〜グリンスヴァールの森の竜〜 

〜グリンスヴァールの森の竜〜



俺は、逃げ続けていた。まだ舗装も出来ていない洞窟の中を、しゃにむに必死に走っている。
幸い、追ってくる気配はない。それもそうだろう。少なくとも、この通路を知っているものは、クーを含め、そう多くはない。
一応、試作的に罠やモンスターを置いてあるとはいえ、ここを訪れる冒険者も皆無。だからこそ、逃げ道としては幸いだったが。

…自己紹介が遅れたが、俺の名はブラッドという。エルブワードの山中に巣をつくり、悠々自適の生活をしていた男性竜――――だった。
過去形なのは、今の自分の状況を省みての愚痴めいたものだが…嘆いてもどうしようもない。
何故、俺がこんなところを走っているかというと…結婚相手であるリュミスが、とうとう痺れを切らして巣に怒鳴り込んできたのだ。

俺のつくっていた巣は、今や大陸中にその規模を拡大し、他の追随を許さない規模の物が出来上がっていた。
とはいえ、リュミスを迎えに行く気になるはずもなく、俺はクーやメイド達と共に悠々自適の巣作りに励んでいたのだった。
しばらくの間は、リュミスも我慢していたらしい。だが、ここ最近になって我慢も限界に来たらしく、巣に乗り込んで俺を締め上げる事にしたのだとか。

『ともかく、今の姉さんは危険だ! ほとぼりが冷めるまで、どこかに身を隠しておいた方がいいと思う』

と、昔ながらの親友であるマイトの言葉に従い、俺は昨今に繋げたばかりの坑道へと逃げ込んだのであった。
巣の拡張計画と称して、潤沢にあった資金を使い、あちこちに通路を広げたうちの一つ――――クーの話では、国外に通じている通路らしかった。
ともかく、リュミスから逃げおおせるなら何でもいい。行く先が天界や魔界だろうと、怒るリュミスの眼前よりはましであろう。
そうして、今も俺は走り続けている。明かりもない薄暗い洞窟――――時間の感覚があやふやになったが、おそらくは一昼夜ほどは走っていただろうか…不意に目の前が開けた。

「――――ここは、どこだ?」

外から漏れる明かりに目が慣れると、俺の眼前には小さな湖があった。湖のほとりには小屋があり、対岸と、こちらを結びつける木で出来た橋が掛かっているのが見えた。
どうやら、洞窟から出ることが出来たようだ。ホッとして、俺は吐息を吐き出す。ここまでくれば、リュミスも追っては来ないだろう。
さて、まずは人の町にでも行ってみるか――――竜の間から逃げる祭、適当な宝石類を持ってきたし、当面の生活に困ることはない。

そうして、俺は湖の上に掛かった橋を渡り始めた。と、木々の向こうになにやら、いくつかの影が見えた。
足を止めてそちらを見ると、何人かの若い男女の集団がこちらに歩いてくるのが見える。さして特徴のない…言うなれば似たような服に身を包んでいるのが特徴といえる集団だった。
その集団の中で、唯一異彩を放っているのは、先頭を歩く小柄な娘――――獣のような耳を頭に生やした少女が、俺を見て怪訝そうな声を上げた。

「あれ? 見たことのない人だけど――――学園の人? 生徒じゃないのは分かるけど…」
「学園、生徒という言葉はよく分からないな………つかぬ事を聞くが、ここは何という場所だ? 道に迷ってしまってな」
「ここ? ここはグリンスヴァール学園の敷地内だよ? おじさんは不審者………には見えないなぁ。堂々としてるもの」

おじさんという呼ばれ方には少々不満が残るが、ともかく、ここはグリンスヴァールという地方らしい。
聞いたことのない場所だが、エルブワードと地続きなのは確かだ。人がいるということは、おそらく集落も近くにあるのだろう。

「…まぁいい。済まないが、近くの町に行きたいのだが…案内してもらえないか?」
「町? 町はちょっと遠いよ? 乗合馬車を使っても、小一時間はかかるから………良かったら、すぐそこに学園があるから、そっちによって見たらどう?」

そう言って、娘は今しがた彼女達が来たほうを指差す。森の木々に紛れ、いくつかの建物が遠くに見て取れた。
なるほど、学園というのはあれか。宿のようなものもあるかもしれないし、行ってみるとしよう。

「ありがとう。世話になった」
「ううん、どういたしまして。それじゃあ私達は先に進むから――――ほら、いくよっ!」

と、俺に笑いかけた娘は…他の男女に先行するように、今しがた俺が出てきた洞窟内へと足を踏み入れていった。
どこか気弱そうな男女達は、俺の方に不審そうな目を向けたものの、問いただす度胸もないらしく、娘の後を追って洞窟内に消えていった。
どうやら、洞窟探検のつもりらしいが――――あの様子を見る限り、ほうほうの体で逃げ帰るのが関の山だろう………気にするほどのことでもないだろうな。

「さて、それでは学園とやらに行ってみるか」

リュミスから逃げ切ったこともあり、開放感で胸が一杯の俺は………足取りも軽く、向こうに見える建物の方へと足を進めた。
木々の間を歩いてすぐ、林は途切れた。そうして開けた視界の向こうには、立ち並ぶ建物と、そこを行き交う人々の姿が見て取れた。
行き交う人のうち過半数は、先ほどの集団と同じように黒字に黄色の縁取りをした服を身に着けている。

「…なるほど、これが学園というものか」

どうやら市が立っているらしく、路脇に商品を並べて、気ままに売り買いが催されているようである。
興味を引かれた俺は、行き交う人の流れに乗って歩きながら、周囲を観察してみることにした。

「ふむ………日用品や、雑貨類も売っているのか。とはいえ、両替商のようなものはないみたいだな」

懐にいれている宝石は、通貨に換えなければ買い物には使えない。さすがにパンを買うために宝石を出すような真似はしたくない。
どこかに両替を商う店でもないか………市の行われている通りから外れ、俺は別の建物の立ち並ぶ通路に出ることにした。
さて、向かうべきあてはないが――――さしあたっては、一番目立っている、あちらに見える建物に向かってみることにしよう。

小さな小屋の立ち並ぶ道を抜け、ひときわ大きな建物に向かって歩みを進める。

「あの…こ、こんにちはっ」
「――――ああ、こんにちは」

奇妙なことに、行き交う者達のうち何人かが、俺を見て友好的に挨拶を交わしてきた。別段、俺の正体を知っている訳ではないようだが――――

「ねぇ、見た、あの人――――」
「格好いいよね、新しく赴任してきた先生かな?」

なにやら、注目されているような気もするが………気にするほどのことでもないだろう。ひそひそとした囁きを無視し、俺はゆっくりと歩を進めた。
そうして、遠目に見えていた建物に、俺はたどり着く。それは、どこか温かみを感じる…古めかしい建物だった。


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