〜それは、日々のどうでもいいような小話〜 

〜ほんとうのこと〜



「それじゃあ、明日、朝10時に繁華街の広場に集合って事で、大丈夫なんだな?」
『うんっ、全然オッケーオールライトだよ! やったー、明日は航君と航くんとわったるくんとデートだ〜!』
「おい、大きな声出すなよ! 隆史さんに聞かれたりしたら、まずいだろうが!」
『うわっと、いけない、そうだった。でも、やっぱり、どう考えても嬉しいよ〜!』

時刻は夜の10時過ぎ………明日は、第二土曜ということもあり、学園も休みとなる。
とりわけ予定もない俺は、せっかくの休日なので、彼女である茜を誘い、遊びに出ることにしたのだった。ちなみにそういう行為を、世間一般では、デートと呼ぶ。

『明日は、おべんと持って、おめかしして〜…先生っ、注意事項はあるんですか? バナナとおやつは別腹とか〜』
「そんなに気負うことないだろ。普通でいいんだよ、普通で」
『うわ、気のない返答!? それとも余裕!? 経験者は語るのかっ!? 初デートに恋焦がれる乙女の純情は、航くんの一言に燃え盛っちゃったり…』

携帯を通して聞こえる茜の声は、いっそう甲高く、また、心地よく聞こえる。気分的に高揚しているのもあるかもしれないが。
今までは学園祭やら受験勉強やらで、まともに茜とデートすらしていないことは確かだったので、実は俺も、茜とのデートは、けっこう楽しみだったりするんだが。

「まぁ、そういうわけだから、今日は早く寝ておけよ。寝坊したって、迎えに行ったりは出来ないんだからな」
『うんっ、今からこれから、すぐに寝ることにするよっ! 航くんも、遅れちゃったりしないようにね。あ、でもそれならそれで良いか。私が航君を起こしにそっちに』
「全力で起きるから、余計ないことは心配するなっ!」

慌てて、俺は茜の言葉をさえぎる。茜の口の軽さを考えると、明日の朝に茜が我が家にきたら、デートのこともあっさりと暴露しそうだ。
婆ちゃんはともかく、爺ちゃんは黙っていないだろう。こと、男女の恋愛については厳しい人だから――――、

『ん〜ちょっぴし不安も残るけど………わかった。航くんを信じることにするよ。海己ちゃんいわく、信頼度は2割強らしいけど』
「そうしてくれ、それじゃあな――――おやすみ、茜」

さすがに旗色が悪くなってきたのを感じ、俺は返事を待たず、携帯の通信を打ち切った。
電話の向こうで、茜が不満そうにしているのは容易に想像できたが、このままダラダラと話し続け、双方寝坊するよりはましであろう。

「ふぅ」

一つため息をつき、俺は部屋にあるカレンダーを見る。12月の第二土曜…明日は、俺と茜との記念すべき初デートである。
そして明後日、第二日曜日は………待望の日。町議員選挙の投票日だった。選挙は当日開票なので、結果はその日のうちに出る。
明日へと逸る気持ちを抑え、俺は布団にもぐりこむ。長い2日間になりそうな予感が、胸のうちに留まりつつあった。



繁華街の開けた場所――――…さすがに休日ということもあり、そこそこの人で賑わっている繁華街の広場。
まぁ、ありていに言えば、この島で遊ぶ場所といったら、この辺りくらいしかないので、休日に人が集まるのも、当然と言えたが。

「茜は………と、まだ来てないみたいだな」

開けた場所にあるため、ぐるっと周囲を見渡すが、見知った茜の姿は見えない。あれだけ騒々しい雰囲気の茜だから、居れば一発で見つけられる。
少し早く来すぎたかな、と腕時計に目を通すと、時刻は9時20分頃…………もう少し家で、のんびりとしていれば良かったかな?
いや、本当は時間ギリギリにつけるように計測して準備はしたつもりだったんだが…何故か、まだこんな時間だったりする。

「ひょっとして、気が急いてるのかもな…こうやって、誰かとデートをすることなんて、ここ最近なかったし」

呟いて、腕時計に目を落とす。時刻は相変わらず、9時20分頃………秒針は動いているし、壊れているわけじゃなさそうだ。
ただ、何となく、時間の進むのが異様に遅く感じる。自分で思っている以上に、茜とのデートが待ち遠しいと感じているのだろうか?

「まさか、な」

苦笑して、俺はため息を漏らす。最近では、いつも一緒に居る感のある…そんな茜とのデートに気負う必要はないはずだった。
それでも、そわそわした気分は不思議と収まらなかった。気を紛らわすように周囲を見渡し――――その時、視界の隅に何かが映った。

「………あれっ、航君だ航くんだわったるくんだ〜! いったいどうしたの、こんなに朝早く、待ち合わせまで30分以上もあるのに〜」
「茜こそ………時間までまだ、30分以上あるぞ」

互いに驚いたように、歩み寄って言葉を交わす。俺から遅れること5分………広場に茜が姿を見せたのは、意外といえば意外だった。
すっかり寒くなった南栄生島の冬………広場に現れた茜は、寒さを紛らわせるためか、しっかりと防寒装備をしていた。
薄紅色のセーターの上に白のコートを羽織り、チェックのスカートを履き、肌色タイツの足の先にはスニーカーと…動きやすい格好をしている。
俺はというと………言う必要もないか。男の服装を見聞きして…喜ぶようなやつは、そう居ないだろう。

「いや〜、純朴な彼女がするみたいに、待ち合わせ場所に先に来て『ごめん待った』『ううん今来たとこ♪』って黄金パターン設立のために早起きしてきたんだけど」
「無駄なところで、気合を入れるなよ…」
「まぁ、本当はついついどきどきわくわくなせいで、待ち合わせ場所に早く来ちゃったんだけど〜、航くんは?」
「…ノーコメント」

さすがに、いくらなんでも男としてそれを認めるのは敗北ではないだろうかと思い、適当に言葉を濁す。
とはいえ、隠し通せるとも到底思えず…茜はといえば、ニコニコと笑顔で俺の手を握ってきた。

「よし、それじゃあちょっぴりフライング気味だけど、第1回航&茜のラブラブデートを開催しましょ〜」
「まて、何を木っ恥ずかしいネーミングをつけてるんだ」
「まずは、ウィンドウショッピングをして、お昼になったら喫茶店からボーリング場で時間つぶして、夕方になったら空港のショップを見て回ろうねっ」

………聞いちゃいねえし。しかも、一日中、俺をつき合わせる気満々のようだった。ま、いいけど。
茜は、俺の手を握ったまま…ぶんぶんと振り回していたかと思うと、今度は手をつないだまま、すたすたと歩き出した。

「じゃあまずはウィンドウショッピングね。季節外れのダイビングショップや、異常に高めの値段のブティックに…航くん御用達のスナックも覗いてみよ〜!」
「それが、本当に楽しめるかどうか疑問なんだが………まて、最後のは無理だぞ。普通、そういった店は夕方から夜半までしかやってないんだし」

茜に手を引かれながら、なし崩し的にデートは始まる。まぁ、茜のことだし、どこに行っても楽しいデートになることは間違いないだろう。
背丈の違いから、俺は数歩で茜に並ぶと、そのまま歩調をあわせるように足を進めた。傍から見れば、それなりに恋人同士に見えるんだろうか?
そうして、俺と茜は人の往来が盛んになってきた、繁華街のモールの中に入っていったのだった。



「う〜ん、やっぱり歩きながら喋りながら食べるクレープは一味違うよねっ。こう、ふわふわなクリームが口の中で溶けるというか〜」
「普通は、歩くか話すか食べるか…どれかをやめなきゃいけないと思うんだが、器用だな、お前」

アーケード内を並んで歩きつつ、隣で幸せそうにクレープを食べながら話しかけてくる茜に、俺は呆れたように呟きをもらす。
ちなみに回った店舗の5件目…アーケード内の軽食用の店舗――――たこ焼きやらアイスやらを売っている店舗で買ったものだ。
なお、諸々の事情により、出費は当方の財布から出ている………要するに、俺のおごりだということだ。

「ん? ひょっとしてひょっとしてひょっとして、航くんも食べたいの? だったら全然、これっぽっちも遠慮はいらないよ〜 ほらほら」
「遠慮なんかするわけないだろ、誰が買ったと思ってるんだよ、ったく」

苦笑しながら、俺は茜の差し出したクレープを指でちぎり、口に運ぶ。イチゴムースと生クリームが口いっぱいに広がり、俺は眉をひそめた。
しかし、やっぱ甘いな………茜に付き合って買い食いするときも思うんだが、コイツは甘いものばかりで胸焼けとか起こさないんだろうか?

「わ〜い、航君と航くんとわったるくんと間接キッスだ〜、いや〜恋人同士とはいえ、照れるものがあるよね〜」

そんな俺の心配をよそに、一人で浮かれまくっている茜。だが、このままじゃ浮かれまくって、とんでもないことを口にしそうなので、ツッコミを入れておく。

「………勝手に捏造するな。ちゃんと茜が口をつけてないところを選んで取ったし、俺は口をつけてないだろ、『それ』に」

茜の持ったクレープを指差して文句をのたまうと、茜はちょっぴし不満そうな表情で、クレープをかじりながら俺の方を覗き込んできた。

「も〜、つれないなぁ。彼女なのに恋人なのに奥さんなのに〜、そういう言い方ってないじゃんかと思うわけですよぉ」
「語尾をいきなり分け分からんものにするな。というか、いつの間に奥さんになったんだよ、お前は」
「うわ、無責任発言? 自覚のない亭主!? だってだってだって〜、わたし、七人目の妻だもん。そう言ったっていいじゃない〜」
「ああ、七人目の妻、ね」

その俗称を思い出して、俺は苦笑を浮かべる。つぐみ寮の仲間をつなげる合言葉。新たに仲間に入る茜が疎外感を感じないように、その名をつけたのだが…、
しっかし、フレーズだけ取ると、俺が七人もの女性を毒牙にかけた蝙蝠野郎にしか聞こえないのだが………断じて違うと明記しておこう。

「ま、いっか。そういうとこが、航くんの魅力だもんね。ごっちそうさま〜」

と、俺がそんな事を考えていると、あっさり機嫌をなおした茜が、クレープを全部食べきって笑顔を浮かべていた。
さっきは悲しんだり怒っていたり、かと思ったら、今はすぐに笑顔に戻っている………相変わらず、切り替えの早いやつだよなぁ。
そんなこんなで、一通り商店街を闊歩した後は、最寄のレストランによって、昼食をとることにした。

「いや〜、堪能したよねっ。午後からは、どこにいこっか〜? あ、そいえばさ、航くんって商店街まで自転車で来てたんだっけ? 二人乗りで島内一周ってのも良いよね〜」
「その場合にかかる、俺の足腰の負担について、理解した上の発言なのか、それは」
「え〜、だってだって、航くんってたま〜に会長さんと二人乗りをしてたっしょ。だったら、物理法則的に、茜ちゃんくらいは軽いものかと思うよ〜」
「………お前、それは絶対に本人の前では言うなよ」

無邪気にエビフライセットを食べる茜に、俺は渋い顔で釘をさす。茜に悪気は無いだろうが、会長が聞いたら怒髪天で雷が落ちそうだ…主に俺に。
結局、茜の突発企画である自転車で島内一周は企画段階で没になった。とはいえ、空港までは、茜を乗せて自転車で移動するつもりではあったが。
当初の予定通り、島内唯一の娯楽場である、ボーリング場に行くことにした。休日ということもあり、ボーリング場はにぎわっている。
幸いなことに、俺達が飛び込んだときには1レーンだけ空きがあったので、待ち時間もなくプレイすることが出来た。

「うりゃっ…うう〜ん…たあっ! あ、あれぇ?」
「なにやってんだよ、まっすぐ投げるだけで良いのに」

プレイすることは出来たのだが………現状、まともにゲームとしての役割を果たしていなかった。ただいま茜のスコアは0。
なんというか、10連続ガーターは結構な記録じゃないだろうか。すくなくとも、一本もピンを倒せないというのはある種の才能だろう。

「うぇぇ〜、なんでなんでなんで〜! わたしも航くんみたいにギューンのスパーンってストライクを取りたいよ〜!」
「そうやって欲を出すからだ。お前、無理に回転を掛けようとしてるだろ? 投げてから急カーブで溝にはまってるって、さっきも言っただろ?」

半泣きで、身振り手振りで嘆く茜に、俺はすげなく応じる。俺のスコアはというと、可もなく不可もなくといったところか。
ただ、このままだと茜が本気で泣き出しかねないので、とりあえずアドバイスをしておくことにした。

「たぶん、手を離すときに手首を返すのが癖になってるんだよ。投げる瞬間に、手首を固定するんだよ。こんな風に」
「う〜ん、言ってることはなんとなく分かるけど、どうしても力が入っちゃうというか〜」
「………しょうがないな。茜、ボールを持て」

口やゼスチャーでは、埒が明きそうに無いので、俺は茜にボーリング玉を持つように促した。
茜が軽めの玉を手に持つと、俺は茜の横に立って、その手首をつかんだ。茜は戸惑ったような表情を俺に見せてくる。

「うわ、うわ、うわ。どうしちゃったの航くん? あ、ひょっとしてテニス漫画とかでよくありがちな、手取り足取り教えてくれるみたいな感じ?」
「………まぁ、ニュアンス的に問題があるような気がするが、おおむねその通りだ。俺が手首を固定するから、茜はそのまま投げてみろ」

さすがに後ろにぴったりと張り付いて、腰がどうの、手首がどうのと講釈をたれるつもりは毛頭ない。
そもそも、閑散としている場所ならともかく、休日の、加えて人で一杯のボーリング場でそんなことをしたら、バカップル確定といえる。
そんなわけで、一番単純な解決方法の、茜の横合いで手首が返らないように抑えていることにしたのだった。

「あ、それと、さっきみたいに勢いよく投げるなよ。手首を傷める可能性もあるし、ゆっくりとな」
「う〜ん…わかった、やってみるね」

そんなわけで、茜の第11投目。ゆっくりとしたモーションから、茜は俺の手をそえた腕を振り――――投げる。
がっちりと固定したせいか、まっすぐレールの上を転がる球体は、ややあって――――カラン、という音と共に、6本のピンを倒し、向こう側に抜けたのだった。

「や………やったやったやった〜、うれしいよ、うれしいよぉ、航く〜ん!」
「ああ、よかったな、茜」

まるで、最終回ツーアウト満塁でラストバッターから空振り三振を取ったような、勝利投手さながらに、大はしゃぎする茜。
………実際の所は、ようやっとスコアに6が追加されただけなのだが、まぁ、本人が喜んでいるし、いいんだろうな。

「まぁ、大体こんな感じだ。わかったら、今度は一人でやってみろ」
「うん! おっけ〜、ばっちし、大体の所はわかったからっ! よーし、狙うは全部倒してストライクだよっ!」

いや、残ったピンを全部倒しても、スペアなんだけどな。そんな事を考えている俺の眼前で、茜は嬉々として振りかぶり――――、

「ええいっ! ………あ、あれぇ!?」

茜の手から離れたボールは、ピンに掠るどころか、またもや急カーブを描いて、ガーター直行という結果になった。

「うわーん、なんでこうなっちゃうの〜!?」
「それは、俺が聞きたいぞ…」

結局、茜の急カーブ癖を直すのに、1ゲーム丸々を犠牲にすることになったのだった。
とはいえ、ピンが倒れるたびに大はしゃぎする茜を見るのは楽しかったので、それほど苦にはならない時間だったけど。
その後、もう1ゲームを無難に過ごした俺達は、スコア表を持ってボーリング場を出る。茜はスコア表が珍しいのか、小首を傾げながらそれを何度も見直していた。

繁華街の片隅に移動し、置いてあった自転車の施錠をはずすと、俺はそれにまたがった。
茜は器用に、自転車の後輪にあるステップに足を掛けると、俺の肩につかまって自転車の後ろに飛び乗ったのだった。

「よっ…それじゃあいこっか、航くん! がんばれ〜!」
「ああ、まかせろ!」

二人分…というより、正確にはいつもの二人乗りよりも僅かに軽い、1.9人分くらいの重さを感じながら、俺はペダルをこぐ。
あまり重さを感じないのは、気分的な高揚のせいか、物理的なせいか――――あえて言わないでおこう。
舗装された道路を、自転車で風を切って走る――――冬の盛りでもあり、肌を切り裂くような寒さの風が頬をなでるが、後ろに乗った茜は、嬉しそうに歓声を上げていた。

「わぁっ、はやい、はやい、すごいよ航くんっ! これなら、空港まですぐだよねっ」

そんな茜の声援を耳朶に受けながら、俺は一生懸命ペダルを扱ぐ。
繁華街を抜け、我が家の前を通過し、サトウキビ畑を横目に、目の前に空港が見えてきたのは、結構な距離を走った後だった。

「はぁ、はぁ、ぜぇ、ついたぞっ…」
「とーちゃーくっ! おつかれさま、航くん。 ちょ〜っと待っててね、今、ジュースを買ってくるから!」

言うなり、空港内へと走っていく茜。待っていてもよかったが、どのみち、売店を見るために空港内に入ることに変わりは無い。
俺は、自転車置き場に自転車を移動して、盗まれないように施錠を掛けると、茜の後を追うことにしたのだった。

空港には、午後の到着便を待っている人で、そこそこの賑わいを見せていた。
当分の間、本土との連絡用として、空港は継続されることになった。これもひとえに、開発計画を立ち上げた、町長側のおかげかもしれない。
物資の運搬やら、人員の移動やらのコストから考えれば、飛行機よりも船舶のほうが安上がりともいえるのだが…世の中には、時間が金より大切という人種もいるようだ。
大切な機器を運ぶ場合や、一刻も争う事態に対処をするため――――そんな理由で、空港は継続される運びとなったわけである。

とまぁ、そんな大人の都合はさておいて、島に住む一般人にとっても、空港の継続が喜ばしいことは言うまでも無い。
なにしろ、本土への直行便があるとないとでは、生活面においても様々に影響があることは疑いが無いからだ。

「さて、茜はどこに行ったかな………」

到着便を待つ人で賑わう空港の中――――そこに、売店を覗き込んで、なにやら考え込んでいるツインテールの少女の姿を発見した。
言わずもがな、茜以外の何者でもない。珍しいものでもあるのか、茜は俺が歩み寄っているのにも気づかず、売店のショーケースの中を見つめていた。

「茜、いったいどうしたんだ?」
「あ、ごめんごめん、ごめんね航くん。すぐ戻るつもりだったけど、ちょ〜っと気になるものがあって、時間も忘れて見入っちゃったよ〜」
「いや、別に待ってはいないんだけどな………それで、何を見ていたんだって?」

そういって、茜の向いた先にあるのは、ショーケースの中に煌びやかに輝く、二対で一組の宝石――――というより、これは………。

「合わせ石のアクセサリーか………」
「うんっ! 合わせ石がこんな所でも売られているなんて、随分と有名になったものだよね〜、ホント、時の経つのは早いものだよ〜」
「そういう、昔のことをしみじみ語るような老人口調はともかく…何だ、欲しいものでもあるのか?」

茜に習い俺もショーケースの中を覗き込む。アクセサリーは元が石ということもあり、そこそこリーズナブルの値段がつけられていた。
まかり間違っても、給料3か月分とか、そういった無茶な設定はされていないので、空港に来る際に買って帰る人も多いらしい。
まぁ、せっかくのデートだし、欲しい物があるなら、買ってやってもいいかな――――と茜に水を向けたのだが………、

「あはは、そういうわけじゃないよ。ただ、もうすぐ航くんの誕生日だし、プレゼントにどうかな〜って」
「ああ、そういえば…もうそんな時期か」

12月12日――――昨年のつぐみ寮での俺の誕生会を思い起こし、俺はしみじみと感慨に浸る。
去年のような、騒々しくも楽しい誕生日には程遠い――――だが、決して寂しいものにはならないだろうと、傍らの茜を見て、俺はそう楽観を抱いていた。

「あ…でもでもでも、ばらしちゃったのはちょ〜っとまずかったかな? 開けてびっくりサプライズ! みたいな展開のほうがよかったかも」
「どう驚くかはともかく…合わせ石のアクセサリーをもらっても、俺はあまり嬉しくないぞ?」
「あ〜…そだよね。よくよく考えてみれば、航くんはもう持ってるんだし、同じものをあげても嬉しくないか〜」

と、そんな事を呟き、茜はう〜んと考える。しかし、なんか気になることを言わなかったか? 俺がもう持ってるって――――、



瞬間、なぜか脳裏に、どこか懐かしい光景が映し出された。泣きじゃくる女の子を慰めている光景――――、



「…まさかな」

苦笑して、俺は頭を振った。きっと隆史さんが茜に教えていたんだろう。合わせ石はこの島じゃ有名なんだしな。
そんな事を考えていると、頬に冷たい感触。俺の頬に、茜がスポーツドリンクの缶を押し付けたのだった。

「とりあえず、一服しようよ航くん。どこかベンチに並んで腰掛けて、休日を何をするでもなく、のんべんだらりと謳歌しようね〜」
「なんか、聞きようによっては駄目人間にしか聞こえない台詞だが、異論は無いぞ」

俺は、茜を伴って空港のベンチに腰をすえた。スポーツドリンクを飲みながら一息つく。
茜はというと、さすがに飲んでいる間はしゃべることも出来ないため、珍しくも静かに、俺の横に座っていた。
そうして、のんびりとしばしの間をすごす…普段とは違った落ち着いた雰囲気だが、まぁ、たまにはこういうのもいいだろう。

「あ、航くん、ほらほら見て〜、飛行機だよ〜!」

と、俺の隣に座っていた茜が、はしゃいだように声を上げた。島で唯一の到着便――――空港のガラス窓から、それが着陸するのが見て取れた。
ってことは、もう5時なのか………なんだか今日は、とんでもなく早く時間が過ぎているように感じる。これもひとえに、茜効果なのか…?

そうして、しばらく待っていると………ロビーにちらほらと、飛行機から降りた人々が姿を現した。
今日が土曜日ということもあり、連休を島で過ごすために帰ってくる人が大半のようだった。どことなく見知った顔も、中には見受けられる。
しばらく経つと、空港に降りた人々も迎えの人達も出てゆき、空港内は閑散とした空気に包まれる。
実際の話、行きに一便、帰りに一便しかないので、その時間帯以外は、けっこう静かな場所でもあった。

「ん〜………さて、これからどうしよっか航くん? そろそろ暗くなってきちゃったし、おひらきにする?」
「そうだな――――…俺としちゃ、まだまだ遊び足りないとこだが、隆史さんに心配をかけちゃまずいしな…送ってくよ」

空港の窓から見える、暮れなずむ夕焼け空を見て、茜の問いに答える。十二月になって、日の入りは一段と早くなった。
中学生でもないし、門限くらいどうってことないと思われるかもしれないが…そこはそれ、真面目なお付き合いの男女では仕方のないことである。
俺は爺ちゃん婆ちゃんと三人暮らしだし、茜も隆史さんと二人暮し…保護者に迷惑をかけることは、出来るだけ控える必要があった。

そうして、空港から出た俺達は、帰り道を自転車に乗って、ゆっくりと進んでいく。
ペダルを漕ぐより、慣性で進むのに任せ、普通に走るくらいの速度を維持しながら、俺と茜は取りとめもない会話を行う。
それは日常のことだったり、受験のことだったり、お互いの家族のことだったりと………雑多で楽しい会話を繰り返していた。

そうして、自転車で俺の家の前を通りかかった時である。

「あ〜、ストップストップスト〜ップ!  やっぱ、ここでいいよ、航くん」

唐突に、俺の肩を前後に揺らしながら、茜がそんな事を言ったのである。

「え――――? うわっ、とと………どうしたんだよ、いきなり」

いきなりな事に、バランスを崩しそうなのを何とかこらえ、自転車を止める。振り向いた俺の両肩から、重みが抜けた。茜がとっ、と軽い足音を立てて、地面に降りたのである。
自転車の止まった場所は、俺の家を少し行き過ぎた辺りである。ちなみに、ここから茜の家であるサザンフィッシュまでは、けっこうな距離があった。

「とりあえず、今日はここまででいいよ、航くん。お爺ちゃんとお婆ちゃんに心配をかけちゃ悪いしね。ここからなら、歩いてでも帰れるから大丈夫だよ〜」
「………そういうわけにも行かないだろ。もう、日が落ちる時分だぞ」

茜の言葉に、呆れたように俺は肩をすくめる。言葉通り、既に太陽は地平線に沈みかけ、夕方から夜へと周囲の風景も変わろうとしていた。

「あ〜………でもさ、航くんも自転車をこいでて疲れたでしょ。あまり迷惑をかけるわけにもいかないし〜」
「別に迷惑じゃないぞ。だいたい、お前を放っておいて家に帰ったら、どうして送っていかなかったかと、爺ちゃんにどやされるのが落ちだ」

俺の言葉に、なにやら困ったような表情になる茜。普段はそんな表情を見せたこともないのに、珍しいな。
しかし、いきなりどうしたんだろうな。さっきまで大丈夫だったのに、急に自転車に乗るのを嫌がりだしたような――――。

「ひょっとして、自転車じゃ駄目なのか? だったら、こっからは歩きにするけど」
「う、う〜ん………それなら何とか、大丈夫だと思う…あんまり自信はないんだけど」

…おっけーなのか。正直、基準が分からないが、かくして俺は、自転車を家の庭先に置いて、茜と一緒に歩き始めたのだった。
帰り道、俺と茜は歩調をあわせて歩きながら、世間話をする。茜はいつも通り、たわいもない話に楽しんでいるのだが――――何となく、違和感があった。

「でさ〜、雅くんと紀ちゃんなんだけど………ん? どったのかな、航くん? 急に黙り込んじゃったけど」
「ああ、いや、なんでもない。それで、なんだって?」
「そうそう、この前なんだけど、サザンフィッシュに紀ちゃんが遊びに来て、ちょうど女の子を相手にしてる雅くんと目が合って修羅場が――――」

いつもの通りの世間話をしながら、夜の空に包まれた道を歩く。茜は俺の隣に並んで歩き、付かず離れずの距離で色々な話を振ってきた。
俺はどちらかというと、茜の話にあわせるだけで、積極的に話を振ることは無く――――ただ、それでも互いの口数が少なくならないのは、俺の分まで茜が喋っているからだが。
しかし、そうやって歩いているうちに、俺は何となく、先ほどから感じていた違和感の正体に気がついていた。それは、お互いの距離。

「なぁ、茜」
「ん? どしたの航くん? ひょっとしてひょっとしてひょっとして〜、茜ちゃんの魅力に見とれちゃってたとか?」
「いや、そうじゃなくて………なんで、いつもより離れて歩いているんだ?」

並んで歩いているとはいっても、いつもよりも僅かに距離は離れていて、手を伸ばしてもギリギリで指先が届くかどうかという間合いだった。
俺は、以前にも似たような行動を取る女の子を見ていたから、気づいたのだと思う――――そう、こうやって距離をとるのは海己の時と一緒だ。

「………え、そ、そうかなぁ? 航くんの気のせいだと、茜ちゃんは思うんだけどな〜」

当の本人はというと、誤魔化しているつもりなのか…思いっきり俺から視線を逸らして言う。しかし、そのリアクションが何よりの答えに見えた。
どうせ口で聞いても、はぐらかされるのは目に見えていたため、俺は実力行使に出ることにした。茜の方に一歩を踏み出し、手をつかんだ。

「だったら、何で離れてるんだよ、もうちょっと近づいたって――――…!?」

言葉の途中で、俺は口の動きを止めた。寒さに震えるような時期なのに、茜の手はじっとりと汗ばんで、まるで水に浸したかのように、濡れていたのだった。
不意に、手が振り払われる。呆然と、俺は手を振り解いた張本人――――茜を見つめていた。

「駄目、駄目、駄目なんだよ航くん………触れたりさわったり繋いだりしちゃ………我慢できなくなっちゃうんだよぉ〜…」
「お、おい、茜………何を、言ってるんだ?」

俺のかける声が聞こえているのか、いないのか………半泣きの表情で、茜はじりじりと後退する。
そこには、いつも見せていた闊達な表情はなく、まるで迷子の子供のように、茜は途方にくれた表情をしていた。

「今だって航くんのこと、大好きなのに〜…これ以上。増えて溢れて漏れ出したら、変になっちゃう………わたしじゃなくなっちゃうよぉ」

支離滅裂なことを口走りながら、茜はやおら踵を返すと、そのまま駆け出していってしまった。
追おうにも、なぜか足は動かず…俺はただ立ち尽くし、駆け去っていく茜の後姿を見つめることしかできなかった………。



その後、俺は自宅に帰り、爺ちゃん婆ちゃんと夕食をとった後、部屋で寝転んでいた。
夕食の時、今日のことを聞いてきた婆ちゃんに、生返事しかできなかったが…何かあったのを察したのか、爺ちゃんは黙々と、婆ちゃんもいつも通り食事を続けていた。
そうして現在、俺は何をするでもなく、ボーっと自室の天井を見上げていたのだった。

(増えて溢れて漏れ出したら、変になっちゃう………わたしじゃなくなっちゃうよぉ)

「って、何なんだよ、そりゃ…」

つい先刻の茜の言葉を思い起こし、俺は憮然とした表情でつぶやいた。正直、何が駄目なのか、よく分からない。
茜の気分を害したとか、そういうわけじゃなく、あの時、茜は純粋に――――俺との接触を拒んでいるような感じがした。
だけど、それだって変な感じだ。朝や昼の時、同じように手を繋いでも、何の反応も示さなかったのに………どういうことだろうか?

と、そんなことを考えていると、傍らに転がしてあった携帯電話がなった。
誰だ? まさか、茜じゃないよな………そんなことを考えながら手にとると、相手を確認する。
予想は違わず、相手は茜ではなかった。俺は、携帯の通話ボタンを入れて、受話器の向こうに話し掛ける。

「はい、もしもし………何の用だ、凛奈?」
『あ、つながったね。やっほ〜、なんか景気悪そうな声してるね〜、航。ちゃんとご飯食べてる?』

電話の向こう側からは、茜に負けずの甲高い声。つぐみ寮の元気印…体育会系筆頭の沢城凛奈は、元気いっぱいに俺に挨拶をしてきた。
そのマイペースさに、俺は苦笑をしながら、肩の力を抜いた。こいつの声を聞いてると、さっきまで悩んでいたことも、少しは重くないように感じる。
なんと言うか………仲間がいるってだけで、安心できるもんなんだなと…ふと、そう思った。

「夕飯なら、さっき食ったとこだぞ。凛奈はどうなんだ?」
『ん、アタシもさっき食べたとこ。ってことは、今は暇なの?』
「さっきまで暇だったが、今は暇じゃない………お前と喋ってるからな」
『あはは、それもそっかぁ〜…っと、いけないいけない』

と、そんなやり取りをしていた凛奈だったが、急に慌てたような声を出した。何だ、電話の向こうに誰かいるんだろうか?

『とにかく、航も暇なんでしょ。とりあえず、続きはテレビ電話の方でしない?』
「は? 何でだよ、別に俺は、このままでも構わないんだが」
『いや、アタシも別に構わないといえば、構わないんだけどさ…さっきから、怖い顔でこっちを睨んでるから』

なんとなく、嫌な予感がして、俺はパソコンを立ち上げた。立ち上がるのに数十秒…俺はその間に、凛奈に聞いてみた。

「怖い顔って、誰が?」
『・……………………………………………会長さんが』

その後の俺の行動は、神業的なものだった。パソコンの画面が表示されるや否や、速攻でテレビ電話サイトへログイン。
で、俺達の通話回線用の専用アドレスを入力と…この間、数十秒。今までの最速記録だった。

そして、回線が繋がり、ディスプレイには二つのウィンドウが表示された。
一つは、携帯電話を片耳に当てた凛奈の姿であり、もう一つのウィンドウはというと――――、

「…遅い!」

むすっとした表情で腕組みをしている…怒った会長の姿が、表示されていたりするのであった。



「…だから悪かったって。会長が待ってるのは、知らなかったんだしさ」
「そうは言うけどね、2分30秒よ、2分30秒。それだけ待たされて焦らされた乙女心を、どうやって鎮めてくれるのかしら?」
「うわ〜、大人気ないなぁ、会長さんって」

パソコンの前で平謝りをする俺に、会長はつんけんした表情でそっぽを向いている。
どうやら、自分だけ除け者のような感覚を味わったのが、お気に召さなかったようだ。
なんでも、俺を呼び出す役をどちらにするか、じゃんけんで決めたらしく………もし勝敗が逆だったら、違った結果になったのかもしれない。
もっとも、その場合、会長の代わりに凛奈が拗ねてしまうような気もするが。

「何か、言いたいことがあるの、凛奈?」
「い、いいえ〜、何も言っていませんよぉ」

凛奈の呟きを、聞きとがめ、矛先を凛奈に向ける会長。なんにせよ、このままの状態は3人ともに精神的によろしくない。
とりあえず話の矛先を変えようと、俺はパソコンに備え付けてあるマイクに向かって言葉を投げかけることにした。

「それにしても、こうやって複数で話すのは珍しいよな。実際、テレビ電話を使ってるのは俺と会長くらいなもんだし」
「ま、さえちゃんの場合は、航が近くに居るから使う必要はないし、海己は電話のほうがいいんでしょ。他の面子は機械に疎いのが多いしね」
「…あはは、否定できないのが情けないなぁ」

苦笑しながら、頬をかく凛奈。実際、凛奈とも何度かテレビ電話で話したこともあるが、もっぱら通信手段は携帯電話を使っている。
双方がパソコンの前にいなければ使えない分、どうしてもテレビ電話のできる相手は限られている。特に、凛奈の場合…遠征試合などがある分、使用できない状況が多い。
ともあれ、話題が変わり、会長の機嫌も直ったようだ。それにしても、さっきも言ったが…こうやって和気藹々と話すのも久しぶりだ。
去年の今ごろは、こんな団欒があたりまえだったんだよな…そんなことを考えて、俺はしみじみと感慨にふけった。

「まぁ、こうして複数人でのテレビ電話は、ちょっとした実験のつもりでやったんだけどね。ちょうど凛奈が暇していたから、凛奈に頼んだんだけど」
「………実験?」

と、そんな風に浸っていたせいで、危うく会長の言葉を聞き逃すところだった。
実験って、会長………あんたまた、何かとんでもない事をするつもりなのか? 画面を睨むが、会長はニコニコと笑顔である。
凛奈はというと、会長から事前に聞いていたのか、不安がるそぶりも見せず、こちらも笑顔を見せていた。

「では、これより…つぐみ寮生会緊急会議をはじめます。議題は…航の誕生日にテレビ電話パーティの開催についての是非です」
「って、なんだその怪しげなネーミングはっ!?」
「質問は受け付けませ〜ん。賛成の方は挙手〜」
「は〜い」

慌てる俺とは裏腹に、画面向こうの二人は、揃って手を上げたのだった。

「賛成が2、賛成多数により、本案は可決されました〜。もちろん、文句はないわよね、航?」
「文句って、あのな………どういったことなのか、さっぱり分からないんだが」
「だから、航の誕生日の夜、こうやって皆でテレビ電話で団欒しようって思ったのよ。幸い、定員は8名までだし、いちおう皆、ネットできる環境も整えてあるしね」

会長の提案は、せっかくテレビ電話を使えるのだし、いい機会だから皆で同窓会めいたことをしようということだった。
ちょうど後少しで、俺の誕生日ということもあり、その日に決行しようかと、いろいろ準備をしているらしい。
しかし、俺の誕生日か………本来なら、何らかの予定があっても良いんだろうが――――今日の様子だと、茜とは、予定が取れそうもないよなぁ。

「ああ、いいんじゃないか? どうせ、用事もないことだし」
「――――…? 妙ね。航のことだから、いろいろ予定があると思ったんだけど。特に今は、隆史さんの妹のこともあるし」
「………」
「…なんか、問題でも起こったの?」

沈黙する俺に、興味津々といったふうに質門してくる会長。凛奈のほうも、興味深げな表情を見せていた。
しかし、本当に鋭いな…どうしてつぐみ寮の女達は、そろいも揃って、嗅覚が鋭いんだろうか?

「話してみなさい、航。相談に乗ってあげるから」
「やなこった。だいたい他人に話すようなことじゃねーし…」
「――――あら、妙に歯切れの悪いわね。ま、いいわ。だったら隆史さんに聞いてみることにしましょうか」

鬼か、あんたは。今日のことを茜がどう言っているか分からないが、会長に妙な事を聞かれて、隆史さんが激昂する可能性もゼロじゃない。
俺としては、そんな危険な可能性を放置しておくわけにも行かず…結局、渋々ながら事の次第を話すことにしたのだった。

「分かったよ、話すって…まぁ、しょうもない事なんだけど、今日、茜とデートをしてな………」

そんな前置きで、俺は訥々と今日のデートの事を事細かに語らされる羽目になったのだった。
朝の待ち合わせから、昼、夕方、そして帰り道の一件までを語るのに、小一時間の時間を要したのは、会長がところどころに質問を挟んできたからだった。
ちなみに凛奈はというと、最初は面白そうにニヤニヤと笑っていたのだが、しばらくして何やら不機嫌そうにムッスリと黙り込んでいた。



「というわけで、茜が逃げ出しちゃったんだけど………って、何を怒ってんだよ、凛奈」
「ん〜? 別にぃ…仲のおよろしいことで、良かったんじゃないですかねぇ」

そっぽを向いて、思いっきり含むところがあるような口調で言われても、説得力はこれっぽっちも無いんだが…。
凛奈のその態度に呆れたのは、どうやら俺だけでないようで、会長が画面の向こうで呆れたような笑顔を見せていた。

「ほら、航とデートできないからって、拗ねるんじゃない。って言ってもしょうがないか…実際、羨ましい事は確かだしね」
「羨ましいって………あんた、本気で言ってないだろ」
「あら、そうでもないわよ? 航とだったら、楽しく時間を過ごせるし――――女の子を退屈させないからね」

余裕綽々で、そんな事を分析される会長殿。何というか、明らかに格が違うよなぁ…一年経っても、差は縮まっていないようだった。
と、俺がそんな事を考えていると…そっぽを向いていた凛奈が、会長の言葉に反応したように正面に向き直った。

「………何か、実際にデートしたことあるようなセリフだよね。会長さんの今の言葉」
「え、そんな事ないわよ? 一般論よ、一般論」
「………」

さらりと凛奈の追求を避けようとする会長。しかし、何か引っかかりを感じたのか、凛奈は無言で画面の向こうで険しい表情を崩さない。
そんな、短いながらも不毛な睨みあいは、しばらく続き――――、

「で、何だっけ? 隆史さんの妹さんが、どうして逃げたかって事を知りたいのよね」
「――――ぁ、話を逸らした」
「まぁまぁ、その話は後でじっくり聞いてあげるからさ。凛奈も気にはなるでしょ? 妹さんの行動が」
「………」

会長の言葉に丸め込まれ、黙ってしまう凛奈。ただ、画面の向こうの目が何故か、俺を見ているような気がするのは気のせいだろう。
それはさておき、会長は茜の行動に何やら感ずるところがあったようだ。ここは、会長の意見を聞いてみることにしよう。
俺と凛奈は姿勢を正して――――とは言いすぎだが、言葉を発することもなく、会長の次の言葉を待ったのだった。



「さて、意見を言う前に確認しておきたいけど………航の初恋って、当然、海己が相手なのよね? 深入りするようなドロドロの恋は、中学三年の事だろうけど」
「「なぁっ!?」」

待っていたのだが――――いきなりの爆弾発言は予想していなかった。会長、あんた何てこと言いやがるんだよ………!
ディスプレイの向こうでは、俺と同じように凛奈が固まっていたが、そっちに気を回せる余裕は全然なかった。

「ちょっと待て、会長。俺の恋愛経歴が、今回の件に関係してるとは到底思えないんだが!?」
「いいから、黙って続きを聞きなさい、航。ほら、凛奈も固まってないで聞いときなさい」

俺の異議を却下して、会長は腕組みをする。何となく、講義を受けているような気分になってきた。

「で、航の場合…ドロドロの恋愛の時、自分の気持ちがコントロール出来なくなった時、あったでしょ? 意味もなく浮かれたり…泣きたくないのに、泣いちゃったりさ」
「ああ………色々、あったからな」

あんたがあの時の事を言うなんて、どういうつもりなんだよ。と、顔に出して会長を睨むが、テレビ画面越しだったため、こちらの熱意は伝わらなかったらしい。
会長はというと、俺の言葉に満足そうに頷くと、今度は凛奈のほうに話題の矛先を向ける。

「凛奈も、ここに来た最初の方は、不安定だったわよね。あたしや、さえちゃん達にもツンケンに当たって、よらば斬るって感じで」
「ぅ………あの時は、色々あったんだし、出来れば思い出して欲しくないんだけど」
「まぁ、それも夏までには治まったんだけど………凛奈、その後のあんたの気持ち、落ち着いてると言えた?」

会長の問いに、凛奈は沈黙すると、ややあって溜息混じりに、その顔に苦笑を浮かべたのだった。

「全然、そんな事なかった。あたしの気持ちを、しっちゃかめっちゃかに振り回すやつがいたから…だから、普段よりドキドキしてた」
「――――ま、そうよね。 真夏の熱気に当てられたといっても、それだけじゃないもんねぇ」
「………何の話だよ?」

どうも、要領を得ない会話に疑問を投げかけると、ディスプレイの向こうで、揃って溜息をつく凛奈&会長。

「…鈍感」
「あんたって、本当に時々空気が読めないわよね〜…海己ばりに」

じとっと、恨みがましい声を上げる凛奈と、心底呆れた様子の会長。どうやら、悪いのは俺らしかった………何故に?

「ま、つまりはそういう事。航のドロドロの恋愛のときや、凛奈の昨年の夏の時のような症状に、隆史さんの妹さんがなっちゃってるんだと思う」
「……………………? だから、いったいどういうことなんだよ。簡単に言ってくれ」
「まだ分かんないの? 情緒(じょうちょ)が芽生えたって事よ――――端的に言うと、妹さんは………航に本気で恋しちゃったのよ」

「「………はぁっ!?」」

またまた、ユニゾンする俺と凛奈の驚きの声。それって、どういうことなんだよ………一応、俺と茜は彼氏と彼女の関係だ。
キスだってしたし、それ以上の事だってした関係だ。だというのに――――『本気で』?

「って、ちょっと待て。それじゃあ会長は、茜が今まで、俺の事を好きじゃなかったって言いたいのか?」
「なわけないでしょ。妹さんが航にべったりと懐いているのは、充分に知ってるわ。ただ――――その気持ちの大半が、友情で出来ていただけよ」
「――――」

会長の言葉に、俺は言葉もない。それは、確かに――――そうかも知れなかった。
茜は俺と付き合いだしてからも、スタンスを変えようとはしなかった。それは、今までどおりの関係で………違和感がなかったから、俺はそのことに気づかなかった。

「ただ、何かのきっかけで、気持ちの変動が激しくなっちゃってるんじゃないかしら。話を聞く限り、日が沈みだしてから、妹さんの様子がおかしくなったみたいだけど」
「日が沈んで――――」

ふと、脳裏に浮かんだ情景がある。今年の夏――――どうしようもない絶望に、崩れかけた俺を救ってくれた茜。
夏祭りの夜、半ば強引に茜を抱いたあの時、あいつの中で、何かのスイッチが入ってしまったのかもしれない。
それは、まるで時間になると舞台から駆け去っていく、シンデレラのような…夜になると友情という魔法が解けてしまう少女。
いや、逆かな――――夜になると、恋の魔術にかかってしまう年頃の女の子か…表現方法が、我ながら恥ずかしいとは思うが。

「何か、心当たりがあるみたいだけど………ま、詳しくは聞かないことにするわ」
「…あたしは、聞いてみたいんだけど」

ずっと、黙って会長の言葉を聞いていた凛奈が、ポツリとそんな事を呟いた。なにやら落ち着かない様子でもある。
他人の恋路が気になる年頃なのか………何処か、そわそわとした表情で、視線を動かしている。

「こらこら、世の中には聞かないほうがいいこともあるのよ。馬に蹴られたくないでしょ」
「ぅ〜、でもぉ………会長さんは気にならないの?」
「ん、そこまでは…ね。だいたい、航の素行不良なんて、今に始まったことじゃないし。長く付き合うなら耐性を付けなきゃいけないものよ」

凛奈の不満げな口調を、さらりと押さえ込む会長。いや、弁護してもらえるのはありがたいんだけど――――何か言外に、俺の事を悪く言ってませんか?
しかし、ここで口を挟んだら、それこそ泥沼になると思った俺は、ともかく一番聞きたかったことを口にすることにした。

「でさ、俺はこれから…どうすればいいと思う? 情けないが、これから茜にどう接して良いのか、皆目見当がつかないんだ」
「………」

俺の言葉に、沈黙する凛奈。無理もないだろう。こんな状況の対処法なんて、そうそう知り得るものじゃない。
だから、このことに関する明確な答えは返ってこないだろうと思っていたんだが――――、

「あら、簡単なことじゃないの。分からないの、航?」
「…………………………へ?」

と、平然と会長がそんな事を言ってきて、俺はあんぐりと、口を開けて間抜け面を見せる羽目になったのだった。

「――――その様子だと、本当に分からないみたいね。呆れたわ…まぁ、自覚があって、いつもあんな事を………やれるようなものじゃないだろうけど」
「会長、知ってるなら教えてくれ! 俺はこれからどうすりゃいいんだ? 茜に会って何を言ってやれば…いいんだ? どういう風に、接すればいいんだ?」

近づけば、それだけ離れていく。かつて、海己に対して行った過ちを繰り返すわけにはいかない――――俺は必死で、会長に問う。
そんな俺に対し、呆れきった表情で、ディスプレイの向こうに映し出された会長は、ポツリと呟いた。

「簡単なことよ………いつも通りにしなさい。 変に気負うこともなく、好きって言って、逃げるんだったらとっ捕まえて、抱きしめてあげなさい」
「――――それで、良いのか?」
「ええ。妹さんは、ただ怖がってるだけよ。 恋愛を知らないから、一歩目を踏み出せずにいるだけなの」

それは、過去に対する贖罪でなく、一人というものに対する恐れからの拒絶でなく、孤独であろうと意固地になる絶望でなく、
零というスタートラインから始まった感情でなく、身分という枠で縛られた諦観でなく、教師という地位に対する葛藤でもなかった。

ただ、恋愛というものに対する恐れ、戸惑い――――だからこそ、事態は簡単だと、会長は俺に述べた。

「だから、悩む必要はないのよ。ぱーっと行って、どーんと散りなさい」
「ああ………って、散ったら駄目だろうが!」
「あ、それもそうか。でも、解決方法としては最良の方法なのよ。だいたい、回りくどいことなんて、あんたの性分じゃないでしょ」

それは、確かにそうだ。だいたい、茜とひとまず距離を置いて――――なんて事をしても、俺の方が保たない。
恋愛だけでなく、日々の生活でも茜は確実に俺の周囲にいるのだから。

「航なら大丈夫よ…保証してもいい。万一駄目だったとしても、あたしが直々に慰めたげるから。気楽に行きなさいよ」
「ちょ、ちょっと会長さん! ドサクサに紛れて、航に言い寄らないでよ!」

会長の言葉に、慌てたように凛奈が制止の声を上げる。しかし、当然の如く………そんなので止まるような、我らが会長ではない。
声を荒げる凛奈に対し、会長は悪戯っぽい表情――――小悪魔っぽいという言葉が適切な笑みを浮かべると、さらりと口撃をした。

「ん? 別に良いじゃない。 あたしは自分の言った事に対して、責任を取ろうとしてるだけなんだから。それとも、凛奈が代わってくれるの?」
「え、えぇ〜〜〜〜!? そ、それって、航とぉ…」
「――――あ、やっぱ却下。さすがに…そこまで、塩を送る気にはなれないからね」
「うわ、ひどっ」

会長の言葉に、つんのめる凛奈。しかし、本当に変わんないよな、みんな。

「………ちょっと航、何を笑ってるのよ?」
「いや、なんでもないよ。それはそうと、適切なアドバイスありがとな、会長」
「そりゃ…可愛い後輩の悩み事だからね。真摯になって聞くのは当然でしょ。ほらそこ、凛奈も笑ってるんじゃない!」

それが、会長の照れ隠しだということを、俺も凛奈もわかっていたから、ついつい笑ってしまう。
さて、いよいよ明日は、町議委員の選挙の日だ。手伝えることは、ほとんど無いけど…気を引き締めていくことにしよう。

「ま、ともかく頑張んなさいよ。隆史さんの妹さん――――ううん、茜にも宜しくね」
「ああ、って………会長、今、『茜』って………」
「七人目の嫁、だしね。今まではノーマークだったけど…この状況じゃ、そう呼ぶ方が適切でしょ」

どことなく、不機嫌の数歩手前といった表情で、会長はそんな事をのたまった。
ともあれ、茜もこうして、正式に俺達の仲間にカテゴリされる運びとなったのだった。
あとは、俺しだいか――――とりあえずは明日、茜に会ってから決めることにしよう。大丈夫、何とかするさ――――。

「さて、それはそうと、テレビ電話パーティの件について細かい部分を煮詰めないとね」
「ああ…そういえばそんな事も言ってたな………マジにやる気だったんだ」

てっきり、ジョークだと思ってたんだが、会長は真面目な顔だった。

「当たり前でしょ。せっかくの航の誕生日ってネタがあるんだもの。盛り上がらないといけないでしょ」
「さんせー。皆それぞれ、ケーキを買ってお祝いするってのはどう?」
「それだと、高くつかない? 海己にケーキ作ってもらって、冷凍宅急便で配送してもらった方が安くなるかもしれないわよ」

などと、会長と凛奈でわいのわいのと計画を画策し始めた。どうも、俺をだしに騒ぎたいだけのようにも見える。
………ま、いいか。あの学園祭以来、またバラバラの生活を始めた俺達――――たまにはこうやって、皆で騒ぐのもいいだろう。
そうして、夜はふけていく………長かった土曜日はこうして終わろうとしていた。


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