〜それは、日々のどうでもいいような小話〜 

〜5年間の、ルーズリーフ(リクエスト)〜



『………流した涙の量だけ、強くなった自分がいた。もう出逢うこともない大切な人もいた。
色々なものが時間と共に過ぎ去って――――思い出の地に戻ってきて、それでも手に入ったものがあった。
まるでドラマのような逃走劇の後…私は先輩と共に、離島での日々を過ごす。

これからは、ずっと一緒と誓った私達。その道は、今後も決して平坦ではなかったけど、今はもう、一人じゃない。
この島で、お祖父様と出合ったお祖母様のように――――私はこの島で、かけがえのない大切な人と巡り合いました』

「ん、何をやってるんだ? 宮」
「………あ、先輩、起きていらしたんですか?」

睦み事を終えた後、互いに身を寄せ合って一眠りをして………ふと、目が覚めた私は、窓辺の月明かりの下、便箋に文字を書き連ねていました。
ベッドが広く感じられたのか、私のぬくもりを感じなくなったからか…先輩が目を覚まして声を掛けてきたのは、私が寝床を抜けだしてすぐのことです。

「起きるつもりはなかったんだがな…目が覚めて、お前が隣にいないから焦ったぞ」
「すいません。ちょっと、書きたいものがあったのですから」
「――――なんだ? 手紙か何かか?」

寝巻きをはだけたまま、先輩は無造作にベッドから出ると、私の近くに腰を下ろして、手元を覗き込んできました。
とりたて、隠すほどのものでもなかったのですけど、なんとなく気恥ずかしいものもあった私は、先輩の顔をグイッと押しやりました。

「だ、だめですよぉ…これは乙女の秘密なんですから。見るのでしたら、閲覧料を頂きませんと――――いたっ」
「阿呆な事を言うな、どこぞの文豪家かよ、お前は。いいから見せろっつーの」

ぺしっ、と頭をはたかれて、私は悲鳴を上げました。いちおう、年頃の女性なのですし、もう少し優しく扱ってもらっても良いと思うのですが。
………いえ、先ほどまで充分に優しくしてもらった私が言うのも………おこがましいとは重々承知をしているのですけど。

「ん? どうした、顔が赤いみたいだけど………風邪でもひいたか?」
「い、いえっ、別にそういうわけじゃないですけど…」
「…ま、いいや。それで、何を書いてるんだ?」

揺れる私の乙女心など意に介さず、あくび交じりに聞いてくる先輩――――本当にこの人は…奔放すぎて、かないません。
私は観念して、先輩が見えやすいように身体をずらしたのですが………先輩はわざわざ、私の肩に顎を乗せて、頬を寄せ合うようにして便箋を覗き込んできました。
ついでに、私の身体に密着するように、体重をかけて寄り掛かってくるのは、無意識なのでしょうけど………ほんとうに、スケベさんですよね。
そうして、まじまじと、私の書いたそれを見て、先輩の発した第一声はというと――――、

「ん〜…何だこりゃ。何かの文章………っつーか、ポエム?」
「日記ですっ! 見れば分かるじゃないですかぁっ」

とんでもなく失礼な一言であったわけで、私が怒るのも仕方のないことだと、自己主張するのは当然のことではないでしょうか。
ただ、惚れた弱みといいましょうか、苦笑した先輩が頬をつついてきたので、その怒りもすぐに収まってしまったのですが。

「日記か………まぁ、好意的に見ればそうとも取れる内容にも見えるが」
「じゃあ、好意的に取ってください。そもそもこの日記は、先輩の事についても書いてあるんですから」
「――――なに?」

私の言葉に、困惑した様子の先輩。そんな先輩に、私は日記を書き始めた理由について語る事にしたのでした。



ことの起こりは、私が高校一年生の時、この島に滞在していたある夏の日――――六条家の別荘で、お祖父様の日記を見つけたのが始まりでした。
お祖父様とお祖母様の、蜜月を書き記した日記帳――――それに感銘を受けた私は、自分でも日記を書いてみたいと思ったのです。

「ああ………じいさんの書いた例の日記に触発されたって訳か」
「はい、ですから、これからも先輩との蜜月をこうして書き記していこうかと――――」
「自分の恥ずかしい文章を、子々孫々まで伝える気か、お前は」
「ああっ! そ、そんな言い方はないじゃないですかあっ」

つれない言い方に、ショックを受ける私。とはいえ、そんな私を見るのは慣れっこになっているのか、先輩はやれやれと肩をすくめるのでした。
そうして先輩はというと、眠たそうにあくびを一つ………深夜という事もあり、睡魔が消えたというわけではなさそうです。

「とにかく、夜中に長々と書き物なんぞするもんじゃないぞ。ほら、寝る事にしようぜ」
「はーいっ」

先輩に促され、私はベッドにもぐりこみました。先ほどまで横たわっていた寝床には、ぬくもりがまだ残っています。
寄り添うように先輩と二人、ベッドに横たわって、互いの身体を寄せ合って眠りにつくことにしました。
先輩の胸板に耳を寄せると、ゆるやかな鼓動が聞こえてきて、気持ちが落ち着いてきます。

「そういえば、日記って言っていたけど…残りの分はどこにあるんだ?」
「ああ、それは…色々な場所に隠してあるんですよ。お勉強用の綴りのなかに紛れ込ませたり、書庫の読みそうもない本に何枚かを挟み込んだり」
「ふぅん、何か、宝探しみたいだな」

私の髪をいじりながら、先輩はそんな事を呟きます。先輩に抱きかかえられたままなので、顔を見上げる事は出来ませんが、何となく、どんな顔をしているのかは想像できました。
ぎゅっと、先輩に抱きつきながら、私は甘えるように頬擦りします。久方ぶりの幸せに、もっともっと浸りたくて、このまま眠るのが惜しいと思えて他愛もない会話に便乗するのでした。

「ひょっとして、興味があるんですか? 私の書いた赤裸々な日々の記録というのを――――」
「…アホか。いいから早く寝るぞ。明日もまた、朝早いんだからな」
「もうっ、自分から話題を振ってきたのに、つれないんですね、先輩」

話題を打ち切るように、私の身体を抱きしめる力を強める先輩に、私は苦笑し………結局、先輩のなすがままに任せる事にしました。
一緒の時間が大切といっても、そこはそれ――――夜更かしをして、朝寝坊をするのは本末転倒というところでしょう。
南栄生島に滞在することの出来る三日間。限られた時間を大切に過ごすため、私も先輩に抱かれたまま、眠りにつく事にします。

「おやすみ、宮」
「はい、おやすみなさい、先輩」

不安に駆られないと言えば、嘘になります。この瞬間が、私の見ている単なる夢ではないか…そんな、形のない冷たいものが、再会の時からずっと胸の内に未だに凝っています。
けれど、そんなことは無いという確信も、私は手にしていました。書き連ねた自らの日記は、例え思い出が色あせても、今までの足跡を記しているのですから。
思い出の島に戻ってきて、大切な人と再会したこの日――――私の日記に、生涯最高の幸せな出来事が記されたのでした。



「先輩………わたしは今、ここにいます」



FIN



Rewinds Five Years Ago...

『今日、昼食の席で………お父様が、私の将来の相手についての話題を振ってきました。私が、心に決めた相手がいると言うとお父様は渋い顔。
どうやら、先輩のことは滝村さんを通じて知っているらしく、しきりに考え直さないかと繰り返してきました。
私の気持ちは変わらないって言っているのに………どうして皆、納得してくれないんでしょうか?』

「ふぅ………疲れました。お父様も聞き分けがないんですから」
「それは仕方ないかと。お嬢様の将来を案じての苦言、お分かりになっていただかないと…」

自室に戻り、お父様への愚痴をこぼす私の声を聞きとがめ、滝村さんが困ったようにそんな事を言ってきました。
私が実家に戻ってからというもの、私の周りには同年代の人が減り、平均年齢が一気に跳ね上がることになりました。
お年の召した人というのは、どうしてこうも同じ事を、何回も繰り返し繰り返し言うのでしょうか? さすがに毎日がこれでは、気が滅入ってしまいます。

「家の者も皆、お嬢様のためを思って色々と申している次第でして………」
「わかってますっ。けど、それでも譲れない事というのはあるじゃないですか」

実家に連れ戻されてから、何度繰り返されたかも分からない互いの平行線――――私にとって大事なものは、ここでは受け入れられないものでした。
私の欲しいものは、地位とか名誉とかお金とか、きらびやかなものではなく………でも、そういったものに頼らなければ、生きられないのも…事実でした。

「お嬢様は、六条家にとっても…私にとっても大切な方です。だからこそ、認めるわけにはいかないのですよ。星野航という不逞の輩を」
「………」

滝村さんが、先輩の事を呼び捨てに――――不逞の輩と呼ぶようになったのは、あのクリスマスの日からでした。
無茶苦茶な言いがかりで、突拍子もない賭けを実現させると宣言して、私の心に………とても熱く、消す事の出来ない存在を焼き付けた先輩。
私を取り巻く環境は、あの日以来、何も変わっておらず――――けれど、胸の奥に刻まれた跡は、絶望というものを感じる暇もないほど、鈍く疼いているのでした。

「忘れろというわけではありません。ただ、時間を掛けて無かった事にしていただければ………どの道、あの輩とはもう、二度と会う事は無いのでしょうし」
「………そんなこと、出来るわけないじゃないですか」

一度は、全てを諦めようと思った事もありました。けれど、そんな物分りの良い方法は、もう選ぶ事は出来ません。
だって、忘れるなんてこと、もう出来ないのだから。ただの思い出としてではなく、これから先、私の生涯に関わってくると、先輩は誓ったのだから。
先輩の方から反故にしない限り、私の方から先輩を忘れる事は、出来ないのです。私は、先輩の奴隷と言うことらしいので…まぁ、立場的には不満な所もありますが。

「…その様子ですと、まだまだ時間が掛かりそうですな。お嬢様の顔が明るくなるのは、私めとしても嬉しいところなのですが」

傍から見ると…ハッキリ分かるほど顔が緩んでいたらしく、滝村さんは肩を落として溜息をつきました。
最近、よく南栄生島での生活を思い出すかのように夢を見ます。ホームシック、という言葉が適切かは分かりませんが、私の心情はそれに近いものがありました。

「滝村さん、そろそろ着替えますから、お部屋を出て行ってくださいますか?」
「はい、かしこまりました。それでは世話係のものを呼びますので………お待ちくださいませ」
「………はぁ」

滝村さんが部屋を出て行ってから、私は息を潜めるように、ひっそりと溜息をつきました。朝起きてから寝るまで、付き人やら使用人やら執事やらに囲まれた生活………。
そんな生活に憧れる女性もいるらしいですが、常に監視され続けているような状況は、息が詰まって仕方がありません。出来る事なら、誰かに代わってほしいくらいです。

…沙衣里先生あたりなら、こういう状況を歓迎するかもしれませんね。何しろ、何をする必要もなく生活できますし。
静ちゃんの場合、世話をやかれるのが嫌で、自力で逃げ出しそうですよね。海己先輩は、きっと何をするにも畏まってしまうんじゃないでしょうか。
凛奈先輩は、困った表情で、でも押しに弱い人ですから、お手伝いさんのされるがままに流されていそうです。
奈緒子先輩は…あれで、人に干渉されるのを嫌う人ですから………持ち前の猫かぶ――――もとい、優しい笑顔で切り抜けそうですよね。そういった所は、参考にしたいのですが。

「それにしても、皆さん元気にしていらっしゃるんでしょうか?」

ふと、何とはなしに…つぐみ寮でいっしょに過ごした皆さんを思い出して、私は溜息交じりにそう一人ごちました。
実家に帰ってからというもの、まるで外界から隔離されたような生活を送らされているせいもあり、その後の皆さんの消息を知る事はできませんでした。
もちろん、隔離と言っても、一室に閉じ込められたりというわけではありません。毎日、編入した高校へも通っていますし、外出も出来ます。

ただ、外へ出るときは、送迎車に乗らなければいけませんし…通学や下校の途中で、寄り道なんて出来るはずもありません。
決められたレールの上を歩くような、そんな毎日………それは、あの島での生活とは、大きくかけ離れたものでした。

「帰りたいなぁ…」

実家にいると言うのに、私の口からはそんな言葉しか出てきません。いま戻っても、あの寮には誰もいないと言うのに、どうしても、思ってしまうのです。
つぐみ寮に帰りたい――――あの寮で一緒に暮らした皆と、もう一度会いたいと………そんな途方もない願いを、心に描いてしまうのでした。



『今日、嬉しい出来事がありました。南栄生島の学園祭で行った、祖父の足跡を辿った展示………それをきっかけに、故六条紀一郎の記念館を創立する運びとなったそうです。
 驚いた事に、その記念館の場所は、つぐみ寮のあった場所………寮の建物をリフォームして、外観はそのまま、記念館として使う事になるそうです。
 どうやら本決まりの計画らしく、あの丘の上に、私達の寮は残り続けるようです。この事を知ったら、きっとみんな、凄く喜ぶんでしょうね』

「本当ですかっ、滝村さんっ!?」
「ええ、事後処理のため、一度あの島に赴いたところ………そのような話になっているのは間違いないようです、はい」

ある日の夜半――――お手伝いさん達の雑談を小耳に挟んだ私は…つい先程、屋敷に帰ってきた滝村さんを捕まえると、事の次第を問いただしたのでした。
南栄生島の久しぶりのニュースは………とても嬉しく、心踊る知らせでした。思わず喝采を上げながら、ガッツポーズを取りたいところです。
もっとも、最近は一段と口うるさく――――苦言が多くなった滝村さんの手前、心の中ではしゃぐだけに留めておきましたが。

「そうですか、皆さん、喜んでいると良いですね」
「皆さんと言うのは…あの寮に住んでいた方々ですな。残念ながら、どなたとも会う事は出来ませんでしたが」
「………そぅですか」

それは、仕方の無い事でしょう。今、あの島に残っているのは先輩と沙衣里先生の二人だけ。それに、滝村さんが自ら、先輩達に会おうとは思わないでしょうし。
特に先輩の事は、不貞の輩だの害虫だのと、好き放題言ってますから――――万が一、道で出会っても、とても友好的な雰囲気にはならないでしょうね。

「なんにせよ、旦那様の計らいが、順調に進んでおるようで………重畳なことです、はい」
「え、お父様の計らいって――――どういうことですか、滝村さん?」

問いただしてみると、どうやら今回の一件は、お父様が内々に裏から手を回していたという事だそうです。なんでも…私の研究を皆に知ってほしくて、今回の事を画策したのだとか。
どうやら、学園にも寄付と言う名目で、相当額のお金が払い込まれたようで――――滝村さんもこの件には、一枚も二枚も噛んでいるそうです。

「最初は、学園側もあまり良い顔をしてはおりませんでしたが………最終的に、六条家の面子を立てて首を縦に振ったというところでしょう」
「………いくら事業を撤廃すると言っても、六条家の力は侮れないとでも思ったのでしょうね」

あまり、スマートとは言えない方法ですが………それでつぐみ寮を守る事が出来たと言うのなら、この件は不問にすべきなんでしょう。
こういうときに限って言えば、私が六条の家に生まれてきた事に、感謝をすべきなのかもしれません。もちろん、感謝すべき部分は他にも山ほどあるのですが。

「………それにしても、未だにあの島の事を気に掛けておられるのですか。あの島を出て、もう半年になると言うのに」
「もう半年じゃなくて、たったの半年ですっ! 確かに、思い返せば…けっこう前の事になるかもしれませんけど」

呆れた表情の滝村さんに、少々ムッとしながらも――――私は自分で口にしてたことで、月日の移り変わりを実感しました。
あとしばらくすれば、夏が来ます。先輩と結ばれてから、一年後の夏なのですが――――…この調子では、到底一緒に過ごせそうにもありませんね。

「ところで滝村さん、夏休みの事なんですけど――――、予定の方はどうなっています?」
「はい、お嬢様のスケジュールなのですが………旦那様が直々にお決めになられると言う事で、おおよその予定ならお伝えできますが」
「――――…そうですか。それならけっこうです」

お父様が直々に決めると言う事は――――おそらく夏休みに…一族総出で、海外か避暑地にいく計画でも立ててるんじゃないでしょうか?
別段、お父様やお母様と一緒にいる事に不満はありませんが………これでは、夏休みに自由な時間なんて取れそうにも無いですね。
あわよくば、夏休みを利用して南栄生島に行くことも出来るのでは、という淡い期待は、夏が来る前に挫折する事になったのでした。



『早いもので、高校二年の冬休みも、瞬く間に日々が過ぎていきました。クリスマスパーティの余韻に浸る間もなく、お屋敷では年越しの準備が進められています。
 今までと違ったのは、そうやってあわただしく準備をする光景を、私は遠くから眺めているところでした。
 それは、まぁ………手伝っても、役に立つかはどうかは疑問ですし、お手伝いさんを困らせるわけにも行かないんですが――――何となく、取り残されたような気分です』

「もう、すっかり年の瀬なんですね………」

自室の窓の外――――大きな樅の木から、使用人の皆さんが飾り付けを外す光景を見ながら…私はしみじみと溜息を漏らしました。
家族で過ごした今年のクリスマスは、楽しくなかったといえば嘘になりますが…それでも、心のどこかには不満めいた感情があったのでした。
去年のクリスマスは、それはそれはドラマチックな展開があったというのに、今年は平々穏々に始まって…終わってしまったからです。

「さすがに、いきなり迎えに来てくれるというのは、都合が良すぎる考えなんでしょうね…」

クリスマスパーティの合間、時折、屋敷の庭に幾度か視線を向けても、そこにあるのは電飾に飾られたツリーだけ――――あの人の姿を見る事はありませんでした。
お父様やお母様は、まだまだ宮穂も子供だなと笑っていましたけど、こんな切ない胸のうちを抱えていると知ったら、どんな顔をするのでしょうか。
それにしても………まさに籠の鳥といえますね、今の私の生活は。吐息代わりに溜息を吐きながら、私は自分の置かれている状況に、暗澹とした思いをするのでした。

屋敷から出るときは、滝村さん他、護衛の方々が常に回りに立っていて、気の休まる時もありません。
さすがに、通っている高校の中まで入ってくることはありませんが――――部活に入ることも出来ず、下校時もまっすぐ家に帰るほかありません。
外部との連絡手段というか、友達との連絡用に携帯電話がほしいといっても、聞き入れてもらえず………連絡は使用人が取り次ぎますと突っぱねられる体たらくです。
まぁ、確かに携帯電話が手に入ったら、真っ先に先輩に電話しよう――――そんな事を考えてもいましたけど。

電話一つするにしても、逐一使用人の皆さんに頼まなければならないのですから、私の自由は無いも同然でした。
少し前は、こんなに厳しくは無かったような気がします。思えば、滝村さんを始め、皆さんの態度が頑なになったのは、南栄生島から帰ってからでしょうか。
今でも、事あるごとに…先輩のことを諦めろと、言われ続けています。その急先鋒は、言わずもがなの滝村さんですが、最近では他の人も先輩の悪口を言うようになりました。
直接会ったことが無いとはいえ、先輩の事を悪く言われるのは、ハッキリ言って良い気がしません。そんなわけで、冬の初めから、私の気持ちは沈んだままなのでした。

「正直………つらいです。声が聞きたいですよぉ、先輩…」

抱きしめてくれなんて、贅沢は言いません。ただ、私の愚痴を呆れたように聞いて、『馬鹿だな、宮は』って、笑ってほしいです。
キスをしてくれなんて、望んでいません。私の頭に大きな手を載せて、乱暴にくしゃくしゃってして欲しいです。
愛してるって、囁いてほしいけど………それよりも、ただ――――先輩に、会いたいです。

「このままじゃ、私、奈緒子先輩と同じ歳になっちゃいますよぉ………会いに来てくれないままで、沙衣里先生と同じ歳になったら…ひくっ…どうするんですかぁ」

今日、この時は………皆、後片付けに追われてて、私の事に気を止める人はいません。その事を知ったとき、張り詰めたものが、一気に切れてしまいました。
どうしようもなく、止められない嗚咽を漏らさないように懸命にこらえながら、私はその日、ほんの少しだけ涙を流したのでした。



『進学をして、3年生になった春の初め――――その日、屋敷の中に春一番が吹き荒れる事になりました。
 知ってます? 春一番って聞こえはいいですけど、けっこう強めの風が吹くんですよ。その風に一番驚いたのは、多分…滝村さんじゃないでしょうか。
 私は――――信じていましたから。いつか誓った約束が、色あせることなく互いを結んでいると』

「また、あのコが来たんですか………本当に、ずうずうしいと言うか、豪胆というか」
「そうですよねぇ…普通の人だったら、こんなお屋敷に挨拶に来ようなんて思いませんものね」

「………?」

その日…初春の花も芽吹き始め、進級をしたばかりで、最上級生としての自覚も無いまま右往左往していた、高校3年生の4月の下旬………。
学校が休みとなる週末の屋敷の中で、そんなお手伝いさん達の話が聞こえてきたのは………まったくの偶然でした。
普段は気にも留めないような世間話に、ついつい反応したのは、いいかげん猫を被るのにも飽きた――――もとい、何となく予感がしたからじゃあないでしょうか。

「あの………どうかなされたのですか?」
「ああ、お嬢様。おはようございます」

年配の家政婦さん達は、私の姿を確認すると、愛想良く笑顔を向けてきてくれます。この辺りは、六条家の親しみやすい雰囲気のおかげでしょう。
家政婦さん達は、抱えるように包装されたダンボールを抱えています。いったい、何を運んでいるのでしょうか?

「はい、おはようございます。あの………何か、あったんでしょうか? お部屋の模様替えをするとは聞いてませんけど…」
「ああ、これですか………別に、引越しのためとかそういうのじゃありませんよ。これは、ちょっとした贈り物なんですから」
「――――贈り物、ですか?」
「はい。お嬢様はご存じないかもしれませんが…今月の初めに、一人の男の人が、六条家を訪ねていらしたのですよ。手土産に、引越し蕎麦を持って」

お手伝いさん達の話を要約すると――――今月の初め…数週間ほど前に、一人の青年が、暢気にも六条家の門を叩いた。話の通り、引越し蕎麦持参で。
なんでも、ご近所づきあいは大切にしたいらしく、これから仲良くしたいので、引越し蕎麦を持って挨拶に来たとのことだった。
しかし、衰えたとはいえ名家の六条家――――そんな得体の知れない青年を相手にするわけも無く…哀れ、青年は門前払いを食らう羽目になったらしい。

「持って帰っても食べきれる量じゃないし、どうせなら、皆さんで頂いてください」

しかし、転んでもただでは起きない、というのが青年のモットーだったらしく…青年は追い出される前に、六条家の屋敷に勤める家政婦に、引越し蕎麦を渡していたのだった。
かくして、引越し蕎麦は家政婦達の腹の中に消える事になる。それからというもの、数日おきにその青年は、六条家の屋敷を訪れては、門前払いを食らっているという。
………話を聞くからに、タフな人ですね。曲がりなりにも名家である我が家の敷居を跨ごうとする辺り、かなりのチャレンジャーなのは分かります。

「まぁ、そこまで怪しい人でもなかったですからね。お蕎麦は美味しかったし、なかなか良い感じの男の人でしたから」
「そうなんですよ、お嬢様。私にも娘が一人居ますけど…婚期を逃した娘ですからね、ああいう男の人と…お見合いしてくれれば安心できるんですが」
「はぁ、そうなんですか」

話半分に、私は相槌を打って、家政婦さん達の話に聞き入っていました。どうやら件の男性は、我が家の家政婦さんたちの話題を独占しているようです。
それにしても、隣一軒も他人の暮らしである大都会で、随分と律儀な人もいるものですね………何だか久しぶりに、人の温かみに触れた気がします。
どことなく、落ち込んでいた気持ちがわずかに楽になった私は、話をするために家政婦さん達が床に降ろした、ダンボールの中を覗き込んでみました。

「ああ、それですか? さっき話した男の人が、届けてくれたんですよ。実家から送ってきたものだけど、一人じゃ食べられそうに無いからどうぞって」
「――――うわぁ、たくさんのお魚ですね。こんな新鮮なお魚を見るのは、久しぶりですよ」

ダンボールを開けると、そこから漂うのは磯の香り――――発泡スチロールの囲いの中で、敷き詰められた氷の中に多様な魚が詰められていました。
こういう形のお魚を見るのは、随分久しぶりです。思えば、あの島に居る時は…こういうお魚を切り分けてもらって、お料理の材料にしていたものです。
私は残念ながら、実際にお料理に参加する事は皆無でしたけど――――静ちゃんと手を繋いでお魚を買出しに行ったことは、今でも良く覚えています。

「本当にね、こっちだと…こんな新鮮な材料は手に入りませんから、ありがたいことですよ――――さっそく、今日の料理に使わせてもらう事にします」
「本当ですか? 楽しみです! 期待させていただきますね――――ということは、こっちの箱もお魚さんなんでしょうか?」
「あ、そっちは――――」

久方ぶりに、気持ちが弾んだ私は、特に深く考える事もなく、もう一つのダンボールに手をかけると、蓋を開いて中を覗いてみました。
しかし、予想に反して磯の香りどころか、そこに詰め込まれていたのは………私の予想のしなかったものだったのです。

「え…? これって、駄菓子ですよね? これも贈り物なんですか?」
「そうなんですよ。お魚はありがたかったんですけどね、こういったお菓子類は、私達にはちょっと――――ねぇ」
「ぁれ…? でも、これってどこかで――――」

困ったような家政婦さんの言葉を聞きながら、私はどこと無く胸がざわつくのを感じました。何か、見落としているような気がします。
駄菓子の詰まった箱の中、視線を動かしてみると、そこに一つの小さな箱がありました。ダンボールという大きい箱の中に入った、小さなクーラーボックス。
私は、クーラーボックスに手を触れると、留め金を外して、ゆっくりと開き――――そして、息を呑みました。

「だから、返そうと思ってたんですよ。ああ、でもそのお菓子だけは、もらっても良いんじゃないでしょうか? お嬢様も、そういった物はお好きでしょう?」
「…………」
「――――お嬢様?」
「嫌いなわけ、ないじゃ………ないですかぁっ」

声が震えるのは、涙が溢れそうになるのは…どうしようもありませんでした。だってそれは、私の大好きな食べ物でしたから。
宝石のような、艶やかな色彩の――――クリスタルパフェ。懐かしいあのペンションだけの特別メニュー………。
どこかしら、見覚えがあるお魚達も………懐かしいあのお店にあった駄菓子も………それを知っている、先輩からのメッセージに間違いありませんでした。

「お嬢様、どうしたんですか? お嬢様っ?」
「あ、はは………先輩が、来てくれていたんですよ…っ。こんなに回りくどい事して、本当に格好つけたがりなんですから…っ」

ぐす、と鼻をすすりながら、私はみっともなく涙をポロポロとこぼしました。本当に、涙が溢れて止まりません。
心細さも、不安も悲しみも、全てを諦めない事で耐えてきた私は――――この日ようやく、それが無駄ではなかった事を知る事になったのでした。



『先輩が、会いに来てくれた――――今まで待っていて、本当に良かったと、心から思いました。
 ですが、浮かれていた私は気がつきませんでした。滝村さん達が、先輩の事を見逃すはずは無いということを。
 そのことを知ったのは、翌日………浮かれた気分で週明けの学校から帰宅し、お手伝いさんたちの話を小耳に挟んだ時でした』

「どういうことですか、滝村さん!」
「はて、いったいどうなされましたか、お嬢様」

血相を変えて詰め寄ったというのに、当の滝村さんは平然とした表情をしています。正直な話、役者が違うのは分かってますが、引くわけには行きません。
私は、小耳に挟んだ話が事実かどうか、滝村さんに問いたださないといけません。先輩が、まさか――――、







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