〜グリンスヴァールの森の竜〜 

〜グリンスヴァールの森の竜〜



閉じられた扉を前に、自分の身だしなみを確認する。髪良し、髭良し、身だしなみは大丈夫………と。人通りの無い廊下で、俺は一人気合を入れる。
いよいよ、待ちに待った…俺の受け持つ最初の授業である。緊張もあるが、どちらかといえば、この時を楽しみに待っていた俺であった。

「さて…行くとするか」

呟き、俺は教室の扉に手を掛ける。扉越しに伝わってくるのは人の気配――――女生徒特有なのか、複数の華やかな気配を感じつつ、俺は扉を開けた。
扉を開けた途端、僅かに囁かれていた喧騒がぴたりと止み………代わりに俺に向けて何本もの視線が突き刺さってきた。
願書で顔と名は知っているものの、実際は初対面の顔がずらりと並んでいる光景は、なかなかに緊張するものであった。
教壇の上に立ち、周囲をぐるりと見渡す――――参加生徒は12名。皆一様に、若い女生徒ばかりである。

「私が、この授業を受け持つブラッドだ。ほとんどの生徒とは初対面だと思うが、緊張する必要はないぞ。これから一年間、仲良くやっていこう」

皆に通るように、大きめの声でそういうと、生徒達はそれぞれに、違った反応を見せた。面白そうな表情をする者、目を伏せる者、他には――――、

「ブラッド先生って、彼女は居るんですかー?」
「フェイ先生との熱々の噂って本当ですかー?」
「はーい、あたしも知りたいでーす」

と、なにやらノリノリで…3人組の女生徒が俺に質問を投げかけてきた。どうやらこの3人は友人なのか、示し合わせたように矢継ぎ早に俺に質問をしてくる。
ただ、その質問の内容はというと――――………

「先生って、お給料はいくらもらってるんですかー?」
「そういえば、このまえ、学食のお姉さんと仲良さげに話してましたけど、付き合ってるんですか?」
「先生ってずばり、歳はいくつなんですか?」

……………などと、竜に関する質問でもなんでもなく、俺に対する質問だったのだが………ん? まてよ、俺は竜なのだし、質問するのは不合理でもないのか?

「あなたたち! 先生が困ってるじゃないの!」

と、考えてると、一人の女生徒が席から立ち上がった。ショートカットの気の強そうな少女である。その言葉に、騒いでいた少女達は迷惑そうな表情を見せた。

「はぁ………ベル、またあなたなの? ほんっとうに、口うるさいわね。小姑か、アンタは」
「っ、なんですって!?」

迷惑そうな表情を浮かべた女生徒に、ベルはキリキリとまなじりを吊り上げる。どうやら、お互い面識のある相手のようだ。
と、剣呑そうな雰囲気を察してか、慌てた様子でベルの隣に居た少女が彼女をなだめにかかった――――ん、確かあの娘は………。

「まぁまぁ、落ち着きなさいよ、ベル」
「でも………」
「そんな大声出さなくても聞こえるんだからさ。今のはケンカ腰のベルが良くないと思うよ」
「ぅ」

飄々としたその言葉に、思い当たる節もあったのか。ベルはそれ以上反論せず、黙り込んでしまった。そうして、しおしおといった表情で席につく。

「ま、そういうわけだから。ベルも反省してるみたいだし、許してあげてね。ただ、先生に質問をしたいのは皆一緒だろうし…もうちょっとだけ控えた方が良いと思うよ」
「――――はいはい、分かったわよ」

そうして、ベルをなだめた後で、彼女は騒いでいた女生徒達にも注意を促した。悪乗りしていた少女達も、彼女の言葉に大人しくなる…随分と、姐御肌な少女だな。

「ええと、君は――――確か、オリエだったな」
「はい。初めまして、じゃ無いけど――――ちゃんと話すのはこれが最初かな? よろしくお願いしますね」

確認する俺に、にこやかに答えるオリエ。しかし、驚いたな。春先から布一枚の服を着て風邪をひきかかっていたり、湖で泳いでいたりと、ちょっとおかしな生徒なのだと思っていたが。
こうして穏やかに俺に応対するオリエは、物分りのよい優等生のようにも見える――――ピシッと着込んだ、制服のせいだろうか?

「さて、先ほどの質問だが、一度に答えるのは無理だし、最初くらいはお互いの交流を深めるとしよう。教室でというのもなんだし、カフェにでも行くとしようか?」
「やったー! ブラッド先生って話が分かるっ」

桃色の髪の少女………確か、シャルロットという名の少女が歓声をあげると、生徒達は民じゃ、嬉しそうな表情をしていた。
もっとも、先程オリエに諌められたベルという少女は、どことなく不満そうな表情で、そっぽを向いていたのだったが。
そんなこんなで、学園内のカフェテラスに移動した後…授業の時間を目一杯使ってお互いの自己紹介を行ったのであった。

俺の初めての授業――――まったくそれらしい事は出来なかったのだが――――まぁ、こういう結果も俺らしいといえるだろう。
ちなみにその頃――――フェイは、生徒達相手に百人抜きを達成したらしい。その容赦なさは、その日のうちに俺の耳にも届いていたのだった。
何でも、ふざけて飛び掛ってきた男子生徒を無言で殴り飛ばした後、その悪友である数人の男子を叩き伏せ、なぜか勢いで、男子生徒全員の組み手をする事になったのだとか。
最終的に、全員を地に這わしたのは僅か数十分の後――――死屍累々のその光景は、体育なのか模擬戦なのか分からない有様だったらしい。



「ああ…私は、なんて事をしてしまったんだろう………いくら血が頭に上ったとはいえ、剣の握り方も満足に知らない、子供相手に本気になってしまうとは…!」
「あー、まぁ、死人が出なかったんだし…良かったんじゃないか?」

その日の夕刻――――落ち込んだ様子でカフェテラスのテーブルに突っ伏したフェイに、俺はフォローになっていない慰めをいれた。
俺もフェイも、初めての授業という事もあり、今日は反省会でもやろうかと、フェイを誘ったのだが――――目立つ学食を選んだのは間違いだった…正直、周囲の視線が痛い。
とはいえ、誘った手前、フェイを放っておいて帰るわけにもいかず………俺は言を左右して彼女を宥めることにしたのだった。

「そういう問題ではないでしょう! ああ、家督を汚すような事をしてしまうなんて…これでは騎士失格です………」
「ふぅ………フェイ、気にするな。お前の生真面目さや誠実さは、主である俺が一番に知っている。今回は、それが悪目に出ただけのことだ」
「ブラッド様………」
「まぁ、その男子達もかなりの迷惑者だったらしいしな。ヴィヴィからのお咎めも大したことじゃなかったし、そう気にする事でも無いということだ」

幾分、落ち着いた様子のフェイを安心させる為に、俺はフェイに微笑みかける。フェイは、先ほどの落ち込み様が恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にして俯いてしまった。
………ん? なんだか、周囲の視線が鋭くなったような気がするが――――まぁ、気にするほどの事でもないだろう。

「あ、ブラッド先生だ。こんちはー」
「………」

と、周囲を見渡してみると、見知った生徒が声を掛けてきた。気さくな表情のオリエと、硬い表情でこちらを見ているベルである。
俺が返答をする前に、興味津々と言った表情で、オリエは俺たちの座るテーブルに近づいてきた。それを見て、ベルも渋々といった感じで近寄ってくる。

「へ〜、校内で噂のフェイ先生って、どんな人かと思っていたけど………カッコいい先生だね。ベルもそう思うでしょ?」
「ん………うん」
「――――ブラッド様、この娘達は?」

親しげな様子で話しかけてきたオリエ達を、さりげなく一瞥したあとで、フェイは俺に呆れたような視線を向ける。どうやら、何やら勘違いをしているようだ。

「俺が授業で受け持つ事になった娘達だ。いっておくが、別にやましい関係ではないぞ」
「………本当ですか?」

今の間は、どうやら信じていないようだが――――さて、どうしようか。一々、ムキになって弁明するのも面倒だし、放っておくのもありなんだが。

「あ、あれ…? ひょっとして私、地雷踏んじゃったのかな?」
「地雷………? そんなものが埋まっているとは、思えないが」
「わっ」

困惑した様子のオリエの足元を見ようと…テーブルに座ったままで、上半身を傾けると――――オリエは慌てたようにスカートを抑えて数歩下がった。
何故だか顔が真っ赤になっているオリエだが、別に怒ってはいないようだ。どこか照れたように、オリエは悪戯っぽい目を俺に向けてくる。

「あ〜、驚いた。ひょっとして…今のってわざとですか、ブラッド先生。それとも――――天然?」
「待て、どういう意味だ、それは」

意味は分からないが、何やら馬鹿にされているような気がする。と、そのやりとりを黙って見ていたベルの呟きが、俺の耳に入ってきた。

「…最低」

それは小さい呟きだったが、不思議とそういうものは、ざわめきをすり抜けて耳に届くものである。ベルの声はフェイにも届いたのか、彼女の表情が剣呑なものになった。
まずいな…一途な分、融通が聞かない性格のフェイにとっては、今の言葉は無視できないだろう。険しい表情のまま、フェイは立ち上がろうとし――――…。

「すみません、ご注文はよろしいでしょうか?」

まさにその時、ベルに向けられたフェイの視線をさえぎるように、ウェイトレスの少女が声を掛けてきたのである。
どうも、先ほどから様子を見ていたのか、さりげなく助け舟を出してくれたのはありがたい。さすがは俺の、元教え子である。

「ああ、すまないな、ラキ。少し待っていてくれ」
「――――ブラッド様、また、知り合いの娘ですか?」

今の間で気が削がれたのか、フェイはベルに対する剣呑な視線をやめ、俺に向き直った。とはいえ、その顔には呆れた表情が浮かんでいたのだが。

「何だ、また勘違いをしているのか? いいか、繰り返すようだが…俺と、この娘の間には何も――――…あ」
「…ブラッド様? あ、ってなんですか、あ、って」

いや、まぁ、その――――さすがに何もなかったとは言えないな。ラキに視線を向けると、困ったように顔を赤らめている。
それで、何事かあったのを察したのだろう。フェイは溜息をつきそうな顔で、俺を見てきた。それでも、浮気だ――――などと騒がないのは、俺の巣での生活を知っているからだろう。
ただ、傍で聞いていた教え子が、興味津々といった表情で身を乗り出してくるのには辟易した。

「お〜、これって生修羅場ってやつ? やっぱり、ブラッド先生ってもてるんだね〜」
「………オリエ、少し向こうに行っていてくれ。私の名前で好きなものを頼んで良いから」

正直なところ、周囲の視線が痛いほどに突き刺さってくる実情で、これ以上騒ぎ立てないで欲しいものだ。
幸い、物で釣るのは成功したらしく、俺の言葉にオリエは嬉しそうな表情で目を輝かせた。

「わっ、ラッキー! そんじゃあ、クラブ活動の前に腹ごしらえといきますか。ベルも何か食べるでしょ?」
「え、私は――――あ、ちょ、ちょっと………」

楽しそうに、ベルの腕を引っ張って、オリエは食堂の中に入っていってしまった。ふぅ、騒がしいのが居なくなって、ほっとしたぞ。

「ふふ………元気な娘達ですね」
「――――まぁな。元気すぎて、どのように扱えば良いのか………ほとほと手を焼いてはいるがな」

思わず愚痴めいた言葉を洩らしてしまった俺を、優しげな表情で見つめてくるラキ。と、そういえば注文がまだだったな。

「フェイ、今日は私の奢りだからな、好きなものを注文――――どうした? 何やらむくれているようだが」
「いえ、別に。給仕の方、すまないがメニューを見せていただけないだろうか」

どこかツンケンした表情で、フェイはラキからメニューを受け取ると、あれこれと注文を始めた………どうでもいいが、全部食えるのか?
結局、その日の夜は、食べ過ぎて寝込んだフェイの看病をする羽目になってしまった――――まったく、何で俺がこんな事を…。

「う、うーん………すみません、ブラッド様」
「謝るくらいなら、今後は無茶をしないことだな――――ほら、薬を飲め」

ふぅ、それにしても今日は意外に凄い夕食代になったな。どうも、フェイだけでなく…オリエとベルも大量の注文をしたらしい。
なんというか、まともそうなあの二人こそが、今年の生徒の中で一、二を争う曲者なのかもしれない。
粉薬を口に含んだフェイに水差しを渡しながら、俺は今後の雲行きの怪しさに、そっと溜め息をついたのだった。


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