〜Fate Hollow Early Days〜
〜☆テーブルマナーのお勉強〜
カチャカチャと、食器の触れ合う音――――そこに時折混じる、声のない溜息。
昼食後、離れの一室――――大規模に模様替えが行われた部屋に、俺はイリヤと一緒に居た。
「――――」
うう、声のない溜息が痛い。まったく、何でこんな事になったんだろうと、俺は内心で呟きを漏らした。
今日、俺の屋敷に遊びに来たイリヤと居間で寛いでいる最中に、ちょっとした頼みごとをしたのだが…………、
「……また、お城で食事がしたいの? おまけに今度はリンが相手なんて……」
「悪い。遠坂が、興味を持っちゃって、俺がセッティングするように命令されたんだ。断るわけにもいかなかったし……」
本当、イリヤには悪いと思っている。とはいえ、遠坂に逆らうわけにもいかないし、彼女と一緒のディナーというのも興味はあった。
しかし、桜の時とは違い、イリヤの表情は不満気で――――どこか拗ねたように、俺を見上げてくる。
「シロウは皆に甘すぎよ。シロウが言うことを何でも聞かなきゃいけないのは、私だけで十分なのっ」
「いや、それもどうかと……イリヤ、何気にさらりとヒドイ事を言ってないか?」
俺が苦笑すると、イリヤは、むー、と頬を膨らませて、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
やれやれ、どうも事はすんなりと運びそうにもないようだった。まぁ、イリヤが機嫌を損ねるのも無理はないんだけど。
「イリヤ、頼むよ。ここままじゃ、俺が遠坂に何をされるか分からない。機嫌を損ねた遠坂は、怖いしな」
「……ふぅ、しょうがないわね。シロウったら、私が助けてあげなきゃ、悲惨な目にあいそうだしね」
拝むように頼み込むと、イリヤは苦笑交じりに俺の方に向き直る。どうやら、機嫌のほうは直してくれたようだ。
と、思った矢先、イリヤは俺のほうに、ぴっ、と指先を向けて、ふふっ、と小悪魔的な笑いを浮かべた。何か、嫌な予感がする……。
「そうね、頼みごとを聞いてあげてもいいけど――――その代わり、私の言うことも聞いてもらうわ。何事も等価交換が鉄則だしね」
「う……その条件を聞くのは怖いけど…………分かった。俺にできることなら。けど、あまり無茶なことは言わないでくれよ」
ぬいぐるみに魂を移されたり、魔眼で魅了されたりするのは、遠慮したい。しかし、幸いなことに危惧したことは起こらなかった。
俺の言葉に、イリヤは天使のようにニッコリと笑顔を浮かべると、俺の首根っこに抱きつきながら、無邪気な笑顔で言葉を続けた。
「大丈夫よ、そんな危ないことじゃないわ。シロウにとっても、プラスになることだし――――セラ、控えているの?」
「はい、こちらに」
イリヤの言葉に、音もなく居間の縁側からセラの姿が現れた。いつの間にか、そばに控えていたらしい。
ああ、そういえば、さっき飲み物を取りに来た桜が、なんとも言えない表情で、縁側のほうを見てたのはそのせいか。
…………どうやら、気配は消せても、姿を消せるわけではないらしい。そんなことを考えていると、セラに続いてリズも部屋に入ってきた。
居間で座って寛いでいる俺達の周りで、直立不動にされると、なんとなく居心地が悪い。俺はイリヤを抱きつかせたまま立ち上がった。
当然、身長の足りないイリヤは、俺に抱きついたまま宙に浮いて、きゃっきゃと楽しそうに声を上げた。
「――――」
と、その様子を見て、セラの表情が険しくなった。無言ではあるが、こちらに対する威圧の態度を隠そうともしない。
きっと――――「何という、はしたない事を――――ええ、これもエミヤシロウの悪影響ですね。まったく、これだから辺境の魔術師は……」位は考えてるだろう。
「……それで、俺は何をすればいいんだ、イリヤ? セラ達も呼んで、何をするのか見当が付かないんだが」
さりげなく、イリヤを床に降ろして言うと、イリヤは踊るようにくるっと回りながら、俺の方に向き直って微笑んだ。
「ちょっとした事よ。セラ、リズ、この屋敷の離れに使われてない部屋があるから、そこを改装しちゃって。シロウは食器を用意して頂戴」
「畏まりました。リーゼリット、行きますよ」
「ん……わかった」
セラに促され、居間のテーブルの上にある御煎餅をじぃっと見つめていたリズは、コクリと頷いて部屋を出て行った。
しかし、食器か……料理か何かをするつもりなんだろうか? 俺は台所に移動して、手時かな食器を取り出し始める。
「あ、シロウ、お茶碗は必要ないわ。必要なのは、お皿と、あと、ナイフとフォークも用意して」
「分かった。それで、これでいったい何をするんだ、イリヤ?」
来客用の食器の中から、ナイフやフォークを取り出しながら聴くと、イリヤは、考え込むように小首をかしげながら――――、
「んー……てーぶるまなー? それをシロウに覚えてもらおうと思って」
「別に、きっちりとしたマナーを覚えてもらおうってわけじゃないわ。食事は楽しく取るのが一番だと思うし」
だから、簡単なさわりだけ、一応、私のお城で食事をするんだから、これ位の事は知っておいてほしいの。
と、そんなことを言うイリヤの発案で、急遽、離れの一室を改造した洋間で、俺とイリヤの二人で、テーブルマナーの勉強を始めたのだが……。
「っと」
「――――」
かちゃ、と食器がぶつかるたびに、部屋の隅に立ったセラが……これ見よがしに溜息をつくので、俺としても気もそぞろで、まともに食事など出来なかった。
ちなみにリズは一人、居間で御煎餅を齧りながら寛いでいる。俺ものんびりしたいなぁ、と、針のむしろ状態の中でそんな事を考えた。
イリヤはというと、痛いほど静かな中で、まるで流れるように食事を続けている。さすがに生粋のお嬢様なだけあって、その姿は堂々としたものだった。
――――結局、たいした上達も見られぬまま、イリヤの食事姿に見とれるままに、短い講習は終了したのだった。
「おつかれさま、シロウ。お勉強になったかしら?」
「ああ、お疲れ――――って、イリヤは疲れてなさそうだよな。俺は気疲れでクタクタだけど」
後片付けを終えて、居間に戻ってから、俺とイリヤは先ほどの実習について話し合った。
イリヤはというと、俺の言葉に、どこか寂しそうに微笑を浮かべた。
「うん、一人で食べる時は、いつもあんなものだから」
「――――そうか」
なんとなく、その光景を想像する。ただ一人、広い部屋で流れるように食事を取る。
しゃべる相手もなく、機械のように者を口に運ぶ様は、美しくてもどこか哀愁を孕んでいるように思えた。
「……どうしたの、シロウ?」
「いや、なんでもないんだ。イリヤ、夕飯も食ってくんだろ? 今日はイリヤの好きな物を作るからな」
「え、ほんと? やったー!」
わーい、と無邪気に喜ぶイリヤ。そうだな、さっきみたいに優雅に食事を取るイリヤも綺麗だけど、俺はこっちの方が良いな。
「じゃあ、夕ごはんのお買い物に行きましょ。今から時間をかけて、おいしい物をたくさん選ぶんだからっ」
「そうだな、行こうか、イリヤ」
イリヤに手を引かれ、俺は立ち上がった。まだ買い物には早いかもしれないけど、その分、イリヤとのんびり過ごすことにしよう。
兄妹のように手をつなぎながら、俺とイリヤは昼過ぎの日差しの中、商店街に買い物に出かけるのだった。