〜Fate Silver Knight〜
〜幕間・少女が見た流星〜
深山町の南西方にある山の中腹、そこには一軒の寺が山門に守られ、佇まいを醸している。
長き石段を登った先には、石畳の境内と、その先に見える本堂。裏手には池があり、古来よりの姿のまま、永き時を過ごしている。
その日は、寝付きにくい夜だった。堂内にある寝床で身じろぎをした一成は、喉の渇きを覚え、身を起こした。
「ずいぶんと、暑苦しいな……まったくもって、けしからん」
布団の横においてあった眼鏡をかけ、不満そうに呟きながら、一成は部屋を出る。
ここ最近は、異常気象のせいか、夜寝ていても寝付けず、喉の渇きをおぼえ、起きることが度々あった。
そういう時は、得てして寝巻きまでぐっしょりと濡れており、覚えてはいないが、何やら良くない夢でも見ているようであった。
和服の寝巻き――――浴衣のようなそれを、厚さで鬱陶しく感じながら、一成は水場へ向かう。
同じクラスの女子が見ていたら、黄色い声があがりそうな、気だるげな表情をしていた一成だが、ふとしたことから、足をとめた。
皆が寝静まっているはずの夜中、板張りの廊下から見える一室に明かりが灯っている。
怪訝に思い、足をそちらに向けた一成は、廊下を歩いてきたある人物と鉢合わせをした。
「あら、一成さん、どうかなさったんですか?」
「め、メディアさん……? いえ、寝付けなかったので、水を飲みに出たのですが……メディアさんこそ、どうしたんです、こんな時間に……」
言いながら、一成はメディアの手に持ったそれを見て、怪訝そうな表情を浮かべた。
それは、来客用に用意してあった、食事用の配膳である。それが二つ、空になったのを重ねたものをメディアは持っていた。
彼女が夕食に出ていたのは一成は知っていたし、食事をとるにしても、二人分は多いといえた。
そんな考えが、顔に出ていたのだろう。メディアは戸惑う一成に、クスリと微苦笑を浮かべながら、返答した。
「ついさっき、宗一郎様が二人の子供を連れて帰ってきたんです。なんでも、妙な気配がするといって……それで、裏手の池付近で倒れているのを見つけたそうですよ」
「行き倒れですか、このご時世に」
「そうみたいですね。話を聞く限り、駆け落ちみたいなものらしいですよ。良いですね、若いって」
なんだか夢見るように、ほぅ、とメディアは溜息をつく。その様子をみて、一成の頭は一発でオーバーヒートした。
兄弟子である宗一郎の婚約者とはいえ、彼女は妙齢の美女である。愁いを帯びたその表情はうら若き男子には刺激が強かった。
「い、いえ、そんな事は……メディアさんも充分にお若いですよ!」
「――――ありがとう」
舞い上がった一成に対し、メディアは困ったような、呆れたような、そんな表情で応じる。
そして、ちょっと困ったような表情で、小首を傾げつつ、唇を動かした。
「あの……あまり立ち話をするのもなんなので。宗一郎様を待たせてますし、これを台所に持って行かないといけませんから」
「あ、そ、そうですか。それなら自分が、それを持っていきますよ。ちょうど喉が渇いておりますし!」
「あら、そうですか? では、よろしくお願いしますね」
にっこりと笑顔のメディアに、半分夢うつつで、一成はギクシャクと配膳を受け取ると、廊下の向こうに歩いていってしまった。
さりげなく、物運びを押し付けられたのに、本人は気づいていないようだ。気づかないだけ、幸せかもしれないが。
そうして、一成が廊下の向こうに消えたのを見計らって、メディアは明かりの付いた部屋に戻る。
ふすま張りの部屋。しかし、そこには誰もいなかった。誰かが居た痕跡は、確かにあったが。
どうやら、先ほどのわずかの会話の間に、その姿をかき消してしまったように思える。
「行ったみたいね……まぁ、話を聞く限り、宗一郎様に害を成すようではなかったから、放置しても良いでしょうけど」
やはり、力をつけるべきなのかしら……声を出さず、唇でメディアは自分自身に問う。
半年前のように、あちこちに仕掛けを張って、魔力を得て力をつけるのは可能である。
しかし、今の彼女は、そうしようという踏ん切りが、つかめずにいた。
先日、宗一郎の下へおっかなびっくり帰った彼女だが、彼は何もいうことなく、それが当然という風に彼女を受け入れた。
聖杯戦争のことも、聖杯の事も聞かず、問わず…………もとより聖杯にこだわっているわけでないから、当然なのだが。
しかし、メディアにとっては、それは十分に衝撃的だった。聖杯の獲得に躍起になる必要はないのではと、彼女はいは、そんな風に思い始めている。
…………前のように、無理に動いて自らの命や居場所を壊すのが、メディアは恐ろしかったのである。
「ともかく、宗一郎様に報告しないと…………寝床で、待っていらっしゃるでしょうし」
今は、何も望まなくてもいいのだろう。語尾の後半は、夜伽の期待に声を弾ませながら、メディアは身を翻した。
流麗な身体の線が見える、寝巻きに身を包み、彼女は自らの主のもとへと向かったのであった。
「あの、イスカさん……本当に黙って出てきて良かったんでしょうか? お礼も言ってませんし」
「心配性だなぁ、亜綺羅は……いいのよ。大体、あの女の人、言葉はともかく、内心では私達を歓迎してなかったもの」
柳洞寺の山門、下方へ続く石階段に腰掛けながら、話をする二つの影がある。
先ほど、一成達が話をしていた二人組……聖杯戦争の参加者の少年と少女であった。
丸々一日、北西の森をさまよった二人は、半死半生の体で柳洞寺にたどり着き、宗一郎に捕獲――――もとい、拾われたのであった。
先ほどまで、短い睡眠と食事を取ったおかげで、二人とも本来の元気を取り戻していた。
「ともかく、これからどうするか考えましょ。亜綺羅だって、ずっとこのまま逃げ回るのは、もう嫌でしょ」
「それは、そうですけど……」
勝気な表情でマスターを見る少女に、彼女よりも幾分か年下の少年は、困ったように首を傾げた。
もともと、彼はこの聖杯戦争に進んで参加していたわけではなかった。ただ、彼の実力が一族の中で最も優れているのがきっかけであった。
隣の県にある彼の実家――――美和家は、一族の興亡を一人の少年の肩にかけたのである。
聖杯を手に入れ、覇権を奪う……安易な考えではあるが、それだけで独力で英霊を呼び出したのは、彼らの持つ執念かもしれなかった。
ただ、一族の中で、当の本人だけが聖杯戦争に難色を示していた。聖杯とは、殺しあってまで、手に入れるものなのかと。
それが、彼の英霊であるイスカンダルには、歯がゆくてしょうがなかった。
黙り込んだ少年の横顔をそっとうかがう。端正な顔の中、呆れるほどに優しい目は遠くの夜景を眺めていた。
時刻は、まだまだ夜の中ほど――――遠くには新都の街の明かりが見え、地上の星のように煌々と輝いている。
「あ、流れ星」
亜綺羅の言葉に視線を向けると、夜空を滑空する白い尾の光があった。
月明かりの夜空を切り裂くように、白い光が空を駈ける。そんな光景の中、亜綺羅の呟きがイスカの耳に届いた。
「世界が平和になりますように……」
「亜綺羅……」
目を閉じ、祈りをささげる少年は、まるで神父のように尊く、厳かな表情を浮かべていた。
それは、笑い飛ばすこともできたのに、イスカは笑えなかった。真摯な願い――――それは、子供のときに、誰もが持っていたものではなかったか。
イスカは、亜綺羅に声をかけようと口を開き――――、
ぼんっ
そんな間抜けな音と、閃光が炸裂した。何事かと、イスカは音のした方に視線を向ける。
北北西の方、丸々一日迷っていた森の付近が、明るい――――何やら、燃えているような炎が見えた。
「…………落ちた?」
「落ちましたね、お星様」
互いに顔を見合わせ、戸惑ったように視線を合わせる二人。ややあって、イスカが表情を改めた。
「見に行ってみましょう」
「え、でも……」
「もう、何を躊躇ってるのよ。男の子なんだし、しっかりしないと」
立ち上がったイスカを、不安そうに見上げるその瞳を真っ向から見つめ返し、イスカはマスターを叱った。
思いは、伝染するのだろう。あるいは、勇気といえばいいのだろうか。暫くの躊躇いはあったものの、イスカンダルのマスター、亜綺羅は覚悟したように頷いたのだった。
「分かりました。行きましょう、イスカさん」
「うん。行こう、亜綺羅!」
マスターである少年を抱きかかえ、ライダーの少女は空を駆ける。
アインツベルンの森――――決戦の舞台は、そうして新たな闖入者を迎えることとなったのである。
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