〜アルイエット戦記〜 

〜勝利のあとに〜



キューベル公爵を捕縛した後、ジンとムストによって、戦後処理がつつがなく行われた。
その中で、多くの者を驚かせたのは、叛乱の首謀者であるキューベル公爵の、政権への復帰であった。
なぜ、そのような人事を行ったかといえば、何のことはない…それほどまでに、エルト王国の人材は不足していたのである。
同じく叛乱を起こしたレゾー、クルマドをはじめ、多くの貴族が領土を没収されたのを見れば、温情からではなく、純粋な実力を見こんでの登用だったのだろう。

多くの貴族を潰したとはいえ、それがすぐに、他の貴族のものになったかといえば、そうでもない――――大半は、国の直轄地として利用される事になった。
これには、多くの貴族達が反対の声を上げた。それでは何のために、アルイエット将軍の味方をしたのか分からないではないか。文句を言う貴族達にムストは淡々と応じた。

「今回の没収された領土は、それなりの手続きを踏まえたうえで、公平に分配するつもりじゃ。さしあたっては、もう一つの問題が片付くまでは、我慢してくれ」

もう一つの問題――――言わずもがな、ヴィスト王国軍の事である。外敵を前に、内輪もめを起こす事はまずいと悟ったのか、表面上の不平不満は影を潜めた。
とはいえ、その問題は国家の恒久的な病のようなもので、ムストやキューベル公爵は、今後もこの手の問題に、頭を悩ませる事になったのだが…。



………さて、そんなとある日――――ジンとの打ち合わせのため、朝早くから彼の自室を訪れようと、アルイエットは城内の廊下を歩いていた。
貴族の叛乱から、はや数週間………領土奪還の為の準備の合間にも、ジンのアルイエットへの色々な指導は続いていた。
その日もジンと話をしようと、彼の部屋に向かっていたアルイエットだが、ジンの部屋が見える場所で、足を止める事態に遭遇したのであった。

「え、あの娘って………ルカ?」

遠目に見えるジンの部屋。その扉から、ふらつくように出てきたのは…アルイエットの知己である、女騎士のルカ=マーチカであった。
どこかぎこちない仕草で、ルカはドアを閉めると…そのままアルイエットとは反対の方向に歩き去っていってしまった。あからさまに何かがあった様子である。
呆然と、ルカが歩き去るのを眺めてしまっていたアルイエットだが、彼女の姿が見えなくなってから、はっと我に返った。
彼女を追おうか…そう考えたアルイエットだが、しばしの黙考のあと、その考えを自重した。あの様子では、追いかけていって質問しても、彼女を困らせるだけだろう。
それよりも、問いただす相手はそこに居るではないか――――アルイエットはつかつかとジンの部屋の扉の前に立つと、ドンドンと激しくドアをノックしたのである。

「ちょっと、起きているんでしょ! でてきなさいっ!」
「――――なんだ、こんな朝早くから…お前も勉強熱心だな」

アルイエットの怒声とは対照的に、どこか気だるげな声が室内から聞こえてきたかと思うと、ドアが中から開けられ、部屋の主が姿を現した。
寝巻きの前をはだけさせた、何と言うか目のやり場に困るようなジンの格好に、アルイエットは目線を逸らした。何で男なのに私より色気があるのよ…と、彼女は内心で文句を言う。

「ん、どうした? 何か聞きたいことでもあるんじゃないのか?」

そんな彼女の内心を見透かしたかのように、ジンはからかうようにアルイエットに微笑みかけた。その様子に、アルイエットの頭に再び血が上る。
一呼吸してから…アルイエットは、じとりとした目線でジンを見上げた。身長差から、間近では彼を見上げる事になるため、気圧されないように大きく息を吸ったのであった。

「さっき、あなたの部屋からルカが出て行くのを見たんだけど」
「ああ、さっきまで一緒に居たんだが――――それで?」
「そ、それで、って………」

あまりにも、堂々と聞きかえしてくるジンに、アルイエットは困ったように言葉を詰まらせた。なんというか、自分が変なことを聞いているんじゃないかと錯覚を起こしそうになる。
それでも気を取り直して、アルイエットは気丈に、一番聞きたかった質問を、ジンに放ったのであった。

「その、ルカの様子がおかしかったから――――あなた、ルカにいったい何をしたの?」
「ああ、抱いてくれといったから、抱いたまでだが――――なんだ、その顔は」

呆れた表情のジンの声に、アルイエットは、はっと我に返った。どうも、彼女なりにショックを受けていたらしい。
ムストからジンの女癖の悪さを訊いていたし、実際にメイドの八重との行為を見ていたとはいえ、さすがに彼女の友人である少女との逢瀬というのは、それなりに衝撃的であった。

「そ、そうなの………それにしても、ルカがあなたの事を好きだったなんて、知らなかったわ」
「おいおい…いったい何を言っているんだ? あの娘が俺に抱いてくれと言ったのは、恋愛感情からではない。これも戦後処理の一環だ」
「え、ちょ………それって、どういうことよ!?」

戦後処理などと、物騒な言葉が出てきたのに慌てて、アルイエットはジンに詰め寄るが、ジンは涼しい顔――――と、不意に腕を引かれ、アルイエットは部屋の中に引っ張りこまれた。

「きゃっ………な、なにを、離してっ!」
「こら、暴れるな。ったく、あんな廊下で大声を出すな。誰かに見られたら、よからぬ噂が立つだろうが――――ほら、離したぞ」

ジンの手が離れると、アルイエットは慌てた様子でジンから身を離す。しかし、ジンの方は言葉以上の意味は無いのか、肩をすくめただけで、アルイエットに背を向けたのであった。
その様子に、ホッと息を吐いたアルイエットだったが………先ほどのジンの言葉がどうしても気にかかり、背を向けた彼に、重ねて問いかけることにした。

「それで、いったいどういうことなの? どうしてあなたに抱かれるのが、戦後処理になるのよ」
「まぁ、少し待て。寝巻きのままで話し込むわけにはいかないだろう。着替えるから、向こうを向いていろ」
「きゃっ…」

言うが早いか、さっそく服を脱ぎだしたジンに、アルイエットは慌てて目をそむけた。何度か見てしまっているとはいえ、やはり異性の裸というのは刺激が強いようである。
そんなアルイエットの様子を見て、呆れたように肩をすくめたジンは、普段着に着替えつつ、言葉を続ける。

「前置きの部分が長くなるからな。聞き流してもいいが………とりあえず耳だけは傾けていろ。さて、ルカ=マーチカが貴族の娘なのは知っているな」
「…うん」
「ルカの生家であるマーチカ家なんだが、先だっての内乱の時は、叛乱貴族側についていた。あの戦いの後、叛乱に加わった大半の貴族が領地を没収されたのは知っているな」

そのことは、アルイエットもムストから聞いていた。貴族達の中には不正を働いて私服を肥やしていた者も多々あり、自業自得だとアルイエットは思っていたのだが…。

「マーチカ家も、その例に漏れず、領地没収の憂き目にあっていたんだが………ルカは領土の回復と、一族の安堵を願い出てきたわけだ、自らの身体を俺に差し出してな」
「そんなことが………でも、何でそんな事を。困っているなら、私に相談をしてくれれば良いのに」
「――――あのな、お前に相談してどうにかなるんだったら、相談しているだろ――――着替え終わったぞ」

ジンの言葉に、アルイエットが彼の方を向き直ると、ジンは心底呆れたような顔をしていた。まったく、この馬鹿娘は、と言わんばかりの表情である。

「戦の後始末をするのは軍部ではなく行政の仕事だ。いくら総大将といっても、お前がああしろこうしろと言って良いものじゃないんだぞ」
「そ、それはそうかもしれないけど………じゃあ、なんでルカはあなたに会いにきたのよ? あなたは軍師なんだし、行政の仕事とは関係ないじゃない」
「ほう、その事に気がつくとは、少しは考えているようだな」
「その言葉を聞くと、私がまるで、普段は何にも考えてないように聞こえるんだけど………それで、どうして彼女はあなたに会いにきたの?」

重ねて聞くアルイエットに、ジンは端正な顔をわずかに歪めた。無表情に近いその顔は、何やら怒っているようにも見える。

「その事だが…どうも、あの娘は俺が只の軍師ではないと感づいているようだ。媚を売るなら、俺の方が適していると思ったんだろう。実際、俺の言葉ならムストは耳を傾けるだろうしな」

まぁ、それ以上の事は探っても出てこないだろうが………と、静かな声で淡々と語るジンに、アルイエットは身を振るわせた。
大陸に覇を称えるヴィスト王国――――その王国と敵対し、また苦杯を舐めさせ続けている彼は、自らの身を護る術にも長けているのだろう。
凄みを帯びた彼の表情に、アルイエットは戦慄を感じていた。同時にジンに対する憧憬のような感情が育まれていたのだが…それに気づくのは幾分か未来の事である。

「事の顛末はそういったわけだが――――不満そうだな。確かにお前さんが同じ立場なら、二つ返事でルカの願いを聞き入れそうだな。それも、指一本相手に触れずに」
「あ、あたり前よっ! いくら何でも、身体を差し出すなんて無茶苦茶じゃないの! そんな事をしなくたって――――」
「信用、できるか?」

ムキになったアルイエットの言葉をさえぎるように、静かな声でジンは語りかける。その声に言葉を止めたアルイエットに、ジンは諭すように問いかけた。

「仮に、お前さんがルカと同じ立場に立ったとして…その気になれば一族郎党を断罪できる力を持つ相手の口約束を、そのまま額面通りに信じれるのか?」
「――――そ、それは…」
「できないはずだ。また、仮に出来たとしても、それは危うい力関係でしかない。相手の機嫌を損ねれば、約束を反故にされることもあるだろうしな」

口ごもるアルイエットに向かって、抑揚の無い声で話すジン。その言葉の重さは、彼のくぐってきた修羅場の数を物語っているようであった。

「肉体関係を持つのも、相手を選ぶべきだろうが――――少なくとも、ルカの選択は間違ってはいないだろう。俺は、抱いた女を裏切るような真似はしない主義だからな」
「………」

ジンの言葉に、アルイエットは無言。正直なところ、アルイエットの立場も、実のところはルカのそれと大して変わりは無い。
ジンに力を借りる代わりに、彼に抱かれるという条件は――――破格の条件であるのは間違いないのだが…恋愛経験のない彼女にとっては、承服しがたいものであった。

「さて、話は終わりだな。今日もするべき事はたくさんあるんだ。考え込んでいる暇はないぞ」
「………わ、わかったわよ」

話を打切るように、ジンに肩を叩かれ、アルイエットは拗ねたような表情で頷いた。ここ最近、多少は打ち解けていたとはいえ…肝心な部分で彼女はジンを受け入れきれないでいた。
そんな彼女の葛藤はさておき、次なる戦いの為の準備は着々と進められていき――――貴族達の叛乱より一月後、エルト王国はヴィスト王国に対し、反抗の火蓋を切った。

かつて、自国の領土でもあった北方の地への進軍………兵士達の意気は盛んであり、将軍達の顔にも覇気が感じられるなか、軍師の采配により、全軍は王都の北西へ移動する。
都市エルゼを橋頭堡とした領土奪還作戦は、迅速なエルト王国軍の先制攻撃によって、幕を開ける事になったのである………。