〜それは、日々のどうでもいいような小話〜
〜お嬢様とスイーツと〜
「あ、こんにちは、横町先輩。申し訳ありませんが、先輩をお願いします」
「あ、ど、どうも………こんにちは。ねぇ、星野〜! 六条さんが来てるけど」
放課後の教室、帰り支度を整えていると、教室の出入り口から、俺を呼ぶ声がした。
そちらを向くと、クラスの女子と並んで、見知った後輩の姿があった。六条宮穂………彼女は相変わらず、マイペースに俺に向かって手を振っていたりする。
一応、クラスには、まだまだ生徒も残っており、人目を引く後輩の様子に、あちこちから興味深げな視線が向けられてくる。
「………ったく」
舌打ちをして、俺は宮のところに向かう。俺が向かってくるのを見て、ますます嬉しそうな表情を見せる宮。
そんな彼女を押し出すように、俺は宮の肩を押しながら廊下に出る。ここにも人目はあるが、密閉された教室よりも、幾分かましだった。
「先輩、先輩。放課後ですね、今日は生徒会の用事とかは残っていないんですか?」
「特にはないって…夏休みも終わったばかりなのに、元気だよなぁ、お前」
「そうですかぁ…? いくら夏休みが恋しいって言っても、過ぎたるは及ばざるが如しといいますし、落ち込んでいても物事は良くならないと思いますけど」
どこか不満げに、小首をかしげる宮。まったく、夏休みの間も、毎日あちこちに出かけていたのに元気なヤツ。
これは年齢の差か………? いや、バイトという労働を、夏の間こなした俺のほうが疲れているのは、当然といえよう。
「ま、ともかく、そういうわけだから…今日は普通に帰ること。それじゃあな」
「ああっ、まっ、まってくださいっ。わざわざ遠路遥々訪ねてきた後輩に、そんな素っ気無い態度を取ることないじゃあないですか」
「………こら、服の裾を引っ張るな。何がしたいんだよ、お前は」
俺の制服の裾に手をかけて、「ん〜」とふんばる宮。しかし、体格の問題もあるし、俺の行動をとめるまでにはいかなかった。
とはいえ、このまま宮を引きずって、教室の中に入るのも体裁が悪いので…俺はしぶしぶ宮のほうに向き直った。
「ですからぁ………日々、上級生の無謀な命令に唯々諾々と涙を呑んで従う下級生に、少しは思いやりを見せてくれても良いのでは無いかと」
「――――つまり、一緒に帰りながら、何かをおごってくれと、そういいたいわけだな?」
「そうですっ、そういう細やかな心遣いが、円満な人間関係を計る秘訣かと…あいたっ」
調子に乗りかかっている宮に、でこピン一発。あまり放置すると、どこまでも突っ走るからな、コイツは。
で、でこピンがうまい具合に決まったのか、宮が涙目で、拗ねたように俺を見つめてきた。
「先輩ぃ………」
「情けない声、出すなよ。誰もいかないとは言ってないだろ。ほら、待っててやるから、鞄持って来い」
さすがに、下級生を――――というか、可愛い後輩を泣かすわけにもいかず、しぶしぶ俺の方から折れることにした。
実際のところ、宮と一緒に帰るというのも、悪くはないと思っていたのも事実だったが…それを言うと、宮が調子に乗りそうなので、黙っておくことにする。
「は、はいっ………すぐお持ちしますね――――ひゃっ!」
「いや、急がなくてもいいんだぞ。転びさえしなきゃな…」
振り向いて駆け出そうとした矢先、思いっきり足を縺れさせて、すっ転んだ宮。何もないところで転ぶなって――――、
俺は、ため息をつきつつ、捲れあがったスカートを直してやった。まったく、どこまでもドンくさいやつめ。
で、宮はというと、転んだというのに何故か嬉しそうに、俺の方をじっと見てくるのだった。変なヤツ………、
永森屋商店は、通学路の途中に建つ駄菓子屋で、この島の生き字引である、「永森はな」という婆ちゃんが経営している。
通学途中での買い食いや、休日に暇つぶしで遊びにくる小学生などで、繁盛とまではいかなくとも、連日閑古鳥がなくのは避けられているといった実情だ。
そんなわけで、学校帰りに買い食いの場所として立ち寄る場所としては、まぁ、妥当なところであるといえた。
「さて、何にするかな――――宮は、どれにするか決めたのか?」
「〜〜〜…」
「宮?」
返事のない宮を見ると、不満げな表情で眉を寄せている。
どうやらお嬢様は、駄菓子屋に連れてきたことをお気に召さなかったようだ。
「先輩…デートする場所としては、明らかに風情がないとは思いませんか?」
「風情って言われてもなー…って、ちょっと待て。いつからデートになったんだよ、買い食い目的じゃなかったのか?」
「個人的には、サザンフィッシュのクリスタルパフェを予想していた分、現実とのギャップに少々凹んでいるところです…」
俺の抗議の声をスルーしながら、そんなことを、のたまう宮。まぁ、たまに生徒会の雑用とかのご褒美に、サザンフィッシュにつれてく事もあった。
ただ、夏休み明けということもあり、俺の財布の中身も非常に厳しく――――しばらくは節約をしなきゃいけないのであった。
「いいじゃないか、駄菓子も。いろいろ選べるし、けっこう美味いのもあるんだぞ」
「でも…駄菓子じゃないですか〜。駄作の駄が頭についているお菓子なんて、今まで食べたこともありませんよ〜」
「………なんか、それを聞くと、買ってやるのも無駄に思えてきたな」
「あ、それって、駄菓子と無駄の『駄』をかけた〜〜〜…あいたたたっ、痛い、痛いです、先輩っ!」
頭を鷲づかみにして、ギリギリと力を込めると、痛みに耐性がないのか、とたんに悲鳴を上げはじめる宮。
力を抜いて開放すると、乱れた髪を気にしてか、しきりに頭に手を当てながら、半泣きで宮が文句を言ってくる。
「もうっ、酷いじゃないですかぁ、先輩………髪がくしゃくしゃになっちゃいますよぉ」
「宮が、俺を刺激するようなことを言うから悪い。だいたい、今までも何回か経験してるんだから、何を言ったらどんな目に遭うかくらい、予想できるだろ?」
「それは、確かにそうですけど………ほら、三つ子の魂百までと言いましょうか」
つまり、分かっちゃいるけど止められない、ということだろうか? 難儀なことで。
しかし、どうしようか? 宮は明らかに不満そうだが、かといって、今からサザンフィッシュに行くのもなぁ………。
「あんれま、外が騒がしいと思ったら、航ちゃんじゃないのさ」
「ん、ああ、婆ちゃんか。騒がしくして、悪かったな」
と、宮の悲鳴でも聞こえたのか、店の置くからひょっこりと、顔見知りである店の婆ちゃんが姿をあらわした。
いい年だというのに、充分に元気が有り余っているのか………婆ちゃんは、俺の言葉に快活に、ふぇっふぇっと笑みをこぼす。
「ええってええって、子供は元気なのが一番だしねぇ…」
「………いつまで経っても、子ども扱いかよ。婆ちゃん、いちおう俺、高校生なんだぜ?」
「おや、そうだったったかねぇ………? 前ん時とあんまり変わってなかったから、てっきり」
「くすくすくす…」
俺と婆ちゃんの会話を耳にして、可笑しそうに宮が笑っている。誰かさんみたいに、指差して爆笑されるよりはましだが…気分的には面白くない。
というわけで、第三者として傍観を決め込んでいる宮を引き寄せて、婆ちゃんに紹介をすることにした。
「それはそうと、婆ちゃんに紹介するな。こいつは宮。俺の後輩で涼水の生徒だ」
「涼水…?」
「おやまぁ、そうかい。しばらく見ん間に、涼水の制服も変わったもんだねぇ」
怪訝そうな表情の宮を見ながら、ばあちゃん感心したように頷く。俺はニコヤカに、宮の頭に手を乗せて、ポンポンと叩く。
「ま、見た目は幼いが、勘弁してやってくれ。何せ、一年生だし」
「いやいや、そんな事ないじゃないの。あと何年かすれば、もっと可愛らしくなるよ。あたしが保証するって」
「そ、そうですかぁ…?」
婆ちゃんの言葉に、てれてれになる宮。誉められて舞い上がっている、その表情はしかし――――、
「ほんに大人っぽいねぇ…とても、中学一年生には思えないよ」
「…………………………………え?」
婆ちゃんの次の一言で、ものの見事に凍りついたわけなのだが。
「う〜〜〜」
「宮、いいかげん機嫌なおせって、な?」
「いくらなんでも、酷いじゃないですか、先輩。いくら私が、クラスでもちょっとばかり背が低いからって、中学生扱いはないかと………」
膨れっ面で文句を言ってくる宮。こいつの場合、背の小ささが、コンプレックスになってるのかもしれない。
普段は、けっこう打たれ強い反面、一度へそを曲げると手に負えなくなるので、こういうときは宥めることにしている。
「ほらほら、美味しいお菓子だぞ、食べないのか?」
「………物で釣ろうってあたり、完全に子ども扱いをしているとしか思えませんけど」
「そう言うなよ〜、宮を泣かせたりしたら、寮のみんなにこぞって責められちまうんだからさ〜、何なら、サザンフィッシュのクリスタルパフェもつけるぞ」
「――――…ふぅ、仕方ありませんねぇ」
どうやら、宮を落ち着かせることに成功したようだ。反面、財布の中身が寂しいことになるが、それはこの際、しょうがないだろう。
ニコニコ笑顔になった宮はさておいて、俺はあらためて、婆ちゃんに言っておくことにする。
「婆ちゃん、さっきのは冗談だ、彼女はこう見ても、東津本女子の一年――――」
「先輩、年下が駄目なら年上とは、少し安易な気がすると思いますけど…それに私、そんな歳じゃありませんっ」
「何を言うか、さえちゃんという生きた見本があるだろ? 宮だって、あと数年しても、背格好がそのままの可能性だって………」
「ああっ、言ってはならないことを〜〜〜!」
「あんたら、本当にいいコンビだねぇ」
ポカポカと、これっぽっちも痛くない拳を、俺に向かって振るう宮。その光景を見て、呆れたように婆ちゃんが、そんな事を呟いたのだった。
その表情は、分かりづらいけど、明らかに笑っているのは分かった。どうやら婆ちゃんは、こっちの冗談を知って、付き合ってくれてたらしい。
まったく、この島の年寄りってのは、そろいも揃って懐の大きい人ばかりだよなぁ………。
「そうかい、エルガー先生のお孫さんか………そういえば、髪の色は先生にそっくりだねぇ」
「そうですか、生前の祖父のことを、ご存知だったんですね」
それから改めて、宮を高見塚学園の後輩であると説明し、本名を六条宮穂という彼女の本名を宮に名乗らせて、今に至ったところだ。
ちょっと意外だったのは、婆ちゃんが、宮の祖父である六条紀一郎…ウイリアム・エルガーを知っているということだった。
「何か、祖父のことで御存知のことがありましたら、教えていただけませんか?」
「そうさね…そういえば、昔は良く、うちのお菓子を持って、六条のお屋敷に家庭教師に行っていたねぇ」
「そ、そうだったんですか!?」
いや、それはないだろ…いくらなんでも、数十年も前に、駄菓子屋があったとは思えない。
とはいえ、老人のホラ話か、真実かを確認する方法はないし、宮の輝いている表情を落ち込ませるのもなんなので、黙っておくことにする。
とりあえず、小腹も減ってきたし、何か腹に入れるとするかな…宮が好きそうな菓子も、それとなく探してみることにしよう。
「婆ちゃん、とりあえず牛乳もらうぞ」
「あいよ。持っていきな」
「え? 牛乳………駄菓子屋さんじゃないんですか?」
キョトン、とした表情で、ガラス棚の中から、牛乳を取り出す俺を見る宮。
宮が怪訝に思うのも無理はないが――――駄菓子屋とは、本来そういうものだ。ありとあらゆる物が何故かある、不思議スポットといえよう。(断言)
「ああ、牛乳だけじゃないな。パンもいろいろ置いてあるし…夏にはかき氷が食える」
「へぇ………なんだか、コンビニみたいですねぇ」
「そんなハイカラなもんじゃないさ。道楽でやっているからね」
宮の感想が面白かったのか、笑顔で笑い声を上げる婆ちゃん。それにしても、コンビニを知ってたのか、宮………まぁ、この島の繁華街に一軒あるし、そこで知ったんだろう。
そんな事を考えながら、牛乳ビンの蓋を開け、グイッと飲んで一息つく。と、タタタタ…と軽快な足音が近づいてきたと思ったら…、
「あれ? 航? それに、宮も一緒…」
「凛奈か…どうしたんだ、こんな場所に」
すばらしいスピードで、俺達の前を通り過ぎた人影は、しばらく行った後、律儀に方向転換して戻ってきた。
どうやら、ロードワークの途中なのだろう。シャツと短パンに身を包んだ凛奈は、汗をかきながらも、息はちっとも乱していない。
彼女は、どこか疑わしそうに、俺と宮を交互にジロジロと見やると、俺に身を寄せてきて、小さな声で疑問を投げかけてくる。
「ひょっとして、宮とデート?」
「どうしてそういう下世話な想像をするかな、お前は」
「否定しないんだ、ふーん…」
俺の返答が気に入らなかったのか、凛奈は疑わしげな視線をこちらに向けてくる。冤罪だってのに………。
「する必要もないだろ。宮に捕まって、こうやって奢らされてる俺の心情を、少しは察しろ」
「心情って………楽しい、とか?」
「ぐ………」
呆れたように、こちらの心中を見透かしてくる凛奈。なんだか最近、こいつに色々と見抜かれかかってる…?
「ま、いいや。ちょうど喉が渇いていたところなんだ〜、悪いけど、ちょっとちょうだいね」
「あ、おい、お前――――」
止める間もありゃしない。凛奈は油断した俺の手から牛乳瓶をひったくると、腰に手を当てて残りを一気飲みに――――、
「あああ〜〜〜〜〜!」
「ぶっ!?」
いきなりの宮の大声に、気管に入ったのか、悪役レスラー張りに白い毒霧を吐き出す凛奈。
幸い、俺の方を向いてはいなかったので、被害は受けなかったが………咳き込む凛奈を見てられなかったので、背中をさすってやることにした。
「おい、大丈夫か?」
「けほっ……あ、ありがと、航。ちょっと宮、いったい、どういうつも」
「どういうことですか、凛奈先輩っ!」
と、復活した凛奈が宮に文句を言うよりも一足早く、宮が凛奈に向かって、一歩踏み出しながら、大声を上げる。
その、普段ではめったに見られない、彼女の行動に気おされ…俺も凛奈も、たじたじになってしまっていた。
「ど、どういうことって………何が?」
「何が、じゃありませんっ。よりによって、先輩の口をつけた飲み物を――――そ、それって、間接……」
「ぁ…」
口ごもった宮の、言いたいことを察したのだろう………気まずそうに、凛奈は助けを求めるように、俺に視線を向けてくる。って、何で俺に助けを求めるんだよ!?
「あー、まぁ、陸上部だし、体育会系の部活は、あんまりそういうことを気にしないと聞いたことはあるけど」
「そ、そう、そうなんだって、こんなの大したことじゃないから!」
「本当、ですか………?」
苦し紛れに適当なことを言う俺と、それに引きつった表情で賛同する凛奈。宮は怪訝そうに、首をかしげて眉をひそめている。
とはいえ、気まずいことに変わりはない。しかし、宮をエスコートした手前、俺がこの場から逃げ出すわけにも行かず――――、
「あ、そうそう、今日はタイム計ってたんだった! 急がないとね、それじゃあね、航!」
「うわ、ちょっ、お前――――」
引き止める間もなく、凛奈は一気にダッシュして走っていってしまう。
その姿は、見る見るうちに小さくなっていき――――消えた。
「元気な子だったねぇ………航ちゃんの友達かい?」
「友達です!」
場の空気を読んでいるのか、のんびりとそんな事を聞いてくる婆ちゃんに、全力で返答する俺。
嵐は去った。しかし、嵐の傷跡は周囲に散乱し、修復には、しばらくの時間がかかりそうだったのである。
「先輩、先輩。お代わりの牛乳をどうぞ!」
「ん、ああ」
と、さっきまで、不機嫌そうだった宮が、弾んだ声で、俺に牛乳瓶を差し出してくる。
思わず受け取った俺を、なにやら期待を込めた表情を浮かべながら、宮が見つめてくる。
うーん、ひょっとしてこれは、さっきのシチュエーションの再現のつもりだろうか? だとしたら、ここは――――、
「んくっ、んくっ……………………ぷはぁっ。ごちそうさま」
「ああっ、な、何で全部飲んじゃうんですかぁ!?」
「当たり前だ、さっきは油断したが、そんなベタな事をやらせるわけないだろ」
そう言って、飲み終わったビンを宮の頭の上に置く。何と言うか、身長差があるとはいえ、見事に乗っかったなぁ。
「ううっ、こうなったら、次の牛乳を――――」
「っと、やめんか! 俺の腹を壊すつもりかっ!」
飲み物の入っているガラス棚へと振り向く宮の、頭の上から落ちるビンを右手で、宮の肩を左手で捕まえて、俺は悲鳴に似た叫び声をあげる。
いくらなんでも、これ以上の乳酸菌を腹に入れるのは、帰り道ですら危なっかしくなるような予感がする。
「それより、何を食うか決めろよな。いくらなんでも、食わず嫌いは良くないだろ」
「それは、そうかもしれませんけど…」
基本的に素直な宮は、正論っぽい俺の言葉を聞き、あらためて店内を見渡す。そうして、あらためて感心したような溜め息をついた。
「そらにしても、見たこともないものばかりですね………全部、食べれるものなのでしょうか?」
「当たり前だ。といっても、駄菓子に混じって、妙なオモチャも並んでるから、そうとも言い切れないところがつらいんだが」
「そうだねぇ……お嬢ちゃんには、こういった物が良いかもしれないね」
そういって、婆ちゃんは並んだ駄菓子の中から、一つの小さな菓子を手にとって、宮へと差し出した。
恐る恐るといった風に、それでは、とパッケージを開けて、中身を口に入れる宮。と、その顔が嬉しそうにほころんだ。
「これって、チョコレートですね。これなら食べたことがあります!」
「ああ、ご縁がありますって名前のチョコさ。お近づきのしるしに、婆ちゃんからの贈り物だよ」
ふぇっふぇっと、笑う婆ちゃん。ちなみに、昔は名前の通り5円だったチョコも、今は6円だったりする。世知辛い世の中になったもんだ。
と、警戒心が薄れたのか、宮は興味津々と行った表情で、婆ちゃんに向かって色々と聞き始めたようだ。
「あ、あの機械は何ですか? なんだか、甘い香りがするんですけど」
「ああ、あれは綿菓子の機械だよ。お祭りに行くと売ってるやつさ。お金を入れて、自分で綿を巻き取るんだよ」
「へぇっ………面白そうですねぇ。やってみていいですか、先輩?」
「わかったわかった。そう急かすなよ」
まるで子供のようにはしゃぐ宮に、微笑ましいものを感じながら、硬貨を取り出して宮に手渡す。
なんだかんだと、けっこうな時間が経過していたが、不思議と退屈には感じなかった。そうだな…もうしばらくは、こうやって、のんびりするのも悪くないだろう。
「…で、これが今日の戦利品ってこと?」
「ああ、まぁ………そういうことになる」
呆れたような、会長の声。夕食前の食堂のテーブルの上には、思いっきり山盛りに詰まれた駄菓子の山。
あまりに宮がはしゃぐものだから、ついつい大枚叩いて、買い込んでしまった結果がこれであった。
………会長を始め、皆、一様に呆れた視線を俺に向けてくる。約一名、駄菓子の山から楽しそうにお菓子を取っているものもいたが。
「航、いくらなんでも買い込みすぎ。どうすんのよ、これ」
「どうすんの、ったって、食べるしかないだろ?」
「………まぁ、酢イカとか、おつまみになりそうなのが混じっているのが幸いか」
ジト目の凛奈に言葉を返すと、さえちゃんが苦笑気味にそんな事をのたまった。さすがに一人じゃ食べきれないし、みんなにも協力してもらうしかないだろう。
「いちおう、夏じゃないし………チョコとかも日持ちしそうだから、おやつは当分、用意する必要なさそうだけど………そういえば、宮ちゃんは?」
「みやは、おふろば………なおこに、なにかいわれてたけど」
苦笑交じりに言って、ふと、宮の姿がないことに気づいたのか、海己が怪訝そうな表情で、辺りを見渡す。
返事をした静の言葉が正しければ、風呂場に行ったってことになるが…夕食前のこの時間に、何でそんなところに?
「会長、あんた宮に…何を吹き込んだんだ?」
「ん? ああ、一般常識的なことよ。甘いものを食べてばかりで、最近、ウェストがきつくなってきてない? って聞いてみただけよ」
「………なるほど」
「戻ってこないところを見ると、けっこう深刻かも。まぁ、成長期だし、体重が増えるのは当たり前なのにね…海己、夕食で宮がご飯少な目って言っても、普通によそうこと」
「は、はいっ」
鬼かあんたは。宮をこれ以上太らせて、どうしようってんだよ………まぁ、駄菓子ばっかり食わせた俺にも、責任はあるんだが。
「ともかく、今回はいいけど、これ以上は駄菓子を買ってこないようにしなさい。特に航。今日の宮の様子を見る限り、また行きたいって言い出しそうだし、しっかり管理すること!」
「わ、分かったよ」
財政難であるつぐみ寮で、こういった無駄遣いはさすがによろしくない、と会長は言っているのだった。
さすがに、買い込みすぎたと反省しているので、その言葉に潔く頷く俺。そうこうしているうちに、ちょっと深刻そうな顔で、宮が食堂に戻ってきた。
「よし、みんな揃ったね。それじゃあ、夕食にするとしますか」
「あ、海己先輩、私のご飯はちょっと少なめで――――」
「却下。夜中にお腹がすいたら、どうせお菓子しかないんだし、それでまた太るよりは、潔くいつもの量にしときなさい」
「そんなぁ…」
会長に諭され、しょんぼりと肩を落とす宮。もっとも、そうやって深刻になるのもどうせ今夜限りだろうし…問題は、明日また、駄菓子屋に行こうと言い出しかねないところだった。
さて、夕食の邪魔になるし、適当なスーパーのビニール袋にでも駄菓子を詰めて、部屋の隅に置いておくとしよう。
「先輩、先輩。明日も駄菓子屋さんに遊びに行きましょうね?」
「………このお菓子が無くなったらな」
やっぱり行く気満々の宮。どうやらすっかり、駄菓子にハマっているようだった。
そうしてしばらくの間、学校帰りに駄菓子屋に足を運ぶ、女生徒の姿を見かけたとか見かけないとか………ちなみに俺は、一切関与していない。
――――ただ、つい最近になって、宮を送り迎えする滝村執事が漏らした一言、
「私も良い年ですが………この歳になって、糖尿病に陥る心配をしなければならないとは、思っても見ませんでした、はい」
それで、誰が一番の苦労を背負い込んでいるのか、何故か理解をしてしまったのであった。合掌。
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