〜グリンスヴァールの森の竜〜
〜グリンスヴァールの森の竜〜
きっちり、五分の間の後で、何故か照れたような表情のヴィヴィの先導で、俺とユメは学園外の森へと向かった。
学園から王都へと続く歩道の途中――――うずたかく積み上げられた防護壁代わりの資材と共に、忙しく立ち回る学生達の姿が見える。
どうやらここで、レグルリア軍を迎え撃つ算段のつもりらしい。学生は皆、士気も高くやる気が満ち溢れているようだ。
「現状の報告が出来る人! 今の作業の進行状態も、逐一報告をしてちょうだい!」
声を張り上げるヴィヴィに呼応して、すぐさま何名かの教員が彼女のもとに駆け寄ってくる。ううむ…なかなか統制が取れているな。
そういえば、宰相の任についていたといっていたな――――いや、副宰相だったか? なんにせよ、手馴れたものである。
俺はというと、邪魔にならないように道端の隅に立って、作業の様子をユメと一緒に眺めているくらいだった。
「何だか、忙しそうですね…手伝わなくていいんでしょうか?」
「いや、来たばかりの私達が割って入っても、混乱するだけだろう。ヴィヴィの命令待ちだろうな」
そういって、俺は街道を見渡す。多少は整備された歩道は、王都に繋がる一本道だ。逆に言うと、王都へと繋がる道はここ以外はほとんど無い。
一応、幾つかの小道などはあるらしいが――――大半は、整備されていない獣道であり、大人数の軍隊が通れる道は、ここ一つしかないのである。
レグルリア軍が王都に攻め込むのは、極端な話、進行ルートが『王都〜学園』この一本しか無いというのも理由の一つであろう。
「しかし、のどかだな………これから戦争が始まるとはとても思えん」
「そうですね〜…あ、今度はお茶の用意もしておきましょうか?」
緑に包まれた森の中、急いて作業を進める学生達の姿と、無骨なバリケードがなければ、散歩を楽しむのも乙かもしれないといった風景である。
しかし、どうやら学園で動員できるものは、全員がこの場にいるようだが――――これで大丈夫なのか?
巣を攻めてくる冒険者の中には、少数での陽動に長けた者もいた。大部隊が進行してくるといっても、そういった陽動がないとは限らないだろう。
「ヴィヴィ、少しいいか?」
「何かしら?」
「ここだけ重点的に護っていて大丈夫なのか? ひょっとして、小道を通して学園に侵入する者がいるかもしれないだろう?」
俺としては、至極まっとうであると思う質問に、ヴィヴィは、瞬きを数度した後で――――…
「ああ、それなら大丈夫よ。どうもこの森って、何かの加護が掛かってるみたいだから」
と、こともなげに言ったのである。しかし、加護とはどういうことだ?
「いままでも、そうして少数で学園に侵入する者がいたらしいわ。けど、森を進むうちに道に迷ったり、獣に襲われるなりして毎回全滅…今では呪いの森って呼ばれてるみたいよ」
「呪いの森、だって?」
ヴィヴィの言葉に呼応するかのように、風もないのに、森の木々がザワザワと葉鳴りを起こす――――本当か?
「ま、他愛もない噂話よ。それに、冗談は兎も角、監視の学生を森のあちこちに配置してあるから、侵入者がいてもすぐに分かるわ」
「そうか――――それにしても、呪いの森とは…そんな与太話、よく知っているな?」
「………レグルリア軍の捕虜に聞いたのよ。何しろ、事あるごとに学園に攻めてくるから、情報源には欠かないから」
どうやら、以前にレグルリア軍が攻めてきた時に、捕虜を捉えて情報を聞き出していたらしい。抜け目がない性格をしているようだ。
と、話をしていると、ヴィヴィの目が俺の持つ剣に注がれた。
「そうだ、ブラッド。貴方の持つ剣だけど、それはメルエさんの物だから、彼女に渡してきてちょうだい。貴方の分は、今こちらに運ばせているから」
「そういえば、そんな事を言っていたな――――ところで、そのメルエというのは何者だ? 筋骨隆々の大女とか」
「………その言葉、彼女のファンが聞いたら闇討ちに逢いかねないわよ。彼女はあそこ。一番目立っている娘よ」
そんな曖昧な――――ヴィヴィの説明に苦笑した俺だったが、指差す方向を見て、その考えを改めざるを得なかった。
黒字に金の縁取りの生徒が大半を示す中――――金髪の少女は異様ないでたちでそこに居る。というか、ピンクのドレスはないだろう。
少女は、取り巻きらしい何人かの生徒と雑談している。どう見てもその構図は、姫君にかしずく従者たちという構図にしか見えない。
正直、そういった和気藹々とした空気の中に踏み込むのは気が引けるが………ここでじっとしていたら、ヴィヴィに文句をいわれてしまうだろう。
(仕方がない、覚悟を決めるか)
といっても、言うほどに緊張したわけではないが。リュミスの眼前に姿を見せるときに比べれば、氷原と春の野原くらいの落差はある。
そんなわけで、長大な剣を肩に担いだまま、俺は、メルエという女生徒の方へと歩いていったのである。
「すまない、少しいいか?」
「あら、何か御用ですか?」
俺が声をかけると、ウェーブの掛かった豪奢な金髪の美少女は、天使のような笑顔を俺に向けてきた。周囲の取り巻きたちはというと、俺を見て、ぽかんとした表情をしている。
今の俺は、とんでもなく大きな、幅広の剣を肩に担いでいる状態だ。その姿を見て、驚く方が普通の反応といえるだろう。
しかし、メルエという少女だけは、俺の姿を見ても、動じずに笑みを浮かべている。見た目とは裏腹に、かなり豪胆な女のようだな。
「これは、君の剣だろう? ヴィヴィに頼まれて、届けるようにいわれたのだが」
「まぁ、わざわざ届けてくださったのですね。ありがとうどざいます」
にこやかに、俺から剣を受け取って、ニッコリと微笑むメルエ。その目は全てを見透かすように、俺に注がれていた。
この女――――………何者だ? 少なくとも、普通の人間とはどこか違う、人であらざる空気を身に纏っている。
しかし、俺がその事を問い詰める前に、周囲に響き渡ったヴィヴィの声が、場の空気を一変させた。
「みんな、聞いてちょうだい! レグルリア軍が王都を抜けたって情報が入ったわ。敵はすぐにこちらに向かってくるわよ。非戦闘員は学園への退避を優先して!」
「あら………時間みたいですね。それでは皆さん、後は私達に任せて、学園にお戻りになっていてくださいね」
ヴィヴィの言葉を聞き、メルエは周囲の取り巻きの生徒達にそう諭す。生徒達は名残惜しそうではあったが、メルエの心配をしている様子は無かった。
まぁ、それはそうだろうな。超重武器を気軽に持つような腕力だ。そこいらの兵士などは、物の数ではないだろう。
「それじゃあ、失礼します。メルエさんも気をつけてくださいね」
「ええ、分かっていますわ」
口々に、応援の言葉を言って、学園に戻っていく取り巻き達を見送った後、メルエは一つ大きく息を吸った。
それだけで、彼女の持つ雰囲気が俳優から戦士のものへと変化したようだった。笑顔は変わらず、しかし容赦なく敵を屠る、稀代の戦乙女。
「ほぅ、ネコを被っていると感じていたが、どうやら中身は想像以上のもののようだな」
「あら、そういう貴方も、随分と丸くなっているんじゃありません? 見え隠れする本性は、相当なケダモノに思えますもの」
不敵に笑みを浮かべ、それでも周りを気遣ってか小声でそんな事を言ってくるメルエ………俺としては、こういう明け透けのない物言いの女のほうが、好みである。
とはいえ、戦闘の直前であるし…さすがに、この場で口説くわけにもいかんだろう。なにしろ、背後にユメもいることだし、浮気現場を堂々と見せるわけにも行かない。
「この戦いが終わったら、ゆっくりと話してみたいものだな。少々、君に興味が沸いてきた」
「あら、それは構いませんけど――――こう見えても私、心に決めた方がいるので、ご期待には添えないと思いますけど」
「ふっ………色事と恋愛は、一色ではつまらないと思うがな。それで、君の心を射止めたのは、どのような男なのだ?」
「学園長ですわ。もっとも、一般に姿を見せている老人の方ではなくて、お若い方の先生ですけど」
…………また、あの学園長か。ヴィヴィといいメルエといい、随分と華麗な華に好かれる性質のようだな――――。
まぁ、それも良いだろう。別段、俺の狙っていた女が取られたというわけでもないし、衝突の無い間は不干渉で構わないだろう。
「そうか。無様に粘るのも大人気ない気がするし、ここは退いておく事にしよう。とはいえ、気が向いたら声を掛けてくれると嬉しいが」
「ええ、覚えておきますわ………ブラッド先生」
豪奢な微笑みを浮かべると、メルエは踵を返した。先陣を勤めるつもりなのか、彼女は向こう側へと歩いていく。と、着物姿の少女が近づいてきて、何やら言い争い始めた。
…………どうも、こちらも一枚岩とは行かないらしいな。これで、敵軍を満足に迎え撃てるのだろうか?
「綺麗な人でしたね」
「――――!? 何だ、脅かすな、ユメ」
唐突に真後ろから聞こえて来た声に振り向くと、そこには、のんびりとした表情のユメがいる。怒ってはいないようだが、抜き身の剣が何気にデンジャラスだ。
ユメは、なにが気になったのか、周りをキョロキョロと見渡して再度、俺に聞いてくる。
「綺麗な人でしたね、さっきの人」
「あ、ああ」
「ヴィヴィっていう女の人も、綺麗でしたね」
「それが…どうしたんだ?」
「――――」
何やら、嫌な予感がする。ふいに笑顔で、俺の首を跳ねに来そうで怖い。俺は、最悪の事態になるのを防ぐかのように、コホンと一つせきばらいをした。
「そういえば、喉が渇いたな………ユメの淹れたお茶が飲みたいところだ」
「そうですか? まだ、少しは時間の猶予があるだろうし――――すぐに用意してきますね」
「ああ、頼む」
「はいっ」
スキップするかのように軽やかに、学園の方に駆け去っていくユメを見て、俺は静かに溜息をついた。
少なくともこの戦場で、俺が最も恐れるべきは………実は味方の中にいるんじゃないかと、漠然とした不安にさいなまれながらの嘆息であった。
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