〜とくせつぺーじ〜 

〜30年の日記帳〜



ぬくぬくとした、まどろみに、身をゆだねる。
日の光のささない部屋の中は、温室のように暖かさが一定に保たれていた。思い出すのは、森のぬくもり。
天蓋つきのベッドに横になりながら、俺はゆらゆらと眠気に身を任せる。

頭の芯がとろけそうな感覚……眠りというのは、人だけでなく、生き物にとって重要な要素である。
竜の眠りは人と似通っている。浅い眠り、深い眠り……思考の隅に浮かぶのは夢か幻想か、果てはまだ見ぬ未来のことであろうか。

「失礼いたします」

頭は半分寝たままで、身体は十分に起きている耳に、規則正しいノックの音が聞こえた。
ベッドから身を起こすと、そこには青い髪のメイドの少女がいた。彼女は手に着替えを持って、部屋の中央にあるベッドへと歩み寄ってくる。

「おはようございます、ご主人様」
「ああ、おはよう」

俺はベッドから身を起こすと、部屋に入ってきた彼女と挨拶をした。着替えを持った彼女の名は、リィル。
ギュンギュスカー商会から派遣されてきた彼女は、俺の身の回りの世話を担当している。
基本的に生真面目な性質なので、正直ホッとしている。あまりに砕けた感じの女性が相手だと、どうもこちらが萎縮してしまうからだ。

「お着替えの用意ができています。必要であれば、着付けの手伝いをいたしますが」
「いや、いいよ、一人で出来るから……じゃなくて、必要ない。着替えが済んだら居間に行く」

彼女の申し入れに、俺は首を振りながら、途中まで言っていた言葉をとめ、わざとぶっきらぼうな言葉に言い代える。
執事のクーが言うには、竜の巣作りは何より形から入るのが理想である。巣の支配者たる竜は、他者が畏怖するような言葉づかいをしなければならないらしい。
そういうわけで、逐一言葉づかいには気をつけているが……時折、普通の言葉づかいになってしまうのは、まだ慣れていないせいもあった。

「それでは、失礼いたします。御入用の事が有りましたら、お呼びください」

一礼し、リィルは部屋から出て行った。彼女が出て行った数分したあと、俺はベッドから降りる。
ベッドの片隅に置かれた、着替えに袖を通しながら、俺はなんともなしに、部屋の隅においてある姿見の鏡の方へと視線を移す。
そこには、着替える最中の俺が写っていた。なんとなく、前より背が伸びたように感じ、俺は嘆息する。

「……そういえば、もう一年にもなるんだな」

クーやリィル、ギュンギュスカー商会から派遣されてきた彼女達との共同生活。
初めて出会った時から季節は巡り、一巡りして、ちょうど一年目になろうとしていた。


あれから一年……独身の日々を、のんべんだらりと俺は過ごしていた。
日が昇ったらメイドに起こされ、日の暮れる時間が来たら眠りにつく。気が向けば、洞窟内の書斎で本を読み、外の森を散歩する。
辺りの山野は季節ごとにその彩りを変え、俺を愉しませてくれた。

ここには、恐れるべきものも何もない。怖いリュミスや他の竜族の女も、口煩い一族の長老たちもいない。
俺は、お気に入りの森の広場に寝転がる。落ち葉が枯れ、冬をすごし、木々が新芽を出し、花を咲かせ……今は、枝に瑞々しい緑の葉が色づいていた。

「ずっと、このまま暮らすのも悪くないな……」

緑の天蓋から覗く空を見上げ、俺は笑みを浮かべる。俺自身はこの生活に満足していたし、変えるつもりもなかった。



が、



「このままじゃ、駄目なんですよっ!」

ばんっ、とテーブルを叩いて、クーが叫んだのは、その日の夕食が終わり、竜の間でのんびりと寛いでいる時であった。
俺のそばには、青い髪の侍女――――リィルが控えており、彼女もポカンと、クーの様子を見つめていた。

「い、いったいどうしたんだ、クー……そんなに、血相を変えて」
「どうした、じゃないですよ、ご主人様ぁ……ともかく、まずは、これを見てください」

そう言って、クーは懐から一枚の用紙を取り出すと、それを机の上におく。
俺は、身を乗り出してその紙を読んでみる。どうやらそれは、ここ一年の見積もり――――単純に言うと、家計簿のようであった。

なにやら細かい字で、びっしりと文字と数字が書き込まれている。
それを斜め読みして、俺はクーを見上げた。普段は温厚な彼女だが、なぜか今は不機嫌いっぱいに俺を見つめていた。

「これが、どうしたんだ?」
「どうしたんだ、じゃありませんっ、ああ……もう、赤字すれすれなんですよ、赤字すれすれ!」

癇癪を起こすかのように、まるで子供のように地団太を踏むクー。何気に可愛いと思うんだが、それを口にするのは憚られた。
困惑する俺に、そっとリィルが囁いてきたのは、その時だった。

「ご主人様……ギュンギュスカー照会では、基本的に見込みのある方への投資しかしないことになっているんです」
「見込み?」
「はい、巣を大きくし、自主独立できると見込まれる方――――そういう方に投資していると、聞かされています」

オウム返しに問う俺に、リィルは淡々と、事の次第を述べた。疲れきった口調で、クーがそれに追随する。

「本社のほうからは、これ以上の業績悪化は、即時撤収にもつながるって言われてるんです」
「――――つまりは、あまりにも巣作りがうまくいかない場合、私たちは本社に戻されてしまうんです」
「なんだって!?」

そんなことは聞いていないぞ。正直言って、今の快適な暮らしは、彼女達があってのことである。
一人では巣のことなんて丸きりわからないし、彼女達がいなくなったら、路頭に迷うことは目に見えていた。

「本社は厳しいですから…………これ以降は何年たとうと、一度でも赤字を出したら撤収するように言われてるんです」
「それは、ちょっと厳しくないか……?」

クーの言葉に、俺は思わずそう反論した。しかし、クーはじろっ、と責めるように俺を見つめてきた。

「だいたいですねぇ……ご主人様がしっかりとお稼ぎにならないから、いけないんじゃありませんか」
「クー……ひょっとして怒ってるのか?」
「ええ、怒ってますよ、怒ってますとも――――だから、私をこれ以上怒らせる前に、ちゃんと成果を出してきてくださいね!」

クーは足音も荒く、部屋から出て行ってしまった。残された俺は、疲れたようにソファに身を沈める。
いきなり稼げといわれても、その方法もわからないし、どうもやる気が起きない。なにせ、結婚相手があれだからだ。
巣作りは、自分の墓穴を作るようなものだ……村にいた時、誰かがそう評していた様な気がした。

いっそ、このまま何もせずにいようかとも考えた、そのときである。

「あの……連隊長の気持ちも、少しは汲んであげてください」
「ん?」

普段は寡黙に、俺のそばに従っているリィルが、静かにそういってきたのは、俺にとって驚きだった。
目を向けると、リィルはなにやら悩んでいる様子だったが、黙っているわけにはいかなかったのだろう。静かな口調で語りだした。

「実は、今回の決算は……本来は赤字だったんです」
「……え?」
「本社の厳しさは折り紙つきで、もし赤字ということが知れたら、確実に巣からの撤収が言い渡されていたでしょう」

言葉を失う俺に、リィルは事の次第を語る。赤字だった家計をクーが何とかやりくりし、本社にも話をつけた。
それはもう、ここ数日は不眠不休で駆けずり回っていたらしい。

「だけど、何でそんなことを……」
「連隊長は、憧れてましたから。巣への投資、経営、それに携わることを――――嬉しそうに、私に話してくれたのを覚えています」

クーとは、仲がいいのだろう。本当に嬉しそうに、青い髪を揺らし、メイドの少女は微笑んだ。
しかし、俺の知らない所で、そんな苦労をしてたのか……俺は息を一つ付き、ソファから腰をあげる。

「あの……」
「クーに話をつけてくる。片付けは任せるぞ」
「――――はい。いってらっしゃいませ」

微笑む彼女を残し、俺は広間を出た。ともかく、少しは頑張らないといけないだろう。
結婚云々の話はともかく、俺はこの巣を気に入ってるし、クーのがんばりに少しは応えたいと、そう思ったのだ。


「クー、クー、いるか?」

俺は廊下に出て、どこかに行ってしまったクーを呼んでみる。どうやってかは知らないが、クーは常に、俺の傍に控えているようだ。
…………まぁ、言いようを変えれば監視されているとか、ストーキングされてるとも言えなくもないんだが。
ともあれ、先ほどあれほどの剣幕で俺に詰め寄ったにも関わらず、クーは俺の前に姿を現した。

「はい、何か御用ですか?」

表面上は、冷静に俺に向かってそう聞いてくる。それだけ見ると、とても先ほど、俺にすごい形相で詰め寄って来たとは思えないんだが。
俺は一つ咳払いし、気を取り直すと、クーに質問してみることにした。

「その、さっきは悪かった。クーの努力やら何やらをリィルから聞いてな。このままでは流石に、俺としても立つ瀬がない」
「はぁ」
「それで、俺に出来ることはないだろうか。何をすればいいか、俺自身には皆目見当が付かないんだが――――」

と、俺がそういうと、クーの表情が見る見る輝き始めた。表面には出にくいが、流石に先ほどの一件で、彼女も少々意気消沈していたのだろう。
急に元気になったクーの様子を見る限り、今まで空元気を出してたんだな、と内心で理解した。

「ご主人様、やっと、やる気を出してくれたんですねっ!」
「あ、ああ」

――――元気になったのはいいんだが、やる気ってのは何だ?

「それじゃあ、早速、外に出ましょう! 大丈夫、ご主人様ならすぐに巣を立て直せますよ!」
「お、おい」

クーはがしっ、と俺の手を握ると、洞窟内を引っ張っていく。どうやら言葉尻から察するに、外に出るつもりのようだが……。
俺の手を握る、華奢で可憐な手が心地よい反面、これから何をするのか、若干不安になったのも確かであった。



「さて、それじゃあ早速、竜に変身してください」
「…………いきなりそれか、いったい、何をさせようって言うんだ?」

洞窟から出た森の広場、いつも日光浴をする場所に俺を連れてきたクーは、開口一番、そんなことを口にしたのである。
いきなり変身しろといわれ、なんとなく嫌な予感を感じ、俺は変身するのを渋ったのだが――――、

「まぁまぁ、まずは変身してから説明しますから、さ、ぱぱっと変身してください」
「――――やれやれ」

やたらハイテンションなクーに急かされ、俺はため息混じりに竜の姿になる。戻る、といったほうが正しいのかもしれないが。
元の姿に戻った俺を下から見上げるクー。なにやら考え込んでいる彼女は、ややあってポツリと呟きを漏らした。

「まぁ、威厳とかそういったものは、やってるうちに身につくでしょうし、まずは、行動あるのみですね」
「――――?」

不穏当な発言に、なにやら嫌な予感がし、首をかしげる俺。と、クーはどこからか大きめの竹箒を取り出し、それに乗っかるとフワリと俺の目の高さまで浮かび上がった。
執事の格好をした少女は、危なげなく俺の目の前まで移動すると、そのまま可憐といえる仕草で一礼をした。

「それではご主人様、これからご主人様には、色々と行って貰う事がございます。質問等は随時受け付けますので、気になったことは遠慮なく質問してください」
「あ、ああ……」

にこやかに微笑むクーに戸惑いつつも、俺はともかく、首を縦に振った。
そうして、クーは俺にある行動を提示した。それは俺にとって初めての事が多々あり、それがもとで様々な騒動の幕開けともなったのだが……、
残念なことに、俺はこの時…………そんなことになるとは想像もしなかったのであった。


「では、ご主人様。ご主人様は今から、この付近の一帯を思いっきり飛び回っていただきたいのです」
「この付近…………? それはどうしてだ?」

まだ日も高い昼間の時分――――クーが俺に要請したのは、ここから見える一帯を、思いっきり飛び回れということだった。
だが、何故そのような事をしなければならないのか、俺には皆目見当がつかなかった。
俺の質問に、箒に乗っかって宙に浮いたままのクーは、はい、と頷くと、その理由とやらを説明し始めたのだった。

「周辺に人を派遣して調べたのですが――――ご主人様の噂はおろか、この国にドラゴンがいるという話題すら出てきませんでした」
「まぁ、そうだろうな。だからこそ、この付近を住処にすることにしたんだし」

竜の村を出てから数ヶ月の間……最初に直面した問題は、住処とするのに適当な場所が見つからなかった事だ。
そこそこの自然があり、周囲には煩くないほどの人間の集落のある、自然の洞窟――――探してみると、そういった良い物件はなかなか見つからなかった。
一度、他の竜の巣に間違って入り、こっぴどく叩き出された事もあり、散々あちこちを回った末、ここ、エルブワードに居を構えたのである。

「ええ、確かに肝心の巣を作るまでは、人目に触れないほうが良いでしょう。作りかけの巣に、侵入者が大挙して押し寄せて、台無しにした例もありますから」

ですが――――と前置きし、クーはピンと背筋を張って、俺を睨むように見つめてきた。

「巣を作ったからには、竜はその存在を明らかにし、周囲に知らしめる必要があるのです。それでこそ、侵入者用のモンスターや罠が役に立つのですから」
「だから、こんな真っ昼間から飛び回ってこいって言ってるのか――――確かに、それは道理なんだが」

少しは積極的に、クーの手伝いをしようと思い至ったとはいえ……さすがに少し目立ちすぎるのでは、と俺は考える。
しかし、箒にちょこんと乗っかった執事の少女は、そんな俺の考えを読んだのか、むー、と拗ねたような表情で唇を尖らせた。

「これは、ご主人様にしか出来ないんですから、我慢してください。それに、本来ならただ飛び回るだけでなく、人里を襲撃して、示威行動を示すのが普通なんですよ?」
「人里を――――襲撃!?」

いきなり物騒な台詞が出てきたので、ぎょっとする俺。しかし、クーはこれっぽっちも動じることなく、淡々と続ける。

「竜という存在が、どれほど強大で、偉大な存在であるか――――今でも語り継がれているとはいえ、実際に見ると見ないとでは、やっぱり印象が違いますから」
「…………だが、住んでいる人間達を傷つけていいものだろうか、平穏に暮らしているものも多いだろうに」
「――――ご主人様、そんな事言ってどうするんですか! ご主人様はヒエラルキーの頂点に君臨するドラゴンなんですよ?」

…………いや、それはちがうぞ。同じドラゴンといっても、男性と女性では、とんでもない格差がある。言うなれば――――

女性竜>>>>>>>>>>>(越えられぬ壁)>>>>>>>>>>男性竜>>>>>>>>>>>>他の生物

↑こんな感じだろう。なんというか、虐げられる者としては、同じように他の生物を苛めてよいものか、少し考えてしまう。
とりあえず、その問題は後に回しておくとしよう。まずは、クーに言われたように周囲を飛び回ってくるか。

「まぁいい、ともかく行ってくるぞ。様子を見たいというなら、背中に乗せてもいいが」
「な…………なにいってるんですか! そんな畏れ多い事を――――私をからかわないでくださいっ!」
「?」

急に慌てるクー。一体、どうしたというのだろうか? 聞いたらまた怒りそうだし――――後で誰かに聞いてみることにしよう。

「では、いってくる」
「あ、はい。あとの事はお任せくださいっ」

元気に返事をするクーに頷くと、俺は翼を羽ばたかせ、大空へと舞い上がったのだった。

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