〜グリンスヴァールの森の竜〜
〜グリンスヴァールの森の竜〜
短かった秋の季節は足早に通り過ぎ、季節は冬を迎えていた。卒業を間近に控え、グリンスヴァール学園の中は、様々な準備に慌しい。
この学園では、履修課程は一年間と定められている。春先に勉学を始め、冬が来るまでに勉学を終えることとなっている。
無論、本格的な研究の類が一年で終わるはずも無く、来年の再入学を決めているものも多数いる。しかしそれ以上に、学園を卒業して巣立つものが多いのも事実であった。
時代は発展と動乱の時代――――各国が優秀な人材を欲する中、何年も勉学をさせておく余裕が無いのが実情であった。
そんなわけで、多くの学生が学園を卒業し、仕事につくことになる。そんな彼らを送るために、学園では卒業式の準備に忙しかった。
「さて、椅子を並べるのはこれでいいとして………それにしても、かなりの数になったな」
卒業式の会場を見渡すと、そこにずらっと並ぶ椅子の数は、軽く千を越える。無論、卒業する生徒だけでなく、在校生や教員も合わせての数であったが。
去年の卒業式も多数の生徒がいたが、今年は前年よりもさらに多くなっている。学年の生徒数は、年々増加傾向にあるらしい。
評判が評判を呼び、優秀な人材が各国から流れてきては、成長して巣立っていく………この循環を造るまでは、並々ならない苦労があったんだろう。
「ブラッド先生、何か手伝うことはありませんか?」
と、そんな事を考えながら会場を見渡していると、駆け足でこっちに近寄ってきた生徒がいる。長い髪を作業しやすいように結い上げた女生徒は、オリエであった。
ポニーテールの先を揺らして、俺に聞いてくるオリエの額には、うっすらと汗がにじんでいる。どうやら、既に長い間作業に従事しているらしい。
「いや、こっちの仕事は既に終わっている。しかし、大丈夫なのか? 見たところ、かなり疲れているようだが」
「大丈夫です。これも修行ですから」
「………まぁ、そう言うなら止めはしないが」
さわやかな笑顔で言うオリエに、俺は苦笑する。ここ最近になり、オリエはようやく、学園に留まる意向を俺に告げてきた。
ちなみに、なぜここまで時間が掛かったかというと、来年の授業を受けるために、とある教員の説得に時間が掛かったとのことであった。
「あ、フェイ先生――――!」
と、何かに気づいたのか、オリエはぶんぶんと手を振る。どうやら、俺の背後に誰かいるようだが…背後に向き直ると、そこにはこちらに歩いてくるフェイの姿があった。
俺の横を抜けて、オリエがフェイに駆け寄る。フェイの方はというと、オリエのその元気な様子に、俺と同様に思わず苦笑を浮かべたようだった。
「フェイ先生、椅子を並べる作業は終わりましたよ。次は何をすればいいですか?」
「あー………そうだな、今は特にすることもないんだが」
「――――そうですか、それじゃあグラウンドを走ってきますね!」
言うが早いか、オリエはポニーテールをぴょこぴょこ揺らしながら、会場を走って出て行ってしまった。どうやら、身体を動かすのが楽しくて仕方ないらしい。
「随分と、頑張っているみたいだな、オリエは」
「ええ。ですが、根を詰めすぎかとも思われますが………あれでは、来年が来る前に力尽きてしまうかもしれませんね」
「来年、か………そういえば聞いたぞ。オリエにせがまれて、武術の教師を受け持つことになったそうじゃないか」
「…そのことですか」
俺の言葉に、フェイは溜め息をこらえるかのように眉をしかめて、けっきょく小さく溜め息をついた。
「最初は、断ろうと思ったのです。しかし、ああも熱心に懇願されては、断りきれませんよ………最後には泣き落としまで使われましたから」
「泣き落とし………その光景は見てみたかったが――――オリエの性格からして、嘘泣きだったんだろう」
「――――どうしてそれを!?」
俺の言葉に、フェイは驚いたような表情を浮かべる。勘で言ってみたのだが、あたるものなのだな。それにしても、フェイを指名するとは………。
オリエは、山賊の一件以来、自分の無力さを恥じていたそうだ。あの時、自分に山賊を退けれる実力があれば…そう考えた末、自らを鍛えようと言う結論に達したらしい。
身体を鍛えようという考えは悪くはないが………その教えをフェイに請うのは少々問題かもしれない。何しろ、フェイは屈強の男達ですら音をあげるほどの鬼教官だからな。
「それはともかく、実際にオリエを教育してみて、どうなんだ? どうにも、戸惑っているように見えるが」
「………そうですね、正直なところ、苦戦しています。私の担当する生徒は、ほとんどが男子ですし、あそこまで『普通の娘』を担任したことはなかったですから」
体育………というより、軍事訓練の教官をしているフェイであったが、彼女の担当する生徒は、みな屈強な男女ばかりであった。
殺しても死なない………とは言いすぎだが、余程のことでも潰れない相手のため、フェイの教育方法は、スパルタ教育一辺倒であった。
もちろん、そんな過酷な方法をオリエに施すわけにもいかず…手探りで、普通の女生徒を鍛え上げる方法を日々考えるはめになったフェイである。
「オリエは素直な良い娘ですし、教えがいはあるのですが………調子に乗って、つぶしてしまわないか心配です」
「ー―――ほどほどにしておけよ」
苦笑めいたフェイの言葉に、俺は肩をすくめる。一本気で熱血気味な性格な分、加減を知らないのがフェイの欠点だろう。面倒見の良い性格ともいえるのだが。
何にせよ、来年はフェイとオリエの師妹の面倒も見なきゃならないな………まぁ、暇な時間が続くよりはましだろう。
「それはそうと、手は空いているか? こちらの仕事は一区切り付いたし、食堂あたりで一服しようかと思うんだが」
「はい、お供します」
折を見て、休憩を誘った俺に、フェイは笑顔で即答する。そうして俺達は、休憩がてらの昼食をと、食堂に足を運んだのであった。
卒業式が間近ということもあり、学園の外を旅していた生徒達も学園に戻ってきており、学園内は、にわかの活気を取り戻している。
生徒達でにぎわう食堂も、あふれかえる生徒達の応対で手一杯のようだ。普段はウェイトレスが注文をとりに来るが、混雑のため、半ばセルフサービスの様相をしている。
「おまたせしました。すみません、混みあっていた様で」
「いや、かまわんさ」
二人分の食事をトレーの乗せて席に持ってくるフェイに、俺は鷹揚に受け答えする。フェイは込み合う生徒の群れにぶつからないよう、器用に避けてこちらに向かってきた。
冷え込む季節ということもあり、香辛料がたっぷりと使われた肉料理が食卓に並ぶ時期である。熱々の料理をしばし堪能し、俺達は昼の時間を過ごす。
「それにしても、このごろは食事時も戦争のようですね………」
「去年もこの時期は、こんなものだったさ。ただ、今は特に忙しいようだな。ウェイトレスが辞めたせいもあるだろうが」
俺は込み合う食堂を見渡してみる。さながら戦場のような様相を呈している食堂内に、見知ったウェイトレスの姿は見受けられなかった。
ラキがウェイトレスのバイトをやめたのは、数日前のことである。春先の就職に向け、クーのもとで色々と勉強をするためらしい。
………ちなみに、ラキ本人からは、別れの言葉を受け取っていない。言えば、別れが悲しくなるからなのか、ラキらしいといえばそうなのだろうが。
「まぁ、この忙しさもあと少しだ。卒業式が終われば、ほとんどの者がいなくなるのだからな」
「卒業式、ですか………さすがに今回は、あのような豪奢な衣服を着せられることはないですよね」
「ん………? そういえば、そんなこともあったか。なんだ、あの時のことをまだ、気にしていたのか?」
「それは………気にもしますよ。そもそも、立派な詐称ですよ、あれは」
去年…学園の卒業式にフェイは、エルブワード特使という肩書きで、貴賓として出席した。半ば、俺が強引にフェイを巻き込んだのだが、その事を根に持っているようだ。
普段は女らしい格好などしたこともないフェイが、ドレス姿で式に臨んだのだから、周囲の反応は言わずもがなだろう。
「いくら離れているとはいえ、エルブワード国の名をかたるとは………もし、ルクル様に知られたら、どのようなお咎めをうけるか分かりませんよ」
「ルクルは、それほど器の小さい女ではないさ。もっとも、フェイがドレス姿になったと知ったら、是非ともその格好を見てみたいと言いそうだがな」
「ぅ………あの格好は、どうも落ち着かないんです。帯剣も禁じられますし」
ドレス姿がお気に召さないのか、フェイは渋い顔でそっぽを向く。常日頃も、スカートなぞ穿かず、長ズボンで通すやつだからな…よほどのトラウマだったんだろう。
「俺としては、あの格好もなかなか良いとは思うんだがな。無論、フェイが着たからこそ見栄えが良かったんだろうが」
「…恐縮です」
褒めたのだが、フェイはそれほど喜んだ様子もなく、淡々とした様子で頭を下げた。本質的には騎士であるフェイは、見栄えで褒められるのは本意でないのだろう。
そうして、学食で休憩を入れた後、俺達は持ち場に戻ることにしたが………その予定が、途中で変更になったのは、廊下で声をかけてきた生徒がいたからである。
「ブラッド先生」
「ん………ベルか。どうした?」
俺を呼び止めたのは、俺の教え子の一人であり、ここ最近、ようやく以前の通りに接することができるようになった女生徒、ベルであった。
ベルは、足を止めた俺を見つめ、その隣に立っているフェイに目をやると、また俺に視線を戻して見つめてくる。やけに真剣なその視線が気になった。
「少し、時間をいただきたいんですけど…よろしいですか?」
「時間、とは、今からか?」
「はい、今でなくてはいけませんから」
静かなベルの言葉に、俺はどうしたものかと考える。卒業式の準備は、それこそすることが山ほどあるが………そのくらいはベルも分かっているはずである。
それを承知で声をかけてきたと言うことは、きっと大事な用件なのだろう。
「――――わかった。場所はここで良いのか?」
「………いえ、ここでは人目もありますから」
そういうと、ベルは周囲を見渡す。俺の隣のフェイを見るというよりも、廊下を歩く人だかりを見渡したようであった。
確かに、こうも混雑しているとなると、落ち着いて話ができないか。いつもなら人も少ないオープンカフェも、今日は混雑していたしな。
「そうか、それでは場所を変えよう。フェイ、俺は少し外すが、あとは任せるぞ」
「はい、お任せください………頑張ってな」
「………それでは、ブラッド先生をお借りします」
フェイに頑張れと声をかけられたベルは、何が気に入らなかったのか、わずかに眉を吊り上げながらも、フェイに頭を下げたのであった。
「このあたりなら、大丈夫だろう。さすがにこんな所に来る者は、今の時期には、いないだろうからな」
「………そうですね。少し、肌寒いですけど」
人気のない場所をといわれ、少し考えてからベルを連れて訪れたのは、学園の端にある湖畔であった。あいも変わらず、湖の向こうには洞窟が口を開けている。
夏場には、水遊びのための格好の場所になるここも、卒業間近の冬の時期に訪れるものはいない。人の気配がないこの場所は、閑散としていた。
にわかの賑わいを見せている学園内では、人の出す熱気もあってか、それほど寒さを感じないが………さすがに何もないこの場所は、北風が身にしみる。
それはベルも同じなのか、吹いた風の寒さをごまかすように、わずかに身じろぎした。それを見て、俺は上着を脱ぐ。
「寒いのなら、これを羽織っていろ」
「え、でも――――」
「何、気にするな。こう見えても、私は図太いからな。この程度で身体を壊したりはしない」
俺が上着を肩にかけると、ベルは少しだけ戸惑った様子を見せたが…重ねて言うと、寒さに観念したのか、いそいそと俺の上着に袖を通した。
身長差があるせいか、俺の上着はベルには大きかったが………寒さをしのぐには逆に良いだろう。わずかに上気した様子で、ベルは俺に礼を言ってきた。
「………ありがとうございます」
「礼を言われるほどのことでもない。それより………話を聞こうか」
俺が改めて話を促すと、ベルはコクリと頷き、静かに口を開く。
「今日は………お別れを言いにきました」
「…どういうことだ?」
「実は、エルブワード王国の――――ルクル女王陛下から使いがきて、近いうちに大きな外交があるから、すぐに学園を発つようにと言われたんです」
「………それは、急な話だな。延期できないのか?」
俺の言葉に、ベルは静かに首を振る。ルクルとて、卒業式のことを知らないわけではないだろう。それを知って、ベルに学園を去るように使いを出した…。
よほど、その外交の話が大掛かりなものか、それとも…外交という仕事に付く以上、学生気分でいる時間は既に無いという、ルクルの配慮なのかもしれない。
「明後日には、学園を発たなければいけないそうです………ですから、お世話になった人にあいさつ回りをしようと思って――――最後にブラッド先生と話そうと」
「なるほどな………では、一足早い卒業ということになるのか」
「はい。あの…ヴィヴィ教師長から、ブラッド先生にこれを渡すようにって」
「ん?」
そう言って、ベルが俺に差し出してきたのは、紙で出来た筒であった。それは、学園に勤めるものなら知っている、卒業証書を入れるためのものであった。
筒を受け取り、蓋を開けてみると、中からは学園長と教師長の署名入りの、卒業証書が出てきた。無論、記されている生徒の名前はベルである。
「手回しの良いというか――――粋な計らいをするな、教師長達も」
「あの………ブラッド先生、それは?」
「本日をもって、貴君の学園での履修期間の終了を承認する。学園長代行、ブラッド=ライン!」
俺の言葉に、虚を突かれたように、ポカンとした表情をするベル。そんな彼女に、俺はあらためて卒業証書を筒に入れると、彼女に向かって差し出した。
「卒業おめでとう」
「――――ぁ………ありがとうございます」
筒を受け取り、それを胸に抱いて、ベルは頭を下げる。たった二人での卒業式だったが、だからこそ、思い出に残るのかもしれない。
「その上着は、私からの餞別だ。向こうに言っても、頑張るんだぞ」
「……………はい」
頭を下げたままで、俺の言葉に返事をするベル。ひょっとしたら、泣いているのかもしれないと思ったが、すぐに顔を上げたベルの目には涙はなかった。
代わりにそこにあったのは、何かを決意した様子の顔――――きりりと引き締まった顔は、ベルに良く似合っている。
「あの、ブラッド先生………もう一つだけ、頼みたいことがあるんですけど」
「頼み…? ああ、何だ? 俺に出来ることなら遠慮なく言うといい」
卒業する生徒のためだ。俺に出来ることなら叶えてやろうと、俺は鷹揚に頷く。俺の返事を聞いて、ベルは一つ深呼吸すると――――。
「その、ブラッド先生を一度――――叩かせてください」
「………何?」
と、そんな事を言ってきたのだった。さすがに予想外の言葉に、思わず聞き返すと、ベルは気まずそうに視線をそらしながら、言葉を続けた。
「その………ブラッド先生には、たくさんお世話になりましたけど………色々と思うところもあって、一度でいいから、そうしたいと思ったんです」
「――――まぁ、私自身の素行もそれほど良くないからな…ベルがそうしたいというなら構わないが」
「ありがとうございます。それじゃ、少し屈んで、目を閉じてくれませんか」
(やれやれ………)
変なことになったな、と考えながら、俺はベルの背の高さに合わせるように、身を屈めて瞳を閉じた。視界が閉ざされて真っ暗になる。
こういう時、吟遊詩人の恋歌であれば、不意打ちにキスの一つでもされるものだが、あいにくとそんな色気のある話でもなく――――…。
「っ!」
パーン! という派手な衝撃とともに、俺の頬がなった。目を開けると、そこには少し痛そうに、手を押さえているベルの姿があった。
音自体は派手であったが、平手ということもあり、俺自身は大したことはなかった。むしろ、力いっぱい叩いたベルの方が痛そうである。
「あー………大丈夫か?」
「へ、平気です。人を叩いたのは初めてだったから、ちょっと加減ができなくて…」
「なるほどな………そういう意味では、俺が初めての相手と言うわけか。光栄というべきかな?」
「――――そういうことを言うから、叩かれるんですよ」
冗談めかした俺の言葉に、ベルは呆れたような表情をした後――――不意に、くすりと相好を綻ばせた。
何かを吹っ切ったかのように、すがすがしい笑顔を見せるベル。まだ、大人の女性とは言いがたいが、少女という時期を卒業した、そんな瑞々しい笑顔だった。
それぞれの長い一年も終わり、今年の学園生活にも、様々な形で区切りが付く。ベルとの一件もまた、そうした出来事の一つとして、俺の心に残ったのであった。
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