〜グリンスヴァールの森の竜〜 

〜グリンスヴァールの森の竜〜



体育祭の行われた日の昼間より始まったレグルリア軍との戦いは、夕刻を迎えてなお、激戦の様相を呈している。
進撃して来たレグルリア軍の人数は数百人程度。数の上で言えば一個中隊といった所だ。対する学園側も、人数的に言えば同程度である。
もともと、生粋の軍人など皆無な学園側にあって、苦戦しながらも何とか戦場を維持しているのは、何人かの生徒の存在が大きいだろう。

「はぁっ!」

振舞紐(ふるまいひも)をたすきがけし、袖をつめた格好で、身の丈よりも長い薙刀を振るのは歌焔という名の少女だ。
後に聞いたことではあるが、魔界の名家の令嬢であり、学園の防衛を担う一人であるらしかった。
薙刀の刃が敵の武器を弾き、体制を崩した敵に石突の柄を突きこんで戦闘不能にする戦法は、理に適った武術の戦法である。
そうして戦闘開始直後より、歌焔が倒した敵の数は、二桁に及んでいる。しかし、彼女と同程度に、またそれ以上に派手に立ち回るものもいた。

「ふっ!」

爆音と共に、地面が砕け散り、土砂が舞い上がる。振り下ろされた刃の先には、盾を構えたままで、馬車に踏み潰された蛙のように潰された兵士がいた。
桃色の衣装を身に纏い………まるで舞踏を踏むかのように、幅広の剣をパートナーに戦場を舞い踊っているのは、先程言葉を交わしたメルエであった。
一見、緩やかにすら見える彼女の剣撃は、振り下ろされる寸簡に雷光へと激烈に変化する――――受けた相手は、何が起こったのか分からずに気絶し、あるいは絶命した。
戦場の只中にあって、人目に付くメルエの衣装は、レグルリア軍の攻撃の対象ともなった…いつの時代も、将官は煌びやかな装いをしているのを兵士も理解しているのだろう。

「名のある名家の娘と見た! 捉えて捕虜にするのだ!」

小隊長の命令で、数人の兵士がメルエに肉薄し、剣を振るう。間一髪でよけたものの、ドレスの袖口が切り裂かれ、真雪のような白い肌が覗く。
戦場でも笑顔を絶やさないメルエの顔に、わずかながら苛立ちが見えたのは、多数の敵を相手にすることが、どれだけ大変かを理解しているのだろう。
………あるいは、お気に入りの衣装を傷つけられて怒っているのかもしれないが、なんにせよ、その怒りは長くは続かなかった。
メルエを包囲していた兵士達が、うめき声を上げて次々と倒れ込んだのである。それは、メルエを助けに飛び込んできた、歌焔の薙刀によるものであった。

「無事か、メルエ?」
「あら、歌焔さんじゃありませんか。またそのような無骨なものを振り回しているのですか?」
「人が助けに来てやったのに、ずいぶんな物言いだな…だいたい、私の薙刀が無骨なら、その大剣は無粋の極みではないか」
「なんですって? 貴方には、この高貴な装いの剣が――――…っと、そんな事を言っている場合でもなさそうですね」

口げんかを始めようとしたメルエが言葉を止めたのは、言い負かされそうであったからではなく…十数人の兵士達が、二人の周りに円陣を作って囲んだからであった。
これまでの戦闘で、多くの仲間を倒された恨みからか、兵士達の顔にも余裕は無い。二人の少女相手に、まるで魔物を相手にするかのように剣を構えなおす。
周囲を囲まれ退路なし、絶体絶命ともいえる状況ではあるが、歌焔もメルエも、顔には悲壮感は無く、むしろ余裕の表情すら伺えられた。

「ひい、ふう、みい――――…十一人か。半数は任せても良いだろうな、メルエ」
「ええ、色々と言いたい事はありますけど、この場は一時、背中を預けあう事にしましょうか」
「ふっ」
「ふふっ」

文字通り、互いの背中を護りあうかのように、歌焔とメルエは背中合わせに笑いあい、兵士達を迎え撃つ体制になった。
黄昏の残照が光る戦場で、見た目もまったく別物でありながら、二人の少女は落日の余光に照らされて、雄々しくも立ち続けていたのである。



戦場を武踏する女騎士のように派手に立ち回るものもいれば、淡々と敵を屠る事に全てを費やす者もいる。
常人離れした能力を持つメルエ達とは違い、その一組の少女達は、的確な判断と、正確な攻撃を持って敵に立ち向かっていた。

「ふぅ………ニキちゃん、大丈夫?」
「はいっ、まだまだいけますっ!」

まるでピクニックに行くかのような、のんびりとした口調の会話ではあるが…彼女達の周囲には、倒れ付した兵士達が累々と並んでいる。
両手両足の指を全て使っても、数え切れない数のそれは、ニキという少女と、ユメの二人の手によってなしえた結果である。
二人とも、身体能力に優れている獣人とはいえ、大柄な体格の兵士達と真正面からやりあう愚を、彼女達はおかそうとはしなかった。
襲い掛かってくる兵士達を、片方が片手剣で受け流し、あるいは小柄な身体を活かした俊敏さで惑わせながら、体制を崩す。
バランスを崩した兵士を狙い、もう片方が攻撃を仕掛けて先頭不能にする戦法で…二人はおびただしい成果を、短時間に挙げていたのであった。

「ニキちゃん!」
「はいっ!」

二人の非凡なところは、互いに指示を出し合うわけでもなく、瞬時に防御をする役割、攻撃をする役割を入れ替えるところにあった。
後に聞いた話だが、二人とも同じ村の出身であり、まるで双子の姉妹のように、互いの考えを理解し、行動しているかのようであった。

メルエに歌焔、ニキにユメと、少数の学生は騎士たちを圧倒し、次々と戦果を上げてはいる。
しかし、それでもなお、生粋の軍人と学生達との間では、この時点では絶望的なまでの実力の隔たりが存在していた。



「怪我を治療できた人は、前線に復帰っ! 負傷した生徒は後退して! 教員の中で動ける人は、歩けない人に肩を貸してあげてちょうだい!」

混戦めいた戦場のなかで、ヴィヴィは矢継ぎ早に命令を下す。彼女は戦闘が始まった直後より、不休で皆に指示を出していた。
グリンスヴァール学園は、あくまで学園なのである。戦闘員は皆生徒であり、生徒を束ねる教師長であるヴィヴィは、皆の身の安全を最優先にしなければならなかった。
軽傷が大怪我に、大怪我が死に結びつかないうちに、ヴィヴィは生徒達を治療し、叱咤激励し、そして学園へと避難させる。

学園創立以来、幾度と無く行われた戦闘で、死傷者がほぼ皆無なのは、ヴィヴィの功労による所が多いだろう。
しかし、それゆえに、ヴィヴィの取れる戦法は限られていた。彼女の取れる戦法は、防御一辺倒のみ…敵を倒すために、生徒達を死地に立たせるような事を是としていないのだった。
おそらく、本物の軍を任せれば、いくばくかの犠牲を引き換えに、多大な戦果を挙げる事も出来るその頭脳は、生徒達という枷があるゆえか、思考は防御へと傾く。

「負傷した生徒達は全員撤収できたのね? それじゃあ、引き続き救護班は待機。学園の方に予備の薬を発注しておいて」
「なぁ、ヴィヴィ」
「――――どうかした、ブラッド?」

戦場の後方に位置した本陣。そこで俺は、忙しそうなヴィヴィに、さも退屈そうに話しかけたのだった。
実際のところ、俺自身は暇を持て余していた。戦闘が始まって数刻余り――――俺はこの場所を死守しろとヴィヴィに言われ、戦う事も無く時間を過ごしていた。
実際に刃を合わせることも無かったため、ユメや他の生徒達の活躍を目にすることが出来たのだが…拍子抜けも良いところである。

「このままで良いのか? 残った生徒達も疲労の色も濃い事だし、ここに居る人員も出したほうが良いと思うのだが」

実際のところ、このままでも数刻は、負けない戦いを維持できるだろう。しかし、それでは勝利には結びつかない。
今のところ、何名かの生徒達の活躍が、戦場を拮抗させ…いや、むしろこちらが圧している状況になっている。この機を逃さず、全兵力を導入した方が良いのではないか?
などといっては見たものの、単純な話………いいかげん俺は、戦いを見ているだけの状況に、やきもきをしていたのだった。

「いいえ、このままで行くわ。ブラッドは予定通り、この場所の死守に勤めてちょうだい」
「………大丈夫なのか?」

だが、ヴィヴィは俺の提案に首を振ると、きっぱりとした口調でそんな事を命じてきた。自信満々なところを見ると、何か勝算でもあるのだろうか?

「ええ、あと小一時間もすれば、敵は撤退を始めるはずよ」
「――――?」

まるで予言でもするかのように、きっぱりとした口調でヴィヴィは言い放った。
その言葉に俺が首を傾げるのとほぼ同時に、遠目に見る事しか出来ないでいた、戦局に変化が現れた。

「退却! 退却っ!!」

日が沈み始め、夜の帳が降り始めた途端に、レグルリア軍の兵士達は剣を構えたままで、じりじりと後退を始めたのである。
負傷した者には肩を貸し、傷つき動けない者は置き去りにして、過半数の兵士達が戦場を離脱していった。
その場に残されたのは、武器を手に持った学園の生徒達と、地面に倒れ付した、双方の負傷者達である。

「…なんだ? やけにあっさり、軍を退いたな」
「怪訝に思うかもしれないけど、レグルリア軍にも戦闘を続行できない事情があるのよ」

敵が戻ってこない事を確認してから…安堵の息と共に、ヴィヴィはそんな風に言い放った。まるでこの事を予期していたようである。
しかし、いったいどんな方法を使ったのだろうか? 敵を撤退させるように、大掛かりな魔術儀式でも行ったと言うのだろうか?

「そんな驚いた顔をしなくても、分かりそうなものだけど。もうすぐ日が暮れるわ…レグルリア軍だって、敵中に孤立するのは避けたいはずよ」
「――――そうか、この道は一本道であり、学園と王都にしか繋がっていないのだったな」
「ええ、前方に学園の防衛隊を相手取って、さらに後背を王都の軍にとられているとなれば、屈強なレグルリア軍だって、不利は否めないでしょう」

だから、撤収したレグルリア軍は、矛先を転じて王都を突破し――――自国へと逃げ帰るだろうと、ヴィヴィはそんな風に述べた。
しかし、それは楽観に過ぎないのではないのだろうか? 撤退したのが偽装であり、今この時にも、レグルリア軍が再び攻め入ってくる可能性はある。
さらに言えば、後方に下がり、背後の王国軍を再び撃破して、レグルリア軍が最侵攻してくる可能性すらある。

「…最侵攻を仕掛けてくる可能性は無いのか? こちらが無いと決め付けて掛かれば、相手はそこを突いてくる可能性もあるが」
「確かに、ありえないこともないわ。でもね、ブラッド…いくら弱国とはいえ、グリンスヴァールは王国なのよ。兵員数も、規模もそれなりのものはあるわ」

万一、レグルリア軍が腰をすえて学園の攻略に掛かるとすれば、それは王国軍という、膨大な余力を持つ相手を後背に控えての戦いになる。
個人の勇、組織の実力では格上のレグルリア軍といえど、その状況では勝機と呼べるものは皆無となるだろう。
だからこそ、レグルリア軍は王都を『攻略』せずに『突破』し、学園へと電撃戦を仕掛けなければならなかったのだ。

「この状況…レグルリア軍のとれる策は撤収しかないわ。おそらく敵としては、日没までに学園に侵入するつもりだったのだろうけど…こちらの実力を過少評価していたみたいね」

なんでも、数年前に同様にレグルリア軍が侵攻してきた時は………最終的に防衛に成功したとはいえ、学園側にもかなりの被害が出たとの事だった。
その時の痛手を教訓に、学園では武具の開発や戦術立案、生徒達自身の戦闘訓練などもカリキュラムに取り入れていたらしい。
とはいっても、全校生徒に訓練を受けさせるような事も無く、あくまで自発的に、学園を護ろうという意志の者だけが参加するカリキュラムなのだそうだが。

「とりあえず、こちらも撤収しましょう。救護班は、全員の手当てと学園の搬送を――――怪我人を運ぶのは、貴方にも手伝ってもらうわよ、ブラッド」
「ああ、それは構わないが――――って、ちょっと待て。全員というのは、『レグルリア軍も含めて』か?」
「…ええ。さすがにこのまま放置をしておくわけにもいかないでしょう? 街道の整備をしてくれるほど、気の効いた相手じゃないんだし」

憮然とした表情の俺に、こともなげにヴィヴィは言う。彼女としても、さっきまで戦っていた相手を助けるというのは、本意ではないだろう。
しかし、そこは大人の事情というべきなのか、何やら達観した様子で、撤収準備をする学生達に目をやっていた。

「学園側が放っておいたりしたら、外交問題になるしね。人道的に云々かんぬん――――賠償を要求する、って」
「それはまた………自分で攻め込んでおいて、随分と厚顔無恥な国だな」
「軍閥国家なんてそんなものでしょ。まぁ、つまりはこれ以上のトラブルに成らないように、先手を打とうって話よ」

それに、街道に死屍累々をゴロゴロと転がしているわけにもいかないしね――――。と、肩をすくめてヴィヴィは指示を出しに向こうにいってしまった。
ああ、そういえば体育祭をしていたんだったよな。さすがに王都への一本道がこんな惨状ではまずいだろうな。
体育祭は途中で中止になったが――――あの熱気だし、日を改めて続ける可能性もあるが、ひとまず一般客は、家に帰りたいだろう。

街道の整備に、レグルリア軍の捕虜の尋問、中断した体育祭の再開と、やる事は山積みになっている。やれやれ、大変な事になってきたな。
兎も角、俺も怪我人を搬送するのに手を貸すとしよう――――本当は、竜になって一気に運んだ方が早いんだが…正体を明かしてない以上、ここで変身するのも気がひける。
そんな事を考えていると、撤収する生徒達の中から、ユメがのんびりと、俺のもとに歩み寄ってきた。あれだけの激戦というのに、返り血の一つも浴びてはいなかった。

「ブラッドさん、ブラッドさん。見ててくれましたか? 私、頑張りましたよ」
「ああ、ご苦労だったな、ユメ」

そう言って、ユメの頭を撫でると、ユメはくすぐったそうな表情で、俺に身を寄せてきた。汗と血と鉄の匂い…それがユメの身体を包んでいる。
香りと呼ぶには、余りにも無粋な芳香剤――――とはいえ、それは決して、不快なものではなかったが。

「あ…ごめんなさい。ちょっと匂いますよね」

しかし、ユメの方は気になったようで、僅かに俺から身を離して苦笑する。遠慮など、することはないのだがなぁ。

「何、気にすることはないぞ。私は気にしない」
「ブラッドさんは気にしなくても、私は気になるんです! もぅ…後で水浴びをしなきゃ」
「――――風邪をひくぞ。湯浴みに使う浴場なら、学園にもあるし、口利きをしておいてやるから、そっちを使え」
「わ、本当ですか? ありがとうございます、ブラッドさん」

嬉しそうにユメは言うと、撤収する学生達に目を向ける。先ほどまで、ユメと肩をならべて戦っていた獣人の少女が、こちらを見て手を振っていた。
ユメはにこやかに、彼女に向けて手を振り替えしてから、撤収を続ける生徒達を見つめた。
包帯で腕を釣っているもの、脚を引きずっている者、担架で運ばれている者もいたが、幸いにして、死人は出ていないようであった。
レグルリア軍のほうは、そうもいかず…かなりの数が、息絶えているようである。もっとも、それでも死人よりは怪我人の方が多いのだが。

幸いにして、学園の生徒も善良な者が多いのか、地に伏した相手に止めを差すような真似をするものはいなかったらしい。
まぁ、首をとっても手柄となるわけでも無し、そもそもかなりの乱戦だったから、誰かに止めをさそうとして、隙を見せるわけにもいかなかったというのが実状だ。
そういうわけで、幸いにも気絶をしたものが生き残るわけになったのだが――――とはいっても、学園の捕虜になったのは、彼らにとって幸福なのだろうか。
………まぁ、そこまで気を揉む義理もないし、この件はヴィヴィに任せるとしよう。

俺がすべき事は力仕事全般の雑用だけだが………やれやれ、すっかり馴染んでしまったようだ。巣にいた頃は、全部メイド達の仕事だったからな。

「何にせよ、早く学園に帰って眠りたいぞ…この惨状では、徹夜仕事になるかもしれないがな」
「………そうですね」

月光に照らされた戦場跡――――その燦々たる有様をあらためて見て、俺とユメは何を言うまでも無く立ち尽くした。
夏草や兵どもが夢の後………たしか、竜を調べる文献の、東方に関する書物の中に、そんな一文があったはずだ。
意味は分からないが、その寂寥感は、何となく理解できたような気がする。もっとも、気がする、だけではあったのだが。

「ちょっと、ブラッド! そこで突っ立ってないで、手伝いなさいっ!」
「は、はいっ! いかんな、ヴィヴィが怒りかけている…どやされる前に、私も手伝うとしよう」
「そうですね………私も、お手伝いしますっ」

そうして、長い長い秋の一日は、日暦が変わるまで、働きづめで幕を閉じる事になったのであった。
俺も、ユメも、慣れぬ作業でくたくたになったせいか、学園に戻った後、泥に浸るような深い眠りに落ちる事になった。
ユメはあくまでも湯浴みに固執していたので、風呂に入ってから眠ったようであるが――――何故か、そのあたりの事は記憶にない。

そういえば、また夢の中に桃色髪の小悪魔が出たような気がするのだが…気のせいだと思っておこう。



『だからなんで、手を出すかなぁ…フラグクラッシャーなんてあだ名、付けられたくないんだけど』


戻る