〜グリンスヴァールの森の竜〜 

〜グリンスヴァールの森の竜〜



さて、春先に始まった俺の教師生活は、多少の不安材料はあったものの、つつがなく進行していった。
相変わらず、生真面目なベルと、奔放な数人の女生徒との仲は悪かったが、オリエが折衝役を上手くこなしてくれている。
フェイの方も、根が体育会系ということもあり、男子生徒達をきっちりと束ね、また、女生徒にも優しく指導をしているようであった。
そうして、春先の季節――――書物によると、桜謳歌の季節と呼ばれる時節は瞬く間に過ぎ去り、はや夏の足音が聞こえてきた。

そんな春と夏の狭間の時期のとある日――――…教師長であるヴィヴィの招集があり、俺をはじめ主だった教員は会議室に集められた。
ヴィヴィの隣には、クライス学園長…いつも温厚であり、常に落ち着いた様子の青年は、穏やかな笑みを浮かべ、ヴィヴィの隣に控えている。

「さて、こうやって皆に集まってもらったのは他でもありません。今日から一月後…他国の使節団がこの学園を訪れることになりました」

ヴィヴィの言葉に、ざわざわと教師達の間にざわめきが走った。新参者の俺にはよく分からないが、グリンスヴァール学園にそのような団体が訪れるのが珍しいのだろう。
俺は、傍らのフェイを見る…彼女は神妙な表情でヴィヴィの次の言葉を待っているようであった。ここ最近のフェイは、上司であるヴィヴィに対し畏敬の念を抱いているようである。
確かに、才色兼備であり部下への気配りもある、言うなれば理想の上司である――――うーむ…俺も多少は、見習った方が良いのかもしれない。

「………」

と、そんな事を考えているうちに、周囲のざわめきは沈静化し始めていた。次の言葉を発せず、じっと静かに待っているヴィヴィに、皆が気づいたのである。
しん………とした空気が流れるのを見計らって、ヴィヴィは改めて説明を始めた。

「使節団の目的ですが………グリンスヴァール学園の視察――――言うなれば、見学に来るとの事です」

何ともご大層な言い様ではあるが、ようは、巣を見学に来る冒険者のようなものと解釈して良いんだろうな――――少々、違うような気もするが。

「正式に王家への要請がありましたので、こちらも失礼の無いように出迎えなければいけません………当日も、授業がありますから、応対の人員は後々選抜しますが――――」

ん………? 今、一瞬、ヴィヴィが俺の方を見たような気がするが………いや、見たのは隣のフェイか?

「当日の案内役については、先方から指名があったため、決定済みです――――ブラッド先生、フェイ先生…お二人にお願いします。くれぐれも、粗相の無いようにお願いしますね」
「は、はいっ!」

ヴィヴィの指名に、かしこまった声で返事をするフェイ。なるほど、さっきの視線は俺とフェイの両方に向けられていたわけか。

「了解した――――ところで、当日の授業はどうなるんだ?」
「その日は休講にしても構いませんが………代理を立てる事も許可します。どちらにするかは、あなたたちに一任しますから」

ふむ………別段、急いて授業を進めるつもりもないし、そういうことなら休みにしても構わないだろう。しかし――――…

「しかし、名指しとはな――――…故郷ならともかく、この界隈では、俺は有名ではないと思うんだが………いったい、どこの使節団だ?」
「――――そういえば、言ってなかったわ。今回、学園を訪れるのは………」



「…というわけで、遊びに来てやったぞ。さあ、案内してもらおうか」
「ま た お 前 か  いや、遊びに来るのは別に構わないんだがな」

上機嫌でグリンスヴァール学園を訪れたのは、エルブワード使節団・御一行――――言い換えれば、ルクルと彼女の護衛団である。
しかし、事を大事にするのは俺への嫌がらせか――――? なんというか、周囲の視線が痛い。フェイなど可哀想にガチガチに緊張をしてしまっていた。

「わざわざ、大仰な使節団など使わなくても、お忍びで来れば良いだろう――――クーに頼めば、護衛の一山くらい、すぐに手配できるだろうし」
「確かに、その方が気楽ではあるのだが――――前回の出奔のせいで監視が厳しくてな、これでも融通を聞いてもらったほうなのだぞ?」

あっけらかんといった風に、にこやかな顔で、そんな事を言うルクル………自業自得であるというのに本人はちっとも懲りてはいないようである。
護衛の兵士達も気の毒に――――同情の視線を送ると、同じような視線を返された。 ………なんというか、向こうも俺に同情をしているようであった。
彼等とは、上手い酒が酌み交わせそうだな――――今夜にでも、暇を見て声を掛けてみようか? たまには、男同士で酒を飲むのも良いだろう。

「ともかく、場所を移すとしようか? ここでは、目だってしょうがない」
「そうだな。昼食時でもあるし、ゆるりと落ち着くのも良いだろう」

今、俺達は本校舎前に立っている。使節団の到着は昼頃であったため、校舎前にも複数の生徒達がいた。皆一様に、使節団に注目をしているようである。
さて、どうするかな………食堂に行くのも良いが、注目を浴びる事は間違いないだろう。とはいえ、他に昼食をとれる場所というと………。



「ほう、ここはまた一段と活気があるようだが………学園の中にも商店街があるようだな」
「ああ、ここは――――ブラウン通りと呼ばれているようだな。つい最近出来たばかりだから、俺も詳しくは知らないが」

道端に立てられた看板を一瞥し、俺はルクルにそう説明する。グリンスヴァールという学園は…気づかぬうちに、新しい施設が出来上がっていることがある。
つい先日まで何もなかった場所に、ひょっこりと出来上がる施設――――…一説には、妖精の仕業という説もあるが、詳しい事は不明である。
なんにせよ、出来たものは利用するだけの事だし………いちいち細かい事を気にする必要も無いだろう。それより、今は昼食をどうするかだ。
何しろ、俺とルクルの後ろには、護衛役としてフェイを始めとした十数人の供がいるのだ。全員が入れる店を探すのも一苦労である。

「それなりに店の数はあるみたいだが………何か食べたい物の要望はあるか?」
「いや、特には無いが――――そうだな、一つ、わがままを聞いてもらおう」

俺の問いに、ルクルはニヤリと笑みを浮かべると、並んで歩く俺に向かって、手を伸ばし――――…。

「ん………? おい、何をしているんだ?」
「見れば分かるだろう。お前の腕に腕を絡めているのだ。歩きにくいだろうが、たまにはこういう戯れも悪くは無いだろう」

笑みを浮かべ、愉しげな様子のルクル。寄り添うように、俺と腕を組んで歩くその表情は、歳相応のうら若き乙女のものであった。
なるほど、確かに悪くは無い。ただ一つ…周囲からやっかむような視線を向けられることを除けば、であるが。

「それにしても、随分と楽しんでいるな。学園視察の使節団というのは、やはり名目上のことか」
「いや、そうでもないぞ。楽しむ事は楽しむが………グリンスヴァール学園の視察もきちんとするつもりだ。エルブワードの未来の為にも」

笑顔を絶やさないルクル。しかし、その表情とは裏腹に…口からついて出た言葉の、意外なほどの切実さに、俺は思わずルクルの顔を見つめていた。
ルクルの瞳はただ静かに、活気のある商店街に向けられている。様々な人々の行きかうこの場所に、いったい何を求めているのだろうか…?

「ライトナ王国やハッサン王国は、いずれエルブワードに攻めてくるだろう。それを防ぐ為には、多くの人材が必要だ…学園というのは、才能の開花を促す場所らしいからな」
「…そうだな、そう話には聞いている。しかし、意外だな…隣国との折衝は、そんなにうまくいっていないのか?」
「いや、至って順調だが――――私とて、いずれは死ぬのだ。後進は育てておかねばならないだろう」

あまりにも素っ気無い一言………言葉の意味を理解するのに、僅かながら時間が掛かった。

「そんな驚いたような表情をするな。無限の命を持つのならまだしも、私はただの人だ。いずれは地に堕ちるか、天に召されるだろう」
「…だとしても、それは当分先の話だろう。実年齢はともかく、お前も見た目は充分に若い――――」
「失礼な。私はまだまだ適齢期だぞ? まぁ、その話は今は良いだろう。重要なのは、この学園の事だ」

二の腕をつねりながら、ルクルはキョロキョロを周囲を見渡す。黒地の学生服が大半を占める学園内で、旅装束のルクルは否応にも目立つ。
今もそこかしこから、興味深げな視線が向けられてくる――――その視線の半分以上は、ルクルの美貌に魅せられた男子生徒達の視線だったりした。

「似たような設備なら、すぐにでもエルブワードに建設することは出来る。しかし、それでは単なる模倣に終わるような気がするのだ」
「………どういうことだ?」
「なんと言えば良いのかな………ここには、独特の何かがあるように感じられるのだ。人の成長を促すような、それを再現しない限りは成果は上がらないと思う」

ルクルの言葉に、俺はなるほど、と頷いた。ただ建物があればよいというものではなく、学ぶべき雰囲気作りというやつこそが、重要だということだろう。

「まぁ、一朝一夕で分かるものでもないだろうし、そう急くことでもないからな。今日のところはのんびりと見て回るつもりだ。案内は頼むぞ」
「ああ、分かった………って、ちょっと待て、今日のところは、だと?」
「そうだな、最短で数日………長くても一週間ほどだ。ああ、仕事のことなら気にするな、学園長とやらの許可は取ってあるからな、とことんまで付き合ってもらうぞ」
「………やれやれ」

あっけらかんとした物言いのルクルに、俺は思わず苦笑いをする。こういう豪胆な性格は嫌いではないが、引きずり回されるのは、勘弁してほしいところである。
とはいえ、わざわざ遠くから来たルクルを無碍に扱うこともできず、それから数日の間、俺はルクルに付き添って学園中を見て回ることになった。
北は商店街から、南は闘技場まで――――その中で、特にルクルが興味を示したのは、学園の中心に立つ大きな一本の巨木だった。

「ほう――――…外観からして、ずいぶんと立派なものだな。なにやら、いわくありげなものにも見える」

巨木の幹に手をつくと、しげしげと木を見上げるルクル。まるで、その視線に照れるかのように、風もないのにさわさわと木の梢が動いたようにも見えた。
別段、それ以上は何も起こらなかったわけだが――――木から離れる時に、ルクルが満ち足りたような表情をしていたのが、妙に印象に残ったのであった。



そうして、あわただしい数日が過ぎ――――…大きなトラブルと呼べるものも起きず、ルクルのグリンスヴァール学園視察は幕を閉じたのであった。

「なかなかに充実した数日間だった。また来ることもあるだろうが、その時もよろしく頼むぞ」

楽しそうな笑顔とともに、そんな言葉を置き土産にして、ルクル達一行は学園から去っていった。彼女らが去り…誰よりもホッとしたのはフェイだっただろう。
基本的に生真面目なフェイは、王女であるルクルの前では、終始緊張しつづけていて、あと数日このような状況が続こうものなら、倒れかねないほど疲弊していたのである。

「やれやれ、やっと昼食か………おや?」
「す〜…す〜…」

明くる日の昼休み――――授業を終えて、職員室に入った俺は、机に突っ伏して眠るフェイを見つけた。よほど疲れていたのか、深い眠りにおちているようである。
普段は男勝りな表情を見せるその顔も、眠っているときはあどけない少女の顔をしていた。なんとなく、起こすのはもったいないような気がして、俺は隣の席に座る。
開け放たれた窓からは、涼やかな風が舞い込んでくる。緩やかな風がフェイの髪を撫でる様を、俺は穏やかな気持ちで見つめていたのであった――――。

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