〜Fate Hollow Early Days〜 

〜達人教師〜



宵闇の支配する、交差点に差し掛かる。人気も絶える夜半の交差点。
特に何も異常は無い。あちこちの屋根から、こちらを見下ろす瞳、電信柱が生み出す影に寝そべり、こちらに意識を向けるものなどありえはしない――――。

「…………あれ?」

不意に、交差点の向こうから、何かが近づいてくるのが見えた。それは、どこかで見たような、黒い影――――なんだか、嫌な予感がする。
俺は、無駄だと知りつつも、腰を落とし、いつでも動ける体制に入る――――もっとも、ただの人間のこの身が、アレに太刀打ちできるはずも無いのだが。

「む――――誰かと思えば、衛宮か」
「え……?」

落ち着いた声に、意識が覚醒する。目の前には、スーツを着こなした男性教諭の姿。それは、先ほど見えていた影を拳一つで吹き飛ばし、俺の前に悠然と立っていた。
その手には、血糊のような黒い残滓――――しかしそれは、瞬きをすると、すでに見えなくなっていたが。

「こんな時分に、何を出歩いている? 明日は休日とはいえ、未成年が出歩く時間ではない。家に帰り、休息をとりなさい」

押し付けがましくも無く、真摯に相手の心に響くような言葉を放てるのは、人生経験の差だろうか。
繁華街をたむろしている少年のグループだろうと、家出中の少女だろうと、葛木先生はこうやって声をかけるのだろう。

それは、特別扱いもせず、一人の人として正しいあり方。ある意味、一成があこがれるのも無理は無いだろう。

「そうしたいですけど、もう少し街中をパトロールしたいんで……葛木先生も、何かおかしい事に気づいているんですか?」
「――――そうだな。教師である私が、こんな時分に出歩くのも奇妙な話か――――……その通りだ。不穏な空気が街を覆っている」

それは、最後の時を向かえ、出口の無い客船内を、逃げ場を求める鼠の群れのように――――、そこかしこに見えないはずのものが、出現しだしていた。
たとえば、まるで俺たちの周りで踊るかのように、飛び跳ねる一つの影が見える。俺と同じくらいの大きさの……黒い獣の影。
触れることも適わないと知っているのだろう。影は小馬鹿にするように、なおも俺と葛木先生の周りを飛び跳ね――――、

葛木先生の振るった拳に粉砕され、四散する――――。

「な、先生……今のは?」
「そうか、衛宮にも見えていたか。あれは数日前から現れていてな。特定の者にしか見えぬらしい」

淡々と、葛木先生はこともなげに言う。その手に残る黒い淀みは、すぐに夜の闇に溶け消えてしまった。
しかし、なんだったんだ今のは――――あれは触れることも適わないはずなのに、葛木先生は平然と、素手であれを砕いていた。

「私は人一倍、虚ろだからな。あれに触れられるのも道理なのだろう」

説明になっていない。しかし、なんとなく意味合いはわかった。あれは虚ろな影――――自らの内に虚ろな空虚が無い者には、見ることすら適わない。
夜が深くなるにつれ、影が増えていく。うごめく影を見て、ふむ、と葛木先生は何やら考え込んだ。

「どのみち、あれは砕かねばなるまい。ならば、今のうちに数を減らしておくのも策の内か」

――――それは、意味の無いこと。平行世界につながった影たちは、その数を無尽蔵に増やす。今、ここでいくら叩こうと、百や二百では意味を成さない。
しかし、それを忠告したところで、この人は眉一つ動かさず、行動を曲げもしないだろう。
だとすれば、いう必要も無いか――――脳裏で、そんな誰かの声がしたように思えた。

「あれを叩くのは良いですけど、気をつけてくださいよ。あれに触れるって事は……先生が、傷を受ける事もありえるんですから」
「そうだな。忠告、感謝しよう」

そう言って、俺とすれ違い、街角の闇へと姿を消す葛木先生。俺が見える間にも4つ、葛木先生の放った「蛇」は影を捉え、粉砕していた。
4日目へと至るまでの夜――――知らず知らずのうち、前哨戦とも呼べる戦いは始まっていたらしかった。

「さて、俺もこんな所に突っ立ってないで、どこか別の場所に行くことにしよう」

俺では触れない、触られないとはいえ――――こうも影であふれかえっている街並みを見るのは忍びない。
もう少し明るい、新都のほうへ行ってみるとしよう――――。