〜Fate Silver Knight〜 

〜幕間・朝餉、時々、雷〜



きりきりと、身体の節々の痛む音…………壊れかかった身体は、動くたびに不快な音を立てる。
最後に休んだのは、いつのころだろうか。見上げれば、そこにはいつでも青い空。
周囲には、剣の森と、狂うほどの熱狂の渦。飲み込まれれば、戻れないそれは、余人では計り知れない世界。

遠い日の記憶と、過ぎ去りし過去。
それは、欺瞞と陶酔、信念と妄執、信頼と裏切りと――――自らに課した使命でのみ、綴られていた。

それは、私のよく知っている、彼と似たような、そんな過去の物語。
浅く薄いまどろみの中で、私はそんな光景を夢見ていたのだった――――。



「ん…………」

かすれた喉から言葉らしきものを発し、ぼんやりと身を起こした。
普段とは違う部屋…………一瞬、自分がどこに居るかわからない。周囲を見渡して、しばし考える。
いつもの寝室ではない、でも、ある意味見慣れた部屋。ポク、ポク、ポク…………木魚のような音と共に、思考演算終了。

「そうか、ここって、士郎の屋敷だったわね……」

ため息混じりにそういうと、伸びを一つ。考えれば鬱になりそうな状況の現在。頭がボーっとして考えが纏まらないでいるのは、幸いといえた。
…………昨夜、公園の一件の後、私はジャネットとアーチャーと共に、ここ、衛宮邸を訪れていたのである。
ひょっとしたら、待ち伏せているのじゃないかという不安もあったが、その予想は見事に外れた。

「さすがに、防衛に優れた屋敷とはいえ、ここで我々を迎え撃てはしないだろう……おそらくは、郊外の森に逃げ込んだのだろうな」

無人の屋敷を見て回りながら、アーチャーはそんなことを言った。まるで、予想できているといわんばかりの、自信満々な態度だと覚えている。
夜も深かったため、これから屋敷に戻るのも手間取るので、私達はそのまま屋敷に泊まって――――そうして、朝を迎えたのだった。

「はぁ……」

ため息を一つし、ベッドから身を起こす。ベッドはふかふかの感触と、よい香りがした。
いつでも泊まっていけるように、彼は折を見ては……洗濯と部屋の掃除をしていたのだろう。
非常時ゆえの選択とはいえ、彼を裏切る形になった自分が、こういったところを利用するのは、少し罪悪感があった。

しかし、ため息をついてばかりではいられない、すでに賽は投げられたのだ。
私は、寝床から床に降りると、寝巻きから普段着に着替え、部屋の外に出た。ともあれ、このぼうっとした頭を水でもかぶって覚ますことにしよう。



「おはようございます、マスター」

洗面所で顔を洗い、居間に行くと、美味しそうな香りが立ち込めていた。先に来てたのか、ジャネットがそういって出迎えてくれる。
おはよ、と返事をし、私はテーブルを挟み、ジャネットの対面に腰を下ろした。
台所のほうを見て、私は眉をぴくりと動かした。なにやら赤い物体が、滑らかな動きで躍っているように見える。

「――――何してるの、アーチャー?」
「見て分からないか、凛。朝食の支度だ……ああ、そういえば君の寝起きの悪さは、筋金入りだったな」

いつもの赤い外套姿の上に、ちゃっかりとエプロンをつけたアーチャーは、動きを止めることなく、私に向かって笑いかけてくる。
なんだか、見透かされているようで、ちょっとムッときた。私は立ち上がると、アーチャーに言う。

「そんなことより、早く出発しましょう。こんなところでのんびりと、していられないわ」

正直、いつも彼やイリヤと過ごしていたこの場所に長く留まるのは、気持ちが萎えそうになる。
一刻も早く、ここから出たいというのが本音だったわけだが、私の元英霊と、今の英霊は共に、賛同する様子は無かった。

「朝食をとるくらいは問題ないだろう。私は別にかまわないが、凛は体力をつけるために、食事を取る必要がある」
「そうですよ、これからも、戦いは続くのです。体力をつける機会を逸さずにおくべきでしょう」

などと、二人して似たようなことを言って、引き止めてきた。さすがに、一人じゃ出てってもしょうがないけど……。

「なんだか、妙に気があってない? アーチャーとジャネットって」
「……そうですか?」

私の質問に、ジャネットはきょとんとした表情で、聞き返してくる。無自覚なんだろうか。
アーチャーの方はというと、相変わらず料理を続けながら、苦笑とも嘲笑ともつかない表情を見せた。

「妬いているのか?」
「……っ」

ぶしつけな物言いに、妙に神経に障る。普段はいつも、私がイニシアチブを取るので、アーチャーのように先攻されると不満になる。
兎も角、妙なかんぐりは否定しないと、私は、アーチャーに対して、口撃するために口を開こうとし――――、


TRRRRRRRRRRRRRRRR…………


廊下から、電話の音が聞こえてきたのは、そのときだった。私とジャネットは思わず硬直し、アーチャーも動きを止めて、電話の音の様子を伺う。
士郎達かと思ったけど、さすがにイリヤもいるし、電話を掛けてくるとは思えない。だとすると――――、

「あ、マスター?」

私は電話の元へと、早足で向かうことにした。



「はい、もしもし」
「あ、その声は遠坂さん? やっほー、藤村先生ですよっ」

受話器をとった私の耳に、予想通りの声が聞こえてきた。桜を探して、学校に泊り込んでいるとはいえ、士郎のことが心配だったんだろう。
朝の時分から、テンションも高く、元気いっぱいなのが、受話器越しでもよく分かった。

「どう、そちらには何か変わったことは無い? みんなちゃんと、ご飯食べてる?」
「――――ええ、みんな元気ですよ。いまちょっと、他の人は手が離せませんけど」

声が硬くならないように意識しつつ、私は当たり障りの無い返答をする。
こう見えても、優等生の演技はうまいので、これで藤村先生も納得するだろう。

「あ、そう? んー、まぁ、皆が元気ならいいか。私はまだ、学校に残らなきゃいけないから、もう一泊していくって士郎に伝えておいて」
「はい、分かりました」

そういって、ほっとため息をつく。それがいけなかったんだろう。
ため息が聞こえたのかどうなのか分からないが、唐突に、藤村先生が受話器越しに再び聞いてきたのだ。

「ねぇ、遠坂さん……士郎かイリヤちゃんと喧嘩でもしたの?」
「ぇ」

悟られた――――? 一瞬、肝が冷えるが、すぐに気を取り直す。いくら勘ぐられたといっても、それ以上は無いはずだ。
藤村先生は聖杯戦争に無関係の人間……さすがにその状況で、今の状況を把握するのは不可能だろう。

「あ、その様子だと、図星でしょ。まったく、士郎達も困ったものよね」
「はぁ」
「兎も角、先生は戻れないから、問題は自分達で何とかしてね。あと、自分が悪かったら、ちゃんと謝ること。謝らないで後悔するのは寂しいのよ?」

謝る、か――――士郎なら、謝れば許してくれそうだけど、だから辛い。
引き返せないのは、誰もが一緒…………終末の時が近づいてくるのが刻一刻と実感できた。

その後、どう受け答えしたのかは覚えていない。気づいたときには電話は切れ、ならない受話器を片手に、私は廊下に立ち尽くしていたのだった。



かなり長いこと話し込んだ気もするが、どうやら実際は、数分しか話してなかったらしい。
私が居間に戻ると、先ほどと同じように、ジャネットはくつろいだ様子で座っており、アーチャーは料理を続けていた。

「誰からだ?」
「藤村先生よ……士郎によろしくって」
「――――……」

ピタッと、アーチャーの動きが数秒とまる。その後は、先ほどと変わらず料理の続きに取り掛かった。
どうやら彼にとっては、藤村先生のことは表面上は差して気にもしてないようだ。内面では、忸怩たる思いがあるかもしれないけど。

「んっ……と」

床に座り、ジャネットを見る。テレビをつけてジャネットを見ると、彼女はテレビを意に介さず、アーチャーの様子をじっと見ていた。
その表情は、いつもの張り詰めたものではなく、まるでサーカスの曲芸を見る子どものように、興味心身にアーチャーの料理する様を見つめていた。



素材は米で出来ている。
吸い物は豆腐で、味付けは味噌。
幾たびの調理を終えて無言。
ただの一度も賞賛は無く、ただの一度も賛美されない。
彼の者は一人、調理の場にて、鍛錬に酔う。
故に、その過程に意味は無く、
その身体はきっと、包丁でできていた――――



……などと、わけの分からないフレーズが頭の中をよぎるほどに、アーチャーの動きは卓越していた。
時折、なぜか雷がバックに鳴るような錯覚におちいるほど、その行為は真剣そのものに、また気迫がこもっていた。
――――あ、また雷が落ちた。まぁ、実際に雷が落ちたら、停電必至なんでしょうけど。

「――――ま、たまにはこういうのもいいか」

苦笑をし、私は身体の力を抜く。耳に聞こえるは、テレビの音と、蝉時雨。
アーチャーの料理ができるまでのしばしの間、私はそうやって、くつろいで過ごしていたのだった。

戻る