〜三十年の日記帳〜 

〜三十年の日記帳〜



季節は一巡りし、巣作りの軌道はそれなりに順調に進んでいる。と、クーからは報告を聞いていた。
周辺の集落からは、定期的に貢物が届けられ、その財をもって巣の拡張に励んでいるそうだ。
まぁ、最終的にはリュミスとの結婚などという難事を控えているとはいえ、現状の生活に不満はない。
面倒な雑事は全てクーとメイド達がやってくれるし、今のところ、さしたる問題もない。

――――嗚呼、万歳、独身貴族だな。

「…どうかなさいましたか? 御主人様」
「ああ、なんでもないよ、リィル。気にしないでくれ」
「――――承知しました」

知らず知らず、ほくそえんでいたのか、給仕をしていたリィルに怪訝そうな表情を向けられてしまった。
そんな小さな失敗談はさておき、ここしばらくは、平穏な日々が続いていた。
しかし、こうまで暇だと逆に手持ちぶさたになってくる。どうしたものだろうか――――などと、そんな事を考えたのがまずかったのだろうか。

それから数日後の朝、クーが渋い顔をしながら俺の前に姿を見せた。
ここ最近のクーは終始上機嫌で、おかげで巣の中の雰囲気は良好だったが――――今日のクーの様子はただ事ではない。

「ご主人様、少しお話をしてよろしいですか?」
「その顔からするに、あまり良い話ではないようだが――――聞かなければならないか?」
「ぅ………顔に出てましたか。聞いてもらったほうが、差し障りなく問題ごとは解決できるのですけど………分かりました、内々に処理しておきます」
「ああ、待て待て。私の言い方が悪かった――――頼むから行かないで、話をしてくれ」

部屋を出て行こうとするクーを慌てて呼び止め………俺は、これこの通りと頭を下げた。
クーの性格上、意固地になると何でも自分ひとりで解決しようとする。それで解決できてしまうのが、クーが有能であり困ったところでもあるのだが。
ともかく、わざわざ俺に話を振ってきたのだから、聞くのが筋であろう――――平身低頭する俺を見て、クーはものいいたげな表情をしたが、気を取り直したのか、こちらに戻ってきた。

「それでは、報告をさせていただきます。近日のことなんですけど、山間の一つの集落が、貢物の譲渡を拒んできたんです」
「――――それはつまり、巣への貢物を出し渋っていると言いたいのか?」
「はい、それだけならともかく、集落の周りに防柵を作って、警備を固めているようなんです」

クーの報告では、メイドの一人がいつも通りに貢物を受け取りに行ったところ、けんもほろろに追い返されたらしい。
なんでも、今年は作物が不作ぎみであり、貢物に回す余裕が無いということだった。

「まったく、身の程を知らないというか、なんというか…獣用の柵くらいで、身を護れると思ってるんですかね?」
「ふむ………そんなことが起こっているのか」

クーの言葉に、俺はしばし黙り込む。そういった理由があるのなら、貢物を渋るのも当然といえるだろう。
身を護ろうとしているのも当然のことであり、まぁ、個人的には放っておいてもいいと思うのだが――――、

「――――クーは、その集落を放っておいていいとは、思っていないようだな?」
「当たり前です。一つでもそんな前例を認めたら、他の集落もこぞって真似をするに決まってるんですから」

やるなら徹底的に、完膚なきまでに叩き潰しておかないと、後々尾を引きますから。
そんな事を言う、クーだが………表情から察するに、その集落に対する報復を、俺が直々にするようにと、言っているようであった。

「そういうわけですので、ご主人様はその集落にいって、ぱーっと焼き払ってきてください」
「待て待て、物騒なことを言うな。集落というからには、それなりの数の住人が居るのだろう?」
「ええ。ですけど――――大した集落じゃないですよ? 魔術師も居ないでしょうし、それこそブレスの一吹きで壊滅できるくらいの規模ですから」

慌てた俺の声をどう受け取ったのか、クーはのんびりとした口調でそんな事を言ってきた。
しかし、俺が言いたかったのは、集落が危険かどうかという事ではなく――――集落を焼くなどという行為を、行って良いとは思えなかったのだが。
憮然とした顔をする、俺の心情を察してか…クーは静かな声で、淡々と言葉を述べてきた。

「もし、ご主人様の気が進まないのであれば、私がその集落に赴きますけど。魔物の一個小隊もあれば、何とか壊滅できると思いますから」
「――――そんなこと、させるわけには行かないだろう?」

苦々しく呟くと、俺は溜息をついて肩を落とした。クーは、やるといったら本気でやるだろう。
結局、俺自身が行うか、クーに行わせるかの違いであり…それなりに愛着のある目の前の執事の娘に、横暴な真似をさせるのは気が引けた。
すぐに、というわけではないが、数日内にその集落に対する攻撃をすることを確約させられ、クーの報告は終わった。

「やれやれ、面倒な事になったものだな」

クーが退出した後、俺は深々とソファに身を沈めながら、長い溜息を吐き出した。いよいよ、来るべき時が来たと言えるのかもしれない。
竜が巣を作る昔話には、必ずといっていいほど記述される、人間との戦いの歴史――――巣作りは、人間達との戦いの歴史でもある。
竜の巣へもぐり、財宝と美女を手に入れ、竜を邪悪なる物とし、倒し、殺す竜狩人………それは、長き時を経て培われた人の英知の結集。
無論、竜とて黙ってはいない。反旗を翻したものには、厳粛なる破滅を与え、自らの力を誇示することで報復とする。

規模は違えど、間違いなく今起こっている問題は、人間・対・竜の構図に他ならなかった。
このまま状況が悪化すれば、この巣へ進入してくる者、表立って反抗するものが続出し、その噂は風より早く、大陸全土に流れるだろう。
別に、噂が流れるのは問題ない。ただ、その噂の内容が、ここの竜は意気地がないだの、ヘタレているだのになるのが問題らしい。
それは、俺自身の面子に関わることだし、下手をすればその噂を聞きつけて、婚約者であるリュミスが怒鳴り込んでくる可能性もある。

俺とて、若い身空で婚約者にくびり殺されるなどと言う結末を迎えたくはない。迎えたくはないのだが――――、

「ふぅ、どうしたものかな…」

それでもなお、俺の心中には、人間を殺す事に対する罪悪感と、殺戮への嫌悪感が渦巻いていたのだった。
傍らに控えたリィルが、物言いたげな表情をしていることにも気づかず、俺は一人、深い苦悩の淵に立たされかかっていたのだった。



翌朝、俺は巣を出ると、山間の獣道を歩いていた。クーの話を聞いた所………件の集落は、巣からそれほど遠くない位置に在るとの事だった。
無論、それほど遠くないとはいっても、それは空を飛べる者からしての話であり、実際に集落に到着するのには、小一時間ほどの徒歩を必要としたのだったが。

「あの集落か――――なるほど、確かに防柵らしき物はあるようだが………」

それは、丸太をロープで結んだだけの…素人目で見る限りでも、かなりお粗末な代物である。正直な話、もう少し立派なものを予想したくらいだ。
集落の規模は、さほど大きくないもので、せいぜい百人程度の人間が住んでいるだけであろう。
昼時の炊事の煙か、良い匂いの混ざった煙が、それぞれの家から立ち昇っている。周囲を取り囲む策さえなければ、平穏そのものの集落だろう。

「あはは、まって〜」
「こっちこっち〜!」
「ほら、もうお昼の時間よ! ご飯にするから、戻っていらっしゃい」

遠くに見える家々の間をすり抜け、追いかけっこをする子供達を呼ぶ母親の声――――のどかな、平穏な村がそこにあった。
そういえば、もう昼時だな………俺も昼飯を食べる事にしよう。巣を出るとき、リィルに弁当を手渡されていたので、そのバスケットをあけた。
綺麗に揃えられたサンドイッチと、果物類がバスケットの中に詰まっている。俺は木立の根元に腰を下ろすと…木漏れ日の光を受けながら、のんびりとした昼食を満喫する。
青空高くには、雲が流れ………穏やかな空気を、風が運んでくれる。穏やかな昼下がりは、そうしてまどろむように、過ぎ去っていったのだった………。



「さて………それでは始めるとするか」

昼食を終え、溜息混じりに俺は腰を上げる。正直な話、気が進まないことは変わらない。ただ、嫌なことを伸ばし伸ばしにするわけにも行かなかった。
俺は、自らの姿を竜へと変える。視界が高くなり、遠くまで見渡せるようになった。すぐ側に、さっき様子を覗いた集落がある。
翼で飛ぶ必要も無いので、少々格好は悪いが、俺は歩いて集落に向かう事にした。木々を押しのけ、集落に向かう。
重量のせいか、周囲の地面が歩くたびに陥没し、その揺れで、森の小動物が逃げ惑う様子が足元に見えた。

「やれやれ…」

やはり、竜の姿は開放感がある反面…何をするにも図体が不向きになるな。だからこそ、人を模した姿を纏っているのであるが。
ついうっかり、けり倒してしまった小さな若木に罪悪感を感じながら、とにもかくにも、俺は集落の入り口にたどり着いたのだった。

集落の入り口には、異常を察知した村の住民が集まっていた。老若男女、様々な者がいたが、皆一様に、驚いた顔をしている。
どうしたものかと黙っていると、そんな村人のなかから一人の老人が進み出てきた。察するに、この村の長なのだろう。
老翁は、土下座するように地面に這い蹲りながら、俺を見上げておびえたように声を発する。

「雄々しき者よ、いったいこの村にどのような御用向きなのでしょうか。ここは小さな寒村、捧げる物とてたいしたものはございません」
『小ざかしい人の子らよ。貴様らは表立って、私に刃向かおうとしていると風の噂に聞いた。ゆえに、私自らが、こうして討伐にやってきたのだ』

俺の言葉に、ざわめきが起こり、村人達は互いに顔を見合わせている。長老は、戸惑いを含んだ視線を俺に向けてきた。

「刃向かおうだなどと、そのような――――何かの、間違いでは?」
『では、村の周囲の防柵はどう説明をする?』
「あれは…獣達の侵入を防ぐための物でございます。空を飛ぶ貴方様にとっては、あのような物は役には立ちますまい」

………確かに、理に適っているような気はする。しかし、だとするとどういうことだ?
クーが嘘の報告を言うとも思えないし、その理由も思い至らない。肩透かしのような状況に、俺が困惑していると――――不意に、石が飛んできて俺の腕に当たった。

「化け物めっ! この村から、でてけっ!」

それは…先程、村の入り口から垣間見た少年の一人――――いかにも活発そうな少年が投げてきた小石だった。
少年は、俺の姿におびえる様子も無く、懸命にこちらに石を投げつけてくる。と、その少年を止めるように、母親らしき女が少年をかばうように抱きかかえた。

「駄目よっ、やめなさいっ!」
「なっ…何するんだよ、かあさんっ! 離してよっ、あいつを追っ払うんだっ!」

まるで、周囲を鼓舞するかのように少年は叫ぶ。と、それまで成り行きを窺うように、俺の方を怯えたような目で見ていた大人達の顔色が変わった。

「そ、そうだな…」
「俺たちの村は、俺たちで守るんだっ!」

そういうと、何人かの男達が、手に鍬やら鋤といった、農作業に使うような道具を振りかざして向かってくる。
様子を見ていると、男達は俺の脚に取り付いて、鍬や鋤を必死に打ちつけて来た。しかし、やられている俺はと言うと、別段、痛みを感じる事も無かった。
何しろ、竜の身体は鱗に覆われている上、固い。生半可な代物では、傷一つ付けられないのだ。かといって、放っておくわけにもいかないんだが。

「どうだ、この、化け物めっ!!」
『痛っ…』

何度目か、足下に群がる男達のうちの一人が、鍬を俺の爪先に振り下ろした。それは、鱗を砕きはしないものの…痺れるような痛みが頭にひびいた。
――――この時、いま少し経験を積んでいれば、その後に起こる悲劇は、回避できていただろう。だが、この時俺は――――、

『ええいっ、いいかげんにしろっ!』

苛立ちのままに、鉤爪のついた片手を、振るってしまったのだった………ぱっ、と赤い飛沫が舞い――――ざわめきが一瞬に凍結した。
足元に群がっていた村人の一人………その上半身が、無くなっていた。鉤爪の一撃は、村人の腰から上を粉々に粉砕し――――地面に撒き散らしていた。
胸の詰まるような、血の匂い――――かつて、訪れた町で俺は似たような光景を見たことがある。そう、あれは――――馬車に踏み潰された、子猫の死骸だったか。

「う、うわぁぁぁぁぁ!」
「ひぃぃいぃぃぃぃぃぃぃ!」

勇気が恐慌に取って代わったのは、まさにその刹那だった。村人達は、手に持った鍬や鋤などを放り出し、蜘蛛の子を散らす様に逃げ惑う。
村人達の目は一様に、俺を恐れ、恐怖で濁っていた。破れかぶれになったのか、中には鍬や鋤を拾いなおし、俺に向かって振りかぶる者も居た。

「ば、化け物ぉっ!!」
『………っ』

その叫び声と、恐怖に引きつった目に、俺は気圧された。思えば、今までこうして本気で敵意を向けられた事などなかった。
リュミスの時でさえ、怒りの中に悪ふざけのような暖かさがあったような気がする。しかし、こうして向けられる敵意は、まるで鋼の刃のよう――――…

『う、おぉぉぉぉぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉぉぉおぉぉぉぉおぉぉぉ!!!』

血の臭いと敵意、殺気と狂気のない交ぜとなったその空気に耐え切れず………俺は口を大きく開けると――――…



パチパチ………



『う、く、これは………?』

気がつくと、あたり一面は火の海に包まれていた。山腹の森の中にある村は、灼熱の炎に包まれ、炎上をしている。いったい、何が――――。
そこまで考え、俺は足元に視線を落とす。焼け焦げた地面に一つ、石を握ったままの、焼け焦げた子供の腕のようなものが、そこにあった。

『これは、俺がやったのか…?』

頭では分かっているが、認めたくない現実を、俺は呟きを口にして確認する。先ほどまで村だった場所は、俺のブレスの一吹きで全てが燃え尽きてしまったかのようだった。
どうして、こんな事になってしまったのだろうか………鈍く痛む頭を振り、俺は考えをまとめようとするが、うまくはいかなかった。
ただ、一つだけ思った事は、この場所には居たくないということだけ――――俺は翼を広げると、巣へと逃げ帰るように空に舞い上がったのだった………。



「お帰りなさいませ、ブラッド様」

巣に帰った俺を出迎えたのは、淡々とした表情のリィルであった。その静かな表情に、俺は幾分か、救われたような気持ちになった。
それにしても疲れた………今日はもう、さっさと眠ってしまいたい………返り血など浴びていないのに、なぜだか全身が、血の池に浸っているような錯覚を感じる。

「ああ…今、帰った。クーは、どこに居る?」

これだけやったんだ、クーも満足だろう。いや、村を一つ、滅ぼしてしまったんだ。文句を言われるかもしれないな。
そこまで考え、また気分が悪くなり、俺は視線を落とす。と、地面に落とした視界の外から、リィルの淡々とした声が聞こえてきた。

「連隊長は、お昼頃からお出かけになっています。そろそろ、戻られると思いますが――――と、噂をすれば…おかえりなさい、連隊長。ブラッド様もお戻りになってます」
「リィル、巣の警護、ご苦労様――――ご主人様も、おつかれさまです」

顔を上げると、ニコニコ笑顔のクーがそこに居た。何があったのか、かなりの上機嫌である。こっちの気も知らないで――――と思わず怒声が出かかったが、それを何とか飲み込んだ。
村を襲うのは必要な事だったんだし、示しとやらもついたんだろうから、これで良いんだろう………俺は自分にそう言い聞かせ、クーに向き直った。

「出かけていたようだが………どこに行っていたんだ?」
「はい、件の貢物を出し渋った集落に行っていたんです。ご主人様のおかげで、無事に交渉をまとめる事が出来ましたよ」
「………何?」

何か今、クーが妙な事を言ってなかったか? 奇妙な胸騒ぎを覚えながら、俺はクーに詰め寄った。

「ちょっと待て、それは一体…どういうことなんだ? 俺は確かに、あの村を焼き払って………」
「ああ、それですけど――――私の説明が、上手く伝わっていなかったみたいですね。ご主人様の焼き払ったのは、集落の隣の村ですよ」
「――――なん、だと」

じゃあ、あの村は、本当になんでもない村だった…のか? それを、俺はこの手で、炎で、全部、ころしてしまったのか。

「まぁ、でも結果オーライだったと思いますよ。貢物の減った分は、件の集落の分で補えますし――――あれ?」
「………っ!」

言葉にならない憤りを感じ、俺は踵を返して洞窟の中に足を進めた。その場から走って逃げ出さなかったのは、瑣末な俺のプライドのせいだったのかもしれない。



「ご主人様………? いったい、どうしたのかしら」
「………連隊長。今のは少し、酷いと思いますが」
「酷い? どうして?」
「いえ…分からないのならその方が良いでしょう。貴方はまだ、純粋ですから」
「――――?」


戻る