っておけなくなったのだろう。
ラキと、こんな場所で再会するとは思ってなかったが………さっきヴィヴィと会った時は何も言ってなかったのを考えると、わざと黙っていたのだろう。

「まったく、ヴィヴィも底意地の悪い…」
「え?」
「いや、なんでもない。ただの独り言だ」

きょとんとした表情のラキに、俺は苦笑して肩をすくめる。トラブルなどとは無縁で生きたい俺だが、こういう嬉しいトラブルは…決して不快ではなかった。

「でも、よかった………お元気そうで、安心しました」

ふと、俺を顔を見つめ、心底安心したようにラキが微笑んだ。どうやら、俺はラキに要らぬ心配をかけていたらしい。
生徒に心配をかけるとは、教師失格だな――――とはいえ、心配をされるのは何気に嬉しく、思わず頬が緩んでしまった。

「ああ、こちらとしても、安心したよ。ラキも元気そうでな」
「――――…先生」

俺の言葉に、嬉しそうに頬を染めるラキ。厳密には、もう教師と生徒という間柄ではないのだが…そのスタンスを変えずに俺を慕ってくれるのは嬉しかった。
もっとも、その暖かな感情も、長くは続かなかったのだが。

「ずいぶんと、羽を伸ばしているようだな。このような異国の地に居るというのに、まったく…お前というやつは」
「!?」

不意に、棘を含んだ言葉が背後から聞こえた。感じた悪寒に、俺は思わず立ち上がり、背後を振り向く。
日の光に照らされた食事場所――――いつの間に背後に回ったのか、供を一人連れ、銀色の髪の美女が、そこに佇んでいた。
質素な装いながらその実、作りこまれた職人の手による旅装束に身を包み、憮然とした表情を見せる美女の名は…リ・ルクル・エルブワード。
グリンスヴァールより彼方の場所にある王国、エルブワード王国の王女殿下だ。そういえば、フェイからルクルが行方不明になったと聞いていたが――――。

「ルクル………どうしてここに?」
「どうして、では無いだろう? せっかくの愛人が遊びに来たというのに、つれないものではないか?」

ふん、と鼻を鳴らして、轟然と胸をそらすルクル。そういえば、何かしらの都合でここ一年ほど、ルクルと会っていなかったな。
それで気が急いて、会いに来たというのなら可愛いやつで通るのだが…若い年端から外交を任されている権謀術数に長けた女だ。
いったい何の目算で来たのか、見当も付かない分、ユメやクー、フェイなどよりも数倍性質が悪いだろう。

「密偵に聞いた通り、元気にやっているようだな。重畳な事だが………いささか腹ただしくもある」
「会いに行かなかった事は詫びよう。それにしても…城から抜け出したとフェイに聞いたが、いったい何をしていたんだ?」
「ああ、お前に会いに行くついでに、物見遊山がてらに旅をしてみようと思ってな。色々と堪能したぞ? 温泉宿などにも泊まったしな」

無邪気にはしゃぎながら、笑顔を見せるルクル。そうして、俺の傍らに立つラキを見て、呆れたように唇を曲げた。
万事に聡いルクルのことだ、一目見ただけで俺とラキの関係を見抜いたのだろう。あるいは、事前にその密偵とやらに調べさせていたのかも知れない。

「それにしても、わざわざ旅をするまでもなかっただろう。竜の巣からここまで、徒歩で一日もあるまいに」
「馬鹿な事を言うな。王女である私に歩けというのか、お前は?」
「………何の為に二本の足があるんだ」

平然と当然のことのように我侭を言うルクルに、俺は苦笑する。だが、次の瞬間、掛けられた声に身の毛が総毛だった。

「ふぅん、徒歩で一日、ねぇ…そんなに近くにいたのね」
「!?」

唐突に、冷たい声を発したのは…フェイの後ろに控えた従者――――いや、少し待て…フェイは確か、ルクルは誰も連れずに城を出たと…。

「ル、ルクル………そっち、いや、そちらの方は――――まさか」
「ん? ああ…巣の入り口で、うろうろとしていたのを声を掛けた。旅の供にするにしても、気心の知れたもののほうが良いと思ってな」
「…おひさしぶりね、ブラッド」

ばさり、と外套を剥ぎ取り…従者の立ち位置に居た女性は、真実の姿を現す――――よく考えれば直ぐに気づいたはずだ。
竜である俺が、ただの人間相手に悪寒を感じる事などありえない。だとすれば、その相手は………俺以上の存在である事。
陽光すらかすむ金色の髪、一睨みすれば、神も悪魔も屈するほどの苛烈な瞳…全身からは周囲を圧するような覇気があふれ出ている。

「リュ、リュミス――――」
「本っ当に………おひさしぶりねぇ、ブラッド。随分と長い間、会っていなかった気がするわ」

全身から、殺気のような冷たい気配を感じ、竜であるというのに鳥肌が立ってきた。助けを求めるように、俺はルクルに視線を移す。
その俺の視線を受けて、当のルクルはというと――――…。

「うむ、感動の再会というやつだな。ああ、私にも何か食べるものを」
「は…はい、かしこまりました」

のんきに席に座りながら、ラキに料理の注文をしていた。と、ルクルのほうを見ていた俺の横顔に、刺すような視線――――リュミスが睨んでいた。
去り際に、ラキが気遣うような目を向けてきてくれたのがせめてもの救いであったが。

「ブラッド、こっちを見なさい」
「は、はい」

鞭で叩くようなピシャリとした物言いに、俺は背筋を伸ばしてリュミスに向き直った。逃げる事など不可能だった。
まぁ、よしんば逃げれたとしても………次にリュミスに会った時、確実に命の保証がないのであるが。

「さて、色々と話したいことは山のようにあるけど、まずは――――歯を食いしばりなさい」
「ぐぉっ!」

頬に衝撃――――リュミスの拳が、俺の頬に突き刺さっていた。途端に、意識が遠くなる。
ああ、これは殺されるかもなぁ――――遠くなる意識の中で、俺は漠然と過去の記憶を思い返していた。いわゆる、走馬灯というやつである。
どうせ死ぬなら、痛みを感じずに逝きたいよな………そんな事を感じながら、俺の視界は、暗黒に閉ざされたのだった――――。



Bad End………?



「あの娘の場合、その性格が問題だったの」

昼下がりの食堂、閑散とし、人の姿もまばらな食堂の一角に、いつの間にか一組の男女が姿を見せていた。
一人は、桃色の髪の少女で、得意そうに目の前の青年に語りかける。向かい合った青年の方は、話に耳を傾けつつも、視線は庭の方に向けられていた。

「気弱な性格…周囲の顔色を伺い、流されるままに生きてしまう――――売春を強要させられたのも、そのせいなの」
「例の、不幸な出来事の事か」
「うん。でも、それだけじゃないわ。たとえ一つの出来事を消去しても、次の悪意を受け入れてしまう――――だから、抜本的な改革が必要だった」

その性格を変えるためには、長い時間が必要だった。少なくとも、数ヶ月以上の時間と、意識改革のきっかけが――――。
そうして、白羽の矢が立ったのは一人の青年だった。運命という、からくりを用いて動き出した一つの出会いと…二つの思い。
無論、意思を弄る様な悪辣な真似ではなく、本人達が惹かれあうようなお膳立てをしたに過ぎないのであるが。

「なるほど…ニキ達に声を掛けてまで、二人の後押しをしていたのは、そういうわけだったのか」
「うん。友達は多い方が良いもん。だから、みんなに助けてもらう事にしたの」
「しかし、なぜ彼なんだ? 今までは、そういうことは私がやっていたはずだが」

青年の言葉に、むー…と少女は、ふくれっ面で青年を睨む。といっても、可愛らしい容姿であるから、迫力なぞ無かったんだが。

「だって、先生に任せると、すぐに本気にさせちゃうんだもん。前に、似た様な事があったとき、告白されてたでしょ」
「………まいったな、知っていたのか」
「学園の精霊だからね…それで、ブラッド先生に先生の優しさを分け与えたの。だから、あの人は自分の事を「私」って言ってたんだよ」

学園の中に居る限り、誰であれ精霊の影響を受けてしまう。それゆえに、凶暴な性質の青年も、普通の恋愛じみた事をしていたのだ。
少女の言葉を聞きながら、青年は庭に視線を向ける。視線の先には地面に倒れ付した青年と、手を振って痛みを紛らわすような竜の少女の姿があった。

「それにしても………ラキちゃんは兎も角、ブラッド先生は災難だったかもね」
「そうだな…これから大変なんだろうなぁ、彼も」

庭では、気絶したブラッドの襟首を掴んで、リュミスが怒りの声を上げている。目が覚めたら制裁が再開されるのは目に見えているので、気を失っている方が良いのかもしれない。
と、騒ぎを聞きつけてきたのか、美貌の教師長が庭に現れた。何やら、ヴィヴィとリュミスは二言三言話をすると、険悪そうな表情で互いを見る。
――――どうやら、場の空気が更に険悪になったようだ。そんな状況の近くで、お茶をたしなんでいるルクルは…かなりの大物を言えるだろうが。

「やれやれ、これは止めないといけないかな」

にらみ合う二人の美女の様子に嘆息し、青年――――クライス学園長は腰を上げた。そんな彼に、能天気にシャルは応援の歓声を上げる。

「そうだね、頑張ってね、先生っ」
「…骨は拾ってくれよ」

苦笑し、庭へと向かうクライス。その様子を見ていたシャルに、声を掛けたのは食堂に戻ってきたラキであった。

「あ、シャルちゃんも、お昼ご飯? 何を食べるの?」
「やっほー、ラキちゃん。元気?」
「うん、頑張ってるよ」

笑顔を見せたラキは、ついと視線をそらして庭のほうを見る。そちらでは、地面に倒れたブラッドを囲み、クライスとヴィヴィ、リュミスが向かい合っている。
その光景を、ほんの少しだけ心配そうに見ていたラキ。その様子に、シャルは興味深そうな笑みを浮かべた。

「ブラッド先生のことが気になる?」
「え、そ、そんなことはないよ?」

慌てたように、手に持ったトレイではにかんだ口元を隠すラキ。もっとも、頬が赤くなっているので、照れているのはバレバレなのだが。
その様子が面白かったのか…笑顔のシャルは、ウェイトレス姿の友達に向かって、パタパタと手を振った。

「照れない照れない。良かったじゃない、また一緒の場所で働けるんだから」
「………うん」

羞恥のせいか、うつむき加減に頷いたラキ。そんな彼女の表情を見て、シャルは満足そうな表情を浮かべる。
自分のやってきた事、これからもするであるだろう事の結果が、目の前にある。結実した幸せの結果は、学園の妖精としては、満足できるものであった。

「ラキちゃん、今………幸せ?」
「…うんっ」

シャルの問いかけに、ラキは今度ははっきりと、満開の花のような笑顔を見せる。季節は巡り、春はこうしてやってきた――――。



Episode End


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