〜それは、日々のどうでもいいような小話〜 

〜バイト前線北上中(リクエスト)〜



身体にではなく、頭に冷や汗をかいた試験も終わり、いよいよ暑い、夏が到来してきた。俺達7人で過ごす、夏休みが。
あと半年――――目一杯の思い出と、溢れるほどの笑顔で過ごす日々は、文字通り、あっという間に過ぎていくだろう。
さて………そんなロマンティックな感情とは裏腹に、夏を楽しむには、それなりに先立つものは必要になるわけで………。

「そんなわけで、バイトを始めようと思うんだが、どうだろうか?」

ある日の昼下がり――――夏の定番である素麺をすすりながら、俺はさりげなくも皆にそう提案をしてみたんだが………、

「却下」
「って、せめて理由を聞いてから結論を下してくれよ、会長!」
「だったら、最初に理由を言いなさいよ。そんなわけで、なんて脳内補完されても分かるのは海己くらいなもんでしょ」

呆れたように溜息をつき、会長は海己に話を振る。当の海己はというと、俺の申し出に、キョトンとした表情をしていたのであったが。

「バイトって、航………また、バイトするの?」
「う」

去年の夏――――いろいろあってバイトを口実に、海己の夕食をすっぽかしまくったり、無断で島の外に出かけたりした前科があるせいか、海己の反応は芳しくない。
それは、さえちゃんや会長も一緒のようで、一様に渋い顔をしている。まぁ、確かに去年の自分の行いを鑑みると――――とりあえず一発殴っときたいくらいなのだが。

「だいたいねぇ、星野。あんた、自分が目を付けられているのは知ってるでしょ? バイトで問題を起こしたりしたら、大変な事になるんだよ?」
「いや、問題が起こることを前提に言われてもなぁ………普通のバイトで、そんなに大問題になる事は無いって」
「………ぁぁぁ、もう、これだから! わたしの気苦労が耐えないのよ………うぅ、胃が重いわ」

癇癪を起こしたのか、イライラした様子で冷蔵庫からビールを取り出すと、それを一気にぐいーっと呷るさえちゃん。胃が重いのは、昼間っから飲んでるからだと思うけどな。

「わたる、バイトするの?」
「そうみたいですね。何やら、海己先輩達は反対してるみたいですけど………何かあったんでしょうか?」
「…なにかって?」
「それはもう、人に言えないような事をあれこれと――――そのせいで、さえちゃん先生や奈緒子先輩は良い顔をしてないみたいですね」

( ´д)(д` )と、ヒソヒソ声で話す静と宮。内緒話のつもりだろうが、丸聞こえだった。それにしても、妙なところで鋭いな、宮のやつめ………。

まいったな………誰か味方は居ないのか? と、周囲を見渡すと、俺の発言にさしたる反応も見せず、素麺をすすっている奴が居た。

「凛奈、あんたはどうなの? 航がバイトをしたいってのは、つぐみ寮全体の問題になると思うけど」
「いや、そこまで大事にしなくても――――」
「航は黙ってて。それで…凛奈は、航がバイトをしたいってのを、どう思う?」
「あたし…? ん〜………別に、いいとは思うんだけど」

お、意外に好感触か? と思ったのも束の間、凛奈はじろりと俺に不満げな視線を向けると、また素麺をすすりだした。

「な、なんだよ、何かいいたい事があるのか?」
「………ふん」

重ねて問う俺の言葉に、凛奈は素麺をすすりながら、ぷいっとそっぽを向いてしまった。まいったな、実のところ、俺の発言に一番怒っているのは凛奈なのかもしれない。

「兎に角、バイトの件は却下。どうしてもバイトがしたいなら、あたし達全員を納得させなさい。それが絶対条件よ」
「…マジかよ」

会長の鶴の一声に、俺は内心で頭を抱えた。一念発起で始めようとした俺のバイト生活………前途はかなりの多難のようであった。



「ふぅ………会長はああ言っていたけど、どうしたもんかな」

昼食を終えた後、俺は自分の部屋に戻り、一人、頭を悩ませていた。無論、悩んでいるのは昼食の時に会長に言われた事についてだ。
本来なら、会長の言葉には何の拘束力もない。ああ言われたものの、無視をしてバイトを始めれば、なんだかんだで容認してくれる可能性もある。
ただ、それは皆に対して引け目を感じる事になるし………やっぱりケジメとして、皆を納得させてからバイトを始めたほうが良いんだろうけど。

「説得、って言ってもなー………どう考えても、一筋縄ではいかないのがそろってるし」

しかし、悩んでいてもしかたないのも確かだった。駄目だったらその時はそのときだし、まずは説得をしてみる事にしよう。
そう考えをまとめ、寝転んでいた体勢から反動をつけて上半身を起こしたその時、部屋のドアをトントンとノックする音が聞こえてきた。

「先輩、いらっしゃいますか?」
「ん…その声は宮か。入ってきていいぞ」
「はい、お邪魔しまーす」

元気よくドアを開けて部屋に入ってきたのは宮である。何やら上機嫌な表情でニコニコと俺を見ながら、ちょこんと俺の真正面に腰をおろした。
その表情は、まるで新しい遊び道具を見つけた子供のようで――――その表情だけで、俺は宮が何をしに部屋に来たのか、何となく分かってしまった。

「で、わざわざ俺の部屋に来て…どうしたんだ、いったい? 夏休みにやるっていう自由研究の相談か何かか?」
「その件は確かに、先輩にも相談に乗って欲しいところなんですけど………とりあえず聞きたいのは、先輩のバイトの件についてです」
「………やっぱり、そのことか」
「はい。奈緒子先輩に聞いても、海己先輩に聞いても、どうも皆さん口が堅いものですから。ひとまず当事者である先輩にも聞いてみようかと」

ニコニコと邪気のない笑顔でそんな事を言う宮を前に、俺は盛大に溜息をついた。これが、悪意あっての行動なら、女子の後輩とはいえ頭突きの一つでも食らわすところだが…。
宮の場合、純粋に好奇心からしている事なので、怒るに怒れないところもあったのだった。基本的に知りたがりの宮にとって、俺の過去は興味の的となってしまっているらしい。

「ノーコメントだ。話しても、楽しい事じゃないしな」
「教えてくれたって、良いじゃないですかぁ。私だけ除け者なんて、ずるいですよぉ」

などと、拗ねた様子を見せる宮だったが………さすがに自分でも忘れたい過去の事を、わざわざ話す気にもなれなかった。

「宮だけじゃないだろ。静だって知らない事だし、知られたら都合の悪い事だって、あるんだよ」
「え、それってやっぱり、過去の過ちというか、ひと夏のアバンチュールとか、そういった類の――――あいたっ」

興味深々に身を乗り出してくる宮の額にデコピンをいれると、ちょうど良いところに入ったのか、宮は思いっきり仰向けに倒れこんだ。
その勢いで、スカートが跳ね上がって………一瞬、純白のナニが見えたわけだが、まぁ、自業自得という事にしておこう。

「あいたた、ひどいですよ、先輩………」
「ああ、悪い………つい手が出ちまった。ともかく、この話はこれで打ち切りだ。でないと、このままサブミッションで間接を決めるぞ」
「わ、何だか先輩………ケダモノに成りかかってるような――――わ、わかりましたっ。追求はしない事にしますから………ひとまず、どいてくれると嬉しいんですけど」

覆いかぶさるように寝転んだ宮の顔を覗きこむと、元来のヘタレ癖が出たのか、宮が慌てた様子でそんな事を懇願してきた。
まぁ、この体勢を誰かに見られたら、あらぬ誤解を招く事も間違いないし………俺は身を起こしながら、宮から距離を開けて座り直すことにしたのだった。

「ふぅ、油断も隙もないですね、先輩って」

身づくろいをしながら、宮は上半身を起こす。その頬が上気しているのは、夏の暑さのせいというよりは、ただ単に照れているからなのかもしれない。

「そうなるように仕向けているのは、宮の方だと思うけどな」
「――――ええと、それって、私が魔性の女と言うことでしょうか?」
「………ああ、そうだな、そういう事にしておけ」
「何だか、おざなりですね、先輩。ちょっと後輩に対して、優しさに欠けてると思いますけど」

ほんわかとした笑顔を見せたかと思うと、むー…と拗ねたように頬を膨らませる宮。その様子は、傍から見ても可愛らしいと思うのだが…言うと間違いなく調子に乗るだろうな。
とりあえず、誉めるのは自重する事にしよう――――と、そうだ。せっかく宮が訪ねてきた事だし…俺のバイトについて、宮はどう思っているか、聞いてみる事にしようか。

「ところで、一つ聞きたいんだが――――俺がバイトを始めようとする事自体は、宮はどう思ってるんだ?」
「あ、そのことですか? 別に構わないと思いますよ」

お、意外にあっさり。物分りの良い後輩で良かった――――…

「ですけど、先輩も意外と苦労人なんですね。私はバイトというものをしたことがありませんから、どれだけ大変かは分かりませんけど」
「………」

が、やっぱり一言余計なのは、宮らしいというか、何と言うか。この生粋のお嬢様め。

「とりあえず、応援させていただきますね。あ、バイト先にも遊びに行きますから」
「………ああ、そん時は宮をもてなしてやるからな。覚悟しとけ」

何気に、色々と敗北感を味わいながらも、とりあえずは宮の了承を得た俺なのであった。
しかし、一人目からこれじゃあ、先が思いやられるよなー。こんな調子で、全員の了承が取れるんだろうか?



じゃぶじゃぶと、頭からつま先まで一通り。丸々洗ってからのんびりと湯船につかる――――夏の時期ということもあり、湯はぬるい位でちょうど良い。
他の皆がお風呂を使用した後ということもあり、時間を気にせずのんびりと、一人で広い風呂場を使用するのは贅沢な事だった。
とはいえ、こういう気分に浸っている時ほど、余計な横槍が入るもので、それは例えば、会長の呼び出しだったり、後は――――、

「わたる〜、いっしょにはいろ」
「おう、何だ、また風呂に入りに来たのか?」

気まぐれに静が風呂場に乱入してくる事くらいか。まぁ、後者の場合は…風呂から出なくても良いから、それほど苦にはならないが。
などと、俺が内心で考えている事などつゆ知らず、真っ裸の静はててて、と浴槽に近寄って――――…

「って、バスタオル巻いて来い!」
「〜〜〜…めんどいよ、わたる」

俺に注意され、不満げな表情で脱衣場に戻る静。それにしても、ずぼらな奴め。本人に悪気が無いから始末に終えないんだが――――…

「意識してやってたら悪女だろうけど、静に限ってはそうじゃないしなー…」
「…しずが、どうしたの?」

独り言を呟いたが、どうやら浴場のせいか、音はけっこう大きく響いて、静の耳にまで届いたようだ。
俺の言い付けをきちんと聞き、バスタオルを身体に巻いた静が、よくわかんないといった表情で俺に訊いてきた。

「ああ、別になんでもない。ほら、一緒に入るんだろ」
「ん」

といっても、俺の独り言を、静はさして気にしては居なかったらしい。促す俺にこくりと頷くと、浴槽にじゃば、と身を浸した。
二人並んで、湯船につかる――――。最近では回数は減ったが、静はちょくちょく、こうやって俺が風呂に入っている時に一緒に入りに来る。
それは、本当にただの気まぐれで風呂場に来る事もあれば――――…。

「ね、わたる」
「………ん〜?」
「わたるはさ〜、どんなバイトをするの?」

自分が興味を持った事を、こうして訊きに来ることもある。何でわざわざ風呂場なのかは分からないが――――静にしてみれば、裸の付き合いのつもりなのかもな。
って、誰も上手い事を言えとは言っていないよな………。まぁ、ともかく、静の質問に答えるとするか。

「ああ、観光客の荷物を運んだり、ダイビング用の荷物を運んだり、料理を運んだり………ま、雑用ばっかだな」
「………へ〜」
「後は、そうだな――――お客さんと話したり、買い物に付き合ったりとかもするかな…アフターサービスも万全にって教えだし…って、静、どうした?」
「………」

興味深々に俺の話に耳を傾けていた静だったが、なぜか唐突に機嫌が悪くなったようだ。どことなく拗ねたような目で俺を見てくる。
――――なんだ? 俺、何かまずい事でも言ったかな………? 別に、変な事を言ったつもりは無いんだけど。

「な、何だよ。どうしたんだ?」
「わたるは、夏休みになったら、なおこやうみと、お出かけするんだよね」
「あ、ああ」
「みやや、りんなや、さえりとも出かけるんだよね」
「そうだな。誘われれば断るわけにもいかんだろ」
「おきゃくのひととも出かけるんだよね」
「まぁ、付き合いってもんがあるしなー」

湯船につかりながらのそんなやりとり。どうも、静が何を言いたいのか、今ひとつよく分からなかった俺だが、次の静の言葉で、合点がいった。

「しずは?」
「ん?」
「しずとも、お出かけするの?」

それで、何が言いたいのか理解できた。ようは、夏休みに自分に構ってくれるのかと、静なりの確認なんだろう。
そう判断した俺は、深く考えず、即座に返答したのだったが………

「ああ、そうだな。暇が出来たらな」
「――――………っ」
「あ、あれ? どうしたんだ、静。おいこら、ちょっとまて、それは俺の急所――――アッー!」

なぜか、癇癪を起こした静に股間を掴まれて、俺は情けない声を上げることになったのであった。

「だから、言葉のあやだって………別に、静をないがしろにして言ったわけじゃないんだぞ」
「………」

わしゃわしゃ、静の頭を泡まみれにしながら、なるべく機嫌を損ねないように声をかける。俺の言葉に、拗ねた様子の静は、無言のままだった。
本当なら、おさわり禁止という事もあり、静の頭を洗うのも違反なんだけど――――静の機嫌を直すためだ。多少のルール違反は覚悟しよう。

「言い方は悪かったけど、バイトを入れるってなると…結局、どうあっても遊ぶ時間は減っちまうんだよな…静にも、そこのところは分かってほしいんだが」
「………」
「ほい、流すぞー」

洗面器に汲んだお湯を、頭から浴びせると、静は水を浴びた子猫のように頭をふるふると振る。髪に纏わり付いた水滴が、飛沫となって飛び散った。




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