〜グリンスヴァールの森の竜〜 

〜グリンスヴァールの森の竜〜



――――さて、助手を得てからも、俺の日々の生活はさして変わる事はなかった。
もともと、人に教えると言うことも慣れていないため、すぐには授業が出来ないというのは、前にも述べたとおりである。
加えて、ヴィヴィの授業を見学して、俺に足りないものがあると、気づかされたこともあったのだ。

単純に言うと、俺には質問に答える応用力と言うものが欠如している。別に、相手の言葉がわからないわけではない。
ただ、相手の疑問――――本当に分かっていない部分を探り当て、それを補填するように知識を与えるヴィヴィの教え方は、到底真似できそうにもなかった。
簡潔に言うと、ヴィヴィはかなりの教え上手であり、俺自身はといえば、その辺の能力に関しては自信がこれっぽっちもなかった。

そんなわけで、準備の合間を縫って、空き教室を借りた俺は………ラキを相手に個人授業をする事にしたのだった。
ラキ自身は決して無能な生徒ではない。能力的には可もなく不可もなくといったところだ。しかし、そんな彼女でも、授業で分からないことは多々存在する。
彼女の予習復習もかね、俺の訓練になるので、暇を見てはやる事にしている個人授業は、今回で五回目になる。

「ええと、ブラッド先生………この部分が、分からないんですけど」
「どれ………ふむ、交易圏の拡大と、行路の治安維持についてか――――参考書はあるのか?」
「あ、はい、これです」

最初は、俺が教壇に立ち、ヴィヴィの授業を真似て教えていたのだが、どうもしっくり来ない。
それで、物は試しにと、俺とラキとが並んで座っての授業をしてみたところ、今までよりも教えやすく感じたのだ。
結局、俺が慣れるまでという期限付きで…広い教室であるのに、二人で身を寄せ合って、勉学に励んでいるのだった………。

「なるほどな、交易圏が広がれば、治安に割く人員も人手不足に陥る。だからこそ、盗賊の横行が目立ち始めるということか」
「………?」
「すまん、言い方が難しかったか。ペンを貸してくれるか? つまり、この円が人々の住む場所………交易圏と言うには語弊があるが、人のいない場所に交易はないからな」

そういって、俺は手元のノートに丸く円を書く、ラキは、そんな俺の顔と手元を、熱心そうに交互に見つめていた。
ラキの視線を、こそばゆく感じながら、俺は続いて幾つかの正方形を円の中へと書き込んだ。

「それで、その中に治安を護る………まぁ、軍隊のようなものがある。これは四角で表記するが…交易圏が小さいうちは、その活動に支障はない」
「はい」
「だが、交易圏が………円の部分が広がれば、必然的にそれを護る部隊も広範囲に配置せざるを得ない。すると、どうなる?」
「――――隙間が出来ます。さっきまでは…それぞれ触れ合うくらいに、近くにあったのに………円が広がったぶん、それぞれの距離も広く開いてしまったんですね」
「そういうことだ。距離が広がれば、連絡や物資の搬送にも支障がきたされるだろう。無論、それだけが治安悪化に繋がるわけではないのだがな」

最大の原因は、人手不足だろう。エルブワード付近ではそれほど深刻には為っていないが、この国をはじめ、周囲の国家は揃って衰退の一途をたどっている。
その問題を解決するために、各国とも教育問題に力を入れ始めているが、それが実を結ぶには、まだまだ五十年、百年単位の時間が必要になるだろう。
あるいは、それが国家としての定めなのかもしれないが――――栄枯盛衰、どれだけ栄えた国家であれ、いつかは衰え、滅びるのが常なのだから。

「………先生? 何か、おかしなところがあったんですか?」
「ああ、いや、なんでもない………続けるとしようか」

怪訝そうに、間近で俺を見上げるラキの声に我に返り、俺は授業を再開する事にした。今から何十年も後のことを考えても仕方がない。
まずは、来年――――俺が受け持つ事になる授業の事を考えるとしよう。それからしばらくの間、空き教室を使い、俺とラキはそれぞれの勉学に励むこととなった。



「ふぅ………」

ラキとの個人授業を終え、俺は校舎の外に出て一息つく事にする。気づかぬうちに、かなりの時間を過ごしており、少々肩肘が凝っていた。
自分でも意外な事に、俺は教師という仕事をそれなりに楽しんでいた。この学校という、穏やかな空気がそうさせるのだろうか?
そんな事を考えながら伸びをすると、ふと、どこからか見られているような気配を感じ、俺はそちらの方に視線を向けた。

「…ん?」
「じー」

気配を感じた目線の先…そこには、生徒の証である…黒字で金の縁取りの制服に身を包んだ、桃色の髪の少女が、俺のことを見つめて…というか、凝視をしていたのである。
見覚えのない女の子であった。いや、見覚えがないといっても、決して彼女が特徴のない顔をしているのではない。見た目、かなりの美少女だった。
しかし、見栄えが良いのにも拘らず、彼女を見た限り、強い印象を受けることはなかった。何と言うか、あまりにも『彼女は、そこにいるのがあたりまえ』過ぎたのである。
そんな、言葉にならない印象を俺に与えた少女は…相変わらず探るように、俺を見ている。どうしたものか、と俺が考えていると――――、

「こんにちは」(にこっ)
「ああ、こんにちは」(にこっ)

満面の笑みで挨拶をされ、俺も思わず、笑顔で返してしまったのだった。
少女は満足したのか、桃色の髪をたなびかせ、スタスタと歩いていってしまった。しかし、何なんだったんだろうか?
怪訝に思った俺だが、不思議と、少女の後を追いかけようという気持ちは、ほんのわずかも起きなかったのである。

「さて、もう少し煮詰めないとな」

ひとつ伸びをすると、俺は自分にあてがわれた研究室に戻る事にした。
やることは多く、暇を持て余すことはない。俺はこの忙しい日々を、それなりに充実した気持ちで送っていた。


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