〜グリンスヴァールの森の竜〜 

〜グリンスヴァールの森の竜〜



「このままじゃ、まずいのよ!!」

それは、その一言が発端だった。ここは、エルブワード山の中腹………その山を根城にしている竜の巣の最深部――――竜の間である。
主の出払っているこの広間にいるのは、執事服を着た少女と、豪奢な装いに身を包んだ金髪の美女である。美女の手元には粉砕された、先ほどまで机だったものが転がっていた。

「はぁ…何がまずいのでしょうか?」

粉砕された調度品に内心で嘆きつつも、主の婚約者であることもあり、その女性――――リュミスの言葉に、丁寧に問いかける執事服の少女、クー。
問いかけられたリュミスはというと、苛立ちを隠せないといった様子で、手近にあったソファに腰掛ける。そうして、忌々しげに言葉を吐き出したのだった。

「昨日、ブラッドに会ってきたのよ。グリンスヴァールの学園って呼ばれる場所でね」
「ええ、そう聞いています」

万事に情報に聡いクーは、手の者からリュミスが…もう一人の少女と一緒に、自らの主に会いに行った事も既に把握していた。そして――――そこで何が起こったかも。

「そうなのよ。ブラッドを巣に引きずってこようと思って…殺してでも、そうしようと思っていたんだけど」
「殺されたら、私どもが困ってしまいますけど――――その様子だと…上手くは、いかなかったみたいですね」

結果は知っていたが、知らない振りで聞くクーの言葉に、リュミスはムッとした表情で眉根を寄せる。それでも、さすがにこれ以上調度品を壊すことは無かったが。

「ええ、とりあえずブラッドを殴って気絶させたまでは良かったんだけどね。妙な横槍が入ったのよ」
「横槍、ですか?」
「片眼鏡を付けた女が血相を変えてくってかかってきてね…本当なら、ずたずたに引き裂いてやる所なんだけど、なぜかそんな気になれなくて」

その時の光景を思い出したのか、苦虫を噛み潰したかのような表情をリュミスは見せる。なぜあの時、殺っておかなかったのかと思ってるようだ。

「その女と揉めてるうちに、人が集まってきてね…なんだか済し崩し的に丸め込まれちゃったのよ。なんでそんな気になったんだか」
「…そうですよね。ご主人様やリュミス様なら人間の言う事なんて聞かずに、強硬手段に出ても良いはずですから」

物見の報告を聞いた話によると、リュミスは物腰が穏やかそうな青年と話をした後、気絶をしたブラッドをおいて、学園を立ち去ったらしい。
………ちなみに、置いてけぼりにさせられたルクルは、どうやってかエルブワード本国に戻ったらしい。意外にしたたかな王女のようだ。

「………これは、私の勘なんだけど――――ブラッドの居るあの場所は、何だか危険な気がするのよ。でも、無策で突っ込んでも、また追い返されそうな気がするのよね」
「つまり、その学園に対する調査をご用命なんですね。報酬の方はいかほど用立てていただけるのでしょうか?」

営業スマイルでニコニコ笑顔を見せるクー。と、そんな彼女にリュミスは剣呑な視線を向けて、きっぱりと言い切った。

「報酬? そうね…ブラッドの居場所を黙っていた件を不問にしてあげるわ。王女から聞いたけど、あなたはブラッドの場所を知っていたそうじゃないの」
「う………それは――――」
「本来なら、縊り殺すところだけど…この件の結果次第では、考えてあげても良いわ」

次は無いわよ。と、言外に告げるリュミスに、クーは引きつった笑みを見せた。一番に身近な竜が御しやすい為、忘れがちだが…竜とは非常に厄介な性格なのだ。
最強・敵なし・知識ありという実力の為、その性格はワガママ放題で見境が無い。男性竜はまだマシだが、女性竜は輪を掛けて非道なのだ。
機嫌を損ねて命があるだけマシだと考えるべきなんでしょうね――――と、クーは内心で泣きながら健気にもリュミスに笑顔を向けた。

「早急に、調査をさせていただきます………」
「そう。あまり私を待たせないようにね」

幾分、機嫌を直した様子のリュミスは、クーの返答に満足気にソファにふんぞり返ったのだった。



「それで、ブラッドさんの居る学園に行けば良いんですね?」
「ええ、お願いできますか?」

リュミスが帰った後………さっそく調査の為に学園に侵入する人選をクーは考え、一人の少女に白羽の矢を立てたのだった。
長期にわたる巣作りの中で、既に古参の住人となっているユメという少女は、クーとも気心の知れた相手である。
何でも、学園に知り合いの少女が居るという話なので、それを理由に学園に潜入させようという計算だった。

「ええ、構いませんよ。ブラッドさんのお世話ができますし、それに、またニキちゃんに会えるんですから」
「そうですか。学園の事は事細かに報告していただけると助かります」
「…違和感というのはよく分からないですけど――――何か気がついたことがあったら、報告をすれば良いんですよね?」
「ええ、お願いします」

学園に対する調査は、クーの配下にある物見達で充分に賄えると思うのだが――――リュミスとの約束がある以上、表立って動く人も必要だった。
その点、ユメはリュミスとも顔が知れているし、こちらの誠意もアピールできるとクーは考えていた。
ひとまず、ユメが学園に行く事で、話は決まった――――の、だが………。



「た、大変です、分隊長!!」
「あら? どうしたの? あなたの班は…確か、今日は洞窟の改装に行ったはずよね」
「そ、それが………ストライキですっ! 部下の娘たちが、洞窟内にバリケードを築いて立て篭もっちゃったんです!」
「――――え?」

ユメが巣を出て学園に行くと決まってから、数日後――――…なんと、巣で働くメイド達の大半が、ストライキを起こすという異常事態が発生したのである。

「我々はぁっ――――! 正当な権利をぉ。要求するぅっ!」
「署名を集めてます! 冒険者の方、一筆お願いしまーす!」

洞窟にある各所に陣取って、メイド達は抗議活動を行っていた。普段は見られない行動に、巣に入った冒険者の方が戸窓った様子である。
そんなこんなで、巣の運営にまで支障が来たす前に、クーは首謀者に話を聞く事にしたのだった。連れられてきたのは、数人のメイドの少女である。

「貴方達が、みんなを扇動して騒ぎを起こしたのね? …始末書は、覚悟してるんでしょうね?」
「そ、それは…覚悟の上ですっ」

ギロリとメイドの少女達を睨むクーの剣幕に、ガタガタと震えながらも、少女たちは気丈にクーを見つめ返した。
平謝りをされたら、逆にカッとなりそうだったが、面と向かってこられたので、少しだけ気分が落ち着いたように、クーは少女達を見る。
思えば、今までクーの言う事には右向け右で従っていたメイド達が、こうも面と向かって反目したのは初めてである。

「いったい、何でこんな事をしたのかしら? 言ってみなさい」

理由が気になったクーは、声の調子を和らげると、諭すように少女達に話しかけた。効果は覿面であり、少女達は顔を見合わせると、拍子抜けしたような、安堵の表情を浮かべる。
怒られたり、懲罰を受ける事も覚悟していただけに…ホッとした分、口が軽くなったのか、リーダーの少女が、代表して事の次第を話し始めた。

「そ、それは――――ユメさんが巣から出て行くっていう話を聞いたからなんですっ」
「――――はい?」
「で、ですから………ユメさんが居なくなったら、美味しいご飯が食べられないじゃないですか! これって、死活問題なんですよっ!」

………ストライキを起こした理由――――それは、メイドの少女達からしてみれば、至極まっとうな理由であり、クーにとっては――――目が点になるような理由であった。
巣が大掛かりになっても、食事を用意するのは相変わらず、ユメの役割だった。助手として何人かは付いたとはいえ、毎日の食事は彼女の担当である。
とはいえ、日々多忙なクーの場合…簡易食などで済ますことも多く、他のメイド達よりもクーの食事をとる機会が少なかった。
まぁ、そんなわけで、価値観の相違というか――――ユメが居なくなったら大変だと考えたメイドたちの暴走は、クーにとって予想外の出来事だったのである。

「………と、いうわけで、申し訳ないですけど、巣を出る話は無かった事にしてもらえませんか?」
「はぁ…そんなことがあったんですか。わかりました、そういうことなら、仕方ありませんね」

事情を説明するクーに、ユメは苦笑をしながら頷いた。彼女としては、ブラッドに会いにいけなくなったことは残念だったが…かといって、仕事を放り出すほど無責任でもなかった。
ブラッドのもとに来てからの長い年月が過ぎ――――ユメにとって、この場所は自らの家も同然になり、メイド達も家族同然の間柄だと彼女は思っている。
そんなわけで、泣いて引き止めるメイド達(中には本当に、泣き落としをするメイドもいた)の懇願に負け、ユメは巣に留まる事になったのだった。

「でも、そうすると………どこかに出かける時に困りますよね。やっぱり、誰かに料理を教えておくべきでしょうか」
「…そうですね。今回みたいな事があっては困りますし――――ちょうど適任の人材も居る事ですからね」
「あ、あの…何だか顔が怖いですよ? クーさん」

張り付いた笑顔――――でも、額には怒りのあまり青筋がピキピキと浮かんでいるクーを見て、ユメはちょっと怯えたようにあとずさった。
ちなみに………適任の人材とは言わずもがな――――今回の騒動を起こしたメイドの少女達である。実は、自分よりもユメの方が人気があるんじゃないかと不機嫌なクーであった。



「あ、フェイさん…ちょっとよろしいですか?」
「私に、御用ですか?」
「ええ、実は――――」

それからしばらく後………巣の通路を歩いていたフェイに声を掛けたクーは、彼女に事の次第を説明した。
リュミスの手前、誰かを学園に送らなければならなかったし、ユメと同等に気心の知れた相手というのは彼女以外に居なかったのである。

「――――おおよその経緯は分かりましたが………私でよろしいのですか? 巣の防衛の任務のほうは…」
「ああ、それなら大丈夫です。ここ最近は、ご主人様の示威行為もなかったので、侵入者の数もさほどの数も居ませんし…どうせだから、休暇のつもりで行ってきてください」
「………そういうことでしたら、私も否はありません。見事、任務を果たしてごらんに入れましょう」

最初は巣から出る事を渋っていたフェイだったが、最終的にはクーの申し出に、首を縦に振る。結局のところ――――彼女もブラッドに会いたかったのであった。
そのことが分かっている為、クーは少々面白くはない。本来なら、真っ先にブラッドのもとに馳せ参じたいのだが…巣の管理維持の仕事があるため、巣を離れる事はできないのである。

「――――羨ましいですね」
「え、何か仰いましたか?」
「…いえ、別に」

怪訝そうな表情のフェイをおいて、クーは踵を返した。彼女には、まだまだするべきことが山のようにある。
次にご主人様と会えるのは、いつになるんだろう――――彼女の内心の嘆きを聞く者は、誰も居なかったのであった。

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