月姫・SS 
白い猫と黒い猫



まるで夢のような、お祭り騒ぎの日々が終わって……再び、日常が始まった。
あの事件以来、遠野家には新たな家族が一人、いや、一匹? 加わることになった。

〜日々の灯火〜

毎日、時刻が午前6時になる頃、遠野志貴の眠る部屋の扉が、控えめにノックされる。
正確な調子で、ノックが二回、三回。
返事がないのを確認すると、静かに、ドアが開かれ、一人の少女が部屋に入ってくる。

入ってきたのは、メイド服に身を包んだ少女。 名前は翡翠という。
幼い頃から遠野家に仕えてきた、志貴専用のメイドである。
彼女は静かに、ベッドに眠る主人のもとに足を運ぶ。
と、志貴のベッドの片隅にあるものに、目を留めた。

「こんにちは、レンさん」

主人を起こさないように声をひそめながら、翡翠はベッドの片隅で、丸くなっていた黒猫に微笑みかける。
レンと呼ばれた黒猫は、翡翠の声に頭を上げる。
猫特有の瞳孔の細い目が、翡翠の顔をとらえた。
そのまましばし、翡翠をじっと見ていた黒猫だが、ややあって興味を無くしたように、また丸くなってしまう。

翡翠は、そんなレンを楽しそうに見つめ……そっ、と手を伸ばした。
丸まったレンの、なめらかな黒い肌に、翡翠はそっと触れる。
そのまま喉を撫でると、黒猫は気持ち良さそうにゴロゴロと喉を鳴らした。

「ふふっ……」

まるで、子供のような表情で、翡翠はレンを撫でる。
気むずかしげで、気まぐれな黒猫は、何故かこの翡翠にだけは、よくなついていた。
そうして、しばらくの間、レンを撫でた後で、翡翠は部屋のカーテンを開けるのが日常になっていた。
シャッ、という音と共に、部屋の中に、穏やかな日の光が射し込んでくる。
この分だと、今日もいい天気だろう。 秋の空は高く、澄んだ色をしていた。

「やっほー、翡翠」

と、どこからか翡翠を呼ぶ声が聞こえた。
翡翠は、一瞬怪訝そうな表情をすると、外を見ようと、窓を開けた……。

「よっ、と」
「!?」

突然、窓枠に手が掛かり、翡翠はギョッとした表情をする。
一応、ここは二階である。
しかし、来訪者はそんなことを微塵も感じさせない表情で、窓枠から、部屋に飛び込んできた。
それは、翡翠の見知った、金髪の美女だった。


「アルクェイド様、お越しの際は、玄関からにして欲しいと、志貴様が申されていたはずですが」
「ん〜、そのつもりだったけどね。翡翠が、ちょうど志貴の部屋にいるのが見えたから」

眉をひそめる翡翠に、アルクェイドは悪びれもせずそう答える。
と、キョロキョロと部屋を見渡したアルクェイドは、ベッドを見て不満そうな声を上げる。

「あ〜、レンったら、志貴と一緒に寝るなんて、ずるいなぁ」

そこには、気持ちよさそうにベッドに眠る志貴と、レンの姿があった。

「私も志貴と寝る〜」

と、笑顔でアルクェイドは志貴の寝るベッドに潜り込もうとした。
しかし、その直前、翡翠が慌ててアルクェイドを止めた。

「だ、だめですっ!」
「む〜、なによ、翡翠」

怒りなのか、恥ずかしいのか、頬を真っ赤に染める翡翠に、アルクェイドは不満そうな声を上げる。
それに対し、翡翠は眉根を寄せて言った。

「志貴様のベッドに潜り込まないで下さい。いくら何でも失礼です」
「え〜、でも、レンは一緒に寝てるわよ?」
「レンさんは猫です。アルクェイド様とは違います」
「どこが違うのよ〜。一緒じゃないのさ〜」

確かに、そうして甘える仕草は、猫っぽく見えなくもないが……。
だからといって、翡翠としては不満なのである。

「あ〜、分かった。やきもち焼いてるんでしょ、翡翠ってば」
「っ……」

図星を突かれ、翡翠は沈黙する。
と、その様子を面白そうに見ていたアルクェイドは、小首を傾げて翡翠に言った。

「だったら、翡翠も一緒に添い寝すればいいのよ」
「…………ええっ!?」
「ね。そうしようよ〜、その方が、志貴も喜ぶだろうし」

そう言ってアルクェイドは、翡翠の手を掴み、志貴の寝るベッドに引きずり込もうとする。
翡翠は、呆然として、アルクェイドのなすがままである。
ああ、こんな所でタナトス発動かっ!? と、

「この不浄者ぉっ!」

ゴズゴズゴズッ!

叫び声と共に飛んできたのは、数本の黒く巨大な投剣だった。
それは狙い違わず、アルクェイドに命中し、アルクェイドは部屋の隅に吹っ飛ばされる。

「まったく、嫌な予感がしてきてみれば、予想通りでしたね……」

そこには、眼鏡をかけた、制服姿の少女の姿があった。
どこから取りだしてるのか、手には新たに数本の投剣が握られている。

「シエル様、ありがとうございます……」
「はい、どういたしまして。あれを止めるには、これ位しないといけませんからね」

頭を下げる翡翠に、シエルと呼ばれた少女は、にこやかにそう答えた。
彼女は、アルクェイドの天敵である埋葬機関に属している異能者であった。

「ううん……」

と、その時、さすがに騒がしいと思ったのか、今まで眠っていた志貴が、目を覚ました。

「おはようございます、志貴様」
「ん……ああ、おはよう翡翠」

翡翠が挨拶すると、志貴は半分寝ぼけた頭で、眼鏡をかけ、周囲を見渡すと……。
「あれ? 先輩?」

傍らに立っていたシエルを目に留め、驚いた表情をする。

「おはようございます、遠野君」
「あ、おはよう、って……先輩、どうして朝っぱらから俺の部屋に居るんです?」
「ああ、それはです……」

ね、と言おうとした瞬間である。

バスンッ! ひゅーーーーーーー。 ゴギ。

「志貴〜、ひどいのよ、シエルったら。私は志貴と添い寝したかっただけなのに、黒鍵を投げつけてきたのよ」
「ア、アルクェイド!? なんでお前まで……」

シエルを窓の外に張り飛ばし、甘えた口調で抱きついてくるアルクェイド。
困惑した口調の志貴だが、抱きついてくるアルクェイドの胸の感触に、つい頬がゆるんでしまった。

「はっ……!?」

冷たい視線は、先ほどからずっと、志貴の傍らに立った翡翠のものである。
翡翠は無言だったが、明らかにその表情は、怒っているようであった。

「…………」
「あ、翡翠、いや、これは……その……」
しどろもどろで、志貴が弁解しようとしたときである。

「何が添い寝ですかっ。遠野君を不埒な道に引きずり込もうとするのは、許しませんっ!」
「って先輩、どこから第七聖典だしたの?」

再び窓から入ってきたシエル。
あちこち傷ついているものの、その動きにはまったく翳りが見えなかった。
銃剣のような巨大な武器を構え、シエルが苦々しく言う。

「あなたみたいな泥棒猫が居るから、私は枕を高くして眠れないんですっ!」

それは、シエルの本音であった。
志貴に好意以上の感情を持っているシエルは、志貴に言い寄るアルクェイドを、公私ともに嫌っていたのである。
だが、この場合は少々言葉が過ぎたのかも知れない。

シエルの言葉に、アルクェイドはカチンときたようだ。
志貴に抱きついていた腕を放すと、ゆっくりとシエルに向き直った。

「人を猫呼ばわりするなんて、埋葬機関の犬のくせに、随分な言いぐさね」
「規格外のアーパー吸血鬼に言われたくありませんっ!」
「二人とも、いいかげんにっ……うわあっ!」

志貴の悲鳴と共に、ベッドには黒鍵が突き刺さり、アルクの爪がカーテンを引き裂き……。
あっという間に、志貴の部屋は暴風圏に入ったような大騒ぎになった。

と、ベッドの隅で丸くなっていたレンが、さすがに身の危険を感じたのか、翡翠の胸元にピョンとジャンプをした。
翡翠は、両手で黒猫を抱くと、深々と頭を下げる。

「それでは、失礼します。そろそろ食事ですので、お着替えは早くすまされた方が、よろしいと思います」
「ちょ、ちょっと待って、翡翠ってばっ……!」

そのまま、修羅場……と言うか、戦場と化した志貴の部屋のドアを閉めると、翡翠はレンを抱えたまま、歩き去った。
数分後、怒りの表情で、その場に駆けてきたのは、志貴の妹の秋葉である。
翡翠から事情を聞いた秋葉は、叩き壊しかねない勢いで、扉を開け放った。

「あなた達、誰の許可を得て、この屋敷に入って……って、そこの泥棒猫っ! 今すぐ兄さんから離れなさいっ!」

と、叫びながら、秋葉は部屋の中に飛び込んでいった。
それによって、部屋の中の嵐はさらに大きくなったのだが……。

それは、あの日の前から行われてきた、変わらない日常の一場面だった。
そんなこんなで、また慌ただしい日常が始まった−−−。


あとがき

歌月十夜の後の、今までと変わらない日常というのを書いてみたくて、今回の執筆になりました。
感想など、書いてもらえれば嬉しいです。


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