〜Fate Hollow Early Days〜
〜猪鹿蝶〜
円蔵山の中腹を登る石段。うさぎ跳びでもやるものなら、確実に腰を痛めそうな長さの階段の先には、古めかしい山門が建っている。
普段は目に見えないが、ここの山門には侍姿の英霊が護りを任されており――――その侍は、なぜか朝っぱらから姿を現していた。
「あれ、あれはアサシンと――――……」
見知った三人組の姿を認め、俺は足を止める。あれは確か、遠坂のクラスの陸上部の女子の面々だった。
蒔寺、氷室、三枝の三人は、アサシンを取り囲んで談笑している。アサシンの方も、女性が相手ということもあってか、多少は気さくに応答しているようだ。
しかし、一体、どういうことなんだろうか……何の理由も無く、アサシンが姿を見せるわけもない。
そもそも、アサシンが実体化するには、キャスターの魔力が必要不可欠なはずだしな――――そんな事を考えてたとき、山門にキャスターの姿が現れた。
キャスターの手には竹箒と普通の箒にチリトリ――――どうやらこれから、掃除を始めるようである。
「あ、キャスターさん。先ほどは、どうもありがとうございます」
「あら、良いのよ、由紀香さん――――アサシンの一つや二つ、貸し出すくらい」
ほにゃっとした三枝の気配にあてられたのか、キャスターは普段よりも3割り増しくらいに愛想良く答える。
そうして一言二言、何やら小声で話した後、キャスターは山門から離れて石段を降りてきた。
「あら、坊やじゃないの。何か用事?」
「いや、何となくふらふらとな――――それより、どうしたんだキャスター? アサシンを実体化させるなんて」
普段は、無駄な魔力を抑えるためにアサシンは霊体にしたままである。山門の護衛など、必要なときには実体化するものの……今、アサシンが実体化する必要はない。
もともと、無駄とかを極端に嫌うのは遠坂ばりのキャスターだ。何やら裏があるだろうけど……。
「ああ、そのことね。あの3人の娘の中で、可愛らしい娘が居るでしょ? 彼女のたっての頼みというから、引き受けてあげたのよ」
「可愛らしいって……三枝しか居ないよなぁ」
他の二人には悪いが、可愛らしいという言語には該当しないと思う。もっとも、彼女らは彼女らで、違った魅力があるのだろうけど。
しかし、キャスターが願い事を聞くなんて、十中八九――――いや、完全に裏がある。
「どうせキャスターのことだし、ただで引き受けるみたいなことは、しないんだろ?」
「ええ、それはそうよ。魔術師の基本は等価交換ですもの。もちろん代償は求めたわ」
平然とそう言うキャスター。しかし、相手は三枝だぞ。いったい、どんな無茶な要求をしたんだろうか。
「いくらなんでも、無茶苦茶じゃないか? 三枝は普通の女の娘だし、まさか、魔術の実験に利用しようというんじゃないだろうな」
さすがに、そういう非道を行うって言うんなら、俺としても黙って見ているわけにはいかない。
ただ、俺の予想は的外れだったようだ。キャスターは呆れたように一息をつくと、小馬鹿にしたような表情で俺を見た。
「そんなことしないわ。そもそも、実験に耐えれるほど、頑丈じゃないでしょ」
まぁ、そういうところが良いんだけど――――などと、よく分からないことを呟くキャスター。
しかし、それじゃあ、一体なにを要求したのだろうか…………頭をひねるが、答えは浮かんでこない。しょうがないので、俺はキャスターに問いただしてみる。
「それじゃあ、いったい代償って――――何だよ?」
「それは…………その、ちょっと私の趣味に付き合ってもらおうかと……ね。ほら、可愛らしい子は着飾った方が良いでしょう?」
後半は恥ずかしいのか、ごにょごにょと口ごもるキャスター。つまりは、アレか――――いつもキャスターが買い込んでいる服を三枝に着せようと。
フリフリの少女趣味の服を着て、微笑む三枝を脳裏に想像してみる…………けっこう、良いかもなぁ。
いつも地味な服装ばかりで、何となく華やかさに欠けてるんじゃ無いかと、俺も多少は思ったこともある。
「……なるほど、本人が嫌がってないんなら、別に良いんじゃないか?」
「ええ、彼女は喜んでくれたわ。実家が貧しくて、服もあまり新調できないって嘆いていたくらいですもの」
俺の言葉に……我が意を得たり、と意気込むキャスター。
まぁ、多少趣味的な傾向があるとはいえ、ああいう服は、意外にしっかり仕立てられているし……別に問題にはならないだろう。
「そうすると、他にバリエーションも付けるべきかしら……あ、裸エプロンなんて良いかも」
「――――まて、なんか問題発言しなかったか、今」
「そう? せっかく着飾るんだし、色々な姿を見たいと思うのは当然でしょう?」
すでにやる気満々のようなキャスター。しかし、裸エプロンはちょっと――――思わず想像してしまいそうになったぞ。
まぁ、ギャラリーは……キャスターだけになるだろうし、俺が言って聞く様な相手でもないしなぁ。
三枝が、何かのはずみに、キャスターに喰われない事を願っておこう。
……さて、そんな事とは露知らず、三枝達はアサシンと楽しく話をしているようだ。
風に乗って、会話の内容がこちらにも聞こえてきた。
「いやはや――――しかし、なかなかに華やかなものだな。三者三様の麗しさというものは、見て飽きないものだ。花札で言えば猪鹿蝶かな」
「いのしかちょー? 何かの技名か?」
「蒔の字、ある意味で合ってはいるが、この御仁が言ったのは、花札の役だ。猪、鹿、蝶の札の三枚が集まって出来る役どころだ」
蒔寺の疑問に、氷室が説明を返す。三枝はというと、のほほんとその光景を見つめていた。
「ふむ、言うなれば……蝶は三枝だな。花の艶やかさは無くとも、その周りを飛び交う可憐さは持ち合わせている」
「ええっ、わ、私はそんな……じゃないと思うけど……」
「ほう、なかなかに鋭いな。では、鹿はどちらだと思う?」
氷室の言葉に、三枝は真っ赤になった。その様子を楽しげに見ながら、アサシンは興味深げに先を促す。
少し考えながら、氷室は唸る。そうしてしばらくして、彼女はポツリと呟いた。
「鹿は、私かな? 余裕綽々に見えて、意外と繊細――――というよりも、神経質だと自分でも思うしな」
「わははっ、氷室は鹿かよ、カッコ悪――――!」
そんな氷室を豪快に笑い飛ばしたのは蒔寺。しかし、彼女は分かっているのだろうか?
「…………別に笑われるのは構わないが、蒔の字、忘れていないか? 猪鹿蝶の役、鹿が私、蝶が由紀香、残っているのが君の役どころだ」
「?」
一瞬、蒔寺は頭の中で考え直すと――――、
「なに――――! アタシが猪だってのか、こらー!」
やっぱり爆発した。怒った蒔寺に、止せばいいのにアサシンが突っ込みを入れる。
「ふむ、やはりそういう風に収まったか。いや、私としても、これ以外の組み合わせはないと思ったしな」
「うが――――! 全部キサマのせいだ――――!」
「ははは、その猪突猛進振り、まさに役どころに相応しいな」
激昂した蒔寺がつかみかかるが、アサシンはまるで幽霊のように、ひょいひょいと蒔寺の手を避けている。
なんか、見ていて蒔寺が哀れになってきたし、ここは立ち去るとしよう。
「あら、帰るの、坊や?」
「ああ、特にやることもないし、帰るとするよ。そんじゃあな、あまり調子に乗って、三枝に嫌われないようにしろよ」
なおも騒ぐ山門に背を向け、石段を掃いていたキャスターに声をかけて、俺は石段を下りだした。
と、背後からキャスターの、からかうような声が聞こえてきた。
「そんなに心配なら、着せ替えの予定日を教えてあげるから、見物にいらっしゃいな。貴方だって、興味はあるでしょう?」
多少は興味があったのも確かだったが、素直に頷くのも色々弱みを握られそうだった。
俺は振り向かず、ヒラヒラと手を振り、いらないとアピールをして……足早に階段を下りる。
はぁ、なんかどっと疲れる時間だった。早く家に帰って、くつろぐとしようか――――。