〜Fate Hollow Early Days〜
〜☆氷室女史の憂鬱・解決編〜
……さて、そんなこんなで放課後になった。
いつもなら、生徒会の備品修理を手伝ったり、バイトに行ったりするんだが、今日は先約がある。
「氷室を待たせるのも悪いからな。すぐにグラウンドに行くとするか」
家路につく者、部活に行く者――――途中までの道のりは同じであり、その波に乗って、俺は下駄箱を通り、グラウンドに出た。
グラウンドでは、熱心な陸上部員達が早くも練習を開始している。男女ともにジャージを着用している陸上部の面々……その中に、見知った顔も見える。
「あ、衛宮君、こんにちは。鐘ちゃんは、もう少ししたら来るから……ちょっとだけ待っててくださいね」
「ああ、こんにちは、三枝さん。悪いね、邪魔しないように見学してるよ」
陸上部の癒し系、マネージャーの三枝に声を掛けられ、俺も挨拶を返す。三枝は微笑むが、ちょっと不安そうな表情になると、俺に顔を近づけてきた。
「あの、衛宮君、ちょっと聞いてもいい?」
「聞いてもって……何を?」
オウム返しに問い返すと、三枝はちょっと躊躇うような表情を見せたが、ややあって、勇気を振り絞って俺に質問をぶつけてきた。
「鐘ちゃんが、誰かに付きまとわれているって、本当なの?」
「――――どうして、それを」
俺の返答に、三枝は不安そうな表情を見せる。と、着替えが終わったのか、見知った顔がグラウンドに出てくる。
二人とも、俺と三枝の事に気づいたのか、それぞれ各々に、こちらに向かって歩み寄ってきたのだった。
「衛宮……待たせて、すまなかったな。色々と迷惑を掛ける」
「げ。氷室……アンタの言ってた助っ人って、衛宮のことだったのか?」
軽く会釈をする氷室と、俺を見て、心底いやそうな表情をする蒔寺。そんな蒔寺に、氷室は淡々と諭す。
「蒔の字、そう嫌そうな顔をするな。もともと無関係だった衛宮が手伝ってくれるのだ。感謝するならともかく、迷惑といえば無礼になる」
「…………ま、今回ばかりは注文を付けられる立場じゃないしね。衛宮、やるからにはちゃんと、犯人をケンキョ……だったっけか。ビシッと捕まえるんだよ!」
そう言うと、蒔寺はグラウンドにたむろってる、多数の後輩めがけて駆けていった。
どうやら、彼らを追い掛け回して、強制的にグラウンド内フルマラソンをさせるつもりのようだった。
「――――氷室、今回の件、蒔寺達に伝えてあるのか?」
「ああ……もっとも、ごく親しいあの二人以外には伝えていないが」
氷室は言いながら、傍らの三枝を見る。どうやら、三枝の聞いてきた覗き見の件は……氷室本人から聞いた事のようである。
その三枝はというと、地面に屈みこんでストップウォッチやら、器具類の点検を始めている。
グラウンドでは蒔寺による下級生いびり――――……もとい、トレーニングが始まっていて、それはいつも見る陸上風景そのものだった。
「あまり、事は公にしない方がいいと思ってな。卒業間近の我々が問題を起こして、部活動休止などになったら目もあてられない」
「なるほど、確かにそうかもしれないけど――――それで、氷室は大丈夫なのか?」
俺が聞くと、氷室は余裕綽々といった表情で、むしろ愉しそうに片目をつぶる。
「別段、これといって被害にあってはいないものでね。登下校時に追けられたり、いつもどこかで見張られているというのなら話は別だが」
「余裕だな――――何か、俺が手伝う必要もないような気がしてきたけど」
「馬鹿をいうな。練習中――――それも一番集中したいときに邪魔が入るんだぞ。衛宮とて、そんなことになったら不快だろう」
つまり、土蔵で夜の鍛錬をしようとしたら、藤ねえとイリヤが騒ぎながら邪魔をしに来た様なものか。
あまつさえ、それを止めようとしたセイバーと桜が乱入し、ライダーはさりげなく俺をデートに誘ってきて、遠坂はそれを見てガンドを放つ。
…………いや、本当にあの時は大変だった。土蔵の修復に徹夜仕事だったからな――――。
「すまない、俺が間違っていたみたいだ」
「どうやら、思い当たる節があるようだな。理解してくれて、こちらとしても言った甲斐があるというものだ」
がしっ、と友情のシェイクハンドをする、俺と氷室。通じ合う俺達の隣では……そんな光景を三枝が目を丸くして見詰めていたが。
蒔寺の方は……下級生にかまけるのに忙しいのか、こっちを見てはいなかった。もし見られたなら、またいらぬ誤解を招きかねないだけに、幸いと言えたかもしれない。
「……さて、私も練習に入るから――――覗き見の相手を見つけるのは、そちらに任せる。もし捕まえたなら、私にも引き合わせて欲しい」
「それで良いのか? 俺の方で、話をつけることも出来ると思うけど」
「ああ……その方が、あと腐れないだろうが――――私のような者を見初める相手がどんな輩か、興味が出てきたのでね」
冗談なのか本気なのか、氷室はそんな事を言うと、高飛びの女子の班に混ざって、練習に行ってしまった。
さて、俺もそろそろ張り込み現場に行くとしようか。朝に聞いた話だと、その視線は練習中に数回、校舎北方面から感じる事があるらしい。
そんなわけで……西日に伸びる、校舎の影法師に隠れるように、俺は校舎の植え込みの影に身を潜めた。
場所的には申し分ない。グラウンド周辺が一望できるし、少し移動すれば、校舎と別館、それに体育館を隔てる道――――死角の部分にも目は行き届く。
まぁ、問題としては……今日、その相手が出るのか分からないし、日陰という事で、少々寒い思いをしなければならなかったが。
「しかし、高跳びか――――」
グラウンドで練習している氷室達の様子を何とはなしに見つめる。ずっと昔、彼女らと似たような事をやったような気がした。
誰もいない夕暮れのグラウンド。自分の前には唯一つの目標――――たとえ越えられなかったとしても、何度もチャレンジした事だけは覚えていた。
「――――ん?」
その時、ふいに脳裏に警鐘が鳴り響き、俺は首を巡らせて、辺りを見る。下校する生徒の波は収まり、ただ閑散とした敷地の一角に、見知らぬ生徒が立っている。
位置は、意外なことに俺のすぐ近く。どこか気弱そうな女子生徒は、グラウンドの方をじっと見ている。
その視線の先には、陸上部によって設置された高飛び台――――折りしも、次の挑戦者は……氷室だった。
「――――」
無言で、その女生徒はふところをまさぐると、そこから小さなデジカメを取り出す。氷室が助走し――――ふわっとバーを飛び越える瞬間、彼女はシャッターを押したのだった。
ふぅ、と一仕事終えて、少女は軽くため息をつく。しかし、意外だった。てっきり覗き見というからには、男子生徒を想像していたんだが……ともかく、話を聞いてみようか。
「そこの君――――ちょっと、いいか? 今、何を……」
「!」
しかし、である。話を聞こうと声を掛けた瞬間、少女はびくっと子ウサギのように身を震わせると、たたた……と逃げ出したのである。
一瞬、呆然とするが、ここで逃がしては氷室に申し訳が立たない。俺は慌てて、彼女の後を追った。
グラウンドを横切り、北にある門のほうへと駆けて行く女生徒。雑木林に逃げ込むつもりか――――!?
「あれ? 衛宮、何を――――」
その時、弓道場の前に見知った顔。機会は一瞬と悟り、俺は彼女に向けて、思い切って叫んでいた。
「美綴、そいつを捕まえてくれ! 盗撮犯だ!」
「!」
その瞬間、美綴の横を通り過ぎようとしていたその少女が、思いっきりつんのめった。
まるでアクション映画のスタントのように、少女の身体が前方宙返りをして背中から地面に落ちる。その横には、少女の腕をつかんだ美綴の姿があった。
なにやら合気道のような技で、横をすり抜けようとした女生徒を投げ飛ばしたらしい……さすが穂群原の女傑。
「あちゃ、ちょっと派手に転ばしちゃったかね? 伸びちゃってるよ」
「いや、怪我とか無いんなら良いんじゃないか? 目を覚まして、また逃げられても困るし」
地面に倒れて目を回している女生徒をのぞき込み、渋い顔をする美綴。俺はそんな様子を横目に、地面に屈む。
投げ飛ばされたときに落ちたのか、女生徒の持っていたデジカメが、転がっていたのである。
手にとって、操作してみる。幸い、落ちたときに壊れてはおらず……デジカメのディスプレイに、先ほど撮影された画像が表示された。
「へぇ……」
そこには、真剣な顔でバーを跳び越そうとしている氷室の姿が映っていた。ジャージを脱ぎ、運動着に身を包んだ肢体を仰け反らせ、バーを越えようとする氷室。
その表情は一点の曇りも無く――――凛々しく、格好良い。まさに、一瞬の世界が生み出す、一枚の見事な絵であった。
「これって、陸上部の氷室だね……よく撮れてるじゃない。でもねぇ、女子が女子を撮るなんて、何を考えてるんだか……」
横合いから俺の手元を覗き込み、呆れたように呟く美綴。それは確かに、俺もそう思ったんだが……。
「ともかく、氷室に知らせないとな……美綴、悪いけど、この娘を連れてくの、手伝ってくれるか?」
「いいけど――――や、そうする必要も無いみたいね」
俺が美綴に頼み込むと、美綴は笑いながらグラウンドの方を指し示す。たたた、と小走りの足音とともに弓道場前に、話題の人、氷室が走って来るのが見えた。
どうやら、俺が動いたのに気づき、練習を切り上げてこちらに駆けつけたのだろう。汗一つかかず、氷室は涼しげに場を一瞥する。
「衛宮、ひょっとして……そこで気絶している女子が犯人というわけか?」
「ああ、そうみたいだな――――氷室、ちょっと見てみろよ」
拍子抜けしたような氷室は、デジカメを俺から受け取り……映された画像を見ると、ふぅ、と重ねてため息をついた。
「まさか女子に懸想されるとは――――世の中、奥が深い」
「…………ん」
その時……まるで、氷室の声が目覚ましになったかのように、女生徒がピクリと身じろぎをして、目を覚ました。
最初、女の子はどういう状況か理解できないように、目を瞬かせていたが……不意に、はっとした表情で懐を弄る。
デジカメの無事を確かめるのが最優先のようだ。そんな彼女に、冷淡な一言が浴びせられたのは、その時――――、
「カメラならここにあるぞ。少々、中を検めさせてもらったが」
「!」
氷室のその言葉に、少女は可哀想な位に怯えた表情で、恐る恐る、氷室を見あげる。
しかし、今度はいきなり逃げ出すような事はしなかった。まぁ、氷室に見つめられているせいか、カメラを人質にとられているせいかは、定かではなかったが。
「よく撮れているな――――ただ、惜しむらくは、被写対象に無許可というところだ」
「あ…………の…………」
氷室の言葉に、罪の意識を感じたのか、おずおずと、口ごもってしまう女生徒。そんな彼女をしばし見ていた氷室だったが、しばらくして、彼女は――――、
「今度からは、撮る前に許可をもらう事にしなさい――――さ、お説教は終わり。行っていいぞ」
そう言うと、氷室は地面にへたり込んだ女生徒にカメラを手渡したのだった。最初、キョトンとしていた女の子は、ややあって立ち上がった。
カメラを両腕で、胸に抱え込むように持った女生徒は、氷室を見つめて無言で頭を下げると……校舎の方に走り去っていったのである。
「やれやれ、行ったか……」
しばらくして、氷室が呟いたその言葉には、どことなく、ため息の気配も幾分か混じっていた。
うーん、これで良かったんだろうか? なんとなく、事件はまだ解決したとは言いがたいと思うんだが。
「あれで良かったのか? あの様子だと、またあの女の子、氷室の写真を撮りに来ると思うぞ」
「……ああ、だが、あれ以外の言葉が思い浮かばなかった。男子生徒をやり込める方法は、何百と思考演算していたんだが……」
まさか、女子とは――――と言ったきり、憮然とした表情で沈黙する氷室。なにやら彼女の思惑とは違ったらしい。
で、完全に傍観者であった美綴はというと、そんな氷室の様子を見て、面白そうに笑みを浮かべていた。
「『撮る前に、許可を――――』って、氷室ってまさか、そっちの気があるとか?」
「そんな分けあるか。あるんだったら、とっくに蒔の字や由紀香を――――っと、余計なことを言わせるな、美綴嬢」
と、そんな風にわぁわぁと言いあいを始めた美綴と氷室。なかなか珍しい組み合わせかと思いきや、意外にも息もぴったりに話が弾んでいる。
蒔寺と美綴が似ているタイプだからか、氷室も話しやすいのかもしれない。
先ほどの事件や部活そっちのけで、話を弾ませる二人。一人蚊帳の外の俺は、グラウンドの方に視線を向けて呟いた。
「それにしても、あの写真は惜しかったな」
氷室に対する恋愛感情とは別に、あの画面に魅せられた自分に気がつく。
それは、何とはなしに訪れた絵画展とかで、思わぬお気に入りの作品を見つけたような、そんな感動に似ていたのかもしれない。
そうして、にわかに起こった盗撮騒動は……こうして誰にも知られる事無く、幕を閉じたのだった。
「ふむ、そうか――――やはり衛宮は……」
……少々の騒動の火種を、新たに撒き散らしての終幕ではあったが。