〜グリンスヴァールの森の竜〜 

〜グリンスヴァールの森の竜〜



風のない緋色の空から、一粒、また一粒と白いものが落ちてくる。空には雲が見えないというのに、不思議な事に、それは降り止む事はなかった。
ものの数時間で、世界は白く塗りつぶされる。しんしんと、なおも降り続く白い粉雪に、雪の訪れを実感したものは、少なくなかった。
森の木々の向こうに、日は沈んでいく。寒さをかき消すように、ストーブの灯が暖かな光を放っている俺の部屋…今は夕刻も過ぎた時間である。
その日、訪れる者も稀な俺の部屋に、来客を向かえる事になったのは…ひとえに雪のせいでもあった。

「それにしても、冬というのは冷えるものだな………洞窟内では、季節の変化が乏しいから、さして気にすることもなかったが」
「本当ですね………それにしても、良かったんですか? 先生のお部屋にお邪魔させていただいて…」
「ああ、構わないさ。この雪では、王都への向かう道を進むのも難儀するからな」

今、研究室の机を挟み、向かい合わせに座った俺達は………寒さを耐え忍ぶために紅茶で喉を潤していた。
降り続く雪は、馬車が進む妨げにこそならなかったものの、街道を完全に白く塗りつぶしている。見慣れぬ雪に戸惑う生徒達の為、学園は宿泊施設を開放する事になった。
王都までの道は、ある程度舗装されているとはいえ、雪に凍結された路面を歩くのは少々骨が折れる。日の昇る翌朝まで、学園内で過ごすと決めた生徒は、けっこうな数になった。
学生寮に部屋のある生徒の所に転がり込む者、夕食をとる為に学食へ向かう者………学園に残った生徒達は、各々考えるままに、誰そ彼時を過ごしている。
そんな時分…職員室を出てからは、何をするでもなく学園内を歩き回っていた俺が………窓辺に佇むラキを見つけたのは、まことに偶然としか言い様が無かった。

「ん………? あの後ろ姿は――――やはり、ラキか」
「あ、ブラッド先生。どうしたんですか、こんなところで」
「それはこちらの台詞だ。てっきり、家に帰ったとばかり思っていたんだが――――何か、あったのか?」

話を聞くと、彼女は授業の後、熱心な事に図書館で自主勉強をしていたらしい。よほど集中していたのか、外で雪が降っていた事も気づいてなかったそうだ。
さて帰ろうかという時になり、外は見事に雪景色………このまま学園に残ろうか、それとも帰ろうかと悩んでいたらしいラキの言葉を聞き、俺はラキを部屋に誘ったのである。
ラキは最初………少々戸惑っていたのだが、俺が重ねて言うと、断るのも悪いと思ったのか、首を縦に振ったのであった。
せっかくの機会という事もあり、夕食を一緒にとる事に決めた俺達は、食材等々を買い込んだ後、職員達が住んでいる寮に向かい――――今に至るのである。

「さて、そろそろ夕食をとりたいところだが――――ラキ、頼めるか?」

紅茶を飲み終わり、ひとしきり時間を過ごした後で、対面に座るラキにそう聞いてみる。今日の夕食は…というか、二人での食事の時は、大抵はラキが作る事になっていた。

「はい、台所をお借りしますね」

俺の言葉に嬉しそうに頷くと、ラキは着ていた制服の上から、フリルの付いたエプロンを身に付け、台所に向かった。俺は椅子に腰掛けながら、小柄なその後姿を眺める。
――――思えば、ラキにはずいぶんと世話になったものだ。彼女が居てくれたおかげで、俺の食生活は乏しいものにならずにすんだ。
それに教師としての勉強も、彼女が居なくては、こうまで充実した結果を残す事は無かっただろう。そんなラキが………もうすぐ、居なくなる。

「………いかんな。感傷的になっているようだ」
「? 先生、何か仰いましたか?」
「いや、何でも無いんだ。続けてくれ」

俺の言葉が聞こえたのか、振り向いたラキは怪訝そうな顔。そんな彼女に、ごまかし笑いを向けながら、俺は胸の内にある感情を抑えようと試みた。
それは…近いうちに別れるであろう、ラキに対する様々な感情であったが…特に大きかったのは、彼女を自分のものにしたいという、独占欲であったのかもしれない。



ラキは夕食として、麦粥と身体を温める為の香辛料を加えた乳白色のスープ、冬野菜を添えた鶏肉のから揚げ、デザートとして果物をヨーグルトであえた物を用意してくれた。
丁寧に作られた手料理に舌鼓を打ちつつ、俺とラキは穏やかな時間を過ごす。外は未だ、雪が降り続いてはいるが…部屋の中にまで寒気が進入してくる事はなかった。

「ふぅ………なかなかに美味かったぞ。もう満腹だ」
「ありがとうございます。食後のお茶を、お入れしますね」
「ああ。もらおうか」

空腹を満足させて、食後の一服――――ラキの入れた茶で喉を潤しながら、俺は食後のまどろみに身を浸していた。
冬の季節は寒さのせいで、心身が張っていることが多い。しかし今は、ラキの作った料理のおかげで、身体の内から熱がこみ上げてくるようだ。

「ぁふ…」

どうやら、それはラキも一緒だったらしく――――こっそりと、あくびを二度三度…湧き上がる眠気を誤魔化すように行っていたのであった。
壁掛けの時計を見てみる――――宵の口より時は過ぎ…子供ならとうに寝ている時間だ。ひとまず、ラキの寝床だけでも用意するとしようか。

「さて、ラキは少し寛いで居てくれ。私は、少し探し物をしなければならないのでな」
「捜し物、ですか? それでしたら、私も手伝いますけど」

椅子から腰を上げた俺に、ラキは慌てて自分も席を立とうと腰を浮かしかけた。俺はその肩を手で押さえて、苦笑する。
面倒見がよいというか、世話焼きというか――――それは確かに美点ではあるが、不要な仕事まで引き受けかねないのは、要領が悪いといえるだろう。

「いや、別に大した物じゃないから、そのままで良い。ベッドの代えのシーツを探すだけだからな」
「代えのシーツ、ですか?」
「ああ。さすがにいつも私が使っているベッドを、そのまま使わせる訳にもいかんだろう――――む、おかしいな…どこにいったんだ」

ラキの問いに答えつつ、俺は部屋の中にある戸棚を片っ端から開け、中を覗いて見る。しかし…目的の物は、なかなか見つからなかった。
まいったな………どこにしまったんだろうか? こういう時、クーがいてくれれば、目当ての物をすぐに持って来てくれるんだが――――、

「あの、ブラッド先生――――シーツなら、確か先生の足元にある戸棚に入っていると思いましたけど」
「………何?」

と、悩んでいる俺を見かねてか、ラキがそんな事を言ってきた。足元に視線を移すと、そこには死角になるような位置に戸が設えられていた。
戸棚を開けると、そこからは真新しいシーツが出てきた。念のため確認をしてみるが、汚れもなく、すぐに使えそうである。

「ありましたか、ブラッド先生?」
「ああ――――しかし、よく知っていたな。こんなわかりづらい所にある物を」
「それは………この前、先生の部屋のお掃除を手伝ったときに、先生がそこにしまっていたのを見てましたから」
「………そうだったのか」

そういえば、一月ほど前にラキに手伝ってもらって、部屋の掃除と模様替えをしたような記憶はある。
その時、代えのシーツのような、普段使わないものは、適当にあちこちに押し込んでしまったのだが――――よく覚えているものだ。

「さて、それではシーツを代えるとしようか」
「私は、別に先生の使ったシーツでも構いませんけど………あ、お手伝いします」
「そんなに気を使わないでも、そこで見ててくれれば――――………いや、手伝ってもらおうか」

ベッドのシーツを剥ぐ所まではよかったが、いかんせん、ベッドメーキングなどしたこともない事に遅まきながら気が付いた。
結局――――ラキの手伝い、というより、ラキの指示に任せて二人でベッドを整える。
家事をすることが楽しいのか、ベッドを整えている作業の間、ラキはニコニコと嬉しそうな笑顔を見せていた。

「ふぅ………これでよし。しかし、ずいぶんと手馴れたものだな。ヴィヴィに及第点をもらったというのも頷けるな」
「ヴィヴィ先生――――教師長が、そんな事を仰られていたんですか?」
「ああ。自慢の生徒だといっていたぞ。もう既に、どこにでも仕えれると太鼓判つきでな」
「そ、そんな、私なんて…」

俺の言葉に照れたように、微笑を浮かべるラキ。その微笑みは、最初に会ったときのような、おどおどとしたものではなく、どこか芯の通った笑顔だった。
それにしても、変われば変わるものだ。あらためて見れば、僅かではあるが、背も伸びている。僅か一年も満たぬうちにで成長するのは、人間の特徴なのだろうか。

「しかし、ラキが仕える事になる相手は幸福者だな。毎日、こうやって世話を焼いてもらえるのだからな」
「………」
「――――どうした?」
「ブラッド先生、もし、私が先生のもとに居たい、といったら、どうします?」
「何?」

ラキは、真剣な眼差しで俺を見つめてくる。その目には、どこか真摯な彩が混じっていた。

「ブラッド先生、女の子が家事を習うのは、お嫁さんに憧れているからなんですよ。いつか、好きな人のお世話をする為に」
「………ラキ」
「私も、そうだったんです。好きな人に仕えて、そして――――私は、ブラッド先生の傍に居たいです。いつかは、お嫁さんにしてほしいと、願ってるんです」
「………………それは」

直球で、自らの思いを口にするラキ。その素直さは、好意的に受け止めれる。だが、しかし――――…、

「………それは無理だ」

俺は、静かに頭を振った。脳裏に浮かんだリュミスの怒り顔が、消えようとはしない。彼女の怒りに触れるような真似は、出来ようはずはなかった。
ラキは、俺の言葉に対し、涙を見せる事はなかった。ただ、どこか悟ったような笑顔を俺に見せてきたのだった。

「やっぱり、そうですか。ブラッド先生は、婚約者の人を気にかけてらっしゃるんですね」
「………まぁ、そうだな」
「――――好きなんでしょう? その人のこと」
「……………………は?」

一瞬、何を言われたのかわからず、俺はまじまじと、ラキの顔を見返していた。好き、だって? 俺が、リュミスを???

「ちょっとまて、どうしてそんな事になるんだ? 私は別に、リュミスのことなど――――」
「………照れたような苦笑」
「?」
「その人のことを話すたびに、ブラッド先生が私に見せてくれた顔です。本当に嫌いな相手のことなら、そんな顔はしないと思いますよ」

ラキの言葉に、二の句が継げず、絶句する俺。確かに、リュミスは俺にとって憧憬の対象ではあった。
しかし、他人にまでそんな顔を見せる事になるとは――――どうやら、思っていたよりも深く、俺は彼女に惹かれていたらしい。

「ずっと、ブラッド先生を見てましたから…先生の気持ちが誰に向いているかは分かります。それを知った上で、厚かましいとは思いますけど」
「…なんだ?」
「今夜…その、先生に同衾して欲しいんです」

照れが入ったのか、口元を押さえて、ついっと俺から視線をそらし、そんな事を言うラキ。同衾とは………一緒の寝具で寝るという意味だ。
もちろん、彼女の言い回しを考えれば、ただ単に添い寝をして欲しいというわけではないだろう。それにしても、大人しいラキがそんな事を言うとは…。

「その、勘違いしないで下さいね。振られたから、やけになって言っているわけではないんです。ただ――――」
「ただ…なんだ?」
「好きな人に抱かれたいと思うのは、きっと…誰でも一緒だと思います。私の我侭だって分かってますけど、それでも………」

潤んだ瞳を、ラキは俺に向ける。少女でもあり、大人でもあるその顔は、引き込まれるほどに魅力的で、心に漣(さざなみ)を掻き立てる。
俺に、否はない。だからこそ俺は、最期の確認の言葉を………静かにラキに放ったのだった。

「本当に、それで良いんだな?」

ラキは、頬を赤く染めたまま…無言で首を縦に振る。肯定の合図を確認し――――俺は腕を伸ばし、ラキの肩を掴んで胸の中に抱き寄せた。
外は雪――――寒さに負けないように、暖房を効かせた部屋の中で…抱き寄せたラキの身体は、熱に浮かされたように熱く…火照っていた。

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