〜とくせつぺーじ〜
〜30年の日記帳〜
…………それは、俺が本格的に巣作りを始めるまでの、長い長い昔のお話。
ユメやフェイ、ルクル達と出会うこともなく、また、リュミスが俺の巣に乗り込んでくることもなく、平穏に暮らしていた日々の物語である。
さて……単身、巣作りのために竜の村を出た俺は、あてもなく各地をさまよった後、一つの山に降り立つことになった。
周囲には、欝蒼とした緑の木々が立ち並び、獣のにおいが散漫しているような土地……付近に小さな都市がある以外、とりわけ目立つことはない地であった。
ともかく、周囲には別の竜の住み着いている気配もない。他の竜との縄張り争いをするほど好戦的じゃないし、度胸もない。
一応、理性の竜を信条としているので、その点にはホッとした。ただ単に、喧嘩に弱いだけでもあるけど。
ともかく、洞窟に入ってみることにしよう。
「……………………」
最初の感想は、ただひたすら………狭い。洞窟の入り口に頭を突っ込んで、俺はうめき声をあげた。
固い岩盤で作られた入り口は、そこそこの広さはあるとはいえ、それは人が十分に通り抜けできるというレベルである。
暫く考えた末、俺は人の姿になることにした。そうして、ゆくゆくは自分の住処となるその洞窟の内部へと、足を踏み入れたのである。
「しかし、参ったな、これ」
ベトベトとした手触りの壁に、歩きにくい通路。明り取りの魔法の火を掲げながら、俺は不満げに鼻を鳴らした。
洞窟のじめじめした空気には、なにやらそこに住み着いている魔物の臭いまで混ざっていて、なんとなく不快だった。
あちこちを歩く間、何度か魔物が周囲に現れたが、俺が一睨みすると、こそこそと退散していった。
「巣作りの前に、掃除とかする必要があるか……」
自分で言って、げんなりする。昔っから、リュミスのパシリ役の他、様々な事をさせられてきたので、それなりのことはできる。
だけど、やれるからと言って、嬉々とした風情で掃除ができるはずもなかった。
ともかく、延々と洞窟内を歩き回り、数日が過ぎた。
肉体的には、まだまだ余裕があったが、一休憩を入れる必要はあるだろう。
俺は、洞窟の奥の方へと引き返した。先ほど、竜の姿に戻っても充分な位の大きさの洞穴があった。
竜の姿に戻った後、俺は丸くなり、眠りに入ることにした。
さすがに、人の姿のままでの長時間の行動は疲れる……夢をみることもなく、俺はぐっすりと眠りに落ちたのだった。
「あの、起きていただけませんか。もしもし、もしも〜し」
「ん…………」
ぐっすりと寝こけていた俺の耳に、かわいらしい声が聞こえてきた。
怪訝に思い、閉じていた瞳を開ける。ゴツゴツとした岩肌の、だだっ広い洞窟の壁。それで、巣作りのために、今ここにいることを思い出した。
「ふぁ〜〜〜〜」
「きゃっ」
あくびを一つすると、その声に重なるように、驚いた声が聞こえた。首をめぐらすと、眠るために丸まっていた俺の前に、一人の少女がいることに気づく。
誰だろうか、赤い髪に尖った耳、燕尾服のような黒色の服に身を包んだ、見覚えのない少女である。
「ああ、びっくりした。あの、ブラッド=ラインさまですね」
「ええと、はい、そうですけど」
俺が返事をすると、その少女は、また耳を抑える。何でだろうか?
「あの、お手数ですけど、人の姿になっていただけませんか? 洞窟内はこもっていて、耳がおかしくなりそうです」
ああ、なるほど。少女の言葉に俺は納得し、人の姿になった。
視線が見下ろすのには変わらない。ただ、竜のときとは違い、これでようやく話し合うことのできる位の近さにはなった。
「それで、君は一体……?」
「あ、はい、初めまして。私はこのたび、ギュンギュスカー商会から派遣されてきました、クーというものです」
ギュンギュス……??? 聞いたことのない名前だった。
彼女が言うには、竜が一人だちをするにしても、そこはそれ、何かと人手は必要である。
そういうわけで、巣作りを始める竜の元には、彼女のように仕事を求めて訪れるものが結構いるらしい。
「日々の雑務から、はては罠のメンテナンスまで、ギュンギュスカー商会のサポートは万全を規しております。これを規に、一つ入会なさってはいかがでしょうか?」
「う〜ん、そういってもなぁ……」
クーという女の子の言葉に、俺は困惑した表情を浮かべる。基本的にしがない男性竜。そういった恩恵を受けていいものか、よく分からなかったのだ。
ただ、俺の反応を、女の子は違う意味に受け取ったようである。どこか不安げな様子で、俺に向かって聞いてくる。
「だめ、ですか?」
「いや、駄目とかそういったものじゃないけど……ちょっと聞くけど、君以外にも、こうやって来る人はいると思う?」
「それは、そうでしょう。竜の巣といえば、改築改装、罠や宝物、それに派遣魔物関係とか、必要になる職種はいくらでもありますから」
その言葉に、俺は渋面になった。ただ巣を作るのに、そんなに手間がかかるとは……それに、いちいちそんな業者に応対していたら、安穏と暮らすことなんてできないだろう。
目の前の少女を見る。彼女の商会は、ありとあらゆる面でのサポートをしてくれるといっている。
胡散臭そうな面もぬぐえないけど、それでも、いの一番に駆けつけてくれた事は、賞賛に値するといってよい。
それに、何より、女性でこうやって、俺と対等に話をしてくれたのは、目の前の女の子が初めてだったのだ。
それで、腹は決まった。俺は一つ息をつくと、目の前の小柄な少女を見つめ、口を開いた。
「そうだな、お願いすることにするよ」
「本当ですか? ありがとうございます! それで、当方には、どのようなサポートをご用命ですか?」
「いや、巣を作るなんて、どうしたらいいか分からないからね……全部、そっちに任せるって事で、どうだろうか」
俺の言葉に、少女はポカン、としたような表情をし、そして、驚いた様子で目を見開いた。
「それって、専属契約をしてくれるって事ですか!?」
「ああ……うん。そういうことになるかな」
なんだか妙な迫力の少女に気圧されるように、俺は身を引きながら言葉を濁す。
しかし、クーという女の子は、そんな俺の様子など、目に入っていなかった。何もない宙空に拳を突き出し、思いっきり叫ぶ。
「やったーっ、専属契約ゲットっ!」
と、そこで俺の見ているのに気づいたのだろう。こほん、と一つ咳払いをして、改めて俺に向き直った。
「それでは、我がギュンギュスカー商会は、誠心誠意、ご主人様にお仕えさせていただきます。よろしくお願いしますねっ」
にっこりと、華の咲くような笑顔を見せた後、クーは俺に向かって、深々と頭を下げた。
それが、始まり。結婚を終着点とする、俺の巣作りの日々は、そうして幕をあけたのだった。
日があけて、翌日――――。
洞窟で眠っていた俺の元に、クーという女の子が訪ねてきたのは、昼過ぎのことである。
「今日から私と、この子達が……ご主人様の身の回りのお世話をさせていただきます。御見知り置いてくださいね」
「リィル・アイリィといいます」
「ミュア・リンデルです〜」
クーの後ろに控えていた、青い髪の女の子と、桃色の髪の女の子は、人間の姿になった俺に、規律正しく一礼した。
一目でそれと分かるメイド服に、目が隠れるような特徴的な髪型、まるで瓜二つのその姿は、双子のような印象を受けた。
「リィルさんに、ミュアさんか……よろしく」
俺は言葉とともに、右手を差し出した。握手を求めたその手だが、少女達はその手をとろうとしなかった。
代わりに、何か戸惑った表情で互いに目配せをしている。差し出した手が、なんか寂しかった。
「あの……ご主人様。一応は顔見せですけど、彼女達に必要以上の干渉は行わないで下さい」
「えっ?」
「彼女達はご主人様の影――――空気のようなものと思ってください。普通、空気に挨拶はしないものでしょう?」
クーの言葉に、俺は眉根を寄せた。なんだかその言いようは、気に入らない。
空気のようなものといっても、彼女達は確かに、ここに居る。なのに、その存在を無視するような言いようだった。
「不満そうですけど、商会の規約ですので……あと、名前も覚えなくて結構ですよ。おそらく、覚えきれないですから」
「規約って、なんだよ、それは……それに、覚えきれないっていうのはないと思うけど」
自慢ではないが、女性の名前を覚えるのには、自信がある。
竜の村に居る女性の名前は、男性は全員知っているのが義務みたいなものだったからだ。
もし、女性が自分の名を問い、男が即答できない場合は、半殺しの目にあう可能性もあるので、みんな必死だった。
…………かくいう俺も、何回か名前をど忘れし、半殺しの目にあったこともある。もっとも、恐怖感からか、リュミスだけは何があっても覚えていたけど。
そういうわけで、クーはもちろんのこと、リィル、ミュアという二人の少女の名前くらいなら、忘れるほうが難しいと思っていた。
が、それが勘違いだったことに……この後、俺は気づかされることになる。
「はい、それじゃあ顔見せも終わったことだし、そろそろ始めるとしましょう。リィル、日雇いの娘達に連絡入れて」
「了解しました、分隊長殿」
クーがパンパンと手を打つと、彼女の後ろに控えていたメイドの少女のうち、青い髪の娘が頷き、その場から離れていった。
何やら只ならぬ雰囲気を感じ、俺はクーに質問をすることにした。
「あの……始めるって、いったい何を?」
「え? 決まってるじゃないですか、リフォームですよ」
「リ、リフォーム?」
いきなりの単語に、俺はなんていって良いのか分からず、沈黙する。
クーはというと、俺のそんな様子など意にも介していないという風に、どこか遠くを見るような感じで、つらつらと語りだした。
「そうです。古来、竜とは天界や魔界と肩を並べるほどの勢力をもっていました……いわば、特権階級といっても過言ではありません」
「……そうかな?」
「そうです。そんな竜が、カビの生えた洞窟や、整備も整っていない寝床で眠るなんて、あってはならないことなのです」
何か、竜に対して妙な偏見があるように感じるな。村に居たときなんて、普通に大自然に寝転がって昼寝したり、ただ本を読みふけったりと、余り偉そうなことをした覚えはないけど。
と、何を考えたのか、クーがずずいっと、俺に近寄ってきた。挑むように真下から見上げられ、俺はどうしていいか分からず、硬直する。
「本来なら、御主人様の口調や仕草も、もう少し横柄な位で良いと思うんです。でも、まだ私達に慣れていないでしょうから、徐々に変えていってくだされば、いいと思うんですけど」
絶句。
どうも俺の理解の外で、何やら大変なことになりそうな雰囲気はしていたが、流されることしか出来そうになかった。
…………と、何やら地響きのようなものが聞こえてきた。地震か……それにしては、揺れ方が変だけど。
「あ、来たみたいですね」
「え、来たって…………うわぁぁっ!?」
そこには、いろんな色が並んでいた。赤、青、黄色、緑、紫、茶、群青……違うのは、その髪の色だけ。
まったく同じ姿……それこそ、写し絵を見るかのような精密さの少女達がずらりと並んでいた……その数、百人強。
「大佐、召集完了しました」
キビキビとした仕草で、青い髪の少女が敬礼する。その声を口調で、その少女がさっき会ったリィルということは分かった。
しかし、彼女の周りに居る女の子達は、どういうことなのだろう。いくらなんでも、双子でもここまでは似ていないだろう。
「うん、ご苦労様。早速、決められた役割分担どおり、作業を開始してちょうだい」
「「「「「「「了解!」」」」」」」
クーのその言葉に、まるで軍隊のようにびしっと敬礼すると、少女達は三々五々に散ってゆく。
手には掃除道具や何かの御札、中にはロープやつるはしを持っている少女もいる。
「クー、……君達は一体――――?」
「私達は、ギュンギュスカー商会。御主人様に仕えるための者です」
俺の問いに、クーはあっさりと、こともなげに言って、笑ったのだった。
ガガ、ドガガ、ガンホー、ガンホー……
様々な騒音とともに、あちらこちらをメイドの少女達が走り回っていた。
その手には掃除用品やツルハシ、バケツに御札。中には刀剣類を持ったメイド達も何名かいた。
そうこう見ているうちにも、あちらの壁は粉砕され、こちらの地面は掘り返されと、思いっきり道路工事のように周囲が変わっていく。
竜の姿の俺でも、十分に余裕があった洞窟の深部は、無数のメイド少女たちに埋め尽くされていた。
「えいっ」
「ぐげっ!?」
足に、激痛。見るとそちらには、思いっきりゴツイ、ツルハシを持った少女がいた。
どうやら手元が狂って、地面でなく、俺の足を思いっきりぶっ叩いたらしい…………。
邪魔にならないように、できるだけ小さくなって丸まっていたが、どうやらそれでも、やっぱり邪魔になっていたらしい。
声もなく、震える俺。と、それに気づいたのか、向こうの方で指揮をとっていたクーが、血相を変えて、こっちへと駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか、ご主人様!? こらっ、駄目じゃないの!」
「いや、良いんだ。それはそうと…………クーさん……じゃなかった、クー」
「はい?」
俺に声をかけられ、怒るのを中断し、俺の方を向き直るクー。
視界の隅で、ツルハシを持った少女がこそこそと隠れるのを見ながら、俺は彼女を見下ろし、口を開いた。
「邪魔になってそうだし、外に出ようと思うんだけど、いいかな?」
クーに許可をもらい、人間の姿に戻った俺は、洞窟の外へと出ることにした。
一人のメイド少女に先導され、俺は通路を歩く。外に出るまでのいたる所に、メイド姿の少女達がいた。
彼女たちは、一心不乱に、それぞれの作業をしており、俺達がそばを通っても、気づくことはなかった。
「こちらです、ブラッド様」
洞窟の外に出ると、緑色の髪の少女は、そのまま俺の先に立ち、なおも歩を進めた。
後をついていくと、暫く歩いた先に、森の中に少し開けた広場と、その脇にしつらえた小さなテントがあった。
「日向ぼっこでしたら、これ位のスペースがあれば充分に落ち着けると思います。もし、何か用がございましたら、テントの中のベルをお鳴らしください」
「ふうん、どれどれ……」
興味がわいて、俺はテントの中を覗き込んだ。木製の寝台に、手作りのテーブルとチェア……ご丁寧にも本棚もあり、休息するにはもってこいといえた。
「他に、何か質問とかはおありでしょうか」
「う〜ん……特にはないけど、一つ聞いていいかな?」
「はい」
俺の言葉に、必要以上にしゃちほこばった様子で、背すじを正す少女。
その様子は微笑ましかったけど、ともかく、疑問に思ったことを聞いてみることにした。
「君達って、一体、何者なんだい? あと、日雇いの子とかって言ってたけど、君もそうなの?」
「前者の質問は、ちょっとお答えできません。私にはその権限はありませんから……後者ですけど、私もそうですよ。一時的なトレードということで、派遣されてきたんです」
今日は、そういった娘が大半だと思いますけど……と、そんな風に少女は続けた。
しかし、それにしてもあれは異様な光景だった。可憐とも言える女の子達が、力仕事を平然とこなしているのだ。
村にいる女性達にも、見習ってほしいくらいである……実際に言ったら、命の保障はないだろうけど。
「でも、竜の巣作りって、やっぱり良いですよね。お給金も良いし、なんだか夢がありますから」
「――――いや、夢って言っても、見るのは悪夢だけだと思うけどなぁ」
憮然として、俺はそう呟いた。なんと言っても、結婚相手があの、リュミスなのだ。
彼女と結婚など、想像の範疇外だったし、その先に、明るい未来など、予測できようはずもなかった。
でも、やらないと殺られるんだけど……ああ、せめて相手がライアネくらい、大人しい人だったらな……。
「?」
「いや、なんでもないんだ。それで、君は夢があると思う?」
「――――はい。いつか、一人前になったら、竜の巣に住み込んで働いてみたいって思ってるんです」
ハキハキとしたもの言いで、彼女はきっぱりと、そんな風に言い切った。
その様子は、なんと言うか……可愛らしいけど、カッコイイとも同時に思った。
ちゃんと将来を考え、それに努力しようとする少女。俺はこのとき、なんとなく彼女に対して、独占欲のようなものを感じていたのかもしれない。
「それなら、俺の所に来る? クーに言えば、多分、話を通してくれるだろうけど」
俺がそう問うと、少女はちょっと驚いたように沈黙する。
迷うように、身体の前で組んだ手の指が、幾度か動かされた。だが、暫くして、彼女は鮮やかな緑の髪を左右に振った。
「お心遣いは、ありがたいですけど……それは駄目です。私はまだ未熟ですし、迷惑をかけてしまいますもの」
「――――……」
「ですから、いろいろと勉強して能力をつけたら……いつか自分で、ここに働きにきますね。ブラッド様を、ご主人様と呼べるように」
微笑む彼女に、なんだか胸が温かくなった。その時感じた感情は、言葉で言い表せないもの。
沈黙し、見つめる俺に照れたのか、彼女は踊るようにクルリと背中を向けた。
「それでは失礼しますね。片付けなければならない仕事がありますから」
「あ、ああ……がんばって」
「――――はいっ」
そういって、緑の髪の少女は、洞窟の方へ向かっていってしまった。
名残は惜しかったが、どうすることもできず、どうすれば良いかも分からず、俺はしょうがないので、日差しの中心で寝転んだ。
やわらかい陽光が、身体にさんさんと降り注ぐ。
鱗を照らす光に目を細めながら、俺は深いまどろみの中に落ち込んでいった……。
それから一週間、俺は洞窟の外にある、森で日々を過ごした。
日に何回か、様子を見にメイド達が来たが、それはいつも、違う色の髪のメイド。
緑色の髪の少女は、それ以来、俺の前に現れなった……様子を知ろうにも、名前を聞きそびれ、それもできない。
そうして、その思い出も、日々の狭間に落ち込み、二度と浮き上がることはなかったのである。
そして、一週間後、二人のメイドを引き連れて、久し振りのクーが俺の前に姿をあらわした。
「お待たせいたしました。おおよそは完成しましたから、ご案内しますね」
突貫工事で、休む日々もなかったのは、洞窟の外にいても、十分に分かっている。
しかし、クーはそんなことなど微塵も感じさせない様子で、人の姿になった俺を先導し、歩き出した。
きれいに刳り貫かれた洞窟の入り口――――舗装された洞窟内へと、クーに導かれながら、俺は一歩を踏み出したのだった。
クーに案内され、洞窟の中を進む。苔のついた鍾乳洞のような洞窟の内部……だが、今までのような不潔な感じはしない。
よくよく見ると、自然の洞窟に見えて、そこかしこに手が入っているのがよくわかった。
塵一つ無い床、壁には蛍光する苔が塗られており、洞窟内を歩くのに不自由しない。
しばらく歩いた後、今度はまともな通路に出た。コツコツという音――――石畳の床は、丹南に隙間無く敷き詰められていた。
「こちらです、ご主人様」
そういって、クーは曲がり角から手を差し招いている。ふと、そちらに向かう先、横合いにある通路が気になった。
足を止めて、そちらに目を向ける……十字路の向こう、どうやらそちらにも部屋があるようだった。
「あ、そちらはだめですよ。罠のある部屋ですから」
「罠?」
俺が聞くと、クーはコクリと頷いた。何でも、侵入者用に、罠のある部屋をいくつか作ったらしい。
罠……いったいどういうものなんだろう。少し、興味がわいた。
「ちょっと、見てみたいなぁ……いいだろうか?」
「え…………でも」
俺の言葉に、クーは戸惑ったように首を傾げたが、しばらくして、小さくため息をついた。
どうやら呆れられてしまったらしい。気をつけてくださいね、といいつつ、クーは十字路に戻り、罠の部屋のほうへと足を向けた。
照明のついた通路を進み、クー達と俺は、罠の部屋についた。一見、何の変哲も無い部屋に見えるんだが――――
「あ、ちょっと、不用意に部屋の中に……」
「え?」
部屋の入り口にとどまったクーの言葉に、俺は身体ごと振り向き――――
ごり
転がってきた鉄球に押しつぶされたのは、そんな時だった。
気分はまさに、馬車に踏み潰された蛙……痛いやら血が出るやらで大変である。
「もう……気をつけてください。罠は人間用ですけど、下手をすれば死んでしまう場合もあるんですから」
「そう言う事は、早く言ってくれ…………」
壁沿いを歩きながら近づいてくるクーとメイド二人に、俺はうめきながら身を起こした。
頭が痛む。どうやら切ったらしく、血がダラダラと流れていた。
「あ、大丈夫ですか…………?」
「ああ、大丈夫。これくらいの傷なら、慣れてるから」
いつもリュミスから受けていた体罰に比べれば、かすり傷に等しい。
クーから受け取ったタオルで額を押さえて数分――――タオルをはずすと、血は止まっていた。
「わ、すごい回復力……さすが、竜ですね」
「はは…………」
苦笑いをしながら、俺は血に汚れたタオルをメイドに手渡した。
なんにせよ、あまりこういった罠の部屋に立入るのは、やめた方がいいだろう。
俺は身をもって、そのことを実感したのだった。
「ここが、ご主人様の部屋になります」
「へえ…………」
洞窟の最深部、俺専用に作られた部屋は、普通の部屋の数倍は大きい部屋で、調度品もしっかり用意されていた。
その大きさは、竜になっても、十分に動き回れるくらいの大きさである。
部屋に置かれた椅子に腰掛けてみる。木製の椅子は、身体にしっくりとなじんだ。
今日からここで、俺の生活が始まるのか……部屋を見渡し、妙な感慨にふける。
「あれ……? そういえば、他の女の子達は?」
「他の子達は、一足先に帰らせました。時給制でしたので、あまり長居をさせるのも問題ですので」
――――そうか、みんな帰ってしまったのか。一言、お礼くらいは言いたかったのにな。
「もし、会う機会があったら、俺が感謝していたと伝えてくれるかな?」
「――――……」
「クー?」
俺が声をかけると、クーはどこか憮然とした表情で、俺に拗ねた様に口を開いてきた。
「ご主人様……ヒエラルキーの頂点付近に位置している竜が、そんな風にほいほいと頭を下げないでください」
「そ、そうかな?」
「そうですよ、過ぎた優しさは、不幸しか引き起こしませんから」
どこか寂しそうに、クーは笑う。その表情に、俺は頷くほかなかった。
「しかし、すごいな。洞窟内が完全に別物になってる」
「はい、ギュンギュスカー商会は、迅速、完璧がモットーですから」
――――ですから、しっかり稼いでくださいね。
笑顔でクーにそう言われ、俺はああ、と頷きかけ、気になる部分に動きを止めた。
「…………稼ぐ?」
「はい、洞窟内の改装ほか、諸々の費用は分割とはいえ、結構な額になりますから」
竜は、巣の付近にある集落や、巣に乗り込んできた冒険者から財宝を巻き上げ、巣の保持の費用に当てるのが通例らしい。
この巣の大改装にかかった費用も、そういったもので補わないといけないらしい。
しかし、いいんだろうか? それって略奪とか言わないんだろうか?
「まぁ、他にも資金を稼ぐ方法もありますけど」
「?」
「ご主人様は、若い竜ですので、その鱗とかが……けっこう高値で売れるんですよ」
――――でも、あまりお勧めできませんけど。生爪はがすぐらい、痛いらしいですから。とは、クーの言葉。
ともあれ、当面の目標は巣の維持だよな……俺は椅子に腰掛け、大きく息を吐く。
クーに命じられたのか、青い髪のメイドが、お盆にティーセットを持って部屋に入ってくるのが見えた。
新たな住処、新しい生活の場。
俺とクー、それにメイド達の生活は、こうして始まったのである。
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