〜Fate Silver Knight〜
〜幕間・ある主婦の話〜
とんとんと、野菜を包丁で切る音、じゅうじゅうと、肉を焼く音が、台所に流れる。
時刻はお昼の少し前、柳洞寺の住居にあるキッチンに陣取って、一人の女性が昼食の支度をしている。
どこか物憂げな表情が、エプロン姿に映えている。彼女はため息混じりに整った唇から言葉を発した。
「宗一郎様は、今ごろ何をしてるのかしら……お弁当、ちゃんと食べていてくれるといいけど」
彼女の想い人である葛木宗一郎は、今日も地元の高校へと出かけている。
弓道部の女子生徒の失踪から数日、捜査は一行に進展を見せていなかったが、メディアにとっては、そのような事はさしたる問題ではなかった。
ただ、そのせいで想い焦がれる宗一郎と一緒にいれないのも事実である。
「いっそ、学校という場所に行ってみようかしら、でも、もし宗一郎様がそのことを知ったら……」
自分で呟いて考えてみたのか、メディアは急に沈んだ表情になる。なんだかんだ言って、宗一郎に対してだけは、異常に奥手な彼女であった。
ため息混じりに、昼食の用意を進めるメディア、彼女は一通りの下ごしらえを済ませた後、戸棚にある食器を出そうと振り返り――――、
「よっ、邪魔してるぜ」
すでにテーブルの上に置いてあった料理をつまむ、青い鎧の男がそこに居た。言わずもがな、ランサーである。
いきなりの事に、硬直するメディア。ランサーはそんな彼女を意に介さず、テーブルに並べてあった料理の皿から焼き魚を一切れつまむと、それを口に――――。
ぼんっ!!
鈍い爆発音とともに、周囲の空気が震えた。台所内に煙が立ち込める、その煙の発生源は、ランサーの顔面付近だった。
「――――げほっ、いきなり何しやがるんだ、焼き魚が丸焦げだぞ」
「だ、黙りなさいっ、いったい何のつもりです、こんな場所に出没するなんて!?」
メディアの反射的に放った一撃は、ランサーの顔に直撃し、咥えていた焼き魚を真っ黒焦げにしていた。
もっとも、ランサー本人はというと、面の皮が厚いのか何なのか、傷の一つも受けておらず、憮然とした表情で、黒焦げの魚を飲み込んだ。
「腹ごしらえだよ。飯を作りそうな知人は、そう多くなくてな。嬢ちゃんの所には奴さんが居るし、思い当たる節をあたってみたんだが」
「歓迎する謂れは無いと思うけど。半年前、直接的な戦闘は無かったとはいえ、敵同士だった相手なのは分かっている筈よ」
憮然とした表情で、ランサーを睨むメディア。しかし、蒼の騎士はそれに対し、面倒くさそうに肩をすくめていた。
「まぁな。そもそも、飯なんて食わなくてもやってけるんだ、気分の問題なのは分かってる。実のところ、ここに来たのはもうひとつ理由があるからだ」
「?」
怪訝そうに眉をひそめるメディア。彼女に対し、どこか探るような視線で、ランサーは呟く。
「あんたが門のところで飼ってた男と、この前、戦った」
「――――」
「正直、俺の狙いはあいつじゃない。だが、獲物に近づこうとすれば、事あるごとにあいつがしゃしゃり出てくるだろう。それは面倒だし、手間がかかる」
気を引き締めるように、表情を鋭くするメディア。彼女に対し、ランサーは答えを求めるように、問いを発した。
「何か、あの男を止める手立てみたいなもんを、あんたは知ってると見た。出なきゃ、いくらなんでも、あんな物騒な剣士を門番に置こうとするはずは無い」
「なるほど、そちらが本命ということね」
その言葉には、今までのような甘さは存在しない。あるのは、魔術師と呼ばれた知恵を持つものの言葉であった。
「結論から言うと、残念なことに、無いわ。いえ、かつてはあった、ということかしら」
「――――なに?」
「半年前、私は英雄王である。ある英霊に殺された。元来、私の魔術は私専用のもの……私が死んだ時点で、ほとんどの魔術の効力は無くなってしまったわ」
今の彼女は、半年目の全盛期に比べれば、おおよそ半分も力を持ちえていなかった。
それでも、複数の攻勢魔法と、竜牙兵のもと、他にも様々な魔術道具を持ってはいたのだが…………。
ちなみに結界は動いていたが、料理中に彼女自身がボーっとしていたため、ランサーの進入に気づかなかったのである。
「ちっ、何だ、無駄足かよ」
メディアの言葉に、少々不満そうにため息をついたのは、ランサーである。
と、そのときである、ドタドタと、台所に向かってくる足音が聞こえた。どうやら、先ほどの爆音を聞いて、誰かがこちらへ向かってきているらしい。
ランサーは、頃合と見たか、メディアに挨拶をすることもなく、背を向ける。
もう聞くべきことはない、これ以上ランサーは、ここに長居するつもりはなかった、だが……
「待ちなさい」
「?」
言葉は、メディアのほうから発せられた。怪訝そうに振り向く、ランサーの眼前に、何かが飛んできた。
反射的にランサーは、それを受け止め――――手に収まったそれを、興味深げに、しげしげと見つめた。
「何だ、この瓶は、何かの薬か?」
「餞別よ。それを使えば、たとえ致命傷を受けても、戦い続けることができる。もっとも、薬の効力が切れたあとまでは保障できないけど」
「――――へぇ、そいつはまた、なかなかいい物を持ってるんじゃないか」
ランサーは口ではそう言いながらも、探るような視線を向ける。
贈り物を受け取るいわれはないし、過去、それで痛い目に会ったことが何度かあったからだ。
「手切れ料よ。今後、私と宗一郎様には関与しないでちょうだい。それと、あの男、アサシンを必ず倒してほしい」
「……なるほど、利害の一致ってやつか。わかった。それじゃあな」
短い応酬の中に、真摯なものを感じ取ったのだろう。ランサーは子瓶を懐に入れると、その場から姿を消した。
まさに、それと入れ違いになるように、台所に一人の少年が駆け込んできたのは、その時である。
「メディアさん、大丈夫ですか!?」
「あ、一成さん。ごめんなさい、ちょっと料理に失敗しちゃって…………」
もくもくと、黒煙の上がる台所、ちょっと、ですむようなものではないのだが……少年はメディアの言葉に、気遣わしげな表情を向けた。
どうやら、彼女の言うことは、白でも黒だと信じきってしまっているようである。
「それは構いませんが、お怪我はないんですよね? 兄弟子の留守中に、あなたに怪我をさせてしまっては、私の責になります」
「はい、それは大丈夫です」
微笑むメディアに一瞬見とれる一成。どうやら有耶無耶にできたようで、メディアは内心、安堵のため息を漏らした。
それは、うららかな昼下がり、喜劇のような、槍兵と魔術師の一幕であった。
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