〜Ｆａｔｅ Ｈｏｌｌｏｗ Ｅａｒｌｙ Ｄａｙｓ〜
〜☆宵闇の残照〜
夜の街を見回るうち、山裾の大空洞へと知らず知らず足を向けていた。もはやそこには、何も無いはずである。
あの一件の終幕、大聖杯の崩壊――――その事実がある以上、大聖杯はもはや機能せず、そこには関連付けられる全ての可能性は存在しない。
直感で理解をしていた。大聖杯へと繋がる道。今更そこに向かう理由など無いと。それでも、不思議とその日は、足は止まらなかった。
薄暗い中、光る苔に照らされる洞窟を歩く。かつての記憶の残滓、苦い思い出が脳裏をよぎった。
過去と現在、未来の様々な犠牲の上に編み上げられた終末に、思いを馳せたのがいけなかったのか…………。
大空洞へと至る、洞窟の広間――――かつての別れの場所に、彼女はあの時と同じように立ち、俺を出迎えていた。
「お久しぶり、というべきでしょうか、シロウ」
「セイ、バー……」
違う、と脳裏に自らの声が響く。あれはセイバーであっても、ここに居るはずの無いものだと、無意識に感じ取っていた。
武骨な黒い鎧。その身に大聖杯より受けた黒色の咎は刻まれておらず、しかしその表情は、セイバーとは異なる無気質なもの。
彼女は、金色に染まった瞳を静かに閉じ、抑揚の無い声で俺に向かって語りかける。
「少し、歩きながら話をしましょう」
――――かつて、聖杯戦争の全ての幕を引く戦いがあった。
黒い聖杯の娘が、何をトチ狂ったのか自らの力をべらぼうに使い、滅茶苦茶に何もかも根こそぎ、ぶち壊したそんな話。
いや、あの時は俺も、なかなか興味深い状況だったから、外に出てみようとも思ったんだが――――。
完成したふりの未熟者が、最後の最後でやってくれた。
あの馬鹿が、こいつを焚き付けなきゃ、最後の最後、衛宮士郎（こいつ）は力尽きていただろうに。
ま、それまでの経緯だけでも、充分に面白く、腹一杯な内容だったんだがな。
愛憎の果て、殺しあう兄弟、仲間、主従。ニンゲンってのはこうじゃなきゃいけない。
平和主義などくそくらえだ。それにしても、何のつもりでこいつは出てきたんだろうか。
お互いに殺しあった相手と話をするなんざ、正気の沙汰じゃないね。ま、面白そうだけど。
そうして――――沈黙が、互いの間を繋ぐ架け橋のようだった。
話をしよう、といった黒いセイバー。しかし彼女はそう言ったっきり、何も話そうとしなかった。
ただお互いに、肩を並べて歩いた。行き先は一本道の先、その先には大聖杯の丘がある。
特に取り決めたわけでもないが、俺とセイバーは外へと向かわず、大聖杯へと向かう。
そこが、あの聖杯戦争を戦った俺達の、絆の場であると、無意識のうちに理解していたのかもしれない。
丘が見える。天へと伸びた大聖杯の姿はもはや存在せず、瓦礫の残滓のみが残る場所。
かつて、ここに囚われていた少女を守ろうとした俺、護ろうとしたセイバー……それは、どちらが間違っていたわけでもない。
ただ、互いの信念を掛けて戦い、俺は桜を助けるため、セイバーをこの手で――――。
「本当に、あの戦いはつらかった。お互いに、愛する人、護るべき人を倒さねばならない戦いだった」
ポツリと、俺と同じ事を考えていたのか、セイバーは金色の瞳で俺を見定め、淡々と語る。
過去の結末。どのような形であれ、避けては通れぬ試練の道――――いや、それは試練などという言葉では著せぬ、悲劇だった。
「私はそれを遂げることはできなかったが、貴方は私を倒し、桜を救った――――見事でした、シロウ」
表情の変わらぬ黒い騎士王。しかし、その口調はどことなく穏やかで、優しい音色がある。
けれど、俺は……セイバーが許してくれても、自らを許せはしなかった。当然だろう、許すことなど出来ようはずもない……！
「俺は、俺は――――本当はもっと違うことも望んでいたんだ。きっと、セイバーは助かって、皆助かって、それで――――」
白い、俺の大切なあの少女も、大聖杯のための礎などにしなくても良かったのではないか――――。
しかし、それは言葉に出来ず、俺は嗚咽を堪えるために、拳を握り締め――――痛みによって悲しみを忘れ去ろうとした。
だが、そんな俺を諫めるように、セイバーは静かな口調で――――、
「たとえ悲劇であろうと、私は満足です。最後の最後、愛しい人の手に掛かり……事切れたのですから」
「――――！」
言葉なく俺は、彼女を抱きしめていた。武骨な鎧、冷たい肌。それでも、俺は不思議と彼女のぬくもりを感じ取れていた。
セイバーは静かに目を閉じて、俺のなすがままに抱きしめられている。その表情は、無機質でありながら、どこまでも穏やかであった。
「セイバー……これからどうするんだ？ もしセイバーが良いなら、一緒に家に行こう。もう一人のセイバーや、遠坂達には俺が説明するから」
「…………ありがとう、シロウ。ですが、それは出来ない。それに……貴方の迎えが、来たようです」
「――――え？」
静かに、セイバーは身を離す。風の音しか聞こえない大聖杯の丘――――だが、それに混じり、僅かな異音が聞こえてきた。
これは……足音だ。誰かがこちらへと駆けて来る。しかし、誰なのだろう。こんな時分にここに来るなんて――――、
「シロウ、無事ですか！？」
「え――――」
蒼と白に身を包んだ、騎士王の少女…………大聖杯の丘へと駆けて来たのは他ならぬセイバーだった。
その様子を見て、ますます俺との距離を離す、もう一人の黒いセイバー。黒騎士の彼女は、静かな瞳で、自らの異質な具現を見つめていた。
「さすがに鋭い直感ですね。もうここを嗅ぎつけてきたとは」
「――――何の茶番ですか、これは」
問う声は鋭く、騎士王は黒き騎士王に向けて金色の剣を構える。返答は簡潔かつ、明瞭。
「特に意味はありません。ただ、私はシロウに会いたかった。シロウも私と会いたかった。貴方には存在しない、絆の結果です」
「だまれ、そのような戯言――――！」
止める暇も有らばこそ、騎士王は黒い騎士王へと向けて地を蹴り、剣を叩きつける！
白い閃光はしかし、まったく同一の剣閃――――真紅の剣閃によって迎撃される！
視認すら困難な速度で、二人のセイバーは斬り結ぶ。同一の存在であるがゆえに、拮抗した力は密度を増し、更なる激しさを生む。
「ずいぶんと嫌われたものだ。かつて、轡を並べて戦ったこともあるというのに」
「なにを言う、気でも違ったか！ 私は、お前のような者と組んで戦ったことなど――――、一度たりとて無い！」
「――――ええ、そうでしょう。どの道リセットされる結末、貴方が覚えていないのも当然か」
会話を続けながら、それでも凄まじい速さの切っ先が互いに触れることは無い。
本気を出したセイバー同士の戦いは、いつ果てるとも無くつづく。攻撃をしのぎつつ、黒騎士王は、まるで曲芸士のように空中でバク転しながら、大きく間合いを離す。
その剣に宿るは、勝利を集積させし、王気の凝り――――かわすべきか防ぐべきか、一瞬の迷いを見せる騎士王に対し、
「約束された―――」（エクス）
黒をその身にまとう、もう一人の騎士王は――――漆黒の魔力を集積させた絶対の必殺剣を――――発動する！
「――――勝利の剣！！！」（カリバー）
その名に由来するは、星の力を借りたる神造兵器の発動。真名を用いて、敵を殲滅せんと、真なる力が開放される！
中空より発動した、圧倒的な熱量の洸条――――世界そのものを漆黒に塗りこめようかという強烈な波動、それを……
「……全て遠き理想郷！」（アヴァロン）
白すら黒く思えるほどの、純白の護りが完全に拒絶する。それは、完全なる防御をもって黒き聖剣を完膚なきまでに防ぎきったのだった。
――――魔力の放出が止まる。消耗したのか、着地した黒騎士王は、苦しそうに地に片膝をつく。
セイバーは、その隙を見逃さない。金色の聖剣が純白に輝きを増す。同一の真名を用いる宝具で、けりをつけようと言うのか。
「待て、セイバー！」
「っ、シロウ、なぜ止めるのです！」
心外そうに俺を見つめるセイバー。しかし、その剣を振るわせる訳にはいかない。
完全なる防御（アヴァロン）をもった彼女ならともかく、黒いセイバーでは聖剣を防ぐ術は無い。勝負付けは、完全にすんでいた。
「もう、終わりにしよう。セイバー」
「――――ですが」
「どのみち、彼女に戦う気はあまり無かったみたいだ。そうだろ？」
背にかばった彼女に声を掛ける。黒い色に染まったセイバーは、ふふっ、と笑みを漏らす。
どうやら、俺の予想は正しかったようだ。俺の背中越し、黒衣の騎士王が俺を見つめているのが、妙にむず痒い気分だった。
「ええ、そうですね。確かに戦う理由は無かった。もっとも、始めてからは少々白熱してしまいましたが」
「――――しらじらしい、聖剣まで使っておいて、本気では無かったというのですか」
「当然、本気です。戦いが始まれば、手を抜くのは武人の礼に反するというものでしょう？」
おお、なんだかすごいぞ。セイバーがセイバーをやり込めている。
やっぱり聖杯憑き状態のセイバーのほうが、普段より精神レベルが上なのかもしれない。
「なんだか、楽しそうですね、シロウ」
「ああ、まぁ……どっちもセイバーだしな。セイバーの声を聞くだけでも、俺は楽しいし」
じとっとした目線を向けていたセイバーだが、俺の返答を聞き、真っ赤になってしまった。
う――――さすがに今のは、ちょっとばかり恥ずかしかったのかもしれない。声だけでも好きって――――変な人か、俺は。
「どっちも、セイバーですか。そういってもらえると、私も嬉しいですね。本人は嫌がってますが、私は、私としてシロウに認めてほしかった」
「――――」
「敵対するだけで、シロウは貴方を嫌いになりませんよ。どこぞの英雄王の言葉ではありませんが、一度培った愛情が消えることはありませんから」
そこまで言って、黒いセイバーは言葉を切る。背後に聞こえる息遣いは荒く、彼女の存在が希薄になっているのが分かった。
それは、存在の消失の予兆なのだろう。俺は振り返らず、彼女に向けて聞いてみた。
「もう、逝くのか？」
「……ええ。もとより私の存在は異質。聖杯戦争を勝ち抜くという可能性こそあれ、この身が生きているのか死んでいるのかは、判別しづらいようです」
俺の眼前のセイバーが、驚いたように俺の背後を見つめている。俺は最後まで振り返らず、ただ彼女を護るために背中を見せ続けていた。
「ですが、だからこそ見えるものもある。この遊戯の外に居る私は、貴方が想うのなら、いつでもこちらへと渡ってこれます」
「外？ いったい何のことだ？」
「気にしないでください。その時が来れば、私の言ったことも分かります。さて、シロウ――――そろそろお別れです。貴方と久方ぶりに話せたこと、嬉しかったです」
別れの言葉は、多くはいらなかった。ただ俺は、彼女に対して一言、
「ああ、またな――――セイバー」
「――――ええ、また会いましょう。その時こそ……」
……私は、貴方のための英霊となる。最後の呟きは、確かにそう聞こえていた。
消えたのは、黒いセイバー。そうして、大聖杯の場には、俺といつものセイバーが残された。
「シロウ……」
「――――さて、あまり遅くなると皆が心配するといけないからな。帰ろう、セイバー」
俺は言いながら、セイバーの手を握った。暖かい手をした彼女は、しばしの葛藤のあと、微笑を見せてくれた。
未練は残さず、こうして俺と、もう一人のセイバーの出会いは終わった。これは、そんな話…………。