〜Fate Hollow Early Days〜 

〜☆陽だまりの詩〜



海浜公園の近く――――未遠川が一望できる場所に、立体駐車場つきで、その建物は存在していた。
ぱっと見では、何かの量販店とも見れる建物…………なぜそれが銭湯だと分かったかといえば、遠くからも見える『ゆ』の看板のおかげだろう。

「『ごくらく湯』――――いったい誰が、こんなネーミングを考えたんだろうな?」

ネーミングセンスは、かなりアレだが……建物自体は充分に立派なものである。
入り口で、入場券を二人分買ってから中に入る。靴からスリッパに履き替えて受付で券を渡すと、俺と桜は建物の中へと足を踏み入れた。

床張りの広々としたフロアは昼過ぎという事もあり、人はまばら……その前方に大きな案内板があり、建物内の設備を把握する事が出来た。
建物は、三通りの設備に分かれている。右側には、温泉にあるようなアミューズメントコーナーがある。
左手には、食堂も兼ねた、休憩所が設置されている――――畳敷きの場所もあり、二階には個室なども用意されているようだ。
そして、肝心の温泉はというと……こちらも、階段を上った二階にあるらしい…………どうやら、露天風呂も用意されているようだけど――――。

「先輩、お風呂って、貸切で使える個室みたいなのは無いんでしょうか?」
「うーん、ざっと見た限り、そういうのはちょっと無いみたいだけど――――桜、ひょっとして他の人と風呂に入るのに、抵抗があるのか?」

我が家に来て、多少は緩和されたとはいえ、桜はけっこう人見知りが激しい方だ。見知らぬ他人と一緒に風呂に入るというのは、桜には少々酷かもしれない。
そんな事を考えた俺だが、幸いにもその不安は外れる事になる。俺の問いに桜は首を振ると――――、

「そういうわけじゃありませんけど……せっかく温泉に来たんだし、出来れば先輩と一緒に入りたいかなぁって」
「――――!?」

などと、予想外のとんでもない事を言ってきたのである。
桜の言葉に、俺は硬直する。いや、言葉の内容にも驚きはしたが、それ以上に……人通りが少ないとはいえ、れっきとした公共の場である。
通りかかった利用客の視線が、俺達に向けられて、非常に気まずい。下手をすれば、出入り禁止にされかねなかった。

「ま、その話は置いておくとして、とりあえず場所を変えてから、ゆっくり話すとしようか」
「え、先輩――――?」

桜の手を引いて、そそくさとその場を離れる。あれ以上同じ場所に留まっていたら、通報されてもおかしくなかったぞ。
喫茶スペースに足を踏み入れ、一息つく。先ほどの場所からは死角になってるし、幸い、あとをつけてくる者も居なかった。
とはいえ、俺に引っ張られてきた桜は、少々しょぼくれた顔をしている。何を考えていたかは分からないが、桜なりの目論見はご破算になったらしい。

うーん、とはいっても、俺にどうこうできる問題じゃないしな――――いつぞやのプールの時みたいに、貸しきりに出来るなら話は別だけど。
貸し切り――――? あ、そうか、その手があったな。割烹着の従業員が近くを通りかかったので、俺はその人に声を掛けた。

「すいません、ちょっといいですか? ……………………を使いたいんですけど」
「あ、はい、大丈夫ですよ。今は予約も入っていませんから」

ほんわかした表情の従業員さんは、俺の質問に頷いて、先に歩き出す。よかった、どうやら大丈夫そうだ。
と、俺達のやり取りが聞こえなかったのか、桜が怪訝そうな顔で、こっちを見ている。

「先輩、何をしていたんですか?」
「ん、ちょっとな――――あ、呼んでるみたいだ。桜、行くぞ」
「え? ……は、はい」

説明を後回しにし、俺が先に歩き出すと、桜は慌てて後を追ってきた。まぁ、百聞は一見にしかずというし、桜に知らせなくてもいいだろう。
従業員さんの案内で、俺と桜は二階に上がる。湯殿用に、案内の矢印が記されているが、従業員の女性は、矢印とは逆の方向に進んだ。
後を付けていくと、こじんまりとした通路に出る。ふすまが立ち並ぶ、板張りの廊下――――、一番近くのふすまを手で開けると、従業員さんは軽く一礼をした。

「こちらがお客様の使用できる部屋になります。使用時間と料金などは、室内にある料金表をご参考になってください」

それでは、と言って従業員の女の人は階段を下りて行ってしまった。
床は畳敷き、机に冷蔵庫、テレビも完備した休憩所だった。俺の後に続いて部屋に入った桜は、物珍しそうにキョロキョロと部屋を見渡している。

「先輩、この部屋っていったい……?」
「ああ、さっき借りたんだよ。ロビーにある休憩所じゃ、人目もあるし……風呂あがりにくつろげる場所もほしいと思ってさ」

部屋にしつらえてある窓を開けて、外を見る。二階の窓から見える景色は、新都の方を一望できた。
すぐ近くには未遠川が流れ、川向こうの新都は、遠く港の方までよく見渡すことができる。俺の隣に並び、桜が感嘆の声を上げた。

「わぁ…………いい景色ですね、来て良かった……」

窓辺に並ぶということもあって、俺の桜の距離は、とても近い。表情を輝かせる桜の横顔は、とても綺麗で、愛しかった。
桜のつけた香水か、どこからともかく桜の香りが漂ってくる。ほんの少し照れくさくて、俺はせきばらい一つをすると、桜から身を離した。

「――――さて、俺は風呂に入ってくるけど、桜はどうする?」
「あ、私はもう少ししてから入りますので――――先輩はお構いなく、先に入っちゃってください」

桜はそう言うと、窓の外へと視線を向ける。どうやら、もうしばらくは景色を見続けているようだった。
それじゃあ、お言葉に甘えて先に入っておくとしようか。俺は桜を部屋に残し、廊下に出て男湯の方へと歩を進めたのだった。



ユニットバスに、打たせ湯、サウナ、露天風呂――――脱衣所からつながっているそこは、熱気とは違う、暖かさに包まれていた。
傍らにある、洗い場で身体を一通り洗ってから、俺は中心部にある大風呂に肩からつかる。
日替わりで、入浴材の変わる大風呂は、薔薇の色と香りがして、脳みそをリラックスさせた。

「ふぅ……」

のぼーん、と奇妙な擬音が聞こえそうな感じで、俺はのんびりと湯につかり続ける。昼過ぎのこの時間、人はまばらであり、大風呂には俺一人だった。
ずっと浸かっていても良かったのだが、他の風呂にも興味があったので、そこそこで切り上げ、俺は近場にあるサウナに行ってみることにした。



「――――ぅ」

サウナに入るなり、俺は息を呑んだ――――サウナは俺の予想よりもはるかに暑く、息苦しかった。
砂漠地帯の気温、と言うのはこういった感じなのかもしれない……息苦しい、と言うか、鼻で息をすると、熱気で鼻がヒリヒリする。

「すはー、すはー」

そのため、鼻を押さえて、俺は口で息をする。しかし、それは見た目にこっけいだったのか、先客の男におかしそうに笑われてしまった。

「おいおい、干上がった沼の魚じゃあるまいし、これくらいの熱気でへばるなよ」
「っ、ランさー!?」

鼻を押さえているせいで、語尾が変になってしまった俺を見て、ランサーは可笑しそうに破願する。
サウナの椅子に座り、肩にタオルをかけ、ワイルドに露出しながら、その男は汗一つかいていなかった。と言うか、よく平気だな、そんな状態で。

「なんで、ここに」
「ああ、最近は野宿生活が専らなんだが……それじゃあ清潔感ってもんに欠けるからな。だからこうして、ちょくちょく利用させてもらってる」

バイトとかの金で、気楽に使えるからな、ここは。などとランサーは言うと、愉しげにニヤリと笑う。
それにしても、無精者かと思ったら、そういうことには気を使うんだな、ランサーって。

「何だ、その表情は。言っとくがな……女と付き合うには、それ相応の下積みってもんが必要なんだぞ。清潔感のない男は嫌われるしな」
「はぁ」

まぁ、確かにそれはそうだろう。というか、女所帯で暮らしてると、そういった事には無意識に気が回るんだよな。
朝、土蔵で起きたのなら時間のある限りシャワーを浴びて、三食寝る前の歯磨きは欠かさずに、ブレスケアはきっちりと――――改めて考えると、他にも色々としているな。

「それに、新しいマスターがまた細かくてな……少しでもだらしなくすると、無言で圧力をかけてくるんだよ」
「そうなのか」

まぁ、確かにそうだろう。特に彼女の場合、そういったダラシナイ相手には、とことんまで絡む性質のようだし。
――――ぅぅ、それはそうと、やっぱり暑いぞ。ランサーはどれくらい入ってるんだ? 俺はもう、ギブアップ寸前なんだが。

「もうだめだ……俺は出るから、ランサーも逆上せないうちに出た方がいいぞ」
「おいおい、入ってきたばかりだろ? ったく……斬った張ったには、しぶといくせに、妙な所で貧弱だからな、お前さんは」

何とでも言ってくれ――――今は一刻も早く、この灼熱地獄から脱出したい。汗が出ないというのが、これほどつらいとは思わなかった。
あきれるランサーを尻目に、俺は熱されたドアに手を掛けると、サウナの外に飛び出した。
とたん、空気がひんやりと肌にまとわりつく――――といっても、錯覚でそう感じただけであり、熱気が体内でまだ残っている証拠だった。

「ともかく、頭を冷やさないと――――」

サウナの隣にある水風呂に飛び込みたい衝動に駆られつつ、俺はゆっくりと冷たい水に浸かり、何とか自制を取り戻した。
うーん、サウナってのは、どうも苦手だな。身体の中から焼かれるような感じは、どうも好きにはなれない。
さて、気を取り直して次に行ってみようか。確か露天風呂もあるって案内に書いてあったし。



外につながる二重の扉を開けると、そこには和風庭園のようなこじんまりとした露天風呂が設置されていた。
青い空のもと、石で作られた風呂にお湯が張られ、白い湯気がもわもわと立ち上っている。俺はさっそく湯に浸かってみた。
どこからか汲んできた温泉水を沸きなおしたものなのか、どこか肌に、ピリピリと刺すような感じがする。

風呂に浸かりながら、俺は外の景色を見る。マジックミラーを使用しているのか、ガラス張りの壁から、外の景色が一望できた。
遠くには新都のビル群――――遠めに見えるその景色は、やはりいつもとは違った風景にも見えた。

「ん〜、絶景かな絶景かな、そう思いませんか、おにーさん」
「ああ、そうだな――――って、何!?」

横合いから掛けられた声に、そちらに目を向けると、いつからそこに居たのか、神出鬼没の英雄王(小)がのんびりと温泉に浸かっていた。
しかし、ランサーと子ギル、一度に二人と会うとは、奇遇というかなんと言うか……ひょっとして、ランサーと子ギルは一緒に遊びに来たのかもしれない。

「温泉はいいですね……孝太や由紀香も連れてきて、一緒に入りたいなぁ」
「まて、このセクハラ英雄王。言うに事欠いて、何を言ってるんだ、お前は」

さらりと問題発言をいう子ギルに、俺は思わず突っ込みを入れる。だが、当の本人はどこが問題だったのか分からず、きょとんとしていた。

「え、何かまずかったですか? 別に問題はないと思うんですけど」
「何が、って――――三枝と一緒に風呂に入りたいって言ったじゃないか」

俺が言うと、はい、と頷く英雄王(小)。彼は邪気のない顔で、あはは、と笑ったのだった。

「もちろん、男と女は別ですよ。ボクは構わないですけど、孝太とかは色々複雑な心境になっちゃうだろうし」
「そうか、なら問題……無いんだよな?」
「ええ、倫理的に何の問題も。おにーさんは、なにやら違ったことを想像してたみたいですけど」

う、先ほどの桜の発言のせいか、混浴のキーワードが頭の片隅に残っていたらしい。沈黙する俺を見て、子ギルは朗らかに笑った。

「まぁ、招待するにしても、貸切の方がいいのかな、そうすると、もう少し人数を増やしても問題ないかもしれないけど――――」
「……それはそうと、さっきから気になっていたんだが、招待するって、まさか――――」
「ええ、このレジャーランドも、ボクがオーナーなんですよ。だから、言ってくれれば無料招待券くらいはいつでも都合がつきますから」

なるほど、どこか右脳使いまくりのネーミングセンスに引っかかる所があったのは、わくわくざぶーんと類似していたからか。
しかし、本気で金持ちなんだなコイツ。黄金律、だっけ…………遠坂とかが羨ましがりそうなスキルである。

「ところで、おにーさんは今日は一人ですか?」
「…………なんだよ、藪から棒に」
「いや、ざぶーんの時は、常に誰かしら同伴してたじゃないですか」

――――するどい。いや、ひょっとして、まさかとは思うけど――――いつも監視してるんじゃないだろうな?
…………考えすぎかな。そもそも、俺を監視する理由というのに思い至らないし。

「今日は桜と一緒だ。最近、疲れが溜まってるみたいだからな」
「ああ、なるほど。相変わらず、みんなに優しいんですね」

ニコニコ笑顔で、どこか面白そうに子ギルは言う。何か企んでいるような、いないような笑顔だった。
――――さて、そろそろあがるとするかな。気が向いたらまた入りなおしたらいいし、少し部屋で休憩するとしよう。

「じゃあ、俺は上がるから、ランサーにもよろしく言っといてくれ」
「わかりました。ボクは当分、ここでのんびりしてますから、何かあったら声を掛けてください」

子ギルと別れて、俺は脱衣所に戻る。身体を拭いた後、脱衣場に整然と並べられている浴衣を身に着けた。
うん、温泉といえば、やっぱりこういうのだよな――――なんとなく和服っぽい装いに、和むものを感じながら、俺は借り受けた部屋に戻ったのだった。