〜Fate Silver Knight〜 

〜幕間・古城の月〜



冬木市の北西、郊外に広大な森が広がっている。おおよそ人が通ったことのない獣道に、群立する木々。
日本中の森林が、今日もこの瞬間、伐採されているとしても、まだまだ、人の及ばぬ世界というものは存在する。
それは、太古の日本の息吹そのもの。神代の域にまで遡るであろうその世界は、人という存在を否定するかのように、静かに存る。

その森の果て、雄大な森林の中に、ポツンとただ一つ、古風な様式の城が建っている。
古ぼけた廃墟のような外観、しかし、その内装はしっかりしており、中に入ればその華美な装飾に目を奪われるものが大半であろう。
その城の一室、外部に面した部屋の窓に、一人の女性がたたずんでいた。

「――――もう、夜なんですね」

どことなく、現実味のない声。どこかうつろなその表情は、人形のように無機質で、だからこそ美しかった。
彼女の名は、ブリュンヒルデ、アインツベルンの系譜の端にその名を残す、アイゼンベルクの一族。
白銀のフワフワとした髪を青いリボンでまとめ、こげ茶のカットソー、下にジーンズを履いた格好で、彼女は窓の外を見ていた。

その表情は、いつもの溌剌としたものとは、まるで正反対のもの――――喜怒哀楽……それどころか、生きている感情すべてを、どこかに忘れたかのように。
瞳には、何も写さず、その唇は、止まったまま。息すら止めた状態で、彼女は十数分、その場にそうしていた。
そうして、一度だけ、わずかに空気を吸い、吐いた。その目には絶望が、その唇には嗚咽が、その手は血の気が抜けたかのように蒼白に、そこに存在していた。

――――自分は、なぜ、このようなモノに生まれたのだろうか。
考えれば考えるだけ、分からないことがある。理解などできない、現実というものがある。
壊れた身体と、それを是とする壊れた心……時々、自分自身が嫌になっても仕方がないだろう。

「魔性……」

十年前のあの日から、彼女の生活は、何一つ変わっていない。
明るい両親の元、すくすくと成長し、勉学に、恋愛に、それなりのことをしてきた。
そう、『幸せであろう理想を、現実にする』ために……それが、かなわぬ夢だと知ったのは、いつのころだろうか。



「おい、ヒルダ!」

その時、ドンドンと、ドアをノックする音が室内に響く。鍵を掛けていないのを知っていたのか、ドアが開けられ、長身の青年が部屋に入ってきた。
その瞬間、ヒルダの表情が、一変する。人形の顔に生の息吹が吹き込まれ、その身に活力が宿る。
彼女は、いつも見せるのほほんとした満面の笑みで、部屋に入ってきた青年に笑いかけた。

「あ、シグ、どうかしたんですか?」
「どうしたんですか、じゃない。いったい、いつになったら出かけるんだ?」

ぽわぽわ、癒しのオーラをまったく意に介さず、彼女の英霊である、青年はムスッとした顔を見せる。
どこか鋭い、獣のような眼差し、イライラとしているのは、気が長いほうではないからだろう。
しかし、いつものことなのか、ヒルダは困ったように首をかしげる。

「でも、外は雨が降ってますし」
「雨なら…………すでに、数時間前に止んでいるが」
「ほら、外はもう真っ暗だし」
「問題ないだろう、日の光の指さない森だろうと、走破する自身はある」
「夜更かしは、美貌の大敵なんですよ?」

はぁ、と頬に手を当てて呟く、ヒルダの顔にはやっぱり微笑が。
そうして、根負けしたのか、シグと呼ばれた青年は、頭痛がするかのように、額に手を当てて、うつむいてしまった。

「お前な……やる気があるのか?」
「――――……」

返答はなく、彼女はほんの少し、困ったように笑った。本音を言えば、彼女はそこまで急いてはいない。
どのみち、進む先には破滅か栄光の選択しかないのだ。だが、先に進みたくないという気持ちも、ある。

「もういい、ともかく、今日はもう休め。出立は、明日の朝にする」
「はい」

こくりと頷く、ヒルダをその場に残し、シグルドは部屋から出ようとして、その手をつかまれた。
肩越しに振り向くと、彼のマスターである女性が、心細げに自分を見上げているのが分かった。

「どうした? 夜更かしは美貌の大敵なのだろう?」
「あ……そうですけど……」

気まずそうに視線をそらしながら、それでもヒルダは、その手をつかんで離さない。
まるで、その手を離したら、大事なものが全て無くなってしまうのを知っているかのように。
それは、誰もが一度は経験のあるだろう……雑踏、一人ぼっち、迷子の子供が、行き交う人々を見上げるように。

シグルドは、苦笑する。亡き妻の面影に似た少女を、やはり突き放すことはできなかった。

「一人では、眠れないのだろう? 仕方がないな」
「――――ごめんなさい」

しゅん、と、うなだれるヒルダのその頭を、シグルドは優しくなでる。
薄明かりの中、寄り添う二人……古城の月が、その光景を淡く照らしていた。


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