〜Fate Silver Knight〜
〜幕間・世界の隅っこに佇む者〜
ざーざーと、降りしきる雨音。通り雨が本格的な大雨へとなり、しばしの時が経つ。
雨のカーテンは、行き交う人々の足音を消し去り、その歩みを鈍らせる。
傘の覆いに隠されて、それでも行き交う人々の頭上では、人知れず激しい追撃戦が続いていた。
「はっ、はっ、はっ……」
豪雨の幕を振り払い、ひとつの小柄な影が疾走を続けていた。歳は十代後半頃の、紫色の髪をした少年――――いや、少女か。
彼女は、まるで物語の中より出でたかのように、外套をひるがせ、長いズボンに包まれた足を動かす。
あてはない、それでも、ひとつ所にとどまることはできないとは、分かりきっていた。
「あの……イスカさん」
「ん、なに!?」
屋根の上を疾走する少女に、おずおずとした声。それは、彼女の抱えている相手のものだった。
中学生の少女――――に見えなくもない、美少年は、彼女のマスター。追われている苛立ちもあってか、きつめの口調で聞くと、彼はびくりと身を震わせた。
それは、まるで小動物のように、その仕草はおどおどとして、いつも、何かを恐れているかのようだった。
「ええと、ともかく話し合いましょうよ、話せばきっと、分かってくれるかと……」
「――――」
少年の言葉に、少女は無言。話して何とかなる相手かどうかは、一目見ただけではっきりわかった。あれは、危険な存在。
もとより、話の通じなさそうなので、逃げたのだ。いまさら立ち止まったりしたら、それこそ殺されかねない。
「あの、イスカさん?」
「だから、ライダーでいいって言ってるのに……ともかく、今更、話しあってもしょうがないよ。ともかく今は、逃げの一手!」
「はぁ……なんでこんな事になっているんでしょうか?」
落ち込んだ様子で、肩を落とす少年。それを見て、彼女は眉を寄せた。
彼女の名は、イスカンダル――――聖杯戦争にライダーとして呼び出された彼女のマスターは、幸か不幸か、臆病な子供であったのだ。
今まで、何度か他の英霊たちと遭遇してきたが、彼女のとった行動は、逃げの一手。
戦闘力も、戦闘意欲も乏しい彼女のマスターを守るには、そうするしかなかったのだ。
幸い、彼女の脚力は他の英霊を凌駕しており、そのおかげで常に逃げ切ることができたのだが――――。
「それにしても、今回は特にしつこいなぁ……巻いたと思ったのに、いつの間にか追いついてくるし……」
辟易した様子で、なおも屋根から屋根へと飛び移り、イスカンダルは呟く。
先刻より降り出した豪雨で、視界はかなり悪くなっており、足元も危なっかしい。
しかし、振り向けば屋根づたいに疾走する影が二つ――――先ほどより何度か引き離してはいるが、そのたび追いつかれているのだ。
未遠川を飛び越え、新都のビル群を飛び移り、雨に塗れた大橋を滑走――――そうして、深山町へと戻る経路……。
そうやって彼女は、追っ手を散々引っ掻き回しているが、まるでこちらの居場所を知っているかのように、相手はすぐに追いついてきた。
(まいったなぁ……どうしよ)
数瞬の間、迷った後、彼女は走る方向を変える。目標は北西方向――――そこには黒々とした森が、広まっていた。
さすがに森の中なら、撒けるだろうと考え、彼女はそちらへと足を向ける。
そうして、武家屋敷の塀に飛び移り、一足飛びに中庭を飛び越えようとしたときである。
ガォォォォォォォォォォォン!!!
「きゃ……」
宙に舞った彼女の真下より、爆音と爆風が吹き上げた! 不意をつかれ、彼女はバランスを崩し、前のめりに落下する――――!
瞬間、彼女の目つきが険しくなった。体を縮め、そのまま傍らの少年を抱きかかえるように、前周り受身の要領で落下する。
びしゃ、ごろごろと……そんな音が響く。幸い、雨のせいで地面が泥濘だったので、落下のときに怪我をすることはなかった。
泥まみれになりながら、彼女は身を起こし――――抱きとめていた少年に呼びかける。
「阿綺羅、大丈夫――――?」
「きゅう……」
間の抜けた声。どうやら唐突な爆音のせいで、前後不覚になってしまったらしい。
しかし、どこか怪我をしたというわけではないようで、イスカンダルはホッと、息を漏らした。
「それにしても、いったい――――」
泥まみれになりながら、彼女は周囲を見渡し、そこに行われていた光景に硬直した。
「が、ふ――――」
焼け焦げた庭の中央、そこに一組の男女がいた。密着しあったその格好は、ダンスを踊るかのよう。
しかし、その手には互いに武器を持ち、赤い街灯の男が両手に持つ剣が、黒衣の美女を刺し貫いていた。
その喉元には、歪な刃を持つ短刀が、腹部には、密着戦用か、白々と光る短刀が突きたたっていた。
ず、と男が刃を引き抜き、女は力を失ったかのように、その場に倒れ付した。
そうして、ゆっくりとその男は、イスカンダルたちのほうを向く。
「最近は不意の侵入者というものが多いな、この家の防犯体制もなっていないが、嘆かわしいことだ」
「あ、あなたは――――?」
彼女の問いに、男は答えない。ただ、興味深げにイスカンダル達を見ているだけだった。
そんな中、庭にもう一人、屋敷の中より現れたものがいる。その姿を見て、イスカンダルの目が点になった。
現れたのは、侍――――群青色の装束に身を包んだ男は、両腕に一人の少女を抱きかかえていた。
「見つけたぞ、アーチャー。そこの寝室に寝かされていた。比較的容易に発見することができたが……」
「それはそうだろう。話に聞く限り、間桐桜の容態は良好とはいえない――――だとすれば、最低限、安静な場所でなくては成らなかったのだろうな」
赤い外套の男――――アーチャーの言葉に、侍姿の青年――――アサシンは、ふむ、と頷き、で、と視線を転じた。
「それで、そちらにいる童は何者なのだ? この娘の知り合いというのなら、合点はいくが」
「――――さて、桜にこんな知り合いがいるとは、聞いたことはなかったがな」
二つの視線にさらされて、イスカンダルは気まずそうに身じろぎをした。
しかし、受難は終わらない――――爆風と雨により、泥濘の地と化した中庭に、二つの影が飛び込んできたのである。
「ようやっと、追いついたぜ……ったく、散々引っ張りまわしやがって」
愚痴を言うのは、青い鎧姿の男……その背中より、赤い服を着た少女が降りる。
少女の名は、遠坂凛――――あのあと、雑木林で会ったランサーと利害が一致し、その背に乗っての追跡行となったのである。
凛の傍らには、ジャネットが控える。こちらは、ランサーの後について走ったのに、息ひとつ切らしていなかった。
「ともあれ、これ以上逃がす必要はないわ――――手足をふんじばるなりして、とっとと――――って、へ?」
「凛……なぜ、ここに?」
目の前に広がる光景に凛は呆けたように、その男を見る。赤い外套、すらりとした背……それは見紛う事なき、彼女の英霊、アーチャー。
しかし、彼のそばに控える、侍姿の男が抱えている少女を見て……凛の表情が一気に険しくなった。
「くっ――――」
その瞬間、対峙の刹那の間に、動いたのは、イスカンダルという少女。
彼女は自らのマスターを抱え、一足飛びに塀に飛び移り、その場から離脱する!
「あの野郎……また逃げやがって……追うぞ、嬢ちゃん!」
「いいえ、その必要はないわ」
「――――は?」
予想外の答えを返され、ランサーは傍らの少女に視線を移し、そして、少し離れたところにいるアーチャーを見て、面白そうに笑みを浮かべた。
どうやら、さっきの小娘より、こっちのほうが面白そうだ――――そう判断して、ランサーはその場にとどまる。
ランサーがそんなことを考えているとは露知らず、凛は硬い声で、彼女の英霊であった者に、声を掛けた。
「いったい、どういうことなの、アーチャー。あなたがここにいるなんて……それに、何で桜を」
「……アサシン、ここは退くぞ」
「っ――――アーチャー!?」
凛に最後まで言わせず、アーチャーは桜を抱えたアサシンとともに、その身を翻し、塀を飛び越える。
呆然とする凛……その時、彼女の肩を、ポンと叩いた者がいた。それは、青い鎧姿の騎士。
「ほら、何ぼさっとしてんだよ。このままにしてていいのか? 追うんだろ?」
「――――ええ、そうね、追いましょう」
ランサーの言葉に、一瞬、驚いた表情を見せたが、すぐに気を取り直し、屈んだランサーの背中におぶさった。
ランサーが駆け出し、風雨を斬る音を耳朶に聞きながら、凛はさっきの光景を思い直していた。
(アーチャー……なんで)
いくら考えても答えは出ることなく、そうして三人はその場を離脱する。
皮肉にも、士郎達がこちらに向かっていることを知らずに――――いや、ジャネットは知っていたが、彼女は言うつもりはなかったため、結果は同じ。
入れ違いが新たなうねりと隙間を生み、イスタンダル達は北西へ、アーチャー達と、凛達は東へ……それぞれ去っていく。
「う……く……」
静けさの戻った庭に、そこに倒れ付していた美女が身を起こす。
呆然と、腹部を抑えながら身を起こし、そうして、周囲を見渡して、哀しげに唇をゆがめた。
「サクラ――――私は、なんて無力なのか……」
紫紺の髪の美女、ライダーは周囲を見渡し、何者かが近づいてくるのを感じた。
他のマスターだろうか、だとしたら、もはや自分は長くないだろう。あの男の刃は、不思議なことにマスターである桜との、因果を灼失させていた。
残された魔力は乏しく、そうして、抱えるべき主も、最早、助けることは適わない。
(もう、いいだろう……)
諦めきった表情で、空ろになった頭で、彼女は自らの目の前に駆けて来た少年に、何事かを言う。
何を言ったのかは、もうわからない。ただ、消えるというのは、こういうものなのだろうと、不思議とそう思っていた――――。
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