〜グリンスヴァールの森の竜〜 

〜グリンスヴァールの森の竜〜



………どう考えても、夢でしかない夢を見た。夢の中では、俺はリュミスと暮らしていた。正気か、と、夢の俺に問いたいが、そこは夢なのでしょうがない。
しかし、夢の俺より唖然とした事は――――夢の中のリュミスの態度であった。なんというか…お前、誰? といえるほどの変貌っぷりである。

「はい、ブラッド、あーん………おいしい?」
「ああ、リュミスの料理も上達したよな」
「うふふ、だって、努力したもの――――ブラッドの為に♪」

俺が誉めると、リュミスは頬に手を当て…恥ずかしそうに、もじもじと身じろぎをした。いつも、怖い顔しか見ていないリュミスの表情は可愛らしく…、
正直、一目惚れをしてしまいそうなほどに、魅力的であり、夢の中でありながら、俺はその笑顔に見惚れてしまっていたのだった。



しゃっ、とカーテンの引かれる音――――黒色に染まった目蓋の裏に光が当たり、何とも形容しがたい色になった。
目ではなく、肌で眩しさを感じ…俺はうっすらと目を開けた。陽光避けに腕をかざしながら俺は眩しさに顔をしかめる。

「おはようございます、ブラッド先生」
「ああ…ラキか」

職員が使う寮の一室、俺の寝泊りしている部屋は、基本的に鍵を掛けてはいない。物取りに取られるようなものはないし、身の危険を感じるはずも無いからだ。
来る者拒まずの俺の部屋に…ラキが朝から世話に来るようになったのは、ここ最近のことであった。いつも俺が起きる前の食事の仕度もしてくれて、ありがたいことである。

「今日も、良い天気ですね…あ、ご飯の用意もできていますよ」

にこやかに微笑みながら、朝の光に照らされて笑顔を見せるラキ。私服の上にエプロンをつけて、すっかり家事手伝いが板に付いたようだ。

「今日は、入学生が学校の下見に来る日なんですよね――――懐かしいです」
「そういえば、そんな日だったな………といっても、俺にはあまり関係が無いがな…親しい相手といってもラキ以外いないし」
「………たくさん来ると良いですよね、ブラッド先生と親しくなれる生徒達が」

生徒であった頃の事を懐かしむかのように、優しい笑顔で微笑みながら、ラキは俺の顔をじっと見る。寝起きの顔が、そんなに珍しいのだろうか?

「なんだ、私の顔に何か付いているのか?」
「い、いえ、何でもありません。さぁ、ご飯にしましょう」

慌てたように、俺から視線をそらすと、ラキは朝食の揃えてあるテーブルへと移動した。出来上がったばかりの朝食は、いつも通り美味そうであった。
ベッドから身を起こし、寝巻きから私服に着替える。ラキと共に朝食をとりつつ――――俺は、今日はどうして過ごそうかと頭を捻っていた。



グリンスヴァール学園のとある一日………入学式を数日後に控えたその日は、今年入学する生徒達が、少々早めに学校見学に訪れる日である。
王都に実家や、住む場所のある生徒以外は、丸々一年をこの学園内で過ごす事になるので、早く慣れてもらおうという学園側の配慮だった。
もっとも――――入学生のうち大半が、学園を卒業済みのリピーターらしいので、実際の所、休み明けの登校日のような雰囲気らしいのだが。

「それじゃあ、お願いしますね、ブラッド先生。多少の事は見てみぬ振りで構いませんが…トラブルは、すばやく対処をしてください」
「ああ、了解した――――それにしても賑やかなものだな」

ガヤガヤと、本校舎の前に生徒達が集まって、それぞれのグループで楽しそうに雑談をしている。ちなみに、今ここではクラブ活動の勧誘が行われているらしい。
先ほどまで、監視役をしていたクライス学園長との引継ぎを済ませ――――俺は、中庭をざっと見回してみた。
本校舎の前は、生徒に人気のある体育会系のクラブが勧誘場所として使う事になっている。ちなみに、文系のクラブは校内であり…経営系のクラブは商店街が勧誘場所だった。

プラカードつきの看板には、『剣術クラブ』『陸上同好会』『弓道部』『暗殺術剣鍛連』『剣闘士ギルド』など、様々なクラブ名が表記され、それぞれの場所に複数の生徒がいる。
中には、新たなクラブ員が加わったところもあるらしく、そのたびに歓声が上がったり、胴上げをする様子が見て取れたが…実に平和なものである。
そんなこんなで、ただ立っているのも所在無かったので、ウロウロと校舎前をうろつく俺だったが…しばらくして、唐突に耳に飛び込んできた声があった。

「ふぁ、ふぁっ…くしゅん! は…くしゅん! ふぁ…くしゅん!」
「ん?」

春先のこの季節、どうも巷では、花粉症なる病気がはやっているらしい――――と、ヴィヴィから聞いていた。もっとも、竜である俺には関係の無い話だったが。
普段なら気にも留めないのだが………連続でのくしゃみが、妙に気になってしまい――――俺は、くしゃみをした生徒に視線を向けて…何ともいたたまれない気持ちになった。
その生徒は、春先だというのに身体にぴったりと密着した布地一枚だったのだ。さすがに寒いらしく、腕をさすっては、くしゃみを連発している。
いたたまれない気分だったのは、彼女の周囲にいる生徒も一緒だったのか、しきりに彼女に服を着るように声を掛けているようだ。ちなみに、プラカードには『水泳部』と書かれている。

「ねぇ、オリエちゃん………服を着ようよ? 勧誘の為って言ってもさ…ほら、何だかみんな、引いちゃってるみたいだし」
「な、なに言ってんのよっ! 水泳部がどんなクラブなのか示すには、こうするのが一番じゃない! 水着は乙女の戦闘服なんだから! …ふぁっくしょん!」
「………なんとも、なぁ」

どうどうと胸を張り――――次の瞬間…盛大なくしゃみと共に、身体をくの字に折り曲げる女生徒に、俺は呆れて二の句が告げなかった。
そこそこの見た目を持つ美少女なのだが――――くしゃみの為に出る鼻水が、何と言うか全てを台無しにしている。普通にしていれば良いのに…変人の類なのだろうか?
しかし、傍観をしているわけにもいかないな…周囲のクラブからは露骨に迷惑そうな顔をされてるし――――トラブルが起こる前に、対処とやらをする事にしよう。
俺は上着を脱ぐと………盛大にくしゃみを連発している女生徒の背後に回って、その肩に上着を掛けた。

「ふぇ…くしゅ?」
「別に、生徒の格好をどうこう言うつもりは無いが――――せめて、上着ぐらいは着ておけ。春先とはいえ、裸同然では寒いだろう?」
「わ、ブラッド先生だ」

俺の顔を知っているのか、オリエという少女の隣にいた、桃色の髪の女生徒が、俺の顔を見て慌てたような声を上げる。相手が教員という事を知ってか、まずそうな表情である。
それは、オリエも同様だったのか、鼻をすすりながら、ばつの悪そうな表情で俺を見あげてくる。その頭を、俺は笑いながらポンポンと叩いた。

「春先の風邪は長引きそうだからな………身体を大事にしておけ。その上着は返さなくても良いからな」
「ずず………ふぁい」

申し訳なさそうな女生徒だったが、さすがに寒かったらしく、俺が肩に掛けた上着を突っ返す事もせず、こくりと頷いて、肩に羽織った。
さて………ここは良いとして、見回りを続けるとしようか? 何だか、向こうの方が騒がしいが――――喧嘩だとすれば止めなければいけないからな。



「それではな…やれやれ、今度は何だ?」
「ぁ………ぅ〜」

ブラッドが、ぼやきながらその場を後にすると、残された生徒………オリエはポーっとした様子で彼の背中を見送った。
その様子を見ていたシャルは、友人のその表情に好奇心を覚えたらしく、満面の笑みを浮かべながら、オリエに声を掛けた。

「どうしたの、オリエちゃん? 何だか顔が真っ赤だけど――――ブラッド先生に見惚れちゃったの?」
「ん〜 何だか、わかんない。 頭の中がポカポカして、ぐるぐるってなってる」
「そっか、それって恋――――…って、本当に大丈夫? なんだか、顔色が青くなってきたみたいだけど」

恋☆DA☆YO☆と、言おうとしたシャルだったが、オリエの様子がおかしいのに気づいて、表情を曇らせた。
なんというか、やせ我慢の反動が一気に来たのか、引きはじめの風邪が思いっきり悪化したようである。オリエは夢うつつといった表情で、ふらふらと、頭を揺らし始めた。

「う〜…頭が熱いのに、身体が寒いよ。あ、気持ちよさそうな川が目の前に………」
「わ、わ、それを渡っちゃ駄目〜!」

ぱたり。

結局………Uターンして駆けつけたブラッドに、お姫様抱っこで保健室に運ばれたオリエは…幸か不幸か、その時の事をよく覚えていなかった。
新たな季節、新たな出会いは――――そんな、ムードもへったくれも無い状況から、始まったのであった――――。


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