月姫・SS
七夜と志貴の神隠し
とんでもない夢を見た−−−。
あまりにも突拍子もないことが起こりすぎて、
これは夢なんだって自覚してしまうほどに、
はちゃめちゃな夢だった−−−。
「うわ、なんだこりゃ……」
深い眠りから目覚めたとき、そこがベッドの上でなく、布団の上でなく、ましてや見知らぬ世界だった。
そんなとき、人はどういうリアクションを取るのだろうか……。
見知らぬ街を見渡して、俺のとったリアクションは、そんなごく平凡なものであった。
どうも、非常識やら非現実的な事ばっか体験しているため、どうやら耐性が出来ているらしい。
まぁ、正直言って……あまり嬉しくも無かったが。
「しかし……ここ、どこなんだろうなぁ……」
滅茶苦茶なデザインの屋台が並ぶ、奇妙なストリート。
誰もいない道の中央で、俺は呟きを漏らす。
固い地面の上に寝てたせいか、肩や腰が少しだるい感じだ。
肩をほぐすように、首を巡らして……ぐるっと辺りを見渡す。
ふと、その時、この光景を、前にどこかで見たような気がした。
「あれ、この光景って……」
脳裏に、徐々にその光景がしみ出てくる。
そう、確か先日、アルクェイドを誘って映画を見に行ったときだ。
子供にも大人にも、大人気のアニメという触れ書きのそれは、確かに面白かった。
そしてその映画を、アルクェイドが気に入ってしまったのも無理はない。
その後、何度かせびられて、同じ映画を見に行くはめになったんだが……。
「やれやれ……って事は、あそこに行かなきゃならないのか……」
ため息をつき、俺は歩き出した。
向かう先は、石の階段の上。
映画では、そこで主人公の少女は、ある少年と出会うという筋書きだった……。
……で、たどり着いた先。
そこには、『油』の旗が立った、妙な旅館があった。
「しかし、何から何まで映画のままだな……」
旅館の手前に架けられた橋。その手すりの部分をさわりながら、俺はそう呟きを漏らす。
木造の手すりは、手に心地よい感触を感じさせる。
そうして、ふと、旅館の方に視線を向けると……。
映画で見たときのように、彼女が……そこにいた。
「ここで、何をしておる」
おおよそ、和風の背景に似合わない白いドレス。
金色の長髪に、凛とした無機質な表情……。
それは、かつて夢の中で遭遇した、アルクェイドのもう一つの本質、朱い月に見間違えるほどだった。
しかし……。残念ながら、一つどうしようもない点がある。
「ここに居てはならぬ! すぐに引き返……」
ゴンッ!
ドレス姿で、大股で駆け寄ってくる『アルクェイド』に、俺はげんこつをお見舞いした。
と、長い金のカツラが地面に落ち、見慣れたショートヘアーが姿を現した。
「いたた……も〜、何するのよ、志貴!」
「何するのよ、じゃない! まったく、手の込んだコトをするなよな……」
不満の声を上げるアルクェイドに、俺はそう文句を言う。
しかし、当の本人はとても不満そうだった。
「だって、こういうのって、やってみたかったんだもん」
そう言って、拗ねるアルクェイドは、なんだかとても子供っぽく見えた。
その仕草に、俺は思わず苦笑を漏らす。
「えへへ」
その表情を見たアルクェイドが、機嫌を回復したのか、相好を崩した。
そうして、アルクェイドは俺の手を取った。
「ねぇ、このまま逃げちゃおっか?」
「おいおい、話だと、俺はここで働くんだろ?」
いきなり、話の法則をねじ曲げようとするアルクェイドに、俺は思わずそう質問した。
しかし、白い姫様は、そんな一般論を、あっさりと蹴っ飛ばす。
「いいじゃない。志貴はわたしと幸せに暮らすってことで、何の問題もないでしょ?」
「お、おい……」
そう言って、グイグイと俺の手を引っ張り、アルクェイドは道を歩いていく。
本来なら、日が暮れて夜になるはずだが、おそらくアルクェイドが、それを止めてるんだろう。
こうなったアルクェイドに逆らえるはずもなく、俺は引っ張られるまま、彼女の後についていった。
しかし、通りの中央に差し掛かったときのことだった。
『あはー、そうはいきませんよー』
いきなり降ってきたその言葉と共に、唐突に、空に影が差す。
そうして、それの上から、複数の人影が降ってきた……。
「まじかる湯婆、とうじょう〜☆」
「洗脳銭婆、翡翠です」
「ちょっと琥珀、何で私が女中なんですか!」
「いいじゃないですか……私なんて、黒いってだけで『顔無し』役なんですよ……」
それはどう見ても、琥珀さん、翡翠、秋葉、シエル先輩だった。
それにしてもシエル先輩、すっかりイロモノ役にされちゃってますね……。
「ううっ、遠野君……そんな目で見ないで下さい……」
と、俺の視線に気付いたのか、シエル先輩が道の端っこで拗ねてしまった。
いや、実は顔無しの着ぐるみを着た先輩、けっこう可愛いように思えたんだけど……。
「何よ、あなた達……邪魔する気?」
ムッ、と不機嫌そうに、アルクェイドは琥珀さん達を睨む。
しかし、そんな視線も琥珀さん達には対して効果がないようだった。
「だめですよ、アルクェイドさんっ、ルールはちゃんと守らないと」
めっ、というポーズを取りながら、琥珀さんはアルクェイドに言う。
その言葉に、同感というふうに頷いたのは翡翠だ。
「与えられた役割の中で、志貴様に接するというルールは、皆で決めた事です」
「つまり、あなたのやっていることは、重大なルール違反ということです」
「う……」
さらに秋葉に言われ、アルクェイドも気まずそうな表情になった。しかし、
「そう、兄さんは私の部下として、躾をされるの……ふふ、そう、可愛いわ、兄さん……」
「え、ちょっと待ってよ! そんな場面、話の中には無かったわよ!」
明らかに、不穏なことを口走った秋葉に、アルクェイドが噛みついた。
それに対し、さらりと秋葉は返答する。
「あら、話の中では、私は主人公に、『公私混同で教育を行う』という場面があったはずですが?」
まぁ、確かに映画の中では床清掃や風呂掃除とかの場面をやってたけど。
それに、仕事場の先輩ということで……色々世話にはなるんだけど。
どうでもいいが秋葉、お前のその発言は、何かこう、不穏な気配がゾクゾクするんだが……。
「ずいぶんと、曲解した認識ね……妹。下心が見え見えよ」
「……つ、いいじゃないですか! せっかくのチャンス、使わない方が馬鹿ってものでしょ!?」
チャンスって何だ、下心って……。
「まぁ、そうですよねぇ、手にした特権を使うのは、政治家とヒロインの特権ですし」
あはー、と笑いながら、契約書と注射器を取り出すのはやめて下さい、琥珀さん。
「志貴様は、げっちゅ……です」
いや、頬を赤らめるのは良いけど、指を回すのはやめてくれ、翡翠。
「あ〜もう、こうなったらヤケクソですっ。顔無しの特権で、遠野君を食べちゃいますよっ!」
「うわ、本気で喰う気ですか、先輩!」
ガチガチと(なぜか)歯を鳴らす、気ぐるみの先端の仮面が、鼻先をかすめる。
反射的に避けて、俺は慌てたように先輩に言った。
だけど、どうやら開き直ったのか、先輩はブツブツ言いながら、こっちににじり寄ってきた。
「遠野君、私と一つになりたい? それはとっても気持ちのいいことなのよ……」
「って、それはネタが違うでしょ!」
思わず突っ込みを入れる俺。
こんな時でも冷静な自分がちょっと憎い。
「問答無用っ、とにかく、私に食べられなさいっ!」
「させないわよ、シエルっ!」
しゃげー、と唸る先輩を止めようと、アルクェイドが立ちふさがる。
「琥珀、翡翠……あなた達、使用人の分際で主人に逆らおうって言うの?」
「あはー、何言ってるんですか、秋葉様。この世界では、使用人はあなたのほうですよー」
「…………」(コクコク)
(ムカッ)「そう……だったら、あなた達のその身分を頂こうかしら」
こっちでは、髪を赤くした秋葉が、琥珀さんと翡翠を相手取り、睨み合っている。
どうやら、力尽くで物事を決しようと言うことらしい。
まてよ……今なら、誰も俺に注目していない。
アルクェイドはシエル先輩との戦いに集中しているし、秋葉達は睨み合ってる状態だ。
「……よし」
ここは、皆には悪いが逃げるとしよう。
俺は、決心すると、抜き足差し足でその場から撤退することにした。
だが、やっぱり物事は、都合良くは行かないらしかった……。
ほんの数歩、その場から動いただけなのに、申し合わせたように全員が俺の方を向いたのだ。
一瞬の沈黙の後、飛んできたのは怒りの声と、容赦のない攻撃だった。
『逃げるな、志貴(様)(さん)っ!』
「うわ〜〜〜っ!」
ああ、結局こうなるんだな……。
怪獣大決戦のような様相を呈した地獄絵図のまっただ中で……。
意識を失う直前、俺はそんなことを考えていた。
『今度はラブロマンスもいいかな〜』
消えゆく意識の中で、そんな不吉な声が聞こえた気がするが、気のせいだろう。
というか、勘弁してくれ……。
おまけ。
「ふむ……遅いな」
旅館の地下、ボイラー室の釜の前で、釜爺役のネロ造は、少し寂しそうに呟く。
足もとにいた犬のクールトー君が、寂しそうにくーん……と鳴いたのだった。
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