〜グリンスヴァールの森の竜〜 

〜グリンスヴァールの森の竜〜



ミンミンミンミン、ジジジジジジジジ………頼んでもいないのに、そこかしこから聞こえてくるのは蝉時雨。深い森に包まれたグリンスヴァール学園にも、夏は訪れる。
燦々と照りつける太陽に、煉瓦の道から立ち上る陽炎――――生徒達も暑さを嫌ってか、多くの者が校舎の中で日の照りつける時間帯を過ごす。
もっとも、どこにでも例外はいるらしく――――夏の盛りのこの時期に、いっそう元気一杯の様子を見せる生徒がいた。

「………と、いうわけで、竜にも様々な種類がある。基本的には人間の血統と一緒であり、父親、母親の組み合わせによっては、突然変異的な力を持って生まれるものもいる」

教壇の上に立ち、説明をしながら教室を見渡す。どうにも、女性をしかるというのに慣れていないせいか、最近は真面目に授業を受ける者が減ってきたように思える。
最初は全員が出席していた授業も、今では何かしらの理由をつけて欠席をする生徒も何人か居た。それでも俺がへこまなかったのは、真剣に授業に取り組む何人かの生徒と…、

「よし、質問は無いな? それでは、今日はこれまで」
「はーい! 起立、礼! ありがとうございました〜!」

元気いっぱいな空気を振り撒いている、オリエが居てくれたおかげだろう。受け持ちの生徒の中で、クラスのまとめ役を任せられる生徒は、ベルとオリエの二人であった。
しかし、どうにもベルには嫌われているような気がする俺としては、気さくに俺に接してくれるオリエの存在は、ありがたいことこの上なかった。

「さ〜、今日も泳ぐぞ〜!」
「オリエは、今日も水練に行くのか?」

嬉々として、勉強道具を鞄にしまうオリエに、何となく声をかけてみた。ちなみに、能天気な態度とは裏腹に、オリエの成績はかなり良いらしいとヴィヴィから聞いている。
文武両道で性格もフランクな非の打ち所も無い生徒――――といえば、聞こえはいいのだが………少々、どこかしら抜けているのがオリエという生徒であった。

「そうですよ。も〜、湖まで待ちきれないくらいくらいで………ほら、水着ももう下に付けてるんですよ」

などと言いつつ、スカートを捲り上げるのはどうかと思う。いや、健康的な太ももや、張りのある腰のラインを拝めるのは、眼福といって良いんだが――――。

「ちょ………! オリエ、何をやってるの!? 先生も、向こうを向いていてください!」

まだ教室に残っていたベルにしかられ、俺は回れ右をして軽く溜め息をついた。別に、このくらいは大したことは無いと思うんだが、生真面目なベルは違うらしい。
あらぬほうを向いて時間をつぶしていると、耳にベルとオリエの口論――――というか、ベルの小言をオリエが受け流している様子が聞こえてきた。

「まったく………オリエ、いくら何でも、今のは恥ずかしいと思わないの?」
「え、どこが? だって水着だよ? どうせ上も下もあとで脱ぐんだし、大して変わらないんじゃないかな?」
「そ、それはそうかもしれないけど………でも、男の人の前でああいう格好は、良くないと思うわ」
「ブラッド先生になら、いいんじゃないの? 先生だし、実害も無さそうだし」
「………」

のんきな声で、そんな事を言うオリエにベルも面食らっているようだ。それにしても、俺のことを実害が無いというとはな――――危機感が無いのも、考えものだと思う。
俺の数々の乱行を聞かせたら、いったいどんな反応をするだろう――――それは少々、魅力的な思い付きだったが、さすがに思いとどまることにした。
その手のことをカミングアウトしたら、学園内での俺の立場がまずくなるだろうし…何より、仲良く過ごしているオリエとの関係を壊すのも気が引けたのである。

「それに、男の人ってのもぴんと来ないんだよね。あまりそういうの、興味が無いから」
「ああ、もう………だから――――」

困りきった様子で、オリエに男性の危険さ等を教えようとするベルであるが………当の本人は、キョトンとするばかりのようであった。
それにしても、こうも無防備というのも困りものかもしれないな。ベルではないが、なんとなくオリエのことが気がかりである。悪い男に何かされなきゃ良いが………、
予感めいた俺の心配は、それからしばらく後――――半分当たって、半分はずれることとなる。



夏の日差しはいよいよ濃くなり、外に出るのも億劫なくらいの暑さが続いている。この時期、もっとも悲惨なのは体育の教師達だろう。
灼熱の太陽、照りつける日差しの下で、生徒達にものを教えなければいけないのだ。魔術による冷房の効いた屋内で、緩やかに授業をする俺達とは雲泥の差である。

「グラウンド10周! 走れ走れー!」
「う、うぃーっす!!」

…また、やってるな。基本的に決まった教室を持たない俺は、あちこちの教室を間借りして授業をする。そのため、グラウンドの見える教室で授業をすることもあった。
今、窓の外では全身鎧に身を包んだ集団がグラウンドを駆け回っている………傍から見ると、とてつもなくシュールな光景だ。その最後方には、フェイの姿がある。
炎天下でもバテナイ体力づくりを目指しての授業らしいが――――…さすがに無理があると思う。しかし、毎回一人の脱落者も無く完走するからたいしたものだ。

「よし、休憩! 身体をしっかり休めておけよ」

生徒達に付き合い、自らも騎士鎧に身を包んだ格好をしたフェイは、疲れをおくびにも出さず、一人一人にねぎらいの言葉をかけている。
最後方を走っていたのは、脱落しそうになる生徒を励ますためだろう。うむ、なんだかんだで、フェイも教師として立派にやっているようだ。

(俺も、頑張るとするか)

フェイの頑張る姿を見て、俺も負けじと教え子達に向き直るのであった――――。



「う、うう………ひざが、ガクガクしています」
「ふぅ…やっぱり無茶だったか」

その日の夕刻――――…頑張っているフェイを連れ出して、食事でもしようと思ったのだが………さすがに炎天下の激務はこたえたらしい。
足腰がガクガクなフェイを遠くに連れまわすのも悪いと思ったので、結局は近場の食堂で食事をとることにしたのであった。

「何も、生徒と一緒に走り続ける必要もなかっただろうに。結局、最後まで付き合ったのか」
「はい。彼らのひたむきさを見ていると、なんとなく在りし日の自分を思い出して、どうしても励ましたくなってしまって…」

照れるように微笑むフェイ。年若い生徒達に、かつての自分の姿を重ね合わせたのだろう――――語弊を招く言い方だったが、フェイも十分に若いので心配無用だ。

「…まぁ、親身になれることは悪いことではないからな。俺としては、あまり愉快なことではないが」
「ブラッド様………大丈夫ですよ。私の心も身体も、すでに貴方にささげたのですから」

フェイは穏やかな微笑を俺に向けてきた。うーむ………どうやら嫉妬めいた俺の心情を見透かされてしまったらしい。やれやれ、俺もまだまだだな。
なんとなく気恥ずかしいので、俺はメニューに視線をおとした。夏の時期になり、食堂のメニューに若干の変化があったようだが………さて、何を頼もうか?

「ああ、ラキ、ちょっと良いか? この、新しく出来たメニューを一通り試してみたいんだが」
「はい、かしこまりました。少しの間、お待ちくださいね」

ちょうど近くを通りかかったラキに注文を告げると、ラキは俺に微笑を見せ、厨房のほうに歩いていった。そういえば、ラキの就職先はまだ決まっていなかったな。
いっそ、俺の巣に雇用してみようか? 炊事や洗濯などの家事全般は十分にこなせるわけだし、ユメも優秀な助手の一人くらい居ても良いだろう。
まぁ、メイドなどの雇用についてはクーが管轄しているわけで、俺が口を出すのも気が引けるんだが。ともかく、今度クーが来たときに聞いてみるとしよう。

「あの、ブラッド先生、少しよろしいですか?」
「…ん? どうした、ラキ? 料理が届くには、少々早いような気がするんだが」
「すいません、料理はまだ、時間が掛かります。その事ではなくて――――何名かの生徒が、お二人に話がしたいと、あちらで待っているんですが、どうしましょうか?」

ラキの指し示す先には、七、八名の女生徒達がこちらの様子を伺っている。今は夕食中だし、後にしてもらおうか――――俺は、ラキにそう告げようとし、言葉をとめた。
女生徒達の中に一人、知っている顔を見つけたのである。さすがに、教え子を無碍にも出来ないし、話を聞いてみるとしようか。

「………料理が届くには、まだ時間が掛かるんだったな。それほど長い時間は取れないが、それで良いというのなら話を聞くとしようか」
「分かりました。それでは、そう伝えてきますね」

俺の言葉にラキは頷くと、女生徒達を呼びに、足早に歩いていった。ラキに声をかけられ、女生徒達は小走りに俺とフェイの座る席に近づいてきた。
そうして、興味津々といった風にこちらを見た女生徒達は口々に――――…。

「わぁ、本当にかっこいいなぁ………フェイ先生!」
「キリリとした相貌、まるで男優のような容姿、ステキ過ぎです〜!」
「フェイ先生サイコ〜!」

………おい。

「一応、俺もここに居るんだが………で、これはいったい、何の騒ぎなんだ、オリエ」
「あ、はは………ごめんなさい、ブラッド先生。ほら、みんなもフェイ先生に触んないの! 驚いているでしょうが!」

きゃあきゃあと黄色い声を上げながら、フェイにまとわりつく女生徒達を一喝するオリエ。それにしても、フェイは本当に女生徒にも人気があるな。
――――…同性愛というものが、流行っているのだろうか? 正直なところ、百合はともかく、薔薇っぽい空気は遠慮したいところだ。
と、そんな事を考えているうちに、他の女生徒も幾分か落ち着いてきたようだ。それでも、フェイに向ける熱視線は変わらなかったわけであるが。

「その、実は私達、水泳の部活を作りたいんです。そのための必要な人数は集めたんですけど、顧問になる先生がなかなか見つからなくて…」
「それで、出来ればフェイ先生になってほしいな〜、ってのが、みんなの意見なんですよぅ」

口々に、そんな事を言う生徒達。なるほど…学園には、様々な趣味の者たちが集まって活動する場を設けている。小規模なものが同好会、本格的なものが部活動だ。
もちろん、本格的な部活動ということになれば、学園側からも多額の援助金が出る。彼女たちは、それが目当てらしい。

「一応、俺も暇なんだが………お呼びでなさそうだよな」
「私は、ブラッド先生のほうが良いんだけど………みんながフェイ先生が良いって言うんだよね。ま、そんなに落ち込まないでよ、ブラッド先生!」

落ち込んだ俺を慰めるかのように、明るい口調でポンポンと肩を叩いてくるオリエ。結局、女生徒達の熱意に押され、フェイは顧問を引き受けることになったのであった。



「水練の顧問とは――――私のような者が引き受けて良かったのでしょうか?」
「まぁ、そんなに深刻には考えないことだな。ともかく、部活の顧問就任を祝って、乾杯といこうか」

それから少し後………フェイが顧問を引き受けたことで、満足した女生徒達が去った後で、俺とフェイはようやく夕食にありつけることになった。
茶化すようにワイングラスを掲げると、フェイは照れた様子で自らのグラスを掲げた。キン、と澄んだ音が、赤色の液体を揺らす。
まだまだ太陽の落ちぬ真夏の夜――――…黒金色に染まりつつある空を背景に、俺とフェイは緩慢な時を過ごすのであった。


戻る