〜Fate Silver Knight〜
〜幕間・ある主婦の午後……紫金の少女〜
「〜〜〜〜♪」
流れるような旋律が、静かな夏の境内にこだまする。
どこかレトロな雰囲気を感じさせる鼻歌を奏でながら、寺にある物干し場にて、洗濯物を取り込んでいる女性の姿がある。
鳴り止まぬ蝉時雨も気にならぬように、かいがいしく働く姿は、どこからどう見ても立派な主婦であった。
「さて、宗一郎様が帰ってくるまでに、御夕食の支度をしなくちゃ……それで、夜は――――」
何を想像したのか、真っ赤になって、もじもじする。どうやらいろいろと想像したらしい。
キャスターこと、メディア……かつて、冬木市にさまざまな魔術を配し、士郎たちの脅威だった彼女は、今はこんな感じであった。
「ああ、宗一郎様ぁ……」
恋焦がれる相手のものだろう、男物のシャツを抱きしめると、それに頬擦りする。
――――せっかく干した物なのに、またしわくちゃになってしまったが、メディアはそのことに気づいていないようだった。
「宗一郎様の香り……」
うっとりと目を細めるメディア。一歩間違えば立派な変態である。
――――本人が満足しているので、なんとも言いようが無いのではあるが。
一事が万事こんな調子なので、洗濯物の取り込みはいっこうに終わらなかった。
放っておいたら、そのまま日が暮れるまでやっていそうな感じである。そんな、夕方ながら、夏の時分、まだまだ昼間と見まごう時間帯。
相変わらずシャツを抱きしめもだえていたメディアだが、ふと、我に返ったように、はっと顔を上げた。
「……えっ?」
どばしゃ――――ん!!
寺の裏手から、盛大な物音が上がった。そちらには、大きな池があったはずである。
どうやら何かが、池に飛び込んだようである。柳洞寺の敷地内には察知用の結界を張っていたので、それに気づいたメディアなのだが……、
「……猪でも、落ちたのかしら?」
さして気にしていない風に、彼女は洗濯物を取り込み始める。そうして、洗濯物を取り込み終えてから、ようやく寺の裏手へと足を向けたのであった。
碌な目に、あわないことが最近は多い。雨の中追い掛け回され、散々森で迷ったのは序の口だった。
再び森に入ったら、妙な爆心地を見つけ、そこでは金色の妙な騎士に武具の雨を叩きつけられ、
そこから脱げ出した後は、また道に迷った挙句、刀を持った侍に追い掛け回された。
ぼろぼろの状態で、何とか見覚えのある場所に出たと思ったら、足を滑らせて池の中へと落下して――――、
そして…………目が覚めたとき、そこには見知らぬ天井があった。
「――――あれ?」
柳洞寺の一室に寝かされていた紫金色の髪を持つ少女は、怪訝そうな表情で身を起こし、あたりを見渡した。
板張りの部屋、調度品と言えば……部屋の片隅にある箪笥だけの部屋は、どこか生活感の無い閑散とした場所であった。
「ここは……? 亜綺羅は!?」
はっとした表情で、少女は室内を見渡し――――自らの傍らに、横になって眠っている少年を見つけ、安心したように息を吐いた。
彼女の名は、イスカンダル。聖杯戦争と呼ばれる戦に参加をしている、ライダーのクラスを持つ少女であった。
つい先ほどまで、彼女とマスターである少年は、北西にある大きな森にいたのではあるが……。
「あら……どうやら、目が覚めたようね」
イスカンダル――――イスカが目覚めるのを、分かっていたかのようなタイミングで、その手に浴衣を持ったメディアが部屋に入ってきた。
無意識に、自らのマスターを庇うように警戒の様子を見せるイスカ。そんな彼女の様子を見て、メディアはそっけなく口を開いた。
「お風呂を沸かしたわ。夏場は臭いが篭るし、裏手の池はそこまできれいじゃないわ。まずは身だしなみを整えなさい」
「う……」
思い当たる節があるのか、衣服の袖のところを顔に持っていき、くんくんと鼻を鳴らすイスカ。
確かに、少々におうような気がする――――霊体である彼女は、その気になれば身体自体を消去できるし、そこまで神経質にならなくてもいいのだが。
そんなしぐさを見せるイスカに苦笑を浮かべると、メディアはついてきなさい、と言って、部屋を出て行った。
イスカはしばし、どうしたものかと迷っていた風だが、結局、マスターの少年を背負うと、メディアの後を追うように部屋を出た。
「んぅ…………イスカさん?」
「あ、起きたの、亜綺羅? お風呂に入れるから、ちゃんと目を覚ましなさいよ」
「お風呂…………いいですねぇ」
ほんわかと、蕩けるような微笑を浮かべる亜綺羅。メディアに案内され、浴室に通された二人は、湯船につかり、疲れを癒す。
…………そうして数十分後、おそろいの浴衣を着て浴室を出た二人は、メディアに案内され、先ほどの部屋に戻ることとなった。
「さて、話を聞かせてもらおうかしら。先日は碌に話しもせず、姿をくらましたけど、今日はちゃんと話してもらいます」
「すいません、ちゃんとお礼も言わずに出て行って……」
メディアの言葉に、しゅんとうなだれる少年。年齢的には小中学生のどちらかだろう。とても、英霊のマスターには見えない。
そんな少年とは対照的に、どこか警戒するような表情なのは、イスカンダルであった。
「話す前に聞きたいんだけど……あなたは何者なの? どうも、私と同じような気がするんだけど」
「流石に、分かるようね。言っておくけど、私は貴方達と事を構えるつもりは無いわ……確かに私は英霊だけど」
「!」
彼女の言葉の語尾、英霊の部分に、表情を険しくするイスカ。だが、
「お姉さんも、英霊なんですか?」
マスターの少年の方は、気にしてはいないようだった。さらに言い換えるなら、どこか友好的な表情で、メディアを見つめている。
何度も助けられた人だし、敵ではないと思い込んでいるようだった……それが、イスカをヤキモキさせる原因なのだけど。
「でも、何で英霊なのに私達を助けるの!? 敵同士でしょうが!?」
「あら、だったら、今から殺りあう?」
ぞくっ、と周囲の気温が真冬並みに落ち込んだような錯覚に、イスカは思わず怯えたような表情を浮かべた。
その表情が、どうやらお気に召したらしい。けわしい表情を僅かに緩め、メディアは肩をすくめた。
「冗談よ。生憎だけど、私はその気は無いわ。二度も殺されるなんて、まっぴらだし」
「二度、ですか?」
「そうよ、半年前に聖杯戦争があったのは知っているかしら? 私は、その時……召還された英霊なのよ」
予想外のことだったのだろう。メディアの言葉に硬直する、イスカと亜綺羅。そんな二人に、メディアはざっと説明をする。
半年前の聖杯戦争――――この柳洞寺にて魔力を集め、時期を待つものの、金色の英霊に殺されたこと。
そして、謎の少年に呼び出され、今はここで、悠々自適の生活を送っていること。
「そういうわけだから、私は貴方達と関わるつもりは無いわ。いっそ、出てってくれたほうがいいもの」
「……はっきり言うわね」
ずけずけとした物言いに、イスカは不満そうにうめく。だが、先ほどの殺気を恐れたせいか、それ以上強くは言い出せないようだった。
そんな二人の間に、のほほんとした言葉が割り込んできたのは、その時。
「でも、お姉さんは二度も僕達を助けてくれましたよね……どうしてですか?」
「――――」
亜綺羅の言葉に、メディアはしばし無言だった。そして、数秒後、考えが纏まったのか、その端正な唇から、言葉があふれ出した。
「最初は、宗一郎様の言いつけだったから……でも、二回目は、そうね……あなたたちが、私達と似ているからかしら」
「似ている?」
「見た目が、と言うわけじゃないわ。例えば、君――――亜綺羅君ね。あなたは本当は、聖杯をほしいと思っていないでしょう?」
メディアのその言葉に、イスカの表情が強張った。それは、参加者からすれば不文律の一つ。
命を懸けた戦いの報酬である聖杯を、いらないなどとは、言語道断なはずである。
しかし、彼女のマスターである小柄な少年は、一遍の迷いも無く、首を縦に振った。
「そうですね、あれば便利だとは思いますけど、そこまでほしいとは思わないですね――――そんな、大それた望みもありませんし」
「そう。なら何故、この戦争に参加したの?」
「それは、イスカさんが聖杯をほしがってますから…………あ」
思わず口を押さえた少年。おそらくは言うつもりは無かっただろう。口から出た少年の本音に、イスカは沈黙する。
そんな彼女を、どこか優しい目で見つめながら、メディアは静かに語った。
「私もそうだったわ。頑張って頑張って、でも、宗一郎様には聖杯なんて必要なかった…………先走ってたのね」
「…………」
「あなた達も、考えたほうがいいかもしれないわ。聖杯は、幸せを得るための一つの手段でしかないことを。やりたいことを犠牲にしてまで、聖杯を求めるべきか」
互いに思うところがあるのか、それぞれ黙り込む、イスカと亜綺羅。
メディアは話は終わりとばかり、正座をしていた腰を上げると、静かに二人に微笑みかけた。
「さて、それじゃあご飯を用意するから、食べていきなさい。たくさん作るから、一人二人増えても、一緒でしょうしね」
そうして…………柳洞寺の山門前、早めの夕食を頂いた後、二人はご丁寧にお弁当まで持たされて、お寺を出ることになった。
周囲は遅い夕暮れ……開いた山門からは暮れ行く夕日の陽光が二人を照らしている。
長いような短いような、そんな合間の時、片方が、もう片方に声をかける。
「……ねぇ、これからどうするの?」
声をかけたのは、イスカのほう。彼女は、自らのマスターである少年に確認をする。
食事から今まで、少年は何かを考えているようだった。その結論がどうであれ、彼女は受け入れるつもりだった。
「――――そうですね、一度、実家に帰ることにします」
「そう」
「お父さんやお母さん、親戚の人と、もう一度じっくり話したいんです、聖杯戦争の意義と、求めるものを」
夕日に照らされた、その横顔はとても儚く見えた。彼女のマスターである少年が出したのは、そんな答えだった。
少年は、右手を上げて、手のひらを見つめる。そこには、少年のマスターである証、令呪が刻まれていた。
令呪の数は3つ、一つも使わなかったそれを、少年は別離のために使おうとしていた。
「だから、イスカさんとは、ここでお別れですね。今から契約を破棄しますから、新しいマスターを…………」
「馬鹿」
言葉が、とまる。少年の手を華奢な両手が握り締めている。それは、イスカンダルの手。
絆を手放すのを拒むように、彼女は両の手でしっかりと亜綺羅の手をつかんだまま、亜綺羅に怒ったように語り掛けた。
「一人で帰って、どうするのよ。大体、親はともかく、親類のほうは、あなたが一人で帰っても、納得なんてしないわよ」
「え、でも……」
そこまで考えていなかったのだろう。困惑する亜綺羅に、イスカはうつむきながら、ため息一つ。
そうして、再び上げられたイスカの顔は、妙に晴れ晴れとしていた。
「私も行ってあげる」
「…………はぃ?」
「だから、亜綺羅の実家に戻るの、私も一緒に行くってこと。別にいいでしょ?」
「ええ、それは構いませんけど…………イスカさん、聖杯のほうはどうするんです?」
あれだけ、欲しいって言ってたじゃないですか? 問うように見つめてくる亜綺羅に、イスカは苦笑し、肩をすくめた。
確かに欲しいとは思った。だが、それはある前提があってのこと――――亜綺羅と分かれては、その前提が成り立たない。
「まぁ、何とかなるわよ。それより、急ぎましょう。急いては事を――――なんとか、っていうし」
「それは、意味が違うような気がしますけど……」
手をつなぎながら、二人は山門の階段を下りてゆく。その様子は中の良い、姉弟のようであった。
階段の途中、ひょろりとした青年とすれ違い、互いに会釈を交わす。
そうして、二人はそのまま、どこかへと歩いていったのだった。
すれ違う少年達をさして気にせず、青年は階段を上る。人と言うのは、彼のとってさしたる意味をもたらさなかった。
何事にも動じず、変わらぬ日々を過ごす。そんな彼の生活だが、この数日で、僅かな変化があった。
仕事の帰り、山門を上ると、そこには人影。いつも彼が帰るとき、彼女はそこに立っていた。
「お帰りなさい、宗一郎様」
「――――ああ」
微笑む彼女に、彼は淡々と返事をする――――そんな、些細な変化であった。
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