〜グリンスヴァールの森の竜〜 

〜グリンスヴァールの森の竜〜



森に囲まれた敷地の中央に、ひっそりと佇む古めかしい舎屋が存在した。人工の物でありながら、どこか温かみのある建物だ。
特徴といえば、建物に隣接するように、大きな巨木が生えていることくらいか…見上げるほどに大きな木は、何やら強い精霊力を感じる。
鮮烈な緑の香りに包まれる場所――――先ほどと同じように、黒い服を着た男女が、この辺りにも何人かたむろしていた。

「あら…? そこのあなた、ちょっといいかしら」
「――――私のことか?」

何をするでもなしに、その場に佇んでいると、俺に声をかけてきた者がいた…声のほうに振り向くと、そこには片めがねをかけた妙齢の女性がいた。
こざっぱりとした格好、人よりも僅かながら先の尖った耳、光の加減で鮮やかに光る紫銀色の髪………どこかキツめの雰囲気を漂わせた女性である。
何となく、落ち着かない。目の前のその女性は、何と言うか、その………端的に言えばリュミスのような雰囲気を身に纏っていたからだ。

「見たことのない顔だけど………出入りの業者の人かなにかしら? 教師の顔は、全員把握してるから、思い当たる節はそれくらいだけど」
「ふむ…察するに、学校とやらの関係者か? いや、助かった。こちらとしても色々と聞きたいことがある………少々、迷い込んでしまってな」
「迷い込んだ………?」

俺の言葉を不審に思ったのか、すうっ、と女性の目が細くなる。何やら、ひどく落ち着かない気分だ。
目の前の相手は、リュミスではないし、その気になれば片手でも締め上げれるくらいの華奢な女なのに………その時俺は、知らず気圧されたように後ずさったのだった。
そんな俺のリアクションを見てどう思ったのか、女性は呆れたようにため息を一つつくと、

「とりあえず、中で話しましょう。ついてきて」

そう言うと、建物の入り口に向かって歩いていった。どうしたものかと思ったが、こうしていても埒は明かないだろう。
俺は、意を決して、彼女の後を追うことにする。周囲の男女が俺に視線を向ける中、その視線から逃れるように、彼女のあとに続いたのであった。



木造の屋敷の中に通された俺は、前を行く女性の先導で、板張りの通路を歩いてゆく。
屋敷の中は外よりも賑わっており、似たような黒い服をした老若男女が溢れかえっていた。

「ヴィヴィ先生、こんにちは」
「はい、こんにちは」

先を行く女性に、周囲から何度も挨拶の声が上がる。それに律儀に応対する女性を見る限り――――どうやら彼女は、かなりの身分の者らしかった。
しかし、学園というのはいったいどういうものなのだろうか? この場所は察するに、何かを学ぶ場所のようではあるが………。
先ほどは市が立っていたし、遠目にはコロセウムのようなものがあったのも確認している。なんとも奇妙な場所であった。



「………着いたわ。中に入ってちょうだい」

しばらく、通路を歩き、階段を登ったあと、ヴィヴィという名の女は足を止めた。
通路の一角に、木造の扉があり、そこには木片のプレートが打ち付けてある。

「『進路指導室』………?」

プレートの文字を目で追い、俺は小首をかしげた。進路指導の部屋と読めばいいのだろうか?
しかし、進路指導とは………? 『軍隊の行軍に関する戦略的な知識を教授する』のか? いや、それは違うだろうな。
そもそも、そういったものは実践でしか学べないと、ある女騎士から聞いたことがある。

「ちょっと、人の話を聞いているの?」
「あ、ああ。すまない」

そんな風に考え事をしていると、睨まれてしまった。う〜む、何故かこういった鋭い視線には弱い。
別に、身体を傷つけられたりするわけでもないのに、心胆が冷えるのは――――やはり、リュミスの影響だろうなぁ。
ともかく、その場に留まるわけにも行かなかったので、俺はドアを開けて、部屋の中に入ることにした。

部屋自体は、小さなものだった。こじゃれたテーブルと椅子、それに、お茶を入れるための流し台などがある。
一見すると、くつろぐだけのような部屋にも見えるのだが――――ここで、何をしようというのだろうか?
そう考えている俺の後ろで、ドアの閉まる音がした。どうやら、あとから入ってきたヴィヴィが、ドアを閉めたらしい。
すると、廊下から聞こえてきた喧騒が止んだ。どうやらこの部屋は、防音設備も整っているようだった。

「いくつか聞きたいことがあるけど――――とりあえず座ってちょうだい」

俺の視界に、再びヴィヴィが現れる。彼女は部屋の中央にしつらえたテーブルの向かい側に、椅子を引いて腰掛けた。
促されるまま、俺は彼女の対面――――もっとも手近な椅子に座る。さて、目の前の女はこれから何を聞こうというのだろうか。
少々の期待を込めて、俺は目の前の女性を見やる。流されるままの現状――――それは決して、不快なものではなかった。

「まずは、自己紹介をしておくわね。私の名はヴィヴィアン・ワールフェン………普段は、ヴィヴィって呼ばれているわ」
「――――ブラッド・ラインだ」

名乗り返す時…一瞬、マイトの名を借りようかとも思ったが――――後々、生活をしていくうえで、偽名を名乗り続けるのも不便になるかもしれないと考え、本名を名乗ることにした。
別段、特徴的な名前でもないだろうし、なんら不都合はないだろうと、その時は、たかをくくっていたのだった。
もっとも、そのせいで後々散々な目にあうことになるのだが――――今は語るまい。

「そう………あなたの事はブラッドと呼ばせてもらうわね」
「ああ、好きなように呼んでくれ」

珍妙なあだ名を付けられたわけでもなし、ここは俺の巣でもないから、呼び捨てでも別に問題はないだろう。
呼び方に対して、肯定を返すと――――俺の言葉にヴィヴィはコクリと首を縦に振り――――本題に入ってきた。

「さて………まずは、貴方に聞きたいんだけど、この学園にやってきた経緯は? 迷い込んだって、言っていたけど」

ヴィヴィの質問に、どうしたものかと、俺は考え込んだ。巣のことをどこまで話していいのか…また、俺が竜であることをばらして良いのか、見当がつかなかった。
とりあえず、差し障りない部分を話すことにしよう。とりあえず、あの洞窟から出てきたのは、何人かの男女も目撃しているし………そのあたりの事は、話しても問題はないはずだ。

「話すと長くなるんだが…端的に言うと、婚約者に追われていてな。逃げ出すために洞窟を通り抜けたんだが、出た先がここだったというわけだ」
「洞窟…? それって、学園の北にある洞窟のことよね………婚約者から逃げ出したって話は、どういうこと?」
「いや、まぁ…親同士が決めた許嫁でな。乱暴で、身の危険を感じたから逃げ出すことにしたんだ」

俺の答えに、そう………と同情的な顔をしたヴィヴィ。少し間をおいて、彼女は質問を再開する。

「――――この学園に来た経緯は分かりました。それでブラッド、これからの行く当てとか、考えてあるのかしら?」
「いや、着の身着のまま逃げ出したからな…幸い、宝石類は持っているし、当座のしのぎはあるんだが………これといって頼れる相手もいない」

まぁ、いざとなったら、クーに連絡を付けるなり、竜の村に保護を求めるなり方法はあるんだが………リュミスに感づかれれば、ただでは済まないだろう。
どうしたものか、と首をひねる俺の姿を見て、ヴィヴィが提案をしてきたのは…その時だった。

「そう、それなら――――この学園で働いてみたらどうかしら? こっちとしては、人手が多いに越したことはないんだけど」
「ここで、か? しかし、働くといっても、何をするのかも分からないんだが」
「そうね…見たところ、身分も卑しからぬ風体だし、教員――――教育係って言えば分かるかしら? この学園の生徒達に、知識を与えてくれれば良いんだけど」
「………教えることがあるほど、博学ではないんだが」

謙遜でも何でもなく、俺は素直にそう返事をした。実際、巣に引き篭もっている分、外の世界の知識というものにはかなり疎い。
まぁ、捕虜になった者の話を聞いたり、文化や流行などは、クーやユメ、メイド達に聞いているので、そこまで酷いずれは無いと思うのだが。
しかし、他の者に自慢できるほどに………自分に知識があるとは、到底思えなかったのである。

「別に、教えるのは何だっていいのよ? 自身の専門的な知識――――たとえば、穿った言い方をすれば、料理や裁縫だって、知りたい人が居れば授業は成立するもの」

もっとも、講義を受けたいという生徒が居ない場合は、その教師は進路指導なり、雑用なりに回ってもらう事になるのだけど…と、ヴィヴィはそんな事を言った。
要するに、自分が詳しい知識なら、何だって良いらしい。まぁ、暇な時は本などもよんでいるため、雑学などにも事欠かないのだが――――、

「そうだな――――竜の生態、それと伝承についてのことなら、他の者に負けない知識があると自負しているが」
「あら、意外にマニアックな知識を持ってるのね? 竜の生態というと、東方研究所かしら? 神話研究所か、魔物研究所かもしれないけど…」

などといいながら、ぶつぶつと呟いていたヴィヴィだったが、俺がじっと見つめているのに気がついたのか、誤魔化すために一つ咳払いをして、俺のほうを見つめなおした。

「ともかく、貴方が良いのなら、この学園の教員としての席を用意するけれど。見ての通り、発育途上の学園だから…教員の空きも、まだまだあるのよ」
「今日の寝る場所もない私としては、渡りに船だが…本当にいいのか? 自分で言うのもなんだが、素性の知れないものを雇うなど安易に過ぎると思うんだが」
「これでも、元宰相だからね。まぁ、宰相といっても、頭に副が付くんだけど――――とにかく、人を見る目はあるつもりだから、そんなに心配することはないわよ」

自信たっぷりに微笑みながら、冗談めいた口調でヴィヴィはそんな事を言った。いや、おそらくは冗談なのだろう。
どう見ても、私よりも年下に見えるこの女性が、一国の宰相などという職についていたとは思えない。
まぁ………巣にいた頃から、見た目と年齢は一致しないという前例を何度も目撃しているため、ヴィヴィについても年下と言い切れないであろうが――――、

「それでは、世話になる事にしよう。どのくらいの年月になるか分からないが、ほとぼりが冷めるまでは居させてもらう」
「ええ、これからよろしくね。ブラッド」

そういって、微笑むヴィヴィ。差し出されてきた右手を、俺はぎこちなく握り返した。こうして誰かと握手するのは、いつ以来だろう?
マイトと握手をしたのが最後だったか――――そんな事を考えていると、右手に固い感触――――見ると、俺の手を握ったヴィヴィの薬指に、指輪がはまっていた。
柔らかい女性の手と、硬い指輪の感触のミスマッチのせいで、気がついたのだった。指輪を見ていると、ヴィヴィはちょっと照れたように、握手を止めて手を引いた。

「ああ、これ? 結婚を決めた相手からの贈り物なんだけど…似合っているかしら」
「似合っている。 しかし、婚約をしているのか――――確かに、気立ては良いし、当然そういう相手もいるだろうな」

少々、残念に思えなくもないが――――まぁ、別に良いだろう。若い娘は他にもいるようだし、借りのできた相手に手を出すのは気が引ける。
そんな俺の内心を知ってか知らずか、ヴィヴィは俺の返答に嬉しそうに微笑むと、席から腰を上げた。

「そういうこと。だから、私に言い寄っても駄目だから、そのことは覚えておきなさい。それじゃあ、とりあえずここから出ましょうか」
「ああ」
「まずは、学園長に報告に行きましょう。事後承諾だけど、教師長の私の決めたことだし、異論はないはずよ」

自信満々なヴィヴィに連れられて、俺は進路指導室から外に出た。話の流れからするに、この集団の長というところに連れて行くらしい。
通路には、先ほどと同様に黒を基調とした衣服に身を包んだ男女がたむろっている――――さて、この妙な集団を統率している者とは、どのような輩なのだろうな?
そんな事を考えながら、俺は再び、通路を歩くヴィヴィの後ろにつきしたがって歩き出したのだった。


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