金色の月、漆黒の風 
「十戒」

漆黒の触手が踊る。触れたものを溶かして飲み込む原初の海。
英霊であれ人間であれ、それに食われれば、溶かされ、完全に飲み込まれてしまうだろう。

そんな、危険極まりないものを相手に、

「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

ただ一人、悠然と立ち向かう騎士の姿があった。
無数に振るわれる触手を、飛びのき、凌ぎ、あるいは剣に纏わりつかせた風で両断する――――

「約束された――――」(エクス)

その両手に持つ、彼女の最高の一撃を、原初の孔に向けて叩き付ける!!!!

「勝利の剣!」(カリバー)

その真名を銘した剣から発した閃光は、軌道上の触手を切断し、焼き尽くし、原初の孔へと直撃する!
しかし、中空に開いた孔は、その閃光をいともあっさり飲み込む。

いかな断層により、全てを切り裂く剣といっても、限度というものはある。
孔の向こう側は、人の及ぶべきではない世界。密度そのものが違うのである。

「く――――」

既に二回、彼女は彼女の持つ最大の技を、孔に向けて放っている。
おそらくは、後二回。宝具を使うことができるのは、それが精一杯だろう。

しかし、それではあれを倒せるかというと、無理であるのは自明の理であった。
いまだ孔からは、漆黒の泥があふれ出し、触手の量はさらに増えつつある。

それは、全てを飲み込む大津波のようだった。
いかな聖剣とはいえ、その規模は知れている。海に向かってバズーカを放っても、さしたる効果があるようにも見えなかった。



「リンはここに残ってください。私は、セイバーを援護に行きます」
「分かったわ、護りは任せて」

その様子を見ていたライダーは、自らも魔眼封じの眼帯を外し、セイバーの援護に向かう。
凛は懐から宝石を取り出し、倒れている士郎と桜を護るように立った。

二人はいまだ、目を覚まさない。
桜は、アンリマユとの接続が切れたせいで、ずっと気を失ったままである。こちらからのアプローチにも無反応だった。

士郎はというと、傷のほうは完全に塞がっていた。影に喰われた右足も、森で失ったはずの左腕も、今はそこにある。
しかし、こちらも気を失っており、何をやっても起きはしなかった。

「まったく、呑気に眠っちゃって……後始末、どうつけるのよ、これ」

遠目に、ライダーとセイバーの戦う姿を見ながら、凛は不満そうに口を歪める。
ライダーの援護を受け、体制を立て直したセイバーだが、不利な戦いというのは目に見えて分かる。

セイバーの疾風の剣が、ライダーの石化の魔眼が、無数の触手を破壊する。
しかし、その大元は傷一つ受けず、いまも自らの分身である泥を吐き出しているのだ。

徐々にではあるが、セイバー達は確実に追い詰められつつあった。


「大丈夫、私に任せて」
「!?」

その時、凛の背後より声をかけた者がいる。
前方の戦いに集中していて、背後への注意が疎かになっていた凛は、驚いたように飛びのく。

そこには――――純白のドレスに身を包んだ、イリヤの姿があった。

「イリヤ!? そのかっこう――――」
「そんなに変かしら。けっこう気に入った衣装なんだけど」
「ううん、似合ってる。けど――――」

困惑したように口ごもる凛。そんな彼女に、

「じゃあ、あれを止めてくるね」

こともなげに、純白の花嫁姿の少女はそんな事を言った。
凛はその言葉に驚きの表情を見せ、続いて疑わしそうな視線を向けた。

「あ、何よ、その疑わしそうな目は。大丈夫よ、アインツベルンの千年の研究は伊達じゃないわ」
「そんな事いっても、あの触手はどうするのよ。あの様子じゃ、近づいただけで取り込まれるわよ」
「……うん、そうなるかな」

寂しそうに微笑むイリヤ。その意味を理解し、凛は愕然とした表情を見せた。

「仕方ないわよ。大聖杯の向こう側。その全てを浄化するには、どうやっても命がけになるわ」

淡々と言うが、つまりそれは、生贄となんら変わりがないではないか。
漆黒を無色に戻すための、純白の意思。それは、病原菌を殲滅する、ワクチンのようなもの。

もし、門を閉じるまえにイリヤが取り込まれても、門を閉じるだけなら、桜がいる。
つまりは、そういうこと。イリヤがここで喰われても、何の問題もないということなのだが――――

「でも、それでいいの?」

無駄だとわかっても、あえて聞いたのは、凛は彼女なりに、イリヤのことを気に入っていたからかもしれない。
しかし、だからこそ、彼女の予想通りの返答がそこにあった。

「勘違いしないで、私は聖杯の器として作られたの。門の管理も私の仕事なんだから」

姉に対する、背伸びした妹のような口調のイリヤに、そう、と凛は苦笑いを浮かべた。
そうして差し出される、凛の右手。驚いたような表情のイリヤに、凛は優しく微笑む。

「じゃあ、がんばってきなさい」
「うん……」

おずおずと差し出され、繋がった手。
その温もりは、どんなことがあっても覚えているだろう。

「じゃあ、行ってくるね……おねえちゃん」

そうして、彼女は幸せそうに微笑むと、二度と凛を振り返ることもなく、聖杯の孔に向かって歩き出した。



――――あいつめ、最後の最後に置き土産を残していったな。
私、遠坂凛は、右手を握り締め、彼女の背中を見つめたまま、動けなかった。

彼女の最後の台詞。桜と同じように聖杯戦争で利用されるためだけだった少女。
そう、イリヤもまた、私の可愛い妹のような存在だったのだ。

まぁ、可愛げよりもバーサーカーを操る手並みといい、魔術師としての実力といい、ライバルみたいな点もあるけど。
それでも、やっぱりあの子は、寂しかったんだろうなぁ。私と同じ、桜と同じで。

そんな事を考えたまま、私はことの顛末を見届ける。
戦いの場に、足を踏み入れるイリヤ。驚いた様子のセイバーとライダー。

そうして、新たな獲物に、触手が放たれる。
イリヤは、抵抗も反撃もせず、その触手を受け入れるように両手を広げ、



――――そして、奇跡が起きた。



すべての触手が、その瞬間、動きを止めた。
イリヤを飲み込もうとした触手も、その目前で凍結したように動きを止めていた。

そうして、原初の海が割れる。
それは、まさに一つの奇跡。海が割れるという、ただそれだけの概念。

たしか、こんな光景を見たことがあった。たしか、十戒という映画の――――
そんな事を考えていた凛の目の前で、なおも黒い海は割れていく。

そうして、孔の真下に、その青年は立っていた。
手には、一振りの古ぼけた杖。モーゼという魔術師を伝説たらしめたその杖を持って、金色の青年は静かに立っていた。

「ギルガメッシュ―――!」

驚愕と、歓喜が半々のライダーの声に、青年は曖昧に微笑むと、杖を振る。
孔からの液体の流出が止まる。孔の内部すら割り、その姿を明確に映し出す。

凛は遠目に、孔の内部に、何かがいるのが見えた。
それより近くにいたセイバー、ライダー、イリヤはそれを見て目をそらし、
間近にいたギルガメッシュは、皮肉気に笑った。

それは、両目の潰された青年。何もない両眼から血の涙を流し、
潰れた喉から、恨みの声を放つ。両耳には無数の穴を開けられ、
そのほかにも、身体中に思いつく限りの責め苦が刻まれた、それが青年・アンリマユ。

しかし、金色の英雄王は、その姿を見ても目をそらすこともなく、同情することもせず、キッパリと言い切った。

「小さい存在だ……この世の全ての悪を自任するだけではな。我のように、この世の全てを自任して見せろ!!」

聖者を殺した、十三の姿を持つ破戒剣が、アンリマユ本体に突き刺さる。
その瞬間、大聖杯の中身は、アンリマユとの接続を断接した。

黒色の液体は、色を失い。純粋に魔力となり、空気に帰化する。
そして、その孔に向け――――

「天地乖離す開闘の星――――!」(エヌマ・エリシュ)


ギルガメッシュの最高の一撃が、炸裂した。
世界を切り裂いた剣の異名、そのままに、烈風は、孔の内部を荒れ狂い、この世の全ての悪、そのものを破壊した。

余波は、大聖杯の祭壇、洞窟全域も一撃で破壊し、そうして、全ての決着はついた。



洞窟が揺れる。
ギルガメッシュの最高の一撃を受け、洞窟もそこかしこに崩壊の予兆を見せていた。

「きゃっ!?」

イリヤの頭上に、巨大な岩盤が落下する。
それを砕いたのは、風を纏ったセイバーの剣。

「あ、ありがとう」
「いや、謝辞はまだ早い。ライダー、士郎たちを連れて脱出するぞ。イリヤは私が運ぶ!」

イリヤを背中におぶるセイバー。しかし、ライダーはそれに答えず、彼のほうを向いていた。
金色の英雄王は、孔の一点を見つめている。そこから、何かが這い出してくるのが見えた。

傷だらけの腕から、魔力がもれる。
永く聖杯の底で、魔力を貯めていた傷だらけの反英雄は、英雄王の一撃を受けてもなお、その身をとどめていた。

「陛下――――」

ライダーの声が聞こえたのか、ギルガメッシュは、ライダーの方を向いた。
その姿に、彼女は心奪われた。全ての頂点に君臨し、そして、全てを受け入れた青年の雄雄しき姿を。

青年は、無言でライダーに告げる。行け、と。
ライダーたちに背を向け、この世の全ての悪の最後のあがきに、彼は真っ向から立ち向かおうとしていた。

そう、彼は護っていた。ウルクの民を、そうして今はライダーやセイバー達を。常に彼は、彼の眼前にある者たちのために戦っていた。
それは、形こそ違えど、衛宮士郎の求めたような生き方だったのかもしれない。

「ライダー、急げ!」

再度、セイバーに声を掛けられ、ライダーは唇をかみ締め、そうして駆け出した。
ギルガメッシュに背を向け、士郎と桜のもとにたどり着くと、二人を脇に抱え、駆け出した。

その後をセイバー、凛と続く。彼女達は、振り返ることはせず、出口へを向かって駆け出した。
もはや、洞窟の崩壊は目に見えており、振り向くだけの余裕はなかった。

それでも、不思議とライダーは理解した。
彼女の行動が正しかったように、英雄王が口に微笑を浮かべ、呟いたのを。

「ではな、ライダーよ」

洞窟の崩壊音と、この世の全ての悪の絶叫の中、ライダーは確かにその声を聞いていた……そう、信じている。






最後方にいた、凛が洞窟から抜け出した十数分後。
壮大な崩壊音と共に、柳洞寺と、その周辺が崩れ落ちた。

大空洞の崩壊と共に、柳洞寺のあった山は、その大きさを大幅に縮めていた。
その光景を、呆然と少女達は見つめていた。

暗黒に包まれた周囲は、静かに彼女達を包む。
しかし、恐れを感じることもなかった。
夜を、越えることができた。全てが解決したわけではないが、ようやく、一区切りがついたのだ。

汗だくで、地面に座り込む凛は、桜の髪を、愛しげに梳いている。
イリヤは、セイバーと共に、眠っている士郎の傍に腰を下ろし、そっとその身体に手を当てた。

ライダーは一人、崩壊した山裾を見つめ続ける。まるで、何かを探しているかのように。

もはや、漆黒の影の胎動も、この世の全ての悪の叫びも聞こえない。
長かった夜は、こうして明けようとしていた――――。



GOOD END


〜生還者〜

衛宮 士郎
遠坂 凛
間桐 桜
イリヤスフィール・フォン・アインツベルン

セイバー 真名「アルトリア」
ライダー 真名「メドゥーサ」

そして――――

Go to Next 「さくらの木の下で」

戻る