〜それは、日々のどうでもいいような小話〜
〜Good Bye〜
出会いがあれば、別れもまた当然の如くそこにはある。過ぎ去りし年月は、思いを馳せるに充分すぎるほど。
出会いの挨拶と、別れの挨拶。それは必ず交互にやってくるものだった。
「さよなら………」
傍らの茜の言葉を、俺は黙って聞いている。しんと冷え切った夜の空気が肌をさし、痛みに似た感覚を伝えてくる。
言葉の意味を噛み締めるかのように、茜は一つ、小さく息を吸い――――、
「さよなら、去年っ。そんでもって、新年あけましておめでと――――っ!」
「やめろ、恥ずかしい」
周囲からクスクスと笑い声が聞こえ、俺はいたたまれなくなって、茜の頭をぺしっと小突いた。
南栄生島の町議選挙から、俺の誕生会を経て、つい先日の大晦日………仲間内でのイベントを終えた後、俺は茜とともに道芝神社を訪れていた。
今は、暦も変わった1月1日。神社の境内には、俺たちと同じように、年を越した家族連れなどで賑わっている。
ちなみに、年越し蕎麦を用意していた場所では………新たに甘酒とおしるこが用意され、訪れた客に配布されていた。
当然、甘いものに目がない茜は、さっそく熱々のおしるこを受け取ると、はふはふと美味しそうに小豆で味付けされた餅を口に運んでいる。
「う〜ん、やっぱり年の初めにはおしるこだよねっ。お雑煮もいいんだけど、やっぱり甘いという点で、他の追随を許さないって言うか、圧倒的戦力差があるよねっ」
「何の戦力だよ………にしても、よく食うよな、さっき蕎麦をすすったばかりなのに」
俺が、思わず呆れた声を上げるのは至極当然のことだろう。つい先ほど、年が明ける直前に………俺と茜は揃って年越し蕎麦を啜っていた。
先ほどから小一時間も経っておらず、俺の腹は膨れたままである。茜も同じ状況のはずだが、どこに余裕があるんだろう?
甘いものは別腹だ、って聞いたことがあるが――――深くは考えまい。茜にとっては、おしるこは食後のデザートのつもりらしかった。
「ん? どったの航くん? あ、ひょっとして航くんも食べたくなったの? それなら直ぐに取ってくるけど――――」
「いや、俺は………もう食い物はいい。でもまあ…甘いものでも酒ならいけるんだがな」
おしること一緒に振舞われている甘酒に目を向けて、俺がそんな事を呟くと、茜が呆れたような表情を見せた。
「もー、駄目だよ航くん。私達はまだ学生なんだし、卒業するまでは真面目に頑張ろうって決めたでしょ?」
「――――ああ、そうだったな。 けど、もう少しの辛抱とはいえ………駄目だといわれると、逆に欲しくなるもんだよなぁ」
晴れて町議員になった、じいちゃんに面倒をかけるのを避けるため――――俺はここ数週間、なるたけ問題を起こさないように気を使っていた。
まぁ…一応、自室では多少は羽目を外せるものの、ようやく出入りできるようになったサザンフィッシュでも、アルコール類の注文などはしないでおく事にしている。
町長派の目に止まる可能性もあるため、無用なトラブルは起きないに越したことはないのだが…ときおり、口寂しくなることも確かだった。
「ほらほら、あま〜い小豆だよ、航くん。見て見て、ちょうどいい具合に煮えてるから、煮崩れせずに箸でつかめるんだよ〜」
「ああ、良かったな。というか、俺に食べさせるんだったら、小豆でなくて餅を献上しろよ」
「うわ、略奪宣言!? 傍若無人!? 亭主関白!? お餅のないおしるこなんて、茜ちゃんの居ないサザンフィッシュみたいなものなんだよ!」
などと、意味不明なことをいいながらも、茜はおしるこから器用に餅をつかみ出すと、俺に向かって差し出してくる。
自分で言った手前、食べないわけにもいかないので、俺は茜の差し出した餅にかぶりつき、まだ熱いそれを、喉の奥へと押しやった。
「おいしい? おいしいの航くん? もういっこ食べる?」
「………いや、俺はやっぱいいわ。 まだ腹が膨れてて、これ以上は入りそうにもない」
「そう? それじゃ全部食べちゃうねっ。 あふ、あふあふっ………う〜、やっぱ熱いなぁ」
悪戦苦闘しながら、おしるこを食べ続ける茜に苦笑し、ふと、俺は頭上を仰ぎ見る。
冬の夜空に白々とした色の月が出ており、周囲を明るく照らしている。といっても、その光は日の光のそれとは比べ物にならないほど、薄弱なものだ。
ここからでは見えないが、山の上、かつての寮があった所には、今は様々な重機が運び込まれ、建設工事が行われている。
………町議員になったじいちゃんではあるが、それで直ぐに、島の開発工事を止めるというわけにはいかなかった。
もともと、先方にも都合というものがあり、丘の上にリゾートホテルを建てるのは、決定事項でもあったからだ。
実際、こうした開発は、計画が立てられた時点で止めようがないものだ。座り込みなどの反抗活動をしても、たかが知れている。
いずれはリゾートホテルが建ってしまうし、それで大事な活動時間を損なうわけにも、いかないということらしい。
じいちゃん達が、これから行う活動は………島全土の開発計画の見直しが主流になるとのことだった。
畑や山裾、海岸線など、開発計画で人の手が入る部分に対し、それが本当に必要なものか、突き詰めていくとのことだ。
一応、先達の見本ということで、六条紀一郎が手がけた開発案を元に、自然との共生をテーマに掲げている。
この考えは、割とすんなりと島の人たちに受け入れているらしく、既に町議会では何度も討論が繰り返されているらしい。
俺が、その討論の場に参加するのは、まだ何年か後になりそうだが――――じいちゃん達の足を引っ張らないように、今から勉強しなきゃいけないだろう。
「は〜、ごちそうさま。 ん? 航くんってば、なにを見てるの? 何か面白いもので見えたの? UFO? 山猫? 暗がりでイチャイチャするカップル?」
「いや、そんなのを覗き見するほど、飢えてない。ただ、丘の上を見てただけだ」
「あ………そっかそか。もう、工事が始まっちゃったんだよね〜。 つい先日まで何もない場所だったのに、人類の力って、偉大だよねっ!」
「――――まぁな」
茶化した様子の茜の言葉に、俺は苦笑する。わだかまりが消えたわけではない。ただ、隣に居る存在のおかげで、事実を受け止めれる余裕が出来たのだった。
そんな俺の表情をどう受け取ったのか、茜は冬の寒さに白い息を吐き…人の溢れる境内を見渡しながら話題を転じる。
「それにしても、もう新年なんだよねっ。春になったら、海己ちゃんも島に帰ってくるし、この島も賑やかになるよ〜!」
「――――まぁ、海己が賑やかしになるとは思えないけどなぁ。あと、海己だけじゃなくて、宮も静も島に戻ってくるって言うし、これで3人追加、だな」
「うんうん、皆が島に戻ってくれば、昔みたいにどんどん、島も賑やかになるよねっ!」
はしゃいだ表情で、希望に満ちた事を茜は言う。じっさい、出水川重工の撤退から数年――――島の人口の減少は、停滞を迎えていた。
さすがに、毎年一定人数が島を出て行くというわけではない。島に残る人も当然居て………少数だが、島に戻ってくる人もいる。
今後、開発計画がどのような形で進むかは分からない。しかし、茜の言葉は決して楽観論だけで出来た言葉ではなかった。
………いずれ、島は息を吹き返す。それは、思想こそ違えど、島に住む人々が皆、願って………そして信じていることであった。
「ま、なんにせよ、今年もよろしくな、茜」
「うん、そうだねっ、もちろんだよっ! 学校を卒業しても、ずっとずっとずぅっと一緒にいようねっ!」
茜の進路だが――――卒業後は、隆史さんの経営するサザンフィッシュに、正式に就職する事に決まっている。
専ら主な仕事は、ウェイトレスとして接客をするという…今までと変わらないとのことらしい。
まぁ、隆史さんのことだから、茜に刃物を持たせるようなことはしたくなさそうだし…妥当な選択なんだろうな。
「お〜い、茜〜! どこにいるんだ〜!?」
と、そんな事を考えていたからだろうか………神社の人ごみの中から、聞き覚えのある声が、飛び出してきた。
言わずもがな、その声は――――サザンフィッシュのマスターであり、茜の兄である隆史さんの声だったりする。
どうやら、茜を探しに道芝神社まで来たようである。まぁ、茜と出かける際…初詣に行くと断りを入れておいたので、来るんじゃないかな〜とは思っていたが。
「おーい、隆史さん、こっちこっち……」
「わ、まってまって、静かにして、航くんっ」
「…ぇ?」
人ごみの向こう………姿の見えない隆史さんに向かって、声をかけようとした俺を、慌てて止めたのは茜であった。
急にどうしたんだろうと茜の様子を見ると、茜は何となく不満そうな表情で、溜息を漏らしたところだった。
「ふぅ………も〜、お兄ちゃんったら、せっかくいい感じだったのに、タイミング悪いんだから〜」
「お〜い、あぁかぁねぇ〜! どこなんだ〜!?」
「………呼んでるみたいだけど、いいのか?」
一応、人ごみで溢れている神社の境内である。迷子を探すかのような必死の隆史さんの声に、周囲の人も何事かと視線と向けており、肩身の狭いことこの上ない。
しかし、マイペースを地で行く茜はというと、俺の問いかけに、のんびりとした笑顔であっさりと言い放った。
「まぁ、良心が咎めなくもないけど………せっかく航くんと一緒にいられるチャンスなんだし、お兄ちゃんには、ちょっと泣いてもらうという事で…このまま隠れていようよっ」
「いいのか、それで…?」
どうやら、茜はこのまま隆史さんをスルーするつもりらしかった。別に、兄妹の仲が悪くなったというわけでは、断じてない。
ただ、茜とあらためて付き合いだした、あの日以来………茜の中で、俺に対する行動の優先度が、飛躍的に跳ね上がったらしい。
いつもは、今までと変わらずに俺と接している茜だが………ふとしたはずみに、今までよりも俺にべったりな行動を取るようになったのである。
「おーい、茜………お、そこにいたのか」
その時、人ごみを掻き分けて、隆史さんが姿を現した。よほど急いできたのか、汗だくの状態で………真冬だというのに、かなり暑そうだった。
やれやれ、今日はこれまでかな、真夜中だし、しょうがないか――――俺はそんな事を考えたのだが………直後、茜のとった行動は、俺の予測の右斜め上を突っ走っていた。
「うわ、見つかっちゃった! しょうがないや、逃げよう、航くんっ」
「は? 茜、何を言って――――うわ、マジなのかよ、おい!?」
茜は俺の手をひっつかむと、火事場の馬鹿力なのか、俺を引きずるような勢いで、急に駆け出したのである。
驚いたのは、俺だけではなく、ようやく俺達を見つけたばかりの隆史さんも、茜の行動に愕然となったようだった。
「あ、茜っ!? どうして逃げるんだっ………? わ…航、貴様〜! 茜をどこへ連れてくつもりだ〜!」
「いや、俺が引きずられてるって、見て分かるだろ! 勘弁してくれっ………って、聞いちゃいないしっ!」
隆史さんが物凄い形相で追いかけてくるので、仕方なしに俺は…茜とともに逃げることを選択した。
とりあえず、ほとぼりがさめるまで、どこかに身を隠すことにしよう………茜と手を繋いだままで、俺は神社の境内を駆け抜ける。
今までよりも、さらに行動的になった茜とともに、俺の一年のスタートは、こうして幕を開けたのだった。
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