〜Fate Hollow Early Days〜
〜狭間〜
――――そして、最後の夜の幕が上がる。夜の帳が降りる頃、街から人が姿を消し、世界は黒へと塗り変わる。
こうこうと、ごうごうと……音無き音たてて、数多の獣が疾駆する。遠き深い空に広がる孔――――世界の終幕を留めようと、足掻く無数の獣。
足掻くのは、人も同じ――――壊れた世界の螺子、振り出しに戻してなるものかと、今もまだ、終わり無き獣達との戦いに身を投じている。
寺の境内には、月光に照らされし白刃を振るう侍、数多の獣の身体を、こともなく粉砕する朽ちた暗殺者。空には閃光の魔法陣とそれを編み出す魔女。
街中を疾駆するは、巨躯なる狂戦士。肩に乗せた白き少女を護るように、無数の獣を蹴散らし、黒き残骸の墓場への進行は揺るがない。
冬木に掛かる大橋では、真紅の少女と赤い弓兵が、全火力を前方に集中、獣達を凪ぎ払っている。だが、間断ない爆撃の合間を縫って、獣の一匹が、少女に肉薄する!
――――姉さん!
叫び声とともに、獣の頭部は、とび来る魔力の矢に粉砕される。呼んだのが誰なのか、確認する暇もない状況……だが、助けられた少女の口元には、わずかな笑みが浮かんでいた。
好機と見て取ったのか、獣達は川へと飛び込み、新都へ渡ろうとする――――橋を渡る獣達の数も増え、そちらに手を回せない状況。しかし――――
次の瞬間、爆音とともに川に巨大な水柱が立った。上空から彗星のごとく飛来した何かが、渡河中の獣達を吹き飛ばしたのだ。
天馬を操る黒衣の美女は、そのまま水辺すれすれを疾走し、川岸にいたことごとくの獣を弾き飛ばす――――!
守勢から攻勢へ――――人の身では適わぬはずの、この戦……しかし、投げ出すものは誰一人となく、不退転の決意で、皆が戦いを続けていた。
もはや、手加減は無用と判断したのか、新都方面では、建物の崩壊が相次いでいた。原因は、ただ一人――――乖離の剣を持つ、黄金の英霊のしわざだった。
その姿は、敵であろうと味方であろうと、目を奪われるであろう。金色の王気を身に纏い、惜しげもなく自らの財を繰り、獣を駆逐する姿は……まさに英雄王。
獣を縫い付けるだけでは飽き足らず、その身体を粉々になるまで無数の武具が穿ち――――獣の背後に建っていたビルまでもが崩壊した。
一事が万事、手加減などする気もない英雄王の攻撃で、新都に立ち並ぶ高層ビルは、ほぼ全てが崩壊した。
そのような状況で唯一つ、もっとも高く、天へと届く道筋であるビルだけは、無傷でその姿をとどめていた。
――――理想郷。
ある意味で、この閉じた世界は確かに理想の世界なのかもしれなかった。しかし、騎士王の彼女には、それは不要のもの。
もっとも大切なものは、胸のうちにある…………その強さをして、彼女は絶望的なまでの獣の群れを、この場に押し留めていた。
一は全、全にして…………無。黒い獣達は最後の足掻きとばかりに、決して通れぬ境界へ突進し――――耀金の炎に、全てを焼き尽くされた。
……そうして、私は新都の一つ、もはや誰もいない筈のビルへと足を向けた。ビルの屋上に上がり、吹きすさぶ風に一つ息をつく。
目の前には、まるで夢から覚めたような、無傷の街並み。夢と現実の狭間が目の前に広がっていた。
街中にある、何の変哲もないビル。ここに登った目的は、ただ一つ――――今も、空に光る流れ星を見ている、一人の英霊に協力を取り付けるためだった。
「騒々しいお祭りは、終わったみたいね。後は夜が明けるのを待つばかり、か」
「――――? 子供、だと?」
いぶかしげに、こちらを見たその顔に、怪訝そうな表情が浮かぶ。その手に真紅の槍を持ち、ランサーは屈みこんでいた腰を上げ、私のほうに向き直った。
その様子は、警戒する様子はまったくなく、どうして私がここに居るのか、測りかねている様子だった。
夜風が、身体の表面をなで、私は一つ身震いする。いつもは衛宮士郎か、もしくはアレの影を纏っていたが、今はありのままの姿に戻っていた。
頼みごとをする相手の性格を考えての選択だったけど、あまり効果はないようだ。どうやらランサーは、もう少し大人の方が好きなのかもしれない。
「初めまして、ランサー。聖杯戦争の英霊にして、終焉の夜における唯一の、中庸の者」
「――――ただのガキ、ってわけじゃ無さそうだが…………何のようだ?」
からかうように、槍の穂先を私に向けて聞いてくるランサー。しかし、口調とは裏腹に、その立ち振る舞いの隙は、いつの間にか消えていた。
もし、私がうかつな事を口走ったり、逃げたりすれば、あの槍は容赦なく私の心臓を貫くだろう。覚悟の上とはいえ、さすがに怖い。
しかし、退くわけには行かない。あと、どのくらい機会があるか分からないが……私の残り時間はそう多くないと予感していたからだ。
だから、私は前へと踏み出す。退くわけには行かない、そんな思いを込めながら、まっすぐランサーへと近づく。
「貴方に頼みたい事があってきたの。貴方のマスター……、昔のでなく、今のマスターの事で」
「……ああ、あいつがらみのことか、何だ、あいつにやり込められでもしたのか? だとしても、俺は責任をとる気はないんだが」
私が口に出すと、槍が引っ込められ、ランサーは顔をしかめて悪態をつく。あまり友好的な関係ではないようで、少々、心配になった。
英霊はマスターに従うといっても、忠誠の度合いはそれぞれだし、頼んで聞いてくれるとは思えなかった。
「――――ん、どうした? 用がないんなら、子供は家に帰って寝とけ。これからは大人の時間だ」
「そうも行かないの。ねぇ、ランサー……貴方、マスターがどこにいるか、知ってるんでしょ?」
「……ああ。そりゃあな。今は、あのビルの屋上で、暇つぶしに星でも見上げてるんだろうよ」
指差すランサーの先には、新都一に高い高層ビルと、遥かな高みに存在する漆黒の孔……そして、そこから伸びる、赤い螺旋階段があった。
やっぱり、あの人はあそこに居たのか。最後の夜を導く聖母――――その役目を終えて、あの人はどうしているのだろう。
「ランサー、お願いがあるの。私を、あのビルの屋上に連れて行ってくれないかしら」
「はぁ? 何でそんな事をしなきゃならん。行きたきゃ手前ぇでいけよ。二本の足が有るだろうが」
私の申し出を、にべもなく却下するランサー。しかし、はいそうですかと引き下がるわけには行かない。
今夜も後十分もしないうちに終わる。その前に、私はこの青い槍兵を説得しなければいけないのだ。
「駄目よ。今から行ったところで……到底、間に合わないわ。貴方にだって漠然と分かってるのでしょう? 今日という頚城を過ぎたら、何かが起こるということは」
「――――」
「だけど、前もって近づくにしても、最後の夜の戦争は凄まじいわ。私一人では、あの激戦の中を突っ切る事なんて、とうてい出来ないもの」
――――そう、オリジナルよりも、なお脆弱な贋作の私。とりたて力があるわけでもない私は、普通の人間と変わりがなかった。
有るのは、世界を繰る能力のみ――――だけどそれは、登場人物になんら影響を与える事など出来ない、出来損ないの力だったのだ。
「重ねてお願い。ここじゃない、どこかで行われる最後の夜に、貴方の力を貸してほしいの」
「一つ、聞いていいか」
「何?」
私の言葉を黙って聴いていたランサーは、合間を縫って、ぽつりと呟いてきた。小首を傾げて問い返すと、ランサーは目を細め、私を見据える。
――――落ち着かない。今まで私は、人の視線に晒された事がない。私が他人の殻を被っている時は、いつも相手の視線は、私でなく殻に向けられていたから。
「お前さんの都合は分かった。だが、一つ腑に落ちない点がある。どうしてそんなに、奴さんに拘るんだ?」
「――――こだわりじゃないわ。ただ、会いたいだけ。子供が親に会いたいと思うのは、当然でしょう」
「?」
ランサーの眼光が鋭くなる。その強さに気おされそうな気持ちを奮い立たせ、私はランサーに相対し――――、
「自己紹介がまだだったわね。私の名は、紫陽真由――――マユ・オルテンシアと名乗った方が響きが良いかしらね」
決定的な一言を、口の端に乗せたのだった。
「オルテンシア…………奴さんもそう名乗っていたな」
「ええ。私はこの世のすべての悪(アンリ・マユ)の娘にして、聖母の残滓――――親子と呼ぶには、歳が近いんだけどね」
言って、私は一息つく。今まで自己紹介をしたことがなかったから上手に出来たかは疑問。だけど、相手は納得してくれたようで安心した。
「なるほどな。会いに行きたいのはそういうことか。それで、会ってどうするんだ? 感動の親子の再会でもするつもりか?」
「そんなことは望まないわ。今まで、あの人を見てきて、そういうものとは無縁な人だと分かったし」
そう、そんなことは望んでいない。彼女に会いたい理由はただ一つ。
「――――私はただ、聞きたかったの。どうして、私がこの世に生まれてきたのかを」
「そりゃあ、お前――――男と女がやる事やったからに決まってるだろ」
「そういうことじゃないの。私が聞きたいのは、行為の結果でなく……行為に及んだ理由付け」
――――そう、あの一時の逢瀬ののち、あの人の呟いた言葉に意味を尋ねるため、私は生まれてきたのだと思う。
「……それで、手伝ってくれるの? 駄目なら、私は独りでも行くつもりだけど」
「そこまで言っといて、それを言うか、普通? ったく、改めて見直すと、確かに似てるな、お前と奴さんは」
それは、褒め言葉だろうか? なんとなく釈然としない感じで顔をしかめると、それを見ていたランサーは、おかしそうに笑みをこぼした。
多少不満ではあるが、どうやら了承と受け取っていいようだ。これで、すべての準備は整った。あとは、私の物語に幕を下ろすだけだろう。
「……それじゃあ、約束よ。深山町の町外れに朽ちた洋館があるわ。今回の戦争の始まりの場所――――私はそこで、彼方を待つ」
「――――そうかい、それじゃあ気が向いたら、行く事にするさ」
とぼけた物言いだが、ランサーは確かに約束をしてくれた。もとより、時間の概念の曖昧な平行世界……いつかは彼も、私の元へ馳せ参じてくれるだろう。
私はそれまで、最後に至る物語を回し続けるだけだ。いつか来る、終わりを恐れることなく――――。
ランサーに無言で頭を下げ、私はビルの屋上から立ち去った。残された時間はあとわずか。
何が出来るというわけではないが、今は一人、物思いにふけたかった。そうして、最後でありながら繰り返される夜も、こうして終わりを告げたのだった。