〜グリンスヴァールの森の竜〜 

〜グリンスヴァールの森の竜〜



入学式を終えた後…最初の授業の合間には、一週間ほどの準備期間がある。この合間に…生徒達は、どの授業を受けるのかを選び、教科書などを購入したりするのである。
人気の授業には、応募が殺到して抽選になる反面、知名度の薄いマイナーな授業となると、定員割れを起こすことも、よくあることらしい。
そういうわけで、入学式より数日後の、俺のこの状況は――――まぁ、至極妥当ではあると、自己弁護をしつつ、優雅に紅茶を飲んでみたりした。

「ふぅ、今日もいい天気だなぁ」
「現実逃避をしないでください、ブラッド様」

傍らのフェイに言われ、俺はようやく現実に立ち戻る。ここは、昼過ぎの食堂――――外に設置されたオープンテラスに、俺とフェイは陣取っていた。
ちなみに、周囲には生徒、生徒、生徒………隣の席に座っている者から、遠巻きにこちらを伺っているものまで、多数の視線が俺の隣に座ったフェイに向けられている。
基本的に、授業を受けたい場合は、教師にその旨を示した書類を渡し、受理されれば決定となる。そんなわけでこの数日、目立つ場所である食堂に陣取ってみたが…。

「あの………フェイ先生、サインをお願いできますか?」
「は、いや、私はそういうのは、したことが無いから………まいったな」

歩み寄ってきた女生徒に、手帳を渡され、フェイはぎこちない様子で、ペンを走らせる………こんな調子で、ここ数日はフェイは時の人といった感じなのだった。
事の発端は数日前…フェイの所に一人の男子生徒が授業の願書を持ってきたことに始まった。どうも、授業を受けるというより、その生徒はフェイが目的だったらしい。
願書を差し出そうともせず、男子生徒は馴れ馴れしく、フェイにあれこれと話しかけ、彼女の肩に手をかけた直後――――ものの見事に投げ飛ばされた。
さらに、倒れた男子生徒の腕を取り、関節まで極めた所でようやく我に返ったのだった。フェイいわく、騎士を馬鹿にするからこうなる、との事である。

「ね、噂の女教師って、あの人なんでしょ?」
「かっこいいよね、私も授業、受けてみようかな?」

ひそひそと、噂の新任教師を一目見ようと、周囲は生徒の野次馬で一杯である。その知名度もあいまって、フェイの授業は既に定員一杯となっていた。
………そして、対する俺はというと――――実は、一人も授業を受けたいという生徒が来なかったりする。うーむ、何がいけなかったんだろうか?

「準備は万端だが、生徒が来ないってのは予想外だったな………かといって、こちらから呼び込みをするのも、何か違うような気がするし」
「ブ、ブラッド様、そんなに落ち込まないで下さい。そうだ、私がブラッド様の授業を受けるというのは――――」
「ふ………気持ちはありがたいが、遠慮しておこう。まだ日にちはあるし、多少は私にも、意地を張らせてくれ」
「ブラッド様…」

苦笑をした俺のどこが心の琴線に触れたのか、フェイは感激した様子で俺を見つめてくる。と、周囲から刺すような視線が俺に向けられてきた。
すでに、学園の人気者となりつつあるフェイには、熱狂的なファンが多いらしい。ちなみに、刺すような視線でなく…先日、本当に刺されたのはフェイには内緒だ。
…まぁ、相手が女子ということもあり、たっぷり教育的指導を施した後、開放をしたわけだが。

「あ、こんなところにいたのね、ブラッド」

――――と、そんなこんなでフェイとくつろいでいると、呆れた様子のヴィヴィがオープンテラスに姿を現した。
なにやら手に、十数枚の書類をかかえながら、ヴィヴィは俺に近づいてくる。何か、俺に用件があるんだろうか、それとも、フェイに用事か?

「こんにちは、フェイ先生」
「どうも…こんにちは」

にこやかに話しかけるヴィヴィに、フェイは緊張した様子で頭を下げる。基本的に生真面目なフェイは、教師長という肩書きの相手なだけに緊張しているようだ。
そんなに緊張する必要もないと思うけどな――――まぁ、確かに彼女の傍にいると、不思議と身の引き締まる雰囲気を感じるのだが。
と、そんな事を考えていると、ヴィヴィが怒った様子で俺のほうをにらんできた。な、なんだ? ひょっとして先日の女生徒の件がばれたんだろうか?
確かに、最初にナイフで刺してきたのは向こうだが――――その後、散々に別なものを刺しまくったからな…いろいろな意味で問題だったか。

「ブラッド、あなたに苦情が来ているわよ」
「あー…言いたいことはわかる。しかし、世には正当防衛ってものがってだな」
「………? 何を言ってるの? 私が言ってるのは、勤務時間中にこんな所にいる事についてなんだけど」
「は?」

ヴィヴィの言葉に、俺は思わず首を傾げていた。その様子を見てか、ヴィヴィの表情が不機嫌そうになる。
まずい、これは危険な兆候だ…! ええと、そういえば、数日前にヴィヴィに言われた事が――――。

「ああ、そういえば………生徒に居場所が解りやすいように、この時期は教師は自室にいるようにって言っていたか」
「もしくは、出かけるときは表札を掛けるようにするのが義務よ。それと…ポストの確認! 数日前から怠っていたでしょ」

そう言うと、ヴィヴィは手に持った書類をテーブルの上に置く。十数枚ある書類には、生徒の似顔絵と授業の志望動機が書かれていた。

「これは――――?」
「あなた宛の願書よ………職員室に嘆願が来て、調べてみれば――――まったく、休みあけだからってだらけないようにね」

ヴィヴィの呆れた言葉と、フェイの気まずそうな表情がチクチクと刺さって気まずい。しかし、そうか…ちゃんと、俺の授業を受けたいという生徒もいるんだな。
感慨深げな気分で、俺は書類を手に取り、一枚一枚目を通してみる。そうか、これが俺の生徒達――――、

「シャルロット、ベルナデット、オリエ、ラキス………みんな、女性のようですね」
「ええ、どうやら半数以上は、授業内容じゃなくてブラッド個人に興味があるみたいね。よくある事だけど」

表情を険しくするフェイをなだめるように、ヴィヴィはこともなげに、そんな事を言う。そういえば、フェイのもとに願書を持って来た生徒達の大半も、興味本位での行動のようだったな。

「まったく、嘆かわしい………真面目に教えを請おうとする生徒に失礼な話です」
「まぁ、嘆いていても始まらないわ。動機はどうあれ、授業を受けたいって生徒が言っているんだから。要望を叶えるのが教師というものよ」
「――――そうだな、ヴィヴィの言う通りだろう。やるからには、しっかり取り組まないとな」

気を取り直して、俺はテーブルの上の願書に目を通す。やる気が削がれなかった理由の一つに、授業を受けたいという女生徒達の容姿が、見栄えのするものだったからである。
これが、むさくるしい野郎の群れだった日には、授業をほっぽり出して山に帰っていたかもしれないが――――男というのは、総じて現金なものである。
そんなこんなで授業の面子もそろい――――いよいよ、本格的な教師生活が始まることになる。受講者は十数名………ちっぽけな教室を借りての、つつましやかなスタートとなった。


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