〜グリンスヴァールの森の竜〜 

〜グリンスヴァールの森の竜〜



森の中をひた走る。道は右に曲がり、左にくねり、東に進んでいるのかも疑わしい状況である。だが、不思議と先に進むたびに奇妙な確信が持てるようになった。
誰の仕業かはわからないが、魔術の主は、今の状況を理解しているのだろう。そして、俺をどこかに導こうとしている………おそらくは、フェイたちのもとへだ。
俺を迷わせようという可能性は、考えにくい。そもそも俺は彼女達の場所を知らないのだ。わざわざ変な小細工をする必要もないだろうからな。

「これで、単なる悪戯の類だったら笑い話にもならないんだが………なっ!」

一つ目の川に架かる橋を駆け抜け、二つ目の川を一足飛びに飛び越えると、俺はさらに森の奥を目指す。そうして、さらに進んだ道の先――――人影が見えた。
人影は二つ………ぱっと見たところでは、一般人のようにも見える。しかし、その手には無骨な剣が握られていた。間違いない、学園長の言っていた輩だ!
気配を感じたのか、山賊の一人がこちらを向く。しかし――――遅い!

「ん………いったいなん――――ぶごぉっ!?」

こちらを向いた山賊に、肩口から体当たりをすると、その男は馬車に跳ねられたかのように二転、三転し、動かなくなった。
呆然とするもうひとりの山賊の前で、俺は吹き飛ばした方の山賊が持っていた剣を拾うと、その切っ先を相手に突きつけた。脅しとしての効果は充分だろう。

「な、何だ、お前――――」
「手配を受けている山賊だな。他の仲間はどこにいる」

俺の問いに、山賊の目が僅かに横に動く。釣られるようにそちらに目を向けると、そこには小川が流れているのが見えた。思い出した、確かフェイは――――

「死ねえっ!」
「!」

小川に気を取られた瞬間、山賊が切りかかってくる! とっさのことに反応できず、振り下ろされる刃が、俺の肩口に食い込んだ。

「へへへ、痛ぇだろ――――…あ?」

だが、そこまでだ。いくら人の姿を真似ているとはいえ、なまくらな剣で俺の身体を裂くことなど、出来ようはずもない。
俺は、呆然とする山賊の胸に、無慈悲に手刀を突き立てた。肋骨を砕き、肺をえぐる感触――――心臓からは逸れたようだが、致命傷には違いないだろう。

「う、は………なんで――――」
「妙な欲を出すからだ」

大人しくしていれば、情報を聞き出すために生かしておいたものを――――くずおれる山賊を一瞥し、俺は小川のほうを見やった。

『………今日の遊泳場所は、東の森にある学園側から数えて3本目の小川にするつもりなので、お暇でしたら見に来てくださいね』

フェイが言っていた川は、ここに間違いないだろう。後は、この川の上流にいるのか、下流にいるのか――――静まり返った森の中で、俺は耳を澄ます。
小川のせせらぎと、木々の梢を風が揺らす音――――そんな音の中に混じって、些細な違和感のある、人の声がかすかに聞こえた。

「――――こっちか!」

声が聞こえてきたのは、下流の方――――小川沿いに走り出すと、徐々にではあるが、その声がハッキリと聞こえるようになってきた。
それは、野卑な男達の怒号であった。どうも、何やらもめているようである。俺はさらに足を速め――――飛ぶような速さでその場所へとたどり着いた。



「ったく、手間かけさせるんじゃねえよ、このアマ!」
「っ………はぁ、はぁ」

その場にたどり着いた時、フェイは背後に女生徒たちを庇い、素手のまま複数の山賊と対峙していた。その身体には、薄っすらと血の線が見える。
いくら武芸に長けたフェイでも、一対多数…しかも素手で剣の相手をするのは並大抵のことではないのだろう。その証拠に、息が乱れている。
ともかく、フェイに剣を渡そう。俺は、山賊から奪った剣を振りかぶり――――投げた。

「フェイ! ………あ」
「ぐえっ!?」

フェイを狙って投げたはずの剣は、どこで手元が狂ったのか、山賊の一人に命中した。一瞬、何が起こったのか分からず、呆然とする山賊達…それを見て、フェイが動く!

「はっ!」
「なっ、こいつ剣をっ………がぁっ!」

俺の剣に当たり、小川に倒れた山賊の持っていた剣。フェイは身を屈めるように飛び出し、それを拾い上げると、近くにいた山賊を一刀両断する!
これで二人――――最初のコントロールミスは失敗だったが、結果オーライといったところか。残る山賊は3人………これなら苦も無く駆逐できるだろう。

「ブラッド様!」
「フェイ………無事でよかった。ともかく、残りの山賊を片付けてから話をするとしようか」

だが、俺の楽観論、フェイの次の言葉により凍りついた。

「この場は大丈夫です! それよりも、オリエさんを助けてください!」
「何………? オリエは………いない!?」
「山賊の一人に追われて、下流に逃げたんです。私は他の生徒を守るので手一杯で――――早く、彼女のもとに行ってください!」

返事をするよりも早く、身体が駆け出していた。くそ、なんでよりにもよってオリエなんだ…!
背後からは、フェイの気迫の声と、山賊のものと思われる悲鳴が聞こえてくる。フェイのいう通り、この場は大丈夫だろう。今は、オリエを一刻も早く救わねば…。



小川をさらに下流に向かう。幸いなことに、その場所はそれほど遠くではなかった。女の足ではそれほど遠くには逃げられなかったということか。
オリエは男に背後から組み敷かれ、身体中をまさぐられていた。髪を振り乱し、瞳からは涙をポロポロと零している。その様子は、かえって男の欲情を強めたらしい。

「いやっ、いやあっ………」
「へへ、女だ、女ぁ――――」

男は、なおもいやらしくオリエの身体をまさぐりながら、自らの股間に手を伸ばす。それを遠目で見て、俺は事態が切羽詰っていることを悟った。
男が何をしようとしているのか、恐怖に振るえるオリエは気づいていない――――そうして、男は股間から取り出したものをオリエの秘部にあてがおうとし――――

「死ね!」

間一髪、俺は男の下半身を蹴り飛ばした――――手加減どころか、本気で蹴った男の下半身はどこかへ飛んでいき…上半身だけが、オリエの身体に覆いかぶさっていた。

「う、ぶぉ…」
「え、な、なに――――ひっ!?」

自分が絶命したのに気づいているのかいないのか、男は口から真っ赤な血反吐を吐く――――ちょうどそれは、覆いかぶさっていたオリエの髪に、びちゃりと掛かる。
オリエは、何事か起こったのかと、振り返ろうとし――――間近で絶命した男の顔を直視してしまったのだった。

「――――…」
「オリエ!」

気を失い、水の中に倒れこんだオリエを、俺は慌てて抱き上げる。幸い、気絶していたせいで水を飲んだりはしていないようであった。
しかし、年頃の娘には酷な場面だったな。後でトラウマにならなきゃいいんだが――――まったく、山賊め…とりあえず、残った上半身も川に流してしまうとしよう。
足で蹴飛ばして、山賊の死体を放流すると、俺は気絶したオリエの身体を抱き上げた。とりあえず、フェイたちと合流しよう。あっちも、かたがつく頃だろうしな。



オリエを抱きかかえながら、川の上流に向かう。彼女を助けるためとはいえ、川の中に飛び込んだので足もとが水浸しになって、歩きにくいこと、この上ない。
ここに来る途中、木々の枝を引っ掛けたり、山賊の剣に斬られたりと、服は既にボロボロ………まったく、色男が台無しだな。
憮然としつつ歩を進めると、先ほどと同じように、身を寄せ合っている女生徒達と、彼女達を護るように剣を手に持つフェイの姿があった。
近くには、剣を持ったまま倒れている山賊の姿がいくつか――――比較的浅いとはいえ、小川にうつぶせに倒れこんで動かないところを見ると、既に事切れているようだ。

「無事のようだな………今更言うのもなんだが、心配したぞ、フェイ」
「ご心配をかけて、申し訳ありません――――その、ブラッド様、オリエさんは大丈夫なのですか?」

フェイの視線が、気遣わしげに俺の腕に抱きかかえられたオリエへ向けられる。オリエの背中と髪の一部に盛大に血が付着しているのを見て、不安になったのだろう。
実際は、オリエの身体についた血は、彼女を襲っていた山賊のものだったが、それは別として、オリエが心に深い傷を負ったのは気分の良いものではなかった。

「命に別状は無い。だが――――少々酷な目に遭わせてしまったようだな」
「………」

俺の言葉から、何事か起こったのを察したのか、フェイは無言――――ただ、憤りを隠しきれないのか、彼女の持つ剣の切っ先が僅かに揺らいだようであった。

「とりあえず、学園に戻るぞ。見張りらしい男達は倒したが、道中の安全が確保されたわけではない。学園に着くまで気を抜くなよ」
「――――はい」

気を引き締めるように強めの口調で言う俺に、フェイは緊張した面持ちで首を縦に振る。行きはよいよい帰りは怖い――――とは、東方の童歌に歌われていただろうか?
フェイが先頭に立ち、女生徒達の集団が続き…殿(しんがり)が俺という布陣で、俺達は街道を通り、学園に戻ることになった。
季節が夏ということもあり、夕方であるというのに周囲が明るかったこと、また、山賊はすべて倒したのか、帰りの道で襲撃に遭わなかったのは幸いであった。



………さて、俺達が帰ると、学園中は上へ下への大騒ぎとなった。まぁ、安全が確認できないからと、水着のままで学園に避難を敢行した俺が悪いのかもしれないが。
山賊の探索隊が組織され、森の中で山賊達の遺体を発見。詳しい事情を担任の教師や女生徒に聞くとともに、当分の間、学園外での水泳活動を禁止することとなった。
そういった諸々の事情であったが、俺が詳しいことをフェイから聞いたのは、翌日のことであった。

その間、俺が何をしていたのかというと、実は、オリエに付きっ切りで世話を焼いていたのであった。
学園について目を覚ました後――――オリエは半ば半狂乱になっていたのだった。強姦されかかり、しかも死人を間近で見たのだから無理も無いだろうが………。
特に、男性には酷い拒絶反応を示し、他の男性教諭が話しかけただけで、悲鳴を上げて逃げ出そうとする程であった。

………で、何故か俺だけは近づいても怖がられないため、オリエの世話係のような役割を押し付けられたのである。
そのおかげで、事情徴収や教師長からの説教を免れたので、それほどそんな役割でも無いのだが――――どうもオリエは、俺の事を無害だと認識しているようで困る。
身体に付いた血を落とすために風呂に入るのに、一緒に入るために俺を指名するとか、無防備も良いところだと思うぞ。

「――――しかし、なかなか取れないものだな………ほら、泡を流すから頭を下げろ」
「………うん」

教師寮にある俺の部屋――――二人では少々窮屈となるバスルームで、俺はオリエの髪を丁寧に洗う。ちなみに、俺もオリエも当然のように裸であった。
長く美しいオリエの髪であったが、汚れた血が掛かり、取れそうも無いところがある――――少々もったいないが、風呂から出たら切るしかないのかもしれないな。
幸い、髪の中ほどまでしか血はかかってないため、切るとしてもセミロングくらいの長さになるだろう…不幸中の幸いと言って良いのか、分からない所だが。

「しかし、一緒に入ってと言われた時は、どうしようかと思ったぞ。こういう事は、フェイにでも頼めば良いのに――――役得ではあるがな」
「………ごめんさない。ひとりじゃ、怖いから」

普段の明るい口調ではなく、どこか沈んだ口調でオリエは言う。目覚めたばかりの時はまともに会話もできず、ガタガタ震えるだけだったのを思い出した。
その状況に比べれば、今のオリエは確実に復調してきているだろう。芯の強いオリエのことだ…きっと、立ち直ってくれると俺は思う。
今の俺に出来ることは、オリエを見守ることくらいである………いや、凝視するのは問題があるシチュエーションであったが。

「一人が怖いのは分かるがな………俺も男なんだし、妙な気を起こすとかは考えなかったのか?」
「先生は、酷いことをしないよ。私のことを助けてくれたし、だから、大丈夫」
「………いったい、何が大丈夫なんだか」

買いかぶりすぎだと思う。実際のところ、風呂に入ってといわれた時には、オリエの痴態を頭の中で想像してしまったほどだから。
そんな俺の気持ちなど、オリエは知るはずも無く、髪を洗い終わった俺に、さらに頼みごとをしてきたのだった。

「先生、今度は身体を洗って………全部」
「おい、全部って、お前な――――」

それは色々問題だろう。いや、今までの状況からして問題だらけなのであるが、そんな事をしたら俺の理性がもちそうにも無いんだが。
さすがに断ろうかとも思った俺だったが、請うように俺を見つめるオリエの瞳が、すがるような切実な彩を帯びているのに気づき、言葉を飲み込んだ。

「先生が触ってくれたら、忘れられると思うから………知らない男の人に触られて、気持ち悪くて………このままじゃ、私…」
「――――はぁ、仕方がないな」

溜め息をつき、俺はスポンジを手に取る。正直なところ、気休めになるとは到底思えない。だが、突っぱねたらオリエは確実に気を病んでしまうだろう。
今の俺に必要なのは、自重だ――――心の中で、そう何度も呟きながら、俺はオリエの身体を洗い始めたのであった………。



つややかな肌と、絹のような髪…水泳が好きで、運動を欠かしたことが無いとはいえ、けして大柄ではないオリエの身体は、年相応の少女の可憐さを併せ持っていた。
熱いシャワーで濡れた肌は、手に持ったスポンジで擦るたび、よりいっそう磨きが掛かっていくように思える。
一糸まとわぬ無防備な格好のオリエ。俺がその腕や足、太腿を洗っていくたびに、ほうっと溜め息のような吐息を漏らした。

「んっ………先生の手、きもちいい…」
「………」

それにしても…悩ましそうに息を吐くのはどうかと思うんだが。正直なところ、今までは自重が効いているが、そろそろこちらの忍耐も限界に近いんだが。
何しろ、直視しないように背後から洗っているとはいえ、洗われている方は、張りのある下半身や、膨らんだ胸の先を隠す様子も無く、ちらちらと見えてしまっているのだ。
どうする………? この状況なら、流れに任せて押し倒しても問題は無いように思えるが。なんとなく、オリエも誘っているように思えるし………。

「先生、今度はこっち………ここを洗って」

そんな事を考えていると、俺の手をオリエが握り、自らの胸に押し当ててきたのである。柔らかな感触と、張りのある膨らみに、思わず理性が飛びそうになった。
だが、オリエの手に触れたとき、その指先がかすかに震え続けることに、俺は気づいてしまった。意識的にか無意識かは分からないが、オリエは今も、震えている。

「…? どうしたの、先生………?」
「オリエ…無理をする事は無いんだぞ。嫌な記憶を別の記憶に摩り替えようとしても、うまくはいかないんだ」

俺の言葉に、オリエはかすかに息を呑む。それは、俺の言葉が図星であるという事を示していた。
俺の眼前に肌をさらしたり、自らの身体に触れさせたりするのは、心の傷を誤魔化すための代償行為――――だが、それでは傷を癒すことにはならない。
無かったことにするのは不可能ならば、正面から向き合って乗り越えなければならないだろう。もっとも、乗り越えれるだけの強さがあればの話なのだが。

「怖かっただろうし、辛かっただろう――――だったら、泣いたって良いんだ。泣くことは…悪いことじゃない」
「………っ、っ」

俺の言葉に、何かのたがが外れたのか、オリエはうつむくと、ぼろぼろと涙を零し始めた。俺は、オリエの肩をつかむと、そっと抱き寄せた。
女を抱くことは幾度もあったが…こうやって、泣いている女を慰めるのために抱くのも、悪くは無いと思った。



長い一日が終わり、学園にも夜の帳が下りる。買い物につき合わされたり、山賊退治をしたりと騒々しい一日だったが…まぁ、退屈はしなかったのでよしとしよう。
部屋の窓から外の様子を伺ってみる――――夜の学園は、いつもよりも騒々しく、活気に満ち溢れているようだ。まぁ、騒々しいのは山賊騒ぎのごたごたのようであるが。
明日は朝から授業もあるし、早く寝るべきなのだが――――いつも寝るベッドには、既に先客がいたりした。

「すー… すー…」
「ふぅ………のんきに寝入っているようだな」

肩に掛かるくらいに揃えた髪と、あどけない寝顔――――俺のベッドを占拠して、穏やかな寝息を立てているのはオリエであった。
風呂に入った後――――オリエは部屋にあったナイフで自らの髪をバッサリと切ってしまった。相変わらず髪に山賊の血がついており、落とせそうも無かったためである。
ただ――――髪を切るオリエの様子を見ていると、どうも心機一転のために切っているようにも見えたのは、間違いないだろう。
そうして、部屋で夕食を取った後――――オリエは眠気を訴えて、止める間もなくベッドに潜りこんでしまったのである。どうやら、泊まるつもりのようであった。

「今日はいろいろあったし、疲れたんだろうが――――」

てっきり、今夜はオリエと同衾するものとばかり思っていたのだが――――俺を放っといて先に寝てしまうあたり、オリエの方にその気はないようであった。
せっかく復調しかけているのを、無理に抱いて心を閉ざされてしまっては困るし………しょうがない、今日は添い寝をするくらいで我慢するとしよう。

夏のもっとも長い一日――――…のんびりとした休暇を楽しむはずの一日は、最後の最後まで平穏には終わらないようであった………。



季節というものは、意識していようといまいと、あっという間に過ぎ去るものである。長かったはずの夏も、気がつけば過ぎ去り、秋の気配が近づいていている。
東方には豊饒の女神と呼ばれるものがおり、この季節になると作物の実りを謳うために人里に下りてくるとか来ないとか――――閑話休題。
ともあれ、季節は秋である。春先から始まった二年目の学園生活も、ようやく折り返しに来たというところか。

「えー…つまり、コドール大陸において、竜の巣とは名の通り、ドラゴンが住処としている洞窟を指しており、東方における竜の巣の言葉の意味とは若干の差異がある」

片手にチョークを持ち、もう片方の手で教科書を持ちつつ授業を続ける。さすがにここ最近は慣れてきたもので、ミスと呼べるものも少なくなっている。
ただ、このところ授業中に少々、困ったことが起こるようになっていたのだが――――…。

「東方では竜は雲をまとい、嵐を呼ぶという逸話があり、巨大な竜巻のことを、竜の巣と呼ぶことがあるそうだ。ただ、通常ではそのような表現を用いられることは…ん?」
「………ふぅ」

――――またか。この頃、オリエの様子がなんとなくおかしいのである。授業中であるというのに、呆けた様子でノートもとらず、俺を見つめてくることが多々あった。
そんな状態でも、ときおり行われる試験では、上位をキープしているため、俺としては強く注意することも出来ないでいたのである。
もっとも、オリエのそんな様子は、他の生徒にもあまり好ましくないらしく、その日も授業が終わった後、呆けた様子のオリエにくってかかった生徒がいた。

「オリエ、いったいどうしたのよ………このところ、ちょっとたるんでいるわよ」
「ん………ごめん、分かってるんだけどさ」

解散となり、それぞれの生徒が三々五々散っていく中で、教室にひときわ大きく響いたのはベルの声であった。
多少なりとも自覚があるのか、少し落ち込んだ様子でオリエはベルに謝る。とはいえ、相変わらずその表情はどこか呆けたものであったが。
その様子を見て、ベルは溜め息をつく。そうして、横目で俺のほうをじろりと見てきた。どうも、暗に俺のせいだといいたいらしい。

「原因は、何となく分かるけど――――卒業を控えている身なんだし、勉強に集中したほうがいいと思うけど」

ベルの言葉は、まったくもって正論である。正論であるのだが――――彼女の言葉に、教室に残った何名かの女生徒が顔をしかめるのが目に入った。
頑固で堅物で融通の利かない――――教師には好評でも、生徒にはそれほど好感のもたれていない性格のベルは、周囲の視線をことさらに無視しているようだ。
優等生であることは間違いないんだが………何となく、どこか危うい雰囲気が今の彼女にはあるように思えた。
さて、そんなベルの説教を聞いていたオリエであったが、どこか困ったような微笑を浮かべると、小首をかしげて、さらりとある言葉を口にした。

「あ――――…それなんだけどね、今年の卒業はちょっと見合わせようかなーって考えてるんだけど」
「…え?」

オリエの言葉に、ベルは驚いたような表情を見せる。ちなみに、驚いたのは俺も一緒だった。成績優秀なオリエなら、問題なしに今年卒業できると思ったんだが…。
目を見開いたベルに、オリエは頬をかきながら言葉を続ける。

「別に急いで卒業する必要もないし、もう一年、ちょっと習いたいことができたから――――」
「オリエ、あなたまさか…ブラッド先生と一緒に居たいから留年するとか言うんじゃないでしょうね?」
「ぅえ!?」

ベルの言葉に、オリエの声が上ずった。どうにも、ベルの質問はクリーンヒットだったらしい。オリエの顔が真っ赤になり、おちつかなそうに身じろぎをする。
しかし、なんだな…好かれるのは悪い気はしないが、これではまさにさらし者だろう。他の生徒の視線が痛いぞ。

「やっぱり…そんな事で卒業を捨てるなんて、おかしいんじゃないの? 私たちは勉強をするために学園に来てるのに。それに、ブラッド先生には付き合っている人が…」
「あー! わー!」
「!?」

と、ベルが途中まで言ったところで、オリエが急に大声を出したのであった。両手で耳をふさいで、続きを聞きたくないといった風である。
その様子に驚いたベルが、言葉を止めたのを見計らったかのように、オリエは教室を駆け出て行ってしまった………よほど続きを聞きたくなかったんだろう。
後に残ったのは、ポカンとした様子のベルであった。教室内に、なんともいえない気まずい空気が流れる――――そんな中、ベルが俺を見た。

「………」

ムッとした表情でベルは俺を一瞥すると、勉強用具をまとめ、教室から出て行ってしまった。あれは、かなり怒っているな………俺のせいかどうかは微妙だが。

「…やれやれ」

騒動がおさまった教室で、俺は深々と溜め息をつく。どうも、先程の二人の会話は妙な雰囲気だったな。後々、尾を引かなければいいが――――。



………結論から言うと、翌日から事態は深刻なものになっていた。先日の喧嘩の影響か、オリエとベルの仲がギクシャクとし始めたのである。
オリエとベルは、俺が担当する生徒の中でもかなり仲良しな間柄であった。しかし、今はどこか互いに気まずそうに席も離れて座り、会話をすることも無かった。
それでも、社交的なオリエの方は他の生徒と仲良くしていたが………ベルはオリエ以外に親しい友人がいなかったため、孤立しがちになったのである。

(これは、少しまずいのかもしれないな…)

今日もひとり、教室の片隅で授業を受けるベルの様子を見て、俺は内心で、どうしたものかと溜め息をついたのであった。
ここ最近、ベルは以前にもまして俺に対し攻撃的になることが多くなった。授業の間違いから言葉じりや態度まで…よくそこまで荒が探せるなと感心するほどである。
俺は、自分の未熟さは十二分に自覚しているため、怒りの臨界点を超えることは無い。ただ、俺への苦言を聞くはめになるクラスメート達の様子が剣呑になってきたのだ。

そうして、とある日の事――――…いつものように授業を終え、後始末をしている俺のもとに、一人の女生徒が近づいてきたのだった。

「あの………ブラッド先生、ちょっといいですか?」
「ん? どうした、授業で何か分からないことでもあるのか?」
「いえ、そうじゃないんですけど………ブラッド先生は、ベルさんの事を、どう思ってるんですか?」

俺に声をかけてきたのは、普段から授業にあまり身が入っていない女生徒だった。そのため、勉強の質問だと思い、何とはなしに聞き返していた。
しかし、女生徒の次の言葉に、ある種の違和感を感じ、俺はその女生徒を見返した。違和感とは、探るような声色――――案の定、何かを期待したような目で俺を見ている。
視界の隅には、質問をしてきた女生徒とグループである二人の女子………そういえば、この3人組は、普段からベルと仲が悪かったな………だとすると――――。

「困った生徒だ。俺には正直、手に負えんよ。正直、手を上げようと思ったことが何度あったか…」
「――――そうですよね、ブラッド先生が一番、あの娘に迷惑を駆けられてますよね………それで、相談なんですけど」

と、そこで女生徒は俺に顔を近づけると、耳元で悪意の計画をささやきだした。やはり…そんなところだったか。
普段から、ベルと仲の悪い3人組みの少女は、ベルが孤立したのをこれ幸いに、悪辣な罠にはめようとしているのだった。
おそらく、俺が断れば彼女らは、別の相手を計画に誘うだろう。だとすれば、ここは無碍な態度を取るべきではない…か。

「………面白い。そういうことなら、俺も協力するとしよう」

にやりと、人の悪そうな笑みで俺は笑う。我が意を得たと思ったのか、女生徒は俺の表情に、満足そうな微笑みを浮かべた。さて、そうなると、俺の打つべき手は――――…



それから一週間後………夏の気配が完全に消え、秋口の遠い青空が空のキャンパスを覆うとある日………ベルは、授業の終わった後で一つの空き教室に足を向けた。
その日の授業で、勉強する彼女のもとに、ノートの切れ端で造られた手紙が届けられたからである。差出人はオリエ…放課後、この教室で話をしたいという内容であった。
しかし、それは3人組の少女達が出した、罠の手紙だった。そうとは知らず、ベルは疑うことなく教室の中に入ってくる。

「オリエ………? まだ、来ていないのかしら――――きゃっ!?」

人気の無い教室を見渡したベル。その背後から何者かが彼女を羽交い絞めにしたのである。突然のことに、驚きの声を上げるベル。
間髪いれず、床に押し付けられ、ベルはそこで相手が何者か分かったのだろう。彼女を取り押さえているのは3名の女生徒であった。

「あ、あなたたち、いったい何を………!」
「何を、って決まってるじゃない。最近アンタが生意気そうだから、ちょっと絞めようと思ってね………ほら、剥いちゃいましょ」
「ひっ、や、やめっ………」

必死に抵抗しようとするが、3人がかりでは到底かなわず、ベルは制服をむしられ、下着姿にされてしまった。怯えたように身をすくませるベル。
その様子を見て溜飲が下がったのか、女生徒達は愉しそうに氷のような笑みを浮かべあった。

「いいかっこじゃないの。普段からその格好をしてれば、先生達にも好かれるんじゃない?」
「ああ、助けを呼びたいなら好きにしたら? その代わり、誰かが来る頃には裸に剥いちゃうけど」
「素っ裸で大恥をかくってのもいいわね………でも、あなたにはもっと酷い目に遭ってもらうけどねぇ」
「…え?」

女生徒たちの言葉に不穏な気配を感じたのか…ベルは、怯えた様子で彼女達を見る。どうやら、そろそろ出番のようだな。
俺は、日の光の影となっていた教室の片隅から、夕焼けの光のもとに出る。姿を現した俺を見て、ベルが驚愕の表情を浮かべた。

「ぶ、ブラッド先生………どうして?」
「どうしてですって? ブラッド先生も、あたし達と同じ意見なのよ。生意気な優等生を懲らしめたいってね…さ、先生。思う存分体罰を与えちゃっていいですよ〜」
「っ………!」

その言葉で、自分がこれからどんな目に遭うのか察したのだろうか…ベルの表情が蒼白になった。とんでもなく生真面目な彼女のことだ、男性経験など皆無だろう。
個人的に、そういった処女の相手は望むところである。ただ――――残念なことに、今回の俺の狙いは別のところにあった。

「やれやれ、結局こうなったか………個人的には、何事もおきないほうがよかったんだがな。女性に関するトラブルは、もうコリゴリだが…そうも言ってられないか」
「………? 何を言ってるんですか、先生。早くヤっちゃってくださいよ」

独り言を言う俺をいぶかしがってか、急かすように女生徒が話しかけてくる。その顔には罪悪感など皆無――――むしろ、何かのショーを待っているかのようであった。
それを見て、ようやく俺の気持ちも定まった。俺はベルに近づくと、その腕をつかみ――――静かに、宣言した。

「クー、転移魔法作動。対象は、『俺達以外全員』だ」
『了解しました』

「え――――」
「きゃ――――」
「なにが――――」

次の瞬間、ベルを取り囲んでいた女生徒達3人が、姿を揺らめかせたかと思うと、その場から掻き消えたのである。夕暮れの教室には、俺と、呆然とするベルだけが残った。

『ふぅ………任務完了ですね――――それじゃあ、私はこれで』

どこからともなく聞こえていたクーの声は、それを境にまったく聞こえなくなった。おそらく、姿を消した状態で、教室を出て行ったんだろう…器用なやつだ。

「い、いったい何が…?」
「それを説明するには色々と手間なんだが………とりあえず、服を着たほうがいいぞ」
「え――――きゃあっ!」

指摘されてようやく、自分があられもない姿をしていることを思い出したのだろう。ベルは悲鳴を上げると、俺の手を振りほどいた。
俺は肩をすくめると、回れ右をしてしばらく待つことにする。さすがにフェイの時とは違い、着替えを直視するわけにもいかなかったからだ。



「その…もう大丈夫です、ブラッド先生」
「………そうか」

ベルに声をかけられ、俺はゆっくりと振り向く。夕暮れの朱に染められた教室で、ベルはどこか居心地の悪そうな表情をしていた。
まぁ、先程まで下着に剥かれていたんだし、それを俺に見られたのだから無理もないのだろうな…そういったことに耐性がなさそうだし。
そんな事を考えている俺の目の前で、ベルは怪訝そうな顔で周囲をきょろきょろと見渡すと、困惑した様子で俺に質問をしてきた。

「あの………彼女達は一体どうなったんですか? 急に、掻き消えたように見えたんですけど」
「ああ、そのことか――――…見ての通り、この場からは消えたんだよ。今は別の場所に3人とも居るはずだ」

空間転移の魔法――――某温泉宿に転移する魔法と同じ代物は、座標を竜の巣の牢屋にセットしておいた。おそらくは、いきなり牢屋に飛ばされて驚いているだろう。

「できれば荒療治をしたくは無かったが………あの娘達は、どう説得しようと止まりそうに無かったからな…ひとまず遠い場所に飛ばすことにしたんだ」
「だ、大丈夫なんですか?」

俺の言葉に不穏な響きがあったのを感じ取ってか、ベルは僅かに心配そうな表情で、俺に聞いてきた。
先程まで、集団で自分を責めていた相手の心配をするあたり、堅物で融通か効かない所があっても、ベルは性根の優しい娘なんだろう。

「大丈夫だ。ただ、そうだな…一月ほどは学園に戻さないほうが良いだろうな………お互い、顔を合わせるのも気まずくなるだろうし」

ちなみに、その一月の間に…彼女達の性根を叩きなおすようにと、クーに依頼してある。彼女達が戻ってきたら、どう変わっているのか、少々楽しみではある。
ベルの一件に留まらず、実のところ3人娘には、色々と素行不良な面があるということで、教師長から注意を受けていたのであった。
基本的に、そういったことには無関心だった俺は、注意をするでもなく放って置いたんだが――――そのせいで、今回の事件が起こったのかもしれない。
そんなわけで、今回の件をきっかけに、俺は問題児達を再教育しようと思ったのである。といっても、実際に教育するのは俺ではなくクーであったんだが。

「………それにしても災難だったな。今回は運よく助ける事ができたが、もう少し味方を増やしたほうがいいと思うぞ」
「…わかっています、そのくらい」

なんにせよ、一件落着と思い、軽くベルに注意をした俺であったが………ベルは、ムッとした表情でぶっきらぼうに言葉を返してくる。
それだけ、味方がいないことに自覚があるんだろうが………分かっているのなら改善すれば良いと思うんだがな。

「分かってるならいいんだが………ともかく、今後は他の生徒と仲良くやるんだぞ。そうでないと、私が安心できないからな」
「――――別に、私がどうなっても…ブラッド先生には関係ないじゃないですか」

ベルは気まずさからか、俺から視線をそらしてそっけなく言う。これは、言うだけ逆効果なのかも知れない。だが、言うべき事だけは言っておかないとな。

「確かに、私とベルは赤の他人だし、本来は関係ないのは知っている。だが、私は担任の教師だからな…心配をする権利があるんだよ」
「………それはそうかもしれませんけど」
「別に、私を好いてくれとは言わないさ。むしろ、嫌ってくれても構わない。だが、言うことには従ってもらうぞ」
「…っ」

俺の言葉が意外だったのか、ベルが小さく息を呑む。俺は、ベルから視線をはずさず、まっすぐに彼女の瞳を見ながら、言葉を続けた。

「男として、一教師として………譲れるべきところじゃないからな、これは」
「ブラッド先生………私は」

ベルは、何か言いたげに口を開いたが――――しかし、すぐにその口を閉じてしまった………どうやら、俺の説得も意味はなかったようだな。

「………そろそろ、帰るぞ。いつまでも、こんなところで長話をするわけにもいかないからな」

沈黙したベルを促し、俺は夕暮れの教室を出る。念の為に、人通りの多い場所までベルに同行した俺だったが、ベルの口は、結局、最後まで開くことは無かったのである。
そうして、翌日――――…廊下を仲良く談笑しながら歩く、オリエとベルの姿を見て、俺は望んでいた結果になったことに、軽く安堵の息を吐く。
結果を得るための代価――――…ベルに嫌われたという事実は、今はあまり、考えたくは無かった。

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