〜Fate Silver Knight〜
〜幕間・獣の姫〜
「いいな――――お前は今日から、ブリュンヒルデだ」
見知らぬ土地、見知らぬ風景。私の手を引いて歩くお父さんは、噛んで含めるように、私にそう言った。
まだ小さかった私は、その言葉の意味もよく分からなかったけど、素直に頷いていた。
よそ行きの服に、手には温かい肉まん。私の手を握った大きな手は優しく、私の手を引いていた。
お父さんは、いつも優しかった。お母さんはいなかったけど、その分、お父さんはいつも私に優しくしてくれた。
だから、私はずっと、お父さんを信じていた。
「これしかないんだ、分かってくれ、ヒルダ」
「?」
まるで、泣きそうな顔。お父さんはどこか寂しそうにそういうと、顔をゆがめた。
どうしてそんな顔をしているのかよく分からなかったけど、お父さんが寂しそうにするのは、心がちくちくとした。
私は手に持った肉まんを半分こすると、それをお父さんに渡した。
お父さんは寂しそうな顔のままだけど、それでも笑ってくれた。だから、少しほっとした。
大きな乗り物に乗って、まわり一面、木がたくさんある所に連れてこられた。
お父さんは、私をおんぶすると、ゆっくりと森の中を歩き出した。私が重いのか、その足は重い。
――――歩けるよ。といっても、お父さんは首を振った。
「大丈夫、お父さんは好きでやってることだから、お前が気に病むことはないんだ」
そういって、お父さんはゆっくり歩いた。急いでいるはずなのに、足はぜんぜん進まない。
なぜかお父さんは、先に行きたくないみたいだった。
「ヒルダ、いつか時がたって、お前はこの事を忘れてしまうかもしれない。でも、信じてくれ」
「何をなの、お父さん?」
「…………私は、いや、私達はお前を愛しているんだ、だから……」
唐突に、お父さんは言葉を止めた。何かがあったのか、私は顔を上げた。
目の前に、森の木々を大きく切り取って貼り付けたみたいに、古いお城がそこにはあった。
「来て、しまったか」
お父さんはそういうと、お城の門をくぐった。
大きなお城の中庭に、何人かの人がいた。お父さんよりも若いおじさんと、私と同じくらいの女の子が、そこにいた。
「お待ちしてましたよ、アイゼンベルク――――そちらが?」
「はい、くれぐれも、この子をよろしくお願いします、」
そういって、お父さんは私を地面に降ろした。お父さんを見上げると、大きな手が私の頭をなでた。
お父さんの手、いつも、優しく頭をなでてくれたそれが、なぜか尊いもののように思えた。
「ヒル――――ブリュンヒルデ、あとはこの人達の言うことをよく聞きなさい。私は少し、お出かけしているから」
「はい、お父さん」
私は、なんだか不安になったけど、お父さんを困らせることもできないので、こくんと頷いた。
私を安心させようとしたのか、女の子が手を握ってきた。どこかトロンとした目の、女の子。
「いっしょに行く」
そうして、私は手を引かれ、城の中に入っていった。振り向くと、不安そうな表情のお父さん。
私は、元気いっぱいに手を振って――――そこから先のことは、覚えていなかった。
――――次に目が覚めたのは、冷たい床の上だった。
ぬるりとした感触、鉄みたいな臭いがして、喉が痛い……黒い絵の具は、私の体からどんどんあふれていった。
大人たちが騒ぐ声――――ざわざわと、耳鳴りのする中で、一人の声が耳を打った。
それは、聞きなれた懐かしい声。お父さんの声だった。うつぶせに倒れた顔を動かして、前を見ようとする。
ほんの少し顔が上がり、上目遣いに私は床の先を見た。
大きな靴――――見覚えがある。それは、お父さんの靴だった。その近くにもうひとつ、靴を履いた足があった。
光の照らすのっぽの影、それは、この前、お城で会った、お父さんより若いおじさんだった。
「――――――――、―――――――!!」
…………? 何か言っているけど、よく聞こえない。それだけじゃない。臭いもしないし、喉に残る鉄の味は、薄れていた。
なんだか、眠ってしまいそうななか、私はお父さんの声を聞こうとした。
そのとき、目の前の、のっぽの影が動いた。まるで、お芝居のように芝居がかった動作で、影は何かを取り出した。
お父さんの影に向けられた、それは――――まるで、漫画に出てくるピストルみたいと思った。
ぱしゅっ〜
間の抜けた、空気鉄砲のような音――――中に絵の具でも仕込んでいたのか、私の目の前に、赤黒い絵の具がまかれた。
何だ、だったらお父さんは大丈夫だ、きっとそうだ……私は眠たくないのに落ちかかるまぶたの裏で、そんなことを思ったのだった。
――――そうして、私、ブリュンヒルデ・フォン・アイゼンベルクは、知らず知らず天涯孤独な身の上になったのである。
それは、十年前の出来事であった…………。
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