〜Fate Hollow Early Days〜 

〜港の月〜



夜の港には、人気が無い。普段は釣り人が居たり、隅っこで誰かが体育座りしていたり、縞々の虎が闊歩したりするが、今は誰も姿を見せない。
そんな夜の港にひとつ――――視界全域を覆おうかという、大きな月が空に浮かんでいた。

ひとえに、肉眼で見える月は、正確な大きさではない。何をいまさらと思うかもしれないが、見えている月の大きさを、人はしっかり把握できては居ない。
視界の隅に、ペン先や、定規、比較する物を並べて移すと、思ったよりも月が大きく、また小さく見えていたことに気が付くだろう。

…………しかし、今、目の前にある月は、明らかに大きすぎるものであった。
言うなれば、目の前にテレビのスクリーンがあり、そのスクリーンほぼ全部に、月がすっぽりと収まるような大きさだった。

「これは、明らかに夢、だよなぁ……どう考えても」
「ええ、これは夢、貴方の心の中で作り出した、かりそめの風景よ」

声の先には、月光の埠頭――――コンクリートの舳先に少女が現れていた。
俺と似た色の髪の毛と、どこかで見たことのある、くすんだ金色の瞳――――確か名前は、紫陽真由といったか。

「やぁ、またあったな。なんかこの前は、『出会うこと無い』っていってたけど」
「ええ、でも、これはただの夢――――心の中では、そういったものはカウントされないでしょ?」

イリヤと同い年か、もしくは年下にも見える女の子は、蓮っ葉な口調でふふん、と笑みをこぼす。
その様子がなんともかわいらしくて、思わず笑みを浮かべると、少女はそれで気分を害したのか、ぷぅっと頬を膨らませた。

「まったく、とことん呑気なんだから……そんなだから、何回殺されても懲りないのよ。まさに、馬鹿は死んでも治らない、ね」
「えらい言われようだな……で、これは俺の夢だけど……じゃあ君――――ええと、真由は俺の空想の存在なのか?」

考えを口にしてみるが、どうやら違ったらしい。返ってきたのは、呆れたような視線と、ひとつのため息だった。

「まさか、そんなわけ無いじゃないの。私も夢を見ているの。ひとつの夢を、二人が見ている。それは、おかしなことじゃないでしょ?」
「そうか……?」

なんとなく、釈然としない表情の俺だが、真由は大して気にもせずに、話を続ける。

「ここに来たのは……一応、挨拶をしておこうと思ってね。もうすぐお別れだし、仮にも父親なんだから」
「?」

父親? 何のことだろうと首を傾げるが、少女は説明をする気も無いようだ。
それにしても、見れば見るほど、どこかで会っているような気がする――――もっとも、俺には赤毛の知り合いも、くすんだ金色の目の知り合いも、居ないのだが。

「どうせ、夢の内容は覚えていないだろうし、覚えてもらってちゃ困るんだけどね――――記憶の混乱で、廃人になっても困るし」
「まて、なんか今、物騒なことを言ってなかったか?」
「そう? まぁ、気にすることじゃないわよ。どうせすぐ忘れるんだし」

くすっと可愛らしく笑うと、少女は俺を見据えながら、一歩一歩、後ろ向きに歩く。
その先には、黒々とした海――――後何歩か後ろに下がれば、その身体は地を失い、海中へ投げ出されるだろう。

「でもやっぱり、会えてよかったわ。未練を残して、化けて出るのはごめんだし」
「君はいったい――――英霊か何かの類なのか」
「ふふっ、はずれね。貴方は知らなくていいことよ」

戸惑う俺に、やさしく微笑んだ後、彼女は両腕で、うーん、と大きく伸びをすると…………、

「じゃあね、パパ。いろいろ楽しかったわ」
「ま…………!」

そのまま、その小柄な身体は、後方の海に転落した。声を上げることもできず、立ち尽くす俺。不意に、目の前の月が砕けて――――、



「――――あれ?」

俺は、夜の港を見渡す。なんだか、白昼夢を見ていたような気がするが、ほんの一瞬のことであり、思い出すこともできなかった。
ただ、胸に妙なしこりのようなものが残っている。それは、何なのか、今の俺には判別できなかった。

そうして、知らず知らずの別れは、俺の元を過ぎ去っていったのだった。