〜Fate Silver Knight〜 

〜幕間・越えられぬ夜〜



大聖杯が、駆動を続ける。この世に生を受けて幾星霜……あまたの命、霊命を食らって、それは存在を続けてきた。
そのふもとに、二つの影がある。一人は背のたけ二メートルはあろう、大男。そうしてもう一人は、高校生くらいの少年だった。

「それにしても、すごいね、これは……僕のいた時代では、考えられなかったものだよ」
「時が、解決する問題もある。永きに渡る朱い月の因縁も、時の果てには終末があるという説もあるくらいだ」

少年の言葉に、教師のように回答をする大男は、英国より渡ってきた魔術師の一人、エリンという。
時計塔という組織に属する彼に従う少年は、ルーフという名の、神域に近い存在であった。
エリンの言葉に、少年は興味深げに、大聖杯の周りをぐるぐると歩き回る。それは、子犬が何か、興味を引くものを見つけたかのような仕草。

「果たしてこれは、開けては成らないパンドラの箱か、人の存亡を担う、ノアの箱舟か……楽しみだね」
「なんにせよ、人が作ったものだ、過度の期待はしないほうがいいだろう」

ウキウキとした様子の少年に、エリンはそういって釘を刺す。少年の表情が、微妙に変化した。
それは、どこかその歳には相応しくない冷たい笑み――――高みより見下ろす、冷厳な表情。
しかし、すぐにそれは掻き消えることとなる。何かを感じたかのように、少年は立ち止まり、目を瞬かせる。

「――――どうした?」
「アーチャー達に、何かあったみたいだね。ちょっと様子を見てくるよ」

喋る少年の手に、まるで手品のように純白の敷布がその手に現れた。
少年は、舞踏を踊るようにその敷布を天高く放る。そして、宙で広げられる敷布は、少年の身体にかかり――――そのまま、地面までふわりと落下した。
敷布は、少年の身体にかかることなく、その身体をすり抜け……いや、少年の身体をその中に『呑み込み』、少年の姿をかき消した。

そうして、大聖杯の広間には、大男の青年だけが残る。
彼は、少年が居なくなって、しばらくすると、手持ち不沙汰なのか、懐から愛用のタバコを取り出し、口にくわえた。
しかし、火をつけようとしたところで、動きを止める。

(…………狭いな)

いくら開けているとはいえ、風通しのよくない洞窟――――タバコの煙の匂いが残るのは、彼の好みではなかった。
エリンは、懐にタバコを戻し、大聖杯を見上げる。何かを祭るかのような祭壇を見上げ、彼は唇を動かした。

「果たしてこれは、開けては成らないパンドラの箱か、人の存亡を担う、ノアの箱舟か……」

先ほど、少年の言った言葉を、反芻するかのような呟き。その顔には、薄い笑みが張り付いていた。



日が、落ちかかっている。夏の盛りとはいえ、中央公園の中ほどには、人の気配はない。
それは、人の本能ゆえか、異界を恐れる生物の本質か……言葉に言い表せないものが、人の足を遠ざけているのだろう。

落日の陽光に照らされたその場に、二つの影が駆け込んでくる。一人は少女を両腕に抱き、一人は無手。
侍姿の青年と、赤い外套を身に纏った騎士は、公園の中央で足を止めた。

「存外、しぶといな。容易に引き離せるとは思っていなかったが」
「――――それだけ、向こうも必死なのだろうな。それに、凛の英霊は、なにやら曲者のようだ。こちらの位置を正確に把握している」

衛宮の屋敷を飛び出して、一時間少々……深山町から新都へ移る追撃戦は、疾風のごとく、そこに住まう者達に気付かれることなく進行する。
それは、風の揺らめき、建物の影、わずかながらの異の痕跡を残しながら、追う者と追われる者は疾く、街並みを掛ける。
結局、埒が明かないと考えたアーチャーの出した結論は、開けたところでの迎撃――――そして選ばれたのが、この中央公園だった。

「しかし、戻らなくて良かったのか? この娘は、あの少年の求めし者だろう? 迎撃なら、あの洞窟内でも良かったのではないか?」
「――――いや、さすがに大元への招待は御免蒙るだろう。それに、洞窟内は逃げるにも不利だ。追いつかれでもしたら、目も当てられない」

アサシンの問いに答えると、アーチャーは両手に白と黒の双剣を持つ。アサシンも、手に持った少女を地に横たえ、背の長物を抜いた。
アーチャーの剣と、アサシンの刀――――沈む陽光に照らされ、それは白光の輝きを放ち、そしてすぐに、それは消えた。
地に太陽が落ちる。夕焼けから夜へと、空の色が鮮明に塗りつぶされる。

「くるぞ」

アーチャーのその呟きと同時に、夜の帳に包まれた公園に、二つの影が降り立った。
一人は、見たことのない騎士姿の少女、そして、もう一人はアーチャーとの面識もある、蒼い騎士、ランサーであった。
ランサーの背より、一人の少女が降りる。赤い服に身を包んだその姿は、彼の見知った、彼が仕えた少女。

「凛、君も存外しつこいな。魔術師ならば、引き際というのも、わきまえるものだろう?」
「そんなの、分かってるわ。単純に、引き際じゃないって判断しただけよ」

その表情は、不遜。たとえどのような状況になっても、彼女は弱みを見せはしないだろう。
遠坂凛の、その仕草に、アーチャーは笑みを浮かべる。それは満足そうに、凛がどうも押し切れない、そんないつもの笑みで。

「――――それで、いったいどういうことよ。知らず知らずのうちに生き返って、桜まで誘拐するなんて……」
「君は、知る必要のないことだ」
「な……馬鹿言わないでっ! そう言われて、はい、そうですか、なんて従えるわけないじゃないのっ!」

一言の元に拒絶するアーチャーの言葉は、凛の癪に障ったようだ。
その様子に苦笑し、アーチャーは笑みを消した。代わりに見せるのは、鋭い瞳。折れず、曲がらず、鏨の如き鋼鉄の意志。

「ならば答えよう。間桐桜を誘拐し、衛宮士郎を呼び寄せ、殺す。それが私の目的だ」
「――――!?」

いきなりの言葉に、声もなく立ち尽くす、凛。アーチャーは、そんな凛に、静かに問う。

「それで、私を止めるのか? 無論、止めなければ衛宮士郎の命はない。だが、止めるのであれば、誰であろうと容赦はしない」

その言葉じり、静かな決意を汲み取り、凛は喉を鳴らす。引き止めたい、引き止めたい、引き止めれるか、私は――――、
答えは出ず、遠坂凛は言葉を失う。そんな彼女に、アーチャーは静かに告げる。

「すぐに、この場より立ち去れ。出来ないのであれば、障害とみなして、排除する」
「マスター、下がってください!」

凛を押しのけ、ジャネットが前に出て、アーチャーに剣を構える。そうして、場の空気は一気に冷却された。
どちらも、相手の行動を待ち、剣を構える二人。声を失い、立ち尽くす遠坂――――その視界の隅で、動きがある。

「って、こたぁ――――俺の相手は、お前さんってことか」
「そういうことになるな……槍使いとは、幾度か手合わせしたことがあるが……見た事の無い流派か、楽しめそうだ」

対峙するは、紅い槍を持ったランサー、槍と見紛うほどの長さの刀を構えるアサシン。
どちらも、久方ぶりの強敵と対峙していると感じ取ったのか、その表情はどこか愉悦をたたえていた。

夏の夜に、冷たい風が吹く。かつて、世界を歪めし場所で剣を交える四人の英霊。
見守るのは、ただ一人の魔術師の少女……終わりには程遠い夜が、永い幕を開けようとしていた。


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