〜アルイエット戦記〜 

〜大陸南方の攻防戦U〜



旧ビルド地方に侵攻してきたヴィスト王国軍、遠距離からの行軍直後といっても、マックラーの北東に陣取った軍勢は、兵士の指揮も質も段違いのものであった。
遊撃軍団長、火山将軍。攻防共に隙の無い采配を見せる、セルバイアン将軍。先日の戦いで多少の消耗を見せたとはいえ、ケーニスクフェアも飛竜軍団を再編し、合流した。
そして、この大軍団をまとめ、統括するのは、ヴィスト王国の姫、リディア王女――――実力主義を尊ぶヴィスト王国の姫ということもあり、その実力は折り紙つきであった。

「愚痴をこぼしたくは無いが、せめてこれらの将軍のうち、一人二人は欠けていれば、戦いやすくなったんだがな」
「なんだか、いつもと違うわね……そんなに大変な状況なの? 敵の数がこっちより多いのは、今に始まったことじゃないと思うけど」
「それは、そうなんだがな。敵軍と対峙する状況が、いつもよりも些か悪いからな」

マックラーの北方には、遮蔽物のない広大な草原が広がっている。身を隠す場所が無いということは、数を物にした物量戦も行えるということである。
一応、西方には大きな森もあり、そこならば地の利を生かした戦いも出来るだろうが、相手がみすみす、こちらの都合の良い場所で戦ってくれるとも思えなかった。

「今回は、今までのような策を弄した戦いが出来無そうだからな。だからこそ、本国と奈宮皇国、ノイル王国に援軍を要請した」
「策が効かないって……じゃあ、どうするのよ?」

ジンの言葉に、アルイエットは困惑したような表情を見せる。今まで、ジンの采配によって勝利を勝ち取ってきたが、その策が通じないとすれば、どうするのか。
そんな彼女に対し、ジンは特に慌てる様子も無く、淡々とした表情で、彼女の問いに答えた。

「簡単なことだ。策が効かない、通じそうも無いなら、力押ししかない。本来、戦争の大半は、力が強いほうが勝つに決まっているんだからな」
「…………」
「正念場だぞ。前にも言ったが、エルト王国軍の力が、この一戦に試されるといっても過言ではない。ここでの力押しにまけるようなら、今後の戦いに勝てるはずも無いからな」
「随分と落ち着いているのね。こっちは不安だって言うのに」

表面上は、泰然と構えているように見えるジンに、アルイエットは恨みがましいような視線を向ける。そんな彼女に、ジンは殊更に明るい口調で応じたのだった。

「腹をくくっているだけだ。エルト王国軍とて、訓練によって補強されている、ネイを始め、戦力となる将も増えた。おいそれとヴィスト王国軍に負けはしないさ」
「――――…そうよね。もっと皆を信じないと」
「……素直なことだな」
「え?」
「いや、なんでもない」

怪訝そうな顔を見せるアルイエットに対し、ジンは言葉を濁す。彼女に嘯いたほどには、ジンはエルト王国軍の実力を信じてはいなかった。
正面からぶつかれば、十中八九は、ヴィスト王国軍に押し切られると彼は予測していたのである。
幸い、防御の拠点となるマックラーをこちらが抑えているので、防衛戦で持ちこたえるという目算はあった。
そうでなければ、いくら退くのが困難といっても、こんな平原の多い場所で、大軍団を迎え撃とうとは思わなかっただろう。
正直なところ、マックラー郊外のこの場所が、現状でヴィスト王国軍を迎え撃つのに、よりましな、場所――――というより、唯一の場所であった。

「マックラーの守備はトール隊に任せ、俺達はマックラーの北方に布陣、南下してくる敵を迎え撃つ。また、ネイを別働隊とし、西側の森に移動させ、迂回部隊を妨害させる」
「北と西の両方から、マックラーを包囲させないようにするのね……味方の援軍が着たら、どうするの?」
「基本は、マックラーの守備だが……状況に応じて、俺が各軍に指示を出す。この戦いでは、一兵も無駄には出来ないからな」
「わかったわ。任せる」

神妙な表情で、アルイエットは頷くと、各所に兵を配置するように、部下に命令を出しに行く。その背中を見ながら、ジンはまるで他人事のように、呟きを発したのだった。

「さて、勝つか負けるか……正直、運命の女神とやらがいるのなら、押し倒したいところではあるがな」

本当に、運命の女神というものがいるのなら、赤面するか、怒り出すようなことを口にしながら、ジンは北方を見やる。
彼の視界にはまだ映らないものの、そちらの方角には間違いなく、威風堂々とした大軍団が、矛先を並べてマックラーを攻め落とさんと布陣を敷いていたのだった。



ヴィスト王国軍の攻勢が始まったのは、ジン達の部隊が各所に移動を始めて間もなくのことであった。
ケーニスクフェアの飛竜部隊、セルバイアンの率いる騎馬隊、火山の率いる侍の部隊が、統制の取れた動きで南下を始める。
それを迎え撃ったのは、アルイエットとジンの直属部隊、ルカ率いる騎馬隊、ジンのもと部下である者達を中核とした傭兵部隊である。
マックラーの北方の平原で、双方の軍は、正面からぶつかり合い、しのぎを削る。騎馬と騎馬がぶつかり合い、侍の刀と、傭兵の剣が噛み合って火花を散らす。
双方共に、一進一退の攻防を繰り返す中で、その特色を生かした戦いを行っているのは、ケーニスクフェアが統率する飛竜部隊であった。

「ほらほら、退かないと黒焦げになるわよ!」

遮蔽物のある砦や街中なら兎も角、開けた場所である平原では、飛竜部隊を阻むものは存在しない。
エルト王国軍も、弓矢や魔法を使って応戦はするが、狙いをつける前に、その機動力を活かして移動されては、さしたる効果をあげることもできないのであった。

「………やはり、分かってはいたが、飛竜部隊は少々厄介だな。仕方ない、予定より少し早いが、戦線を下げるぞ。マックラー近郊まで後退する!」
「逃げる気ね! そうは行かないわ、全騎、追撃よ!」

じりじりと、押される形でマックラーに退いていくエルト王国軍。それを追撃する形で、ケーニスクフェアの飛竜部隊が追撃をした。
本来なら、追いすがる飛竜部隊と、ヴィスト王国軍の間に空隙が生じ、それが反撃の機会となるはずであった。
だが――――その間隙をみて、即座にそれを埋めるだけの統率力と、決断力を持つ者が、ヴィスト王国軍の将帥の中に存在したのである。

「ふむ………ここは攻め時だろうねぇ。なら、こちらも一気呵成と行きますか――――火山流、怒涛の陣!」
「ちょ、何なの、この勢いは……!」

本来なら、足の遅いはずの侍が、騎馬隊に追いすがるような形で、エルト王国軍を追撃する。その勢いに押されてか、エルト王国軍の後退の速度が僅かに鈍った。
軍とは、生き物のようなものである。動揺が伝播すれば足をもつれさせるように、その行動も遅くなる。
ケーニスクフェアの飛竜部隊だけでなく、火山の侍部隊にまで追いつかれれば、マックラーまで退く前に、包囲殲滅の可能性もあるだろう。

(どうする? 被害を最小限に抑えるために、殿の部隊を残すべきか? いや、まだ序盤戦で、こうも兵を消耗するわけには……)

敵の猛攻に、ジンがどうすべきか、思慮をまとめようとする。だが、そうこうしている間にも、敵は目前に迫り――――…

「そうはさせん! 全軍、突撃!」
「おっと……」

まさに、絶妙のタイミングで火山の部隊に横槍を入れたのは、西の森に伏せていたネイの突撃部隊であった。
後退するエルト王国軍を、集中して追っていた火山の部隊は、側方からの攻撃に、勢いをあからさまに減じる。
もともと、騎馬を徒歩で追いかけるという無茶をしていたこともあり、ひとたび勢いがそがれれば、再びエルト王国軍を猛追する余力は無かったのである。

「おい、無事か!?」
「ネイか……すまん、助かった」

合流してきたネイに、ジンは感謝の言葉を述べる。当初の布陣を無視した軍の動かし方だったが、エルト王国軍の本隊が潰されれば、別働隊の意味は無いだろう。
こうした思い切った判断が出来る将が、エルト王国軍には今のところ皆無であった。ネイだからこそ、持ち場を離れての側面攻撃などという無茶もできたのだった。
無論、毎回、ジンの命令を無視するようなことになるのは困る。だが、こういった切羽詰った場面での、自己の判断の出来る将は、貴重な存在であること疑いなかった。

「礼は良い、こちらも勝手に持ち場を離れてしまったからな……どうする? ばれてしまっても、森の中で迎え撃つのは効果があると思うし、戻るべきか?」
「いや、充分な戦力があるわけでもないし、各個撃破されるのは避けたい。このままマックラーに退いて、陣容を立て直すぞ」
「分かった」

ジンの言葉にネイは頷くと、エルト王国軍の本隊に合流する。一丸となって整然と、エルト王国軍はマックラーの至近に、布陣を構築しなおした。

「あーらら、まいったね、これは」

それを遠目に見て、火山は流石に困ったという風に、ぼやきをもらした。要塞都市としての機能を備えたマックラーには、エルト王国軍の予備戦力もある。
加えて、遮二無二と追いすがっていた飛竜部隊が、マックラーからの弓や魔法の雨あられで追い散らされているのが、ありありと映っていたからである。

「こりゃ、長期戦になりそうだねぇ……ま、一当てで終わるとも思ってなかったけど」

気を取り直すかのように、そういうと、火山は自らの軍の前進を止める。しばらくして、セルバイアン率いる騎馬隊が合流し、再びエルト王国軍と睨み合うこととなった。
マックラーを後背に控え、布陣するエルト王国軍。飛竜部隊を敗走させられたといっても、未だ数多くの兵を抱えるヴィスト王国軍。
要塞都市、マックラー近郊での両軍の激突の火蓋が、再び切って落とされようとしていたのであった。



「負傷した兵は、都市内に収容させろ! 本国からの援軍と、ノイル王国の軍は、治療に専念! 奈宮皇国の軍は、前衛の疲労した部隊の後詰めに回す!」
「ええい、無駄にしぶとい……! あと一歩でけりが付きそうだというのに……!」

要塞都市、マックラー。その周辺では、多くの兵が鬨の声を上げ、己が所属する軍の為にと戦い続けている。
平原の北方を制圧し、マックラーに迫るヴィスト王国軍。その陣容はゆるぎなく、このままマックラーを陥落させるかと思わせる勢いがあった。
しかし、実際に攻めてみると、マックラーの守備は堅く、エルト王国軍の指揮系統も堅実で、未だに外壁を突破することさえ出来なかったのである。

「あと一歩ねぇ……なんだか、そう思わせておいて、その実、まだまだ余裕がありそうにも見えるんだけどねぇ」
「…………くっ」

傍らの火山のぼやきに、セルバイアンは忌々しそうな表情で臍をかんだ。先の平原の戦いで主導権を握り、喜んだのもつかの間、今は攻めあぐねているといった現状である。
攻めれば攻めるほど、まるで泥濘の中に拳を突き入れるように手ごたえ無く、こちらの攻撃を受け流されてしまっている。
膠着した戦場を睨みながら、セルバイアンは、険しい表情を崩さないままに、自らの心胆に絡み付いてくる疑問を口中から吐き出した。

「……どう思う? 劣勢であるはずの、この軍の粘りよう――――やはり、あの男が絡んでいると思うか?」
「ジン=アーバレストのことかい? さて、どうだろうねぇ……ただ、僕が見る限りでは、十中八九、いるんじゃないかと思うけどね」
「…………」
「先ほど、ネイ君の姿をエルト王国軍の中に見かけた。彼女がエルト王国軍に転向したとしても、直ぐに一部隊を任せるような、思い切った采配を出来る者は、多くないだろう」

火山の言葉に、セルバイアンの表情がますます険しくなる。リディア姫に心酔している彼にしてみれば、ネイの転向は許されざるものとして映っているのだろう。
とはいえ、それを口に出さないのは、ヴィスト王国軍の大半が、各地の滅亡した国などからの転向者で占めており、彼らの心情を鑑みれば迂闊な事を口にはできないのだった。

「まあ、ジン=アーバレストがいるかどうかは、これから先、おいおい分かることさ。いまは、僕達にできる事をするだけだよ」
「攻め落とせるのならば、マックラーの制圧を、それが困難ならば、持久戦で相手の出方をみる、だったな」
「そういうこと。僕としては、どちらでも良いんだけどね。攻めているときは楽しいし、持久戦となれば、城砦作りの仕事があるからね」
「………気楽だな」

飄々とした火山の物言いに、多少は気が晴れたのか、セルバイアンは険しい顔を僅かに緩め、呆れたように呟く。
そうして、傘下の部隊に、さらに攻撃を密にするように、命令を下し始めた。マックラーを舞台とした攻防戦は、その後も、しばらくの間、一進一退を続けることになった。
しかし、拠点となるマックラーをエルト王国軍は良く守り抜き、攻めあぐねたヴィスト王国軍は、大きく軍を後退させ、北西に軍を移すことになった。

「やれやれ、何とか守りきったか………」

視認できる範囲から、ヴィスト王国軍の姿が見えなくなって、ようやく、ジンは肩の荷が降りたという風に、大きく息をついた。
実際、苦しい戦いであった。マックラーの防衛機能を充分に活用しても、ヴィスト王国軍の猛攻を凌ぐのがやっとであったのである。
各所からの援軍を加えてこの結果なのだから、もし援軍を呼んでいなかったら、下手をすればマックラーを守りきれなかったかもしれない。

「――――しかし、守りきったのはいいが、これからどうするかだな」

マックラーを陥落できなかったとはいえ、南下してきたヴィスト王国軍も、壊滅したというわけではない。
現在は、北方に野営をし、再びマックラーへの侵攻の機会をうかがっているようである。では、それに対して防備を固めていればいいのかというと、そうでもない。
オルトリア連合の主力の大半がこの場にある以上、その他の戦線で綻びが出始めるのは時間の問題であった。
かといって、マックラーを放置するわけにもいかず、マックラーを死守しながら、各地の戦線をどうにかするという、文字通りの無理難題が目の前に広がっていたのである。

「とはいえ、やらなきゃならんか。女王にも、協力をしてもらうことにしよう」

マックラーを橋頭堡に、各地への救援と、各地に散らばる、ヴィスト王国軍への痛撃――――後の世に言う神速の采配は、ジンにとっては綱渡りのようなものであった。
幸いなことに、マックラーを死守し、時間を稼いだことにより、部下である八重の扱う密偵たちの情報網も復活し、ジンはヴィスト王国軍に対し、先手を打てるようになる。
…………ただし、ことは机上の盤戦の如し。先手を挿すジンの采配は、ヴィスト王国軍の名将たちにとって、情報を与えるきっかけにもなったのである。


「おい、聞いたか? また、エルト王国軍が現れたそうだぞ。今度は、ガント地方だそうだ」
「ああ、そうみたいだね。この前は東、次は西か………ずいぶんと、手広くやっているみたいじゃないか」

マックラーの北方に野営をし、都市進行の準備を整えているヴィスト王国軍。その天幕内で、セルバイアン将軍と火山将軍が顔を突き合わせて話している。
といっても、火山の目線はというと、手元にある新たな砦の図面に向けられており、セルバイアンの言葉も話半分にきいている様であったが。
ただ、砦建設の命令は、リディアの要請であり、それを知っているからこそ、セルバイアンも腹を立てることもせず、火山との会話を続けていた。

「ちっ………我らの軍の諜報部隊は何をしているんだ。敵とて無限の兵が居るわけではない。遠征している時期が分かれば、その隙にマックラーに攻め寄せれるというのに」
「それが出来ないように、あちらさんに踊らされているんだろうね。少なくとも、情報戦という点では、向こうのほうに分があるのは間違いないんじゃないかな」
「そんな事は、言われなくても分かっている! 分かっているから、腹を立ているんだろうが!」
「ふむ…………でもまぁ、これで、ほぼハッキリしたんじゃないかな? ジン=アーバレストは、オルトリア連合――――いや、エルト王国軍に居る」

火山の言葉に、セルバイアンの顔が、いよいよもって険しくなる。予感はあったし、それを示唆する情報もあった。
ただ、それが確信としてヴィスト王国軍の諸将に認識されたのは、皮肉にも、ここ最近のエルト王国軍の縦横無尽の活躍があったからだろう。
マックラーを堅守するだけでも出来過ぎだというのに、周辺諸国への救援に、多方面でのヴィスト王国軍との連戦連勝。
確かに、負けるわけにはいかない状況であることは間違いない。だが、オルトリア連合の中で、エルト王国軍だけが、目立ちすぎていたのも確かだった。

「ケーニス君は、前々から、エルト王国軍に居るのを見たと言っていたけど、影武者という可能性もあったからね。今までは、断言は出来なかったけど」
「ここ最近の、エルト王国軍の戦果を見れば、間違いないということか」
「そうだね。事ここに至り、エルト王国軍に、ジンアーバレストが居ないというなら、よほどの楽天家か、無能のどちらかなんじゃないかな?」
「…………ところで、その砦の図面なんだが、姫様がそれを命じたということは」
「ああ、ジン=アーバレストに対する、必勝の策らしいよ。随分と、懸想しているみたいで、可愛らしいじゃないか………っと、あぶないな」

思わず、剣の柄に手を掛けたセルバイアンを制するように、おどけた口調で言う火山。
その飄々とした物言いに、抜きかけた剣をとめるセルバイアン。おもわず、腹を立てて抜刀しそうになったが、嫉妬であることは、本人も重々承知していた。
自らの惚れ込んでいるリディア姫が、ジン=アーバレストに対して、なにやら含むところがある。
普段はそれを、おくびに出さない彼女だったが、忠臣であるセルバイアンだからこそ、それが分かってしまったのであった。
いったい、リディア姫とジンの間に何があるのだろう? 考えれば考えるほど、嫉妬めいた感情が湧き出てきて、抑えるのに苦労をしてしまうのである。

「やれやれ、ちょっとからかったら、剣を抜かれたんじゃ、命がいくつあっても足りないよ」
「だったら、余計な口を開かねばいいだろうに」
「まあ、こればかりは性分だからねぇ………ああ、それはそうと、聴いたかい?」
「――――何をだ?」
「お姫様は、僕や君を他の地方への救援に向かわせて、自らの直属部隊と、ケーニス君の軍で、ジン=アーバレストと雌雄を決するつもりらしいよ」
「な………それは本当か!?」

火山の言葉に、驚いた表情を隠そうともしないセルバイアン。彼にしてみれば、リディアの傍を離れる気はなかったのだし、寝耳に水の話でもあった。