〜グリンスヴァールの森の竜〜 

〜グリンスヴァールの森の竜〜



結局…日をあらためて行われた体育祭(変わらずの大騒ぎで、フェイが乱入する一幕もあった)から月日は過ぎ………その日、俺はようやく自身の授業の用意を終える事になった。
色々と考えたが――――参加できる生徒は十人ほどに限定し、教室もこじんまりとしたものを使う事にした。
大人数を集めても、俺には教えきれないと思ったからであるが…そもそも、それほど生徒が集まるとも思っていなかったというのもある。

幸い、時間はたっぷりとあったので、マイトの送ってくれた文献は全て諳んじれる用に暗記できていた。後は、生徒が質問をしてきた時に適切な答えを返せるかどうかだが。
何にせよ、いよいよ春先からは、俺も授業を受け持つ事になるのだ。なんとなく、浮かれたような気分になるのも当然だろう。

「…それじゃあ、授業の用意は出来たんですか?」
「ああ、ラキが手伝ってくれたから、思いのほか早く済んでくれたぞ、ありがとう」
「そんな…私の好きでしていることですから」

ある日の昼時――――ばったりと中庭で鉢合わせた俺とラキは、肩を並べて歩きながら、世間話に花を咲かせている。
俺の言葉に照れたように俯くラキは、ここ最近、随分と明るくなったのだと思う。最初に出会ったときのように、他人の顔色を窺うような表情をすることは、少なくなりつつあった。

「春先からは、私も忙しくなるな。まぁ…一人でも良いから、生徒が現れればだが」

実は、自分で言っていてその辺りが何とも心もとない。これだけ準備をしていて、希望する生徒が誰もいないというのなら、空しい限りである。
だが、俺の心配をよそに、ラキはどこか、呆れた様子で微笑んでいたのであるが。

「大丈夫ですよ。きっと、たくさんの人がブラッド先生の授業を受けに来ると思いますよ」
「………そう願いたいものだな」
「期待して良いと思いますけど………あ、そろそろ次の授業の時間でしょうか?」

気づいたように、ふところから懐中時計を取り出して、時刻の確認をするラキ。ペンダント型の時計は、いかにも女の子が好みそうな仕様だ。
ラキは時計の盤面を見て、どうやら時間が圧しているのだろう。その表情が僅かに落胆を見せる。だが、俺の方を向いたその表情には、穏やかな笑みが浮かんでいた。

「それじゃあ、ブラッド先生。私はこれで…また、先生の研究室に伺わせていただきますから」
「ああ、待っているぞ」

俺の返答に、ラキは照れたように微笑むと、身を翻して早足で校舎の中に入っていった。何となく名残惜しい気がして、俺は足を止めて、ラキの去る方を見る。
ふいに、その眼前を何かがよぎった。白く小さな一欠片………それは、何かの粉のようにも思えたが――――、

「――――? 何だ?」

手の平を伸ばして捕まえて、開いてみると、そこには何も無かった。ひやりと、冷たい空気が頬を撫でる。
頭上を振り仰ぐと、そこには澄み渡った冬の青空――――白き冷たい一欠片は、何の名残も残さず不意に現れて、姿を消したのである。



「――――ああ、それって雪じゃないかしら?」
「雪、だと?」

それから、しばらくして――――職員室を訪れた俺は、ちょうど授業もないのか、暇を持て余しているヴィヴィに、先ほどの出来事を聞かせてみた。
俺の話を聞いて、ヴィヴィが出した結論は、前述の通りである。しかし、雪――――とは?

「ひょっとして、雪を知らないのかしら? 自然現象で、大気中の気温が下がった時に、大気中の水滴が氷の粒になって、降るもので――――」
「いや、知識の上では知っている。しかし、高い山間部なら兎も角、こんな何の変哲も無い森に、雪が降るものなのか?」
「………たしかに、そうね。まぁ、季節も完全に冬に移り変わった事だし、たまにはそういうこともあるわよ」

職員室の窓の外――――澄み渡った冬の青空に、ヴィヴィは視線を向ける。寒空の下だというのに、道を歩く生徒達は、楽しげに学園生活を謳歌しているようだ。
そんな生徒達に、愛しげに――――どこか、それは母親を連想させる表情を見せながら、ヴィヴィはポツリと呟きを口からつむぎだす。

「そうか、もう冬なのよね………今年も、色々あった一年だったわ」
「………確かに、騒々しい一年だったな」

ヴィヴィにつられる様に、俺はこの一年を振り返ってみる。巣から逃げ出して、学園に住み着いてからは、様々な出来事があった。
教師の真似事や、人同士の戦争………体育祭などの行事など、新鮮な驚きに満ち溢れていた。次の年もまた、新たな発見があるのだろうか?
そんな風に考えた俺の耳朶に、ポツリと寂しげな声が聞こえてきたのは、そのときである。

「今年も残すところ、あと僅かか………生徒が卒業すると、寂しくなるわね」
「――――卒業?」

聞きなれない言葉を聞き、俺は首をかしげながらヴィヴィを見る。俺の怪訝そうな表情に気づいたのか、ヴィヴィは、ああ、と頷いた。

「そういえば、ブラッドは知らなかったかしら? この学園は、一年ごとに生徒を卒業させるの。大半の生徒は一度、学園から出て行くわ」
「………何だと?」
「――――そんなに驚かなくても良いと思うけど。ここはあくまで、『学びの園』なのよ。生徒達だって、一生学園にいるわけじゃないわ」

もっとも、毎年けっこうな数が、また戻ってくるんだけどね――――と、困ったような表情で、苦笑を浮かべるヴィヴィ。
しかし、苦笑といっても顔に浮かぶ表情は穏やかで………戻って来てくれる生徒達を歓迎しているようだが。
それにしても…卒業、か。体感していない俺には実感できないが――――ヴィヴィの表情を見る限り、寂寥感を感じるもののようである。

「――――そういえば、あなたの手伝いをしていた…ラキさんだけど…」
「ラキが、どうかしたか?」
「別に、問題があるわけじゃないわ。彼女は、私の担当した家事手伝いの授業を受けてたけど…充分に優秀な成績よ。もう、どこに行っても通用すると思う」
「ヴィヴィにそう言われれば頼もしいが――――何故、そんな表情をするんだ?」

言葉とは裏腹に、ヴィヴィの表情は冴えない。怪訝そうに問いただすと、ヴィヴィの表情が変化した。キリキリと、眉毛が跳ね上がり――――怒っている?

「あのね…分かってるの、ブラッド? 彼女は充分に優秀よ。もう、この学園で学ぶ事が無いほどに」
「それは聞いた。だから、それで何故、怒ってるんだ?」
「だから――――彼女は今回卒業したら、この学園を出て行くのよ? 学んだ事を活かして、家事手伝いの職に付くのでしょうね」
「――――ああ」

ようやく、ヴィヴィの言いたい事が理解できた。そうか…ラキも卒業するのだった。この数ヶ月、身近にいたため、すっかり馴染んでしまった少女。
彼女が傍に居るのが当たり前と思っていたんだが――――…うーむ。

「………そうか。寂しくなるな」
「ようやく気づいたのね。まったく…クライス以上に鈍いんだから」

ようやく得心のいった俺に、呆れたように溜息をつくヴィヴィ。そうして、どこか気遣うように俺に目を向けてきた。

「一度、時間を掛けて話したほうが良いと思うわよ。あまりにあっさり分かれると、また会うきっかけが、なかなか掴めないんだから」
「――――何だか、実感のこもった言葉だな」
「…………ええ。昔、似たような目にあったのよ。正直、あの手紙が来なかったら、今でもクライスと一緒には居なかったでしょうね」

遠い過去を顧みるかのように、ヴィヴィは遠い目をして呟く。今でこそ、順風満帆な中である、学園長とヴィヴィにも、何やら因縁があるようだった。
と、その表情が見る見る険しくなってきたような――――なんだ?

「本当に、昔っから女性関係には疎かったのよね………そのくせ、気遣いは人一倍あるものだから、妙に女の子達にちやほやされているし…」
「あの………ヴィヴィさん?」
「去年の卒業式なんて、五人の生徒から告白されてたのよね………私には気づかれて無いと思ってるみたいだけど」

……………………イライラとした表情で、腕組みをしながら独り言を呟くヴィヴィ。その指先は、苛立ちを表すかのようにトントンと動いている。
俺は昔から、こういった表情の女性を何度も目の前にしている…何しろ、村では女性を怒らせる=虐殺だったからな………。

「お茶をいれようと思うんだが――――ヴィヴィの分もいれようか?」
「――――ありがと。いただくわ」

…………どうやら、俺の言葉がきっかけになったのか、苛立ちを紛わせるかのように、ヴィヴィは腕組みをといて、肩の力を抜いた。
学園長との馴れ初めを聞いてみたい気もするが………この様子だと、聞くのにも一苦労しそうだ。怒りの矛先を向けられるのも勘弁したいし、後日聞くとしよう。

「………それにしても、卒業、か」

職員室の隅にある水飲み場………設えられたコンロで、紅茶を煎れるための湯を沸かしながら…何とはなしに、俺は呟きを洩らしていた。
巣にいたときも、ユメのように成り行きで巣に住み着いたり…逆に、事情があって巣から出て行く物は何人かいた。しかし、今回の場合は、何か違うような気がする。

「…一度、ラキと話をしてみるとするか」

どことなく、落ち着かないような気持ち――――これが、寂寥感かもしれないが…そんな気持ちを持て余しながら、俺は、その日の午後の時間を過ごすことになった。

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