〜Fate Hollow Early Days〜 

〜月の出る夜にお茶会を〜



秋の太陽が堕ちる時刻――――新都は、夜の帳に覆われる。皆が家路に急ぎ始める時間……人通りが減り行く商店街とは対照的に、新都の駅前は、賑わいを見せ始めていた。
冬木市一の……というよりも、唯一の歓楽街からは、今日の享楽に浸ろうとする人々が出入りし、駅前でも、その流れの余波に乗るように、人々が行き交っていた。
デパートである、ヴェルデも、まだまだ閉店の時刻まで間があることもあり――――休日の家族連れでにぎわっていた。

そんな喧騒から少し離れ、ビルの壁に寄りかかりながら、俺は駅前の人込みをぼうっと眺めていた。
聖杯戦争を調べてはいるものの、さりとて情報というものは探して見つかるものではない。そんなわけで、休息がてら一人、怠惰な時間を過ごしていたのだ。

「ん…………?」

その時、流れる人込みの向こうに、どこかで見知った顔がみえた。扇情的な黒衣、同色の帽子に、流れるは白の緩やかな長髪――――。
駅前の人込みを気にしていない風に、カレンは無言で歩き続ける。タンタン……と、彼女の足音だけが明確に、はっきりと聞こえるのは、その歩調に乱れがないからか。
ちょうどいい、せっかく会ったんだし、声を掛けておくとしようか。

「おーい、カレン……あれ?」

通りを歩くカレンに声を掛けたが、ちゃんと聞こえていなかったのか、カレンはスタスタと歩いていってしまう。
俺はカレンの後を追いかけて、人通りを歩く。駅前で混雑している人ごみの中だというのに、カレンの歩く早さは少しも変わらない。
むしろ、追いかける俺の方が、歩行者に何度かぶつかりそうになって、そのたびに謝っている始末だった。

幸い、カレンの進む方向はオフィス街で、人通りは徐々に、まばらになっていた。
そうして、俺はやっとカレンに追いつく事が出来た。カレンは前を見て、まっすぐに歩いている。

「カレン、こんばんは」
「――――」
「……カレン?」

カレンと並んで歩きながら、横を歩く彼女に声を掛けるが、この距離で声を掛けてもカレンは反応しなかった。
しかし、いくらなんでもおかしいな……いくらなんでも聞こえないはずはないと思うが。
なにせ、腕を伸ばせば顔に触れれるくらいの近さなのだ。声が聞こえないはずはないのだけど。

「カレン、カレンさん? 聞こえてますか?」
「――――」
「返事ぐらいしろって」

歩いているカレンをとりあえず止めようと、俺はカレンの腕をつかんでみた。すると――――、

「――――なっ!?」
「えっ……?」

唐突に、周辺の空気が変わった。いや、カレンの身に纏っていた空気が、周囲に拡散したのだろうか?
眩暈のような感覚で、脳がクラクラする俺。そんな俺の手の先で、驚いたようにこっちを見ているカレンの姿が網膜に映っていた。

「衛宮士郎……? どうして……?」
「う……まだ、頭が揺れる――――カレンが歩いてるのを見たから、声を掛けたんだけど……」

酩酊感を振り払って、俺は大きく息をつく。と、ざわざわとした囁きが耳に運ばれてきた。

「おい、なんだあれ?」
「やだ、恥女かしら……」

周りを見回すと、仕事帰りのサラリーマンや、スーツ姿の女性などが、皆一様に、驚いた顔でこちら……というか、カレンを見つめていた。
まるで……先程までカレンの事に、まったく気が付いていなかったかのように、その驚き方は極端であった。
で、注目されている当のカレンはというと、明らかに怒った顔で、俺の事を睨みつけていたりするのだが。

「カレン……? あの、何か怒ってないか?」
「――――ここでは人目があります。こちらで話す事にしましょう」

そう言うと、カレンはビルの隙間……光の射さない路地へと歩いていく。俺は慌てて、その後を追う事にした。



「まったく、とんでもない事をする人ですね、貴方は」

路地裏の一角、オフィス用のビルという事もあり、比較的きれいなビルとビルの隙間の通路で、開口一番にカレンはそんな事を言った。
どうやら先程の、俺がカレンの腕をつかんだ事が、とてもお気に召さなかったようだ。

「いきなりだな……そもそも、俺が何度も声を掛けてたのに、カレンが返事をしなかったからじゃないか」
「――――それは当たり前です。私は貴方の事を認識していませんでしたから」
「…………ひどい言われようだな。俺の事が気に入らないからって、無視しなくてもいいだろ?」

さすがに、そうはっきりといわれると、少々傷つくな――――憮然とした表情で顔をしかめると、カレンは数度まばたきをし、呆れたように俺を見かえしてきた。

「聞いていませんでしたか? 無視していたのではなく、認識していなかったのです。その様に処理を施していましたから」
「え、しょ、処理……?」
「はい、平行世界の隙間を使って、私の存在を別の位相に移していたのです。そうすれば、他人の目を気にする事もありませんので」

要は、自分の存在を他者に見えないように魔術を掛けていたのだろう。この前、イリヤが使ってみせた、視覚を逸らす魔術と似たようなものだろうか?

「――――その系統の魔術とは別物です。他者の認識のみを操る分、そちらは精密な操作を必要しますが……位相転移のみなら、その必要もありませんから」
「……すまん、正直な話、どこがどう違うのか、さっぱり分からないんだが」

俺の質問に、カレンはあきれた様に目を細めて、口元を笑みの形にゆがめる。いや、実際に呆れられているのは間違いないだろう。
そもそも、こういった事を質問する魔術師というのも妙な話なのかもしれないが、知らないのだからしょうがない。

「たとえ話とするならば、平行世界を何本もの道と思ってください。道と道の間には壁がありますが、道はすべて同一方向に、同様に存在しています」
「壁に仕切られた何本もの道――――たとえは何となく分かるけど」
「道はすべて同一の状況で、しかし細部ではわずかに異なる時間が流れています。平行世界の概念は、誰かに習っていますか?」
「ん、まぁ……遠坂に軽いさわりの部分なら……」

俺の言葉にカレンは神妙な表情でコクリと頷くと、訥々と説明を継続する。

「さて、その平行世界ですが……当然のように双方の行き来ができないように壁のようなものが存在します。まあ、壁という目に見えるようなものではなく、緩衝材のようなものですが」
「割れ物を防ぐ、スポンジみたいなものか?」
「……まぁ、存在の矛盾というものに対する、この世界の脆さを考えれば、あながち間違った表現ではないでしょうね」

まるで人事のように淡々とカレンは話す。たとえ次の瞬間、この世界が消滅するとしても、彼女はその姿勢を崩そうとはしないだろう。
ありのままに、彼女はそこに存在して……そのすべてを受け入れているかのようであった。

「さて、前置きが長くなりましたが、つまり平行世界の間には壁があり、そこに近づくにつれて存在というものが曖昧になります」
「存在が、曖昧になる……」
「はい。例えるならば、今、私達がいるのが道の中心であり、道の端にあるのは彼岸――――先ほど私が身を置いていた位置に当たります」

うーん、話が込み入ってきたせいか、頭が痛くなってきた。そもそも、初歩程度しか分からない俺に、理解しろというのが無理である。

「――――単純にいうと、道の中心が込んでたから、魔術で道の端に移動して歩いてたんです。そうすれば、他者との接触は起こりえませんので」
「……何となく、分かったような、気がする」

正直、これ以上に難しい話をされたら、脳がパンクしそうだったので、俺はカレンの話を打ち切るように曖昧に頷いた。

「――――で、さっきは何で、カレンは怒ってたんだ?」
「分かりませんか? 人目につかないように、わざわざ処理をしていたのに、貴方が強引に、こっち側に私を引っ張りこんだのでしょう」

まったく、何の下地も無いのに、どうして私の姿を捉えることが出来たんでしょうね……などと、不満そうにつぶやくカレン。
――――どうやら、俺のせいで、姿を隠す魔術が解けてしまい、カレンはそのことで怒っているようだった。それにしても――――、

「なんだかんだ言って、人目を気にしてたんだな、カレンも」
「――――私に対して、どんな認識を抱いているんですか、貴方は」

じとり、と恨みがましいような視線を向けて不満そうな表情をするカレン。といっても、カレンのそういう表情はいつもの通りなので、左程に気にする必要もなかった。
しかし、妙なところで会うよな……カレンが出歩くところはあまり見ていないけど、このあたりで見かけたのも初めてのような気がする。
いつもは――――どこかの公園で、思い出したくもないような、出会いを繰り返していたような気もするが……。

「……それで、わざわざ私を呼び止めたのは、どんな意図あってのことですか、衛宮士郎」
「え? 意図って――――?」
「……呆れた。何の理由も目的もなく、私に声をかけたというのですか? あなたの行動は、無思慮かつ無配慮過ぎます」
「む――――なんだよ、それ。友達に声をかけるのに、理由が必要なのかよ」

さすがに、いくらなんでも腹が立ったので、俺が言い返すとカレンはなぜか、驚いたような顔。

「友達――――ですか?」
「ああ、俺はそう思ってたんだが……なんだよ、カレンはそうじゃないのか?」
「いえ……そうですね。少なくとも、同世代の男女にする表現方法としては、妥当なところでしょう」

それでも、どこか戸惑ったような表情で、カレンは言葉を濁す。
まぁ、カレンは人との付き合いがそんなに得意には見えないし、友達という言葉に戸惑っているのかもしれない。

「俺の方は良いとして――――カレンは、何をしていたんだ? 新都のオフィス街なんて、カレンとは縁が無いところにしか見えないけど」
「それは……返答できません。少なくとも、今、意味がある行動ではありませんので」

などと、もったいぶった言い方で、ふっ、と笑うカレン。何かを隠しているのは見え見えだが、これ程あからさまだと、かえって聞きにくい。
仕方ないので、俺は話題を変えることにした。ちょうど延び延びになっていた約束も、思い出したせいもあったが。

「じゃあ、いまは時間があるわけだよな。そんなに急ぎの用事ってわけでもなさそうだし」
「――――そうですね、今夜中に一度、街並みを見回る程度ですので。それが何か?」
「いや、時間があるっていうなら、今からちょっと、お茶でもどうかって。いいかげん、約束も延び延びになってただろ?」

俺がそういうと、カレンは沈黙し――――しばらくして、ああ、と思い出したようにゆっくりと頷いた。

「そうですね。頃合なのかもしれませんし、ご一緒しましょう。ただし、一つだけ叶えてほしい条件があります」
「条件?」

いったい、どんな条件なんだろう。いつもなら二つ返事で頷くところだが、相手がカレンということもあり、すぐには頷けなかった。
条件というのに身構える俺に対して、カレンは一つ咳払いをすると、その条件とやらを口にしたのだった――――。



落ち着いた雰囲気と、ほのかに香る紅茶の香り――――コテージ風の紅茶専門店は、夕食後に時間を潰すために訪れた、カップルでそこそこに繁盛している。

「いらっしゃいませ、こちらにどうぞ」

ウェイトレスに案内され、テーブル席について、いつもの紅茶を注文する。ブレンドの紅茶を二人分……注文をした後、俺はウェイトレスさんに改めて告げた。

「連れのほうは後から来ますから、二人分でお願いします」
「はい、かしこまりました。少々、お待ちくださいませ」

そういうと、ウェイトレスさんは一礼し、席から離れていく。そして、俺は――――

「……で、これで良いんだな、カレン」
「はい、特に問題が有るわけでもないでしょうし……私は構いませんよ」

俺の隣に、堂々と座っているカレンに小声で話しかけると、カレンは特に周囲を気にすることなく、そう言葉を返してきた。
ちなみに、カレンは例の姿隠しの術とやらで、気配を完全に消している。今の状態の場合、俺にしか姿が見えないらしい。
カレンと一緒にお茶をするにあたって、カレンが出した条件が、カレンがこうやって人目につかないようにするという条件だった。

「しかし、分からないな――――……喫茶店に入るのに、何でわざわざ姿を消す必要があるんだ?」
「仕方がないでしょう。普段着ならともかく、今の私は否が応にも人目を惹きますから」

済ました顔で、用意された手ぬぐいで手を拭くカレン。なんだかんだ言って、やっぱり今の服装が目立つのは分かっているらしい。
……ま、確かに黒っぽい上に履いてないもんなぁ――――さっき恥女呼ばわりされたのを気にしてるのかもしれない。

「それに、人が多くなればそれだけ、感応の危険性も高くなりますから……今の状態なら、いくら周囲に人が増えても、さしたる問題はありませんので」
「――――そういうものか」
「そもそも、私と貴方がお茶をする事に、周囲の注目を浴びる必要は無いのだし、貴方だけが見えている状態でも支障は無いはずです」

確かに、問題は無いのだろう。しかし、よくよく考えると、隣の何も無い空間に声をかける俺って、端から見ると変なやつに見えないか……?
幸い、席は店の端っこで、人目につかない場所のため、こっちを気にしている人はいない。というか、カップル達は人目を憚らずいちゃついていた。
この状態なら、よほどのことがない限り、注目されるようなことはないだろう。そんなことを考えていると、ウェイターがカップを持って、こっちに歩いてきた。

「よう、坊主。何だ、今日は一人なのか?」

ティーセットを器用に片手で持って、もう片方の手を上げて、気安げに声をかけてきたのは、すっかりウェイターとして馴染んでいる、ランサーであった。
俺の隣では、カレンが目をパチパチと瞬きさせて、そんなランサーの姿を見つめている。

「ああ、ちょっと人を待ってるんだ。すぐに来るよ」
「へぇ、そうかい。察するに、アーチャーのマスターの嬢ちゃんあたりが相手か、それとも、ライダーかキャスターか……」
「違うけど……どういう人選なんだ? そもそも、なんで遠坂が出てくるんだよ。大体、遠坂をこの店につれてきたら、メニューを見ただけで怒り出しかねないぞ」

万年金欠の遠坂にとって、この店のメニューは納得できるものではないだろう――――いや、飲んでみたら、意外に納得するかもしれないけど。
遠坂の場合、無駄な贅沢が嫌いなだけであって、価格と値打ちが合っているものなら、文句を付けはしないようだ。

「人選って言ってもな、思いついた順に言ってみただけだぜ。少なくとも、紅茶を好みそうな奴から優先で挙げてみただけだ」

それよりも……と、もったいぶった言い方で、ランサーが俺の方にずずっ、と顔を寄せてきた。
飄々としている風貌だが、その表情は生真面目に引き締められて、俺の顔を観察するように見ながら、ランサーは――――

「で、その待ち合わせの相手ってのは、美人なのか?」

至極、重々しい口調で、ランサーは、そんな事を聞いてきたのであった。
しかし、どう答えりゃいいんだ? 普段なら曖昧な返答で茶を濁すところなんだけど……ランサーは気づいていないが、俺の隣にはカレンがいる。
あまり適当なことを言うのも彼女の逆鱗に触れるだろうし、だからと言って――――、

「んだよ、だんまりを決め込むこたぁねえだろ。ひょっとして、人に紹介するのも恥ずかしい相手なのか?」
「そんなわけないだろ。その、美人だよ……俺から見てだけどな」

ううう……さすがに本人のいる前で、美人だっていうのも、恥ずかしいぞ。カレンはというと、俺の問いに大して反応はしていなかったが。
それよりも、彼女はいまだに驚いた表情で、ランサーをしげしげと眺めやっているようだ。ランサーと知り合いなんだろうか?

「ああ、分かったぞ。この前一緒に来た、がきんちょを待ってんのか。いや、悪かった。童女相手に美人もへったくれもないか」
「――――イリヤが聞いたら、ただじゃすまないと思うぞ。ああ見えて、怒らすと怖いんだからな」
「そりゃこわい。気をつけるとしよう。ま、誰を待ってるか知らんが、気長にやれよ、坊主」

そういうと、ランサーはティーセットをテーブルの上において、くるりときびすを返し――――

「ぬぉ!?」

びたーん!

足をもつれさせて、顔面から床に倒れこんだ。あれは、痛いな、うん。

「ぷっ」
「なんだかなぁ……」

あまりの見事なズッコケ振りに、店内でくつろいでいた女性客から失笑が漏れた。

「はっはっは、いや、お恥ずかしい」

と、すぐさま身を起こして、周囲に愛想笑いを振りまくランサー。平気そうに見えるが、あれは内心で堪えているな。
さて、普段なら滅多に見られないランサーの転倒を演出したのは、さり気に赤い布を手繰り寄せている、カレンさんだったりした。
ランサーの足元に絡まった赤い布が、両足を絡ませて、自由を奪ったようである……そんなことを考えていると、ランサーはそそくさと、厨房の奥へと引っ込んでしまった。

「――――残念。機会があれば、あと数度は転ばせるつもりでしたが」
「……いきなりだな。カレンってランサーと知り合いなのか? いくら見えてないからって、無茶が過ぎると思うぞ」

いくら姿や気配がないといっても、感の良いランサーのことだ。何かの弾みで、カレンがいる事を看破するかもしれない。
そそくさと、ランサーがこの場から離れたのも……何かしら嫌な予感を感じたからなのだろう。

「自業自得というものです……自身の本分を忘れて、このような所で、のんびりと召使いの真似事をしているのですから」
「召使いって……まぁ、お茶を運ぶって仕事だから、似たようなものかもしれないけど」
「しかし、面白い材料が見つかったものね……どれほど溜め込んでいるか知れないけど、使い魔の財貨は徴収するに限るだろうし」

何気に酷いことを言いながら、うっすらと微笑むカレンさん。あかいあくまも顔負けの子悪魔っぷりが滲み出てるように見えるぞ。
しかし、俺が連れてきてしまったとはいえ、ランサーも災難だな……。ま、打たれ強いランサーのことだ、気がついたらけろっとした顔で、別のバイトをしてるだろう。

「ま、ランサーの事はさておいて、お茶も来たことだし、飲むとしようか。俺が淹れるから、カレンはちょっと待っててくれ」
「はぁ」

生返事をするカレンをよそに、俺は二人分の紅茶を淹れると、片方をカレンの前において、自らのカップに口をつけた。
紅茶の香りと、舌に感じる苦味と僅かな甘みが脳をリラックスさせる。値段は高いけど、確かに絶品なんだよな、この紅茶は――――あれ?

「カレン、飲まないのか?」
「いえ、いただきはしますが、その前に……衛宮士郎、調味料で砂糖は、どの瓶に入っていますか?」
「え、砂糖は――――そこの瓶に入ってるやつだけど……」

カレンに聞かれ、俺はテーブルの隅にある子ビン類のうち、一つを指差す。指し示した瓶のキャップを、カレンはねじって取ると、中に指を入れて…………、

「はい、舐めて確認してみてください」
「――――え、な、何で俺が!?」

いきなりのカレンの行動に、思いっきり、うろたえてしまった俺。幸い、ヒソヒソ声で話していた流れのせいで、驚きの声も小さく、注目を集めることはなかった。
で、カレンはというと、俺が驚いているのを大して気にもせず、ずずいっと指をこっちに向かって突き出してくる。

「中に何が入っているのか、確認するのは当然でしょう。貴方が宣言した事ですし、きちんと調べてもらわないと」
「いや、だからってな――――……」

さすがに、それはどうかと思うけど。そもそも、調べるなら自分で舐めればすむことなんじゃ……?
ただ、カレンの表情を見る限り、どうも引く気はないようだった。このまま相対していてもしょうがないな。

「わかったよ……じゃあ、失礼して」
「ん……」

カレンの手をとると、俺は砂糖にまみれた指先を口に含んだ。華奢な骨格と、柔らかい肌。甘みを感じたのは、砂糖のせいか、それとも別の要因だろうか?
しかし、なぜだか落ち着くな――――赤ん坊がおしゃぶりをするような、どこか懐かしい感じがする。それは、何時しか望んだ安息のような――――、

「もうそろそろ、宜しいのでは?」
「――――あ、わ、悪い」

どこかにトリップしそうになっていた脳は、カレンの冷静な一言で現実に戻されることになった。俺はあわてて、カレンの指から口を離す。
手を開放されたカレンは、おしぼりで指先を拭きながら、面白そうに俺を見つめてきた。

「随分と熱心に舐めていたしたが、それほど気に入っていたのですか? それとも、そういう趣味でもあるとか」
「そんな訳あるか、どこぞのメイド少女じゃあるまいし。それはそうと、間違いなく砂糖だよ」
「そうですか、間違いないようですね。それでは――――」

カレンは、蓋を開けたままの砂糖瓶を手に掴むと、それをカップに――――、

「って、ちょっと待てカレン! キャップをつけないと……あー」

思わず呆れた声を上げる俺。調節用のキャップをつけてない小瓶。その中身の白い粉がどっさりと、カレンの紅茶の中に放り込まれてしまったのだ。
あれでは紅茶の味も、風味も滅茶苦茶になってしまうだろう。しかし、俺の落胆をよそに、カレンは涼しい顔で紅茶をスプーンでかき混ぜている。

「カレン、そんなのを飲む必要はないぞ。なんなら、代わりのカップを貰ってくるから」

ポットの中には、まだまだ紅茶もあるし――――無理してまで飲む必要はないだろう。と、俺が声をかけたのだが…………、

「いえ、構いませんよ。これで良いのですから」
「え?」

呆然とする俺の目の前で、カレンは砂糖特盛りの紅茶のカップを掲げると…………こくこくと、平然とした表情で飲み込んでしまったのだった。
いや、何と言うか――――あいた口がふさがらない。少なくとも、まともに飲めるような代物じゃないはずなのだが。

「……ふぅ、なるほど、確かに砂糖のようですね。貴方の見立ては間違ってなかったようです」
「いや、それはラベルを見れば誰だってわかるけど――――カレン、大丈夫なのか? そんなのを飲んで」

多分同じのを飲んだら、胸焼けがして、気持ち悪くなること間違いないだろう。桜あたりになると、別の心配もするだろうし――――。
しかし、目の前のシスターは……平然とした表情で、こちらを見返してきている。このあたり、ほんとに同じ人間かと疑いたくもなる。

「……特に問題は。ただ、味としては不確かで、もう少し濃くすべきでしたが」
「――――やめてくれ。それじゃあ砂糖入り紅茶なのか、紅茶入り砂糖なのか、分からなくなる」
「同感です。私としても、必要以上の養分の摂取の必要は感じていませんし、二杯目からは貴方と同じものにしましょう」

しれっとした表情で、カレンはそんなことを言う。しかし、滅茶苦茶をするな……そんなんじゃ、紅茶の風味も味わえないと思うけど。

「それはいいけど、もうちょっと味わって飲んでくれよ。せっかくの美味しい紅茶なんだし」
「美味しい、のですか」
「……? ああ、少なくとも、家で淹れる紅茶よりは遥かに。カレンはそう思わないのか」
「いえ、私は――――」

カレンの言葉の続きを待つが、カレンはその先を言うことはなかった。なぜかというと、その時――――……、

「それでは、ごゆっくり……だはっ!?」

びたーん!

店の向こうでランサーが、またまた顔面から転倒し――――カレンはそれを見て、ふっ、と笑みを漏らした。どうやらランサーを視界の隅に見咎め、話を打ち切ったようだ。
その手には、さりげなく赤い聖骸布が握られていたりする。しかし、情け容赦ないな……今日はランサーの、もっとも大変なバイトの日になるだろう。
予感は当たり……俺とカレンが店に滞在する間、ランサーの悲鳴と顔面を打ち付ける音が、店内には何度も響いたのであった。



「それでは、私はここで。貴方には感謝しなければなりませんね、衛宮士郎」
「いや、もともと俺が誘ったものだしな。かしこまって礼を言うものじゃないだろ」

それから、しばらくして――――紅茶も飲み終わり、カレンのランサーへの報復も済んだ(本人曰く「そろそろ飽きました」)ので、俺達は店を出ることにした。
夜の街頭に照らされる街並み。スポットライトのような光を、艶やかな黒衣に浴びながら、カレンは愉しそうに微笑みを浮かべた。

「そうですね。ですが、感謝をしているのは、その事ではありません。使い魔の居所を判別することができましたから」
「ああ、何だ、そのことか」

カレンの言っているのは、ランサーの事だろう。明確にしてはいないが、彼女がランサーに含む所があるのは明々白々だった。
とはいえ、さすがにそこまで干渉するのもどうかと思うので、聞きはしなかったのであったが。

「それじゃあな。俺もそろそろ、見回りに戻ることにするから」
「ええ、それでは、また――――友達では、別れのとき、こういう挨拶を選択するのが妥当でしょうか」
「ああ、そうだな。また明日な。カレン」

そうして、夜の街角……俺達はそっけなく、互いに背を向けて歩き出した。
振り向くことはしない。きっと、彼女も振り向きはしないだろうと、確信めいたものを俺は感じていたのだった――――。