〜Fate Hollow Early Days〜
〜☆ハッピーデイズ〜
秋の街並み……紅葉はその色を濃くし、人の営みも秋から冬へと徐々に移り変わっていく。
今日は、ほんの少し冬の訪れを感じる、そんな秋の一日だった。
橋の見える川縁で、ちらりと腕時計に目を通す。時刻は、約束の時間まであと数分…………そんなことをぼんやりと思う俺の耳に、軽やかな足音が聞こえてきた。
他者よりも幾分小柄なせいか、たたた、と小気味良いテンポの足音は、俺に向かって一直線。顔を上げると――――、
「おはよう、お兄ちゃん!」
ぴょんっ、と俺の胸に飛び込んできた女の子。俺は半ば反射的に彼女を受け止める――――ただ、小柄な身体とはいえ、勢いをつけられると体勢を崩しかねない。
ぐっ、と踵に力を入れて、俺はそのまま彼女の身体を抱き上げた。白い雪がそのまま姿を変えたかのように、妖精のような彼女は無邪気に笑う。
「おはよう、イリヤ。今日はいつにも増して元気だな」
「もちろんよ。今日は一日中、シロウを独り占めできるんだから!」
元気いっぱいに、はしゃぐイリヤ。今日は肌寒いせいか、コートを重ね着して暖を取っている。
さて、今日はイリヤと一日デートをすることになったが、特に理由らしきものは無かった。
ただ、たまには丸一日、イリヤを構っても、バチはあたらないだろうと――――家事全般を桜に任せ、イリヤをデートに誘ってみたのである。
電話口に出たイリヤは、唐突な誘いに戸惑ったものの……、丸一日付き合えることを告げると、喜んで待ち合わせ場所を指定してきたのだった。
朝の十時に海浜公園で待ち合わせ……時間に遅れないように、俺は早めに家を出て、待ち合わせ場所の川縁でイリヤを待った。
朝のまどろみの時間、どこか弾むような気持ちでイリヤを待ち…………そうして時間ぴったりに、イリヤが到着したのであった。
よほど急いでいたのか、イリヤは額にうっすらと汗をかいていた。遅刻しないように、あわてて走ってきたようである。
「イリヤ、ちょっとじっとしてろよ」
「はぁい」
俺がハンカチを取り出して、こしこしと顔を拭く間、イリヤはおとなしく、じっとしていた。
顔を拭き終わり、手を離すと、イリヤは満面の笑みのまま、くるりと一回転……、まるで踊るようにはしゃぎながら、彼女は俺の手を引っ張ったのである。
「さぁ、今日は行きたい所が、たくさんあるんだから――――早く、早くっ」
「っとと……分かったよ。じゃ、行くとしようか」
元気いっぱいのイリヤに引っ張られながら、俺は彼女に付き従って歩く――――さぁ、今日も一日、目いっぱい遊ぶとしますか。
イリヤとの水族館めぐり――――海浜公園近くにある、市の経営である水族館は、休日ということもあり、家族連れでにぎわっていた。
流れる魚を見て、感嘆の表情を見せるイリヤが面白くて、俺は数多い魚よりも、イリヤのリアクションを見ることの方が多かった。
「あ、シロウ。イルカのショーだって……面白そうっ! 見に行きましょ、ねっ」
「お、そうだな。時間もちょうど良いし――――行ってみるとしようか」
ちょうど、これから行われるイルカのショーというのが、イリヤの気を引いたようだ。
俺とイリヤは、館内の案内板を見て、ステージのある場所へと向かうことにした。
『さて、それじゃあ次は、この輪の中を飛び越えてもらいましょう。皆さん、うまく行ったら拍手をお願いしますねっ』
ぴっ、と笛の音に合わせ、二頭のイルカが次々と、水面から飛び出して、スタッフの掲げた輪の中を潜り抜ける。
生で見るイルカのジャンプは迫力満点で、観客の中でも、とりわけて子供は大はしゃぎである。そして、ここにも一人――――。
「すごいすごいっ! ね、シロウ。私、あれが欲しい! お城で飼ったら問題あるかしら?」
「いや、それはちょっと…………セラあたりが泣きを見るから、あまりお勧めできないと思うぞ」
どのみち、世話をするのは侍女の二人だろう。あまり余計なことを言って、本当に飼うことになったら大変だし、控えめに反対意見を述べておくことにした。
俺の言葉に、イリヤはちょっと残念そうだが、イルカの次の曲芸が始まると、そちらの方に気が行ったのか、ステージに注目をしたのであった。
「あー、面白かった! シロウもそう思うでしょ?」
「ああ、面白かったな」
水族館を一通り見て回って、外に出るなり、イリヤはまだまだ元気いっぱいという風に伸びをする。
そんな彼女に釣られるように、自然と笑みが浮かんできた。やっぱり、こういう所は誰かと一緒に来るのが一番だろう。
さて、時刻はそろそろ、お昼に差し掛かりそうな時間だ。急なこともあり、お弁当の用意もできなかったが、どこかで早めの昼食をとることにしよう。
「イリヤ、そろそろお昼の時間だけど……どうしようか? この近くなら、すぐそこにカフェテラスがあるけど」
「そうね…………どうせなら、もう少し雰囲気のある所がいいなー、せっかくのデートだし」
などと、にこやかに仰られるイリヤお嬢様。しかし、どうするかな…………他に食事の場所といっても、ファミレス位しか思いつかないぞ、俺。
雰囲気のある食事のできる場所、か――――、あ、そうだ。一つ心当たりがある。
「よし、それじゃあ新都のほうに行こうか。ちょっと歩くことになるけど、良いか?」
「大丈夫! 疲れたらシロウに負ぶってもらうから! さ、早く行きましょ」
今日のイリヤは元気いっぱい。俺はそんなイリヤを微笑ましく思いながら、手をつないで歩き出したのである。
「いらっしゃいませ――――お二人様ですか?」
「はい、窓際のテーブル席でお願いします」
イリヤを伴って訪れたのは、川沿いにある小ぢんまりとした喫茶店である。遠坂御用達の店であるそこは、値段が高いことを以外は、文句のつけようも無い店であった。
もっとも、その値段の高さが災いしてか、今日も店内はさほど込み合ってはいなかったのだが。
あまり騒がしすぎるのも、イリヤは嫌がるだろうし…………そういう意味では、理想的な場所であると言えた。
「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」
一礼し、去っていくウェイター。イリヤはというと、興味深げに窓の外の風景や、店内を見渡している。
どうやらイリヤも、この店のことを……けっこう気に入ったようだった。意外に、魔術師と波長が会う店なのかもしれない。
「さ、イリヤ。ちゃんと食べて、昼からも頑張って遊ぼうな」
「うん…………ねぇ、シロウ――――シロウは、良くこの店に来るの?」
メニューを開き、イリヤに手渡すと、彼女は俺からメニューを受け取りつつ、そんなことを聞いてきた。
「いや、前に何回か来ただけ。よっぽどお金に余裕が無いと、来ないようにしているんだ」
「ふぅん…………」
何が楽しいのか、イリヤは優しげに微笑む。今日はイリヤはこんな調子で、朝からご機嫌だ。
いつもよりも五割り増しの元気さは、見ていて微笑ましいけど、理由が分からなかった。
「イリヤ、今日はすごい楽しそうだな」
「ええ、もちろん! 水族館に、新しいお店――――二つも新しい発見ができたし…………こうしてシロウと一緒なのが、何より嬉しいもの!」
それは、泡沫の夢を見るような、淡い微笑み――――不意に胸が苦しくなった。
なにか、悲しいほどに嬉しい気持ちが胸からこみ上げてきて、俺はそれを抑えるため、大きく息を吐いた。
「そうか、それじゃあ午後も、新しい発見を探して、遊び倒すとしよう!」
「うん!」
俺も笑顔、イリヤも笑顔。昼食を何にするかで、お互いに意見を出しながら、時に笑い合う――――。
そうして、平穏な昼食は、砂時計の砂が流れるように、ゆったりと過ぎていったのであった。