〜グリンスヴァールの森の竜〜
〜グリンスヴァールの森の竜〜
締め切ったカーテンを開けて、朝の日差しを浴びる。窓の外に見える景色は、いつもの風景であった。
先日、あれだけ降っていた雪は、その痕跡を一片も残してはいない――――まるで、全てが幻であったかのように。
もっとも、先日の出来事が全て夢だったわけではないのは、ベッドの上の少女が証明していたのだが。
「おはようございます、ブラッド先生」
「………ああ、起こしてしまったか。すまないな、明け方で冷えるというのに」
「いえ、大丈夫です。ぜんぜん、寒くありませんから」
ベッドの上で、恥ずかしそうに毛布に包まりながら、ラキは照れたように微笑むと、ポツリと呟きをもらした。
「…また、シーツを変えないといけませんね」
「――――」
それは、照れ隠しのたぐいなのだろうが、さすがに聞いてるこっちのほうが恥ずかしくなってしまった。
ラキの呟きを聞き流しながら、俺は窓の外を見る。雪の日の翌日は快晴――――登り始めた太陽に、空は白色にそめられていた。
それから数日後――――別段、俺たちの間に流れる空気には何ら変化は感じられなかった。
「ブラッド先生、少しよろしいですか?」
「ああ、どうしたんだ、ラキ」
「少し、分からないところがあって………参考書の、この部分なんですけど――――…」
あの日の出来事は、一夜限りのものとして捉えているのか、ラキは相変わらずの態度で、俺に接していた。そして、日は流れ――――、
グリンスヴァール学園の冬は過ぎ………春の足音が聞こえ始めるころ――――学園では卒業式の準備が行われていた。
準備をするのは、学園に残る在校生と、教員達である。学園創立の頃は、学園の生徒ほぼ全員が卒業をしていたが、ここ数年は、在校するものもかなり出てきたらしい。
設備などもしっかりしてきて、学園に残ったほうが研究がしやすかったり、なかには、数年がかりの研究のため、わざと卒業課題を落とすものもいるらしかった。
なんにせよ、卒業生の手を煩わせることもできないため、俺やヴィヴィなどの教師陣は、卒業証書の作成や、会場の準備に日々奔走をしていた。
「ブラッド、あなたに面会を求めてる人がいるけど――――通していいかしら?」
「面会だって?」
休む暇もなく………職員室にこもって働きづめの俺のもとに、何者かが訪ねてきたのは、そんな準備で忙しいある日のことであった。
ちょうど、机の上にある全ての書類にサインを終えたところであったので、久方ぶりに休息の取れる時間ではある。しかし、来客とはいったい誰だろうか?
「私を呼んでいるとは…生徒の誰かか?」
「いいえ、学園の生徒じゃないわ。ちょっと話しただけだけど、金髪で…少し、きつめの雰囲気をした女の人だったけど」
「………………………………………」
ち ょ っ と 待 て 。
「――――? どうしたの、ブラッド? なんだか急に、すごい汗をかいてるけど」
「い、いや、たいしたことじゃない。今日は暑いからな」
「…言っておくけど、暦の上ではまだ冬よ。確かに、ここのところ、少しは暖かい日が続いてるけど」
もうすっかり、春も間近よね――――などと、しみじみ呟くヴィヴィだったが、あいにくと、それに賛同できるほどの心の余裕は、今の俺にはなかった。
俺は飛び跳ねるように椅子を蹴倒すと、席を立った。ともかく、ここにいちゃまずい、どこか、どこか遠くに逃げなければ――――!
「ど、どうしたの、ブラッド…? なんだか、顔が真っ青だけど」
「ヴィヴィ、今から私は病欠する。勤務表にはそう書いておいて構わないから――――それではな!」
「あ、ちょ、ちょっと、どこに行くの!?」
慌てるようなヴィヴィの声を背中に受けながら、俺は職員室を飛び出した。ともかく、逃亡には先立つものが必要だ…まずは寮に行って、宝石類を持ち出さねば!
廊下を走り、寮のある敷地に向かうために、校舎を飛び出した俺は――――
「きゃっ」
「うおっ」
待ち合わせでもしていたのか…その場にたたずんでいた女性と、思いっきり衝突していた。身体能力に優れているのか、衝突したというのに、バランスをとって体勢を立て直す女性。
陽光を受けて、金色の髪が光り輝いた――――最悪だ。逃げようとした俺は、どうやら一直線に、虎口に飛び込んでしまったらしい。
(ああ、終わりだ………思えば、いろいろあった一生だった)
「失礼――――お待ちしておりました。それにしても驚きました。まさか、駆け足でこられるとは」
「…ん?」
予想に反した声に、 orz、となっていた体勢から顔を上げると――――そこには、金髪の髪をした女騎士・フェイの姿があった。
「フェイか…ヴィヴィの言っていた金髪で、少々きつめの女性とは、フェイのことだったんだな」
「少々…いえ、その事はよろしいのですが、呼びだてをしたのは私です。ユメがお菓子を焼いたので、届けてほしいと」
「そうか、ごくろうだったな」
フェイは話しながら…懐から、焼き菓子を包んだ包みを取り出した。俺がそれを受け取ると、頼まれごとを果たせたのにホッとしたのか、フェイが安堵の表情を見せる。
そうして、フェイはどこか物珍しそうに周囲をキョロキョロと見渡した。そういえば、巣の防衛が忙しいせいか、フェイがこの学園を訪れたのは体育祭の時くらいか。
「それにしても、随分と閑散としているものですね。前に来たときは、溢れんばかりに人がいたはずですが」
「いや、あの時は体育祭だったからな………卒業式が近いから、その準備の為に校内に居る者が多いせいもあるが」
「卒業式、とは何でしょうか?」
聞きなれない言葉なのか、「?」と頭の上に擬音が浮かびそうな表情で、フェイは俺にそう聞いてくる。ううむ、どう説明したものか………。
「そうだな…この学園で必要な事を学んだものが、学園を出て行く時にする式典のようなものだ。春の初めに、集団で行われるらしいが」
「――――なるほど、騎士叙勲のようなものですね。世に出て、人々の為に働く者を送り出す儀式のようなものですか」
「まぁ、そのようなものだ。もっとも、職業柄、世の為人の為といった者だけでもないのだろうがな」
なにしろ、学者から将軍、パンプキンなどという訳の分からない職業まであるのだ。卒業式の顔ぶれは、さぞかし多彩なものになるだろう。
「ともかく、よく来てくれた。たいしたもてなしは出来ないが…巣に戻る前に、ゆっくりと休んでいけば良い」
「はい、そうさせて頂きます」
フェイは俺の言葉に嬉しそうに頷くと、ふと、怪訝そうな表情を見せた。いったい、どうしたのだろう?
「ん? どうした、なにやら落ち着かないようだが」
「いえ、ブラッド様が来られる前から、なにやらこう――――誰かに見られているような、むずがゆい感じがしていまして」
落ち着かない様子で、周囲をキョロキョロと見渡すフェイ。つられた周囲を見渡した俺だが、何とはなしに視線を巡らした先に、奇妙な一団を見つけた。
俺とフェイのいる場所から少し離れた建物…その影から、こっちを覗き見ている複数の生徒がいた――――ちなみに、全員が女生徒である。
「フェイ、あっちだ」
「!?」
俺の指差した方向に、フェイは慌てて顔を向ける。慌てるのも無理はないだろう。視界に入っている俺でさえ、こちらを見ている気配が希薄に感じるのだ。
かなりの鍛錬を積んだ者たちであることは間違いないな。巣に来る竜殺しとは比べ物にならないが、そこいらの兵士よりも出来るだろう。
「誰だ、そこにいるのは!?」
「あ、あのっ…」
警戒する声を上げるフェイの声に、おずおずとした様子で、建物の影から姿を現す数人の女生徒。こうして見ると、普通の女生徒にしか見えないのだが。
「ね〜…あなたから言いなさいよ」
「え、でも…」
と、姿を現した女生徒達は顔を見合わせて、こそこそと話し合っている。何やら、フェイのほうをちらちらと見ているが………、
「いったい何なんだ、お前達は」
そのような態度が気に入らないのか、イライラとした口調でフェイは女生徒達を睨みつけた。
もっとも、気弱そうな態度はともかく…女生徒達の根は、かなり頑丈らしく――――フェイの怒りの表情に、黄色い歓声を上げると――――
「やっぱり、その声、その姿――――体育祭の剣術競技で、飛び入り参加をした人ですよねっ」
「ロベルト教官や、アロハ軍曹を倒して優勝をした」
「フェイ・ルランジェル・ヘルトンさんですよねっ」
「は…!? な、何で私の名前を――――ちょっと待て、まとわりつくなっ!」
学園アイドルの追っかけのように、フェイの周りを取り囲んで、女生徒達は矢継ぎ早にフェイに質問を浴びせかける。
女生徒達の発する一種の迫力に、さしものフェイもタジタジの様子で、困惑した表情で助けを求めるように俺を見つめてきた。
「やれやれ………少しは落ち着いたらどうだ? フェイが戸惑っているようだが」
「あ、ブラッド先生だ」
「本当だ、影が薄くて気がつかなかったわ」
「………ども」
………この学園の生徒は、教師に対しての尊敬の念というものに欠けているような気がするんだが、それは気のせいだと信じたいものだ。
「…まぁ良い。それで、いったいフェイに何の用なんだ? 話を聞く限り、何やら彼女に用があるようだが」
「それは――――実は、私達は闘技研究科の生徒なんですけど」
「研究科といっても、教官がいるわけじゃなくて、サークル活動みたいなものなんですよ。自己鍛錬したり、闘技場に試合を見に行ったり」
「それで、体育祭の時、並み居る男性をバッタバッタと薙ぎ倒す、フェイさんを見て、これはと思ったんですよ」
そう言うと、闘技研究科の女生徒達は…先ほどにも増した迫力で、フェイに詰め寄ると――――開口一番に異口同音に申し出たのだった。
「「「私達の、お姉さまになってくれませんか?」」」
「え”」
無論――――その言葉にフェイの表情が引きつったのは、言うまでもない。
「…それにしても、さっきのフェイの顔は見ものだったな」
「からかわないで下さい…こちらの気も知らないで」
纏わり付く女生徒達をあしらって、少し離れた場所に移動した俺達は…カフェテラスに腰をおろし、話に花を咲かせていた。
スコーンと紅茶のセットを前に、フェイは不機嫌顔である。ふくれ顔でスコーンをかじる様は、可愛らしいとは思うが…ムキになるだろうし、言葉に出すのは控えておこう。
「そう怒るな。人気があることは良いことだぞ」
「…そういうものでしょうか?」
疑うように、上目づかいに俺を見つめてくるフェイ。基本的に直情型な少女だが――――巣に居るうちに、少々疑り深くなってしまったらしい。
――――誰のせいでそうなったかは、深く追求しないで欲しいものだが。ともかく、フェイの機嫌が少々良くなったようなのでホッとした。
「それにしても、珍しいな………めったな事では巣を離れないフェイが、こちらに来るのは…体育祭の時以来か?」
「ええ、あの時は学園が賊に襲われたと聞き…どれほどの防衛設備があるか、確かめる必要がありましたから…心配は、杞憂に終わりましたけど」
そういえば、体育祭の終わった後、フェイはしきりに学園の警備を誉めていたな。最新鋭の防御陣などは、エルブワードよりも優れているとか何とか。
「それで、いったい何があったんだ? まさか、クーの焼き菓子を届けに来ただけではないのだろう?」
「はい、数日前のことですが――――エルブワード王女…ルクル様が行方不明になったそうです」
「行方不明…?」
「といっても、部屋に書置きが置いてあって、『しばらく旅に出る』と記されてあったそうですが…配下の誰一人、同行してはいないそうです」
………ふむ、そうすると、単なる旅行という可能性だけではなく…何者かによる、営利誘拐という可能性もあるか――――俺自身…ルクルを、かどかわした事もあるからな。
「執事長が全力で捜査に当たっているそうですが…未だに足取りはつかめていないそうです」
「…そうか」
フェイの話を聞く限り、捜査は難航しているようだな。とはいえ、クーに任せておけば問題は無いだろう。あれは信頼に足る存在だからな。
それから後、他愛もない話をした後で――――せっかくの機会だから、フェイも卒業式を見学していこうかという話の流れになった。
ちょうど、卒業式も数日後に控えているということもあり、本人も乗り気であったので、そのことを俺はフェイに伝えることにした。
そして、卒業式の日…
「しかし、良いのでしょうか? 私が、このような場所に座ることになって」
俺の予想とは裏腹に…卒業式は、それなりに普通に進行していた。なんというか、盛り上がりに欠けることこの上なく――――思わず居眠りをしてしまいそうな空気である。
幸いなことに、俺はというと、ステージ上の端っこという目立たない場所であり、隣には着慣れぬ衣装に身を包んだフェイという話し相手がいたので、退屈せずにはすんだのだが。
式典ということもあり、フェイは黒を基調としたドレスに身をまとい、貴賓席におとなしく座っている…慣れぬスカートに、戸惑っているようだった。
なお、礼服をどこから調達してきたのかというと…ヴィヴィの持っている服を借り受けたのである。面倒見の良い性格のヴィヴィは、話を聞くなり色々と手を回してくれたのであった。
フェイは、エルブワード国特使という名目で、席を与えられていた。色々と外交の問題があるが、そこは、後でどうとでもなるだろう。
「そう深く考えることもないだろう。特等席で見物できて幸運だと思っている方が、気が楽だろうに」
「それは、そうかもしれませんが………やはり落ち着きません。せめて、帯剣を許可されればよかったのですが」
不満そうな表情で、腰に手を当てるフェイ。卒業式には、グリンスヴァールからの将軍も来訪しており、剣を所持しているものもいる。
ただ――――宮廷の婦人と見紛うばかりの格好に扮したフェイには、彼女の所持していた剣は不釣合いすぎて、ヴィヴィに止められたのである。
苦笑いをして、俺は視線を前に戻す。ホールを一つ使った盛大な卒業式…光灯に照らされたステージ上には、次々と生徒が呼ばれ卒業証書を受け取っている。
「卒業おめでとう、よく頑張ったわね」
「ぅっ、ぅっ………教師長」
ヴィヴィから卒業証書を渡され、感極まって涙を流す女生徒もいれば、まるで他人事のように、めんどくさそうに証書を受け取る男子生徒。
他にも、笑みを浮かべる者、不機嫌そうな者など…こうして見ると、卒業する生徒一人一人にも、実に様々な個性がある。
これから、彼らはこの学園を出て、それぞれの道を歩き出すのだろう。そう考えると、少々感慨深いものを感じなくもない。
いつしか、ホール内には女生徒たちのすすり泣きが聞こえてきた。一人が泣くのにつられてか、涙が伝播したのかは分からない。
「卒業おめでとう」
「ありがとうございます」
と、見知らぬ生徒達の中で、唯一俺の知っている生徒――――ラキの出番が回ってきた。ラキは、ヴィヴィから卒業証書を受け取り、丁寧に頭を下げる。
顔を上げたラキ。そうして壇上から降りるため、向きを変えるその一秒足らずに…俺とラキの視線はしっかりとかみ合った。
微笑みながら、俺に背を向けるラキ。その清々しい表情は、とても印象的であり、しばらくは忘れられそうになかった。
「…………泣いては、いなかったようだな」
「――――? 何か、おっしゃいましたか?」
「いや………なんでもない」
自らの、ただ一人の生徒に対する誇らしさで胸を満たしながら、俺はフェイの質問に言葉を濁した。
つつがなく卒業式は終わり………そして、ラキは学園を卒業し――――俺の激動の一年は、こうして終わりを告げる事になった。
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