〜そして僕らは病んでいく〜 

〜ある朝の憂鬱な目覚め〜



酷く、寝苦しい夢を見る。夢見が悪い時、決まって見るのはあの夢だ。覚めてほしいと願っても、果たされない眠り。
痛い、やめてと、口から悲鳴を上げる。目からぽろぽろと涙を流し、ただただ、懇願するように、痛切に許しを請う。

ごめんなさい、止めてください、許してください。言葉をどれだけ変えようと、どれだけ願おうと、許されない事を知りながら、謝り続ける。
悪いのは自分。あの人は、正しい事をしている。そうでなければ、オカシイ。自分がこんな目にあう必要は無いはずなのだから。
夢の中なのだから、痛みなどは感じない。それでも僕は、その時の痛み、過去に起こったイタミを鮮明に思い起こしていた――――。

「っ…――――」

吐き気が、する。夢で見るその光景は、おぞましく、醜悪な肖像――――願わくば、二度と起こって欲しくない過去の残骸(がらくた)。
それを目の前に突きつけられることで、感じるのは嫌悪の感情。本当に、昔の僕は、よくあんな事を耐えられたものだと。
過去の情景…願わくば、炎にくべるように焼き尽くし、白い灰にし、全てを無にしたいと願うもの…だが、この脳は、まるでドラマのように、その光景を再現するのだ。

「…――――」

息が、苦しい。呼吸が出来ない苦しさは、自分でもよく分かっている。だけど、だからこそ、身体は必要以上に、その事を覚えているようであった。
ただ、その息苦しさは幸いでった。息苦しさのせいか、まどろむ悪夢に裂け目が見えた。確認は一瞬――――そうして、僕は夢から目を覚ます事になる。



「ん…」

朝の光が、分厚いカーテン越しにもわずかに確認でき…僕は、その僅かな光を確認するかのように、何度か瞬きをした。
目覚めは、どこか気だるげな気分と共に毎朝やってくる。まだ春先というのに、見た夢が悪かったせいなのか、着ていたパジャマはぐっしょりと塗れていた。
何の夢かは思い出せなかったけど、どこか憂鬱になる、悲しい夢であったような気がする。

枕もとの時計を見ると、起床時間の五分前――――…いつも目覚ましがなる時間より、早く起きるのが習慣となっているので、さして驚きはしない。
僕は手の平で、目覚まし時計のアラームをオフにすると、布団を押しのけて、ベッドの上で身を起こす。
身だしなみを気にする方ではないけれど、朝食の前に着替えを済ませるのが日課となっている。その方が、朝食をゆっくりと食べる事が出来るからなのだけど。

着替えをしてから、台所に足を踏み入れる。テーブルの上には、ラップに包まれたサラダや揚げ物。コンロの上にはお味噌汁の入った鍋が置かれている。
また、今日も起きてこないみたいだな………僕は、台所のそばにある、母さんの寝室に目を向ける。
パートタイマーで働きに出ている母さんは、深夜の仕事というせいもあってか、朝に顔をあわせる事もほとんど無い。
だけど、それを不満だとかは思っていなかった。女手一つで僕を育ててくれた、母さんに感謝こそすれ、不満を持つ事などありえなかったからだ。

いつも通り、炊かれていた御飯をよそい、お味噌汁やおかずを温めて、僕は一人、朝食をとる。
朝食を取りながら、テレビを見る。隣の部屋で寝ている母さんを起こさないように、音を消していたが、不便とは思わない。
ニュースの内容は、画面を見ていれば分かる。アナウンサーの声が無くても、どういう内容かは概ね理解する事が出来るからだ。

食事を終えて、仕度を整えると、僕は玄関に立った。時刻は朝の7時半頃…自転車で向かうといっても、余りのんびりとはしていられなかった。
忘れ物はないかを確認し、僕は玄関の扉を開けた。ふいに心づいて、僕は家の中を振り返る。明かりの消えた自分の家…母さんはまだ、寝ているようだ。

「いって、きま…す」

ほんの少しだけ、かすれるような声で、僕は呟いてみた。返事が来ることを期待してはいない。ただ、無性にそうしたかっただけだった。
何の変哲も無い朝。毎朝、そうして誰にも届かない呟きをもらしたのは…いつから始まった事だっただろう――――僕は目を細め、ためいき混じりに苦笑をした。

さぁ、今日も学校に行こう。たっぷりと一分間………返事が無いのを確認してから、僕は玄関を出る事にしたのだった。


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